分類:歴
史跡七本松 所在地 : いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
鹿島公民館敷地内
鹿島街道の小神山信号は、江名・豊間方面から湯本へ向かう県道48号線と交差する場所だが、その付近に鹿島公民館があります。
公民館入口の直ぐ側に旧道の十字路(信号付き)があって、2代目までの七本松はそこに植栽されていました。 ※ファミリーマートの駐車場辺りがそうです。
《3代目になる若木の松は公民館の敷地内に植えられた》
代々継いでいる七本松は地元民の古い歴史の伝承なのです。
その昔、坂上田村麻呂が奥州へ征途の時に走熊地内を通りかかった折、東に向かえば江名の浜にも抜けられる三叉路(さんさろ)で休息し、戦勝を祈念しながら七本の松を道端の一角に手植えをしました。
時を経て、慶応4(1868)年1月、鳥羽、伏見の戦で始まった戊辰戦争は、7月10日には鹿島七本松に於いて、薩摩藩(西軍)と平・仙台藩の攻防戦になって次第に東軍の敗色は濃厚となり7月13日、ついに平城総攻撃を迎えることになりました。
《史跡七本松の石碑》
こうして2代目までの巨松は場所を異にして、昭和の初期まで天を突くように生え立っていたのですが、名木も寄る年波には勝てず、昭和10年までに5本が強風に倒れ、同11年に1本倒れ、翌12年には最後の1本も大風で倒れてしまいました。
時の村長、志賀直哉は「一圓融合」の村是を以って村政に当たっただけに、村のシンボルである史跡七本松の名を後世にとどめたいと、村人に呼び掛け世継ぎの松(2代目)を同じ場所に植えたのでした。
鹿島神社(現在の常磐上矢田町)の本堂内には当時の松を輪切りにして『一圓融合』と記された板が存在します=写真下。
史跡七本松 所在地 : いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
鹿島公民館敷地内
鹿島街道の小神山信号は、江名・豊間方面から湯本へ向かう県道48号線と交差する場所だが、その付近に鹿島公民館があります。
公民館入口の直ぐ側に旧道の十字路(信号付き)があって、2代目までの七本松はそこに植栽されていました。 ※ファミリーマートの駐車場辺りがそうです。
《3代目になる若木の松は公民館の敷地内に植えられた》
代々継いでいる七本松は地元民の古い歴史の伝承なのです。
その昔、坂上田村麻呂が奥州へ征途の時に走熊地内を通りかかった折、東に向かえば江名の浜にも抜けられる三叉路(さんさろ)で休息し、戦勝を祈念しながら七本の松を道端の一角に手植えをしました。
時を経て、慶応4(1868)年1月、鳥羽、伏見の戦で始まった戊辰戦争は、7月10日には鹿島七本松に於いて、薩摩藩(西軍)と平・仙台藩の攻防戦になって次第に東軍の敗色は濃厚となり7月13日、ついに平城総攻撃を迎えることになりました。
《史跡七本松の石碑》
こうして2代目までの巨松は場所を異にして、昭和の初期まで天を突くように生え立っていたのですが、名木も寄る年波には勝てず、昭和10年までに5本が強風に倒れ、同11年に1本倒れ、翌12年には最後の1本も大風で倒れてしまいました。
時の村長、志賀直哉は「一圓融合」の村是を以って村政に当たっただけに、村のシンボルである史跡七本松の名を後世にとどめたいと、村人に呼び掛け世継ぎの松(2代目)を同じ場所に植えたのでした。
鹿島神社(現在の常磐上矢田町)の本堂内には当時の松を輪切りにして『一圓融合』と記された板が存在します=写真下。