分類:村 何事にも先鞭をつけたハイカラ人 草野 庫太
明治21年7月10日~昭和8年7月10日 享年45歳 鹿島町船戸字八合23
庫太はハイカラ(西洋風を気取ったり、流行を追ったりすること)人で、鹿島街道に乗合自動車が走れば初乗りし、自転車が発売されれば直ぐに買い求め、大正の中頃にはドイツ製の高級小型写真機を購入し、乾板カメラで風景を撮ったりもした。
昭和4年に若くして鹿島村村議を1期務めたが、その以前に次のようなエピソードが残っている。大正2年、村議会議員立候補資格年齢の25歳に達すると、かねてより庫太を議員にすることを字の長老たちは決めていたから、彼は4月の選挙に出馬するため届け出に出頭した。 ところが、資格は満年齢で25歳のために庫太はその年齢に2ヶ月足らず受理を拒否されてしまった。 「メンツが潰れた、もう2度と出ない」と怒鳴り散らすのを長老たちは酒攻めでその心をやっとほぐすことができた。
酒豪であり、村中の人々から呑兵衛ぶりを知られた庫太の親友は、後に村長になり 「一圓融合」 を提唱した志賀直哉だった。庫太は胃潰瘍(現在で言う胃癌かも?)で若死にしたが、人生は短くも世をおもむくままに過ごした面では強烈な印象を今の世に残している。