毎日バッハをきいていこう!

一日一バッハ




桜も開花したのに、ここのところ寒くなって雪が降った日も。昨年のこの時期は、こんなに寒くはなかったと思うのですが。さて、これからきくのはひさしぶりに「4声コラール」から、「今日こそ、おお人よ、大いなる悲しみの日なり」。このBWV341を、マットとノルディック室内合唱団たちによる歌唱できくことにします。

CD : 99575(Brilliant Classics)

99575

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これからきくのは昨日と同名のBWV683(「クラヴィーア練習曲集 第3部」)で、こちらの「天にましますわれらの父よ」は手鍵盤のみによるニ短調の楽曲。昨日きいた長大なBWV682とくらべると、このBWV683は「《オルガン小曲集》を思わせる簡素な楽曲」(『バッハ事典』)です。オルガン演奏はひき続き鈴木雅明です。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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今日と明日きく「天にましますわれらの父よ」は、「クラヴィーア練習曲集 第3部」のほかの教理問答コラールと同じく、手鍵盤とペダルによる曲と、手鍵盤のみによる曲の2曲1組。これからきくBWV682は手鍵盤とペダルにより、「トリオ・ソナタに2声の定旋律カノンを組み込んだ形をとる」(『バッハ事典』)長大な5声楽曲です。オルガン演奏は鈴木雅明。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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棕櫚の日曜日にはじまる聖週間。今週の聖金曜日にはなにをきこうか、受難曲をきくならどうして時間をつくるか、そういうふうにあれこれ悩みはじめるのも棕櫚の日曜日のころから。聖金曜日のことはともあれ、これからきくのは悩むことなく「天の王よ、汝を迎えまつらん」です。この日のためのカンタータは、このBWV182しかのこされてなく、選択肢がないので迷わなくてすみます。

演奏をどうするかについてはちょっと悩みましたが、昨年(記事は「『天の王よ、汝を迎えまつらん』 BWV182」)とおなじく今年もOVPP(OVPPについては「OVPPによる演奏」)による演奏を選びました。パーセル・クァルテットの演奏は、歌唱部だけでなく、アンサンブルもパート1人(通奏低音をのぞく)によっており、いわば最小編成といえるものになっています。

CD : CHAN 0752(2)(Chandos Records)

CHAN 0752(2)

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これからきくのは、昨日と同名のBWV681(「クラヴィーア練習曲集 第3部」)。こちらの「われら皆一なる神を信ず」(ドイツ語クレド)は手鍵盤のみで演奏されるフゲッタで、「フランス序曲風の付点リズムが支配」(『バッハ事典』)する楽曲です。オルガン演奏は、いつものように鈴木雅明です。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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「われら皆一なる神を信ず」(「クラヴィーア練習曲集 第3部」)は、ドイツ語クレドによるフーガ。続く同名のBWV681は手鍵盤のみですが、こちらのBWV680は手鍵盤とペダルによる楽曲で、「最強奏で」と題されています。定旋律はありませんが、バスでコラール旋律の第1句が奏されます。オルガン演奏は鈴木雅明。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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「輝く曙の明星のいと美わしきかな」は、受胎告知の祝日のためのコラール・カンタータ。昨日きいたBWV764と同じく、美しく鳴り響くコラールは、フィーリップ・ニコライの有名なそれをもとにしています。このブログではすでにミルンズ(OVPP)やガーディナーの演奏できいていて、これからきくコープマンたちによる演奏でBWV1は3度目になります。受胎告知の祝日のためのカンタータはBWV1しかのこされていないため、この日のカンタータの選択肢はありません。

CD : CC 72213(Challenge Classics)

CC 72213

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これからきく「輝く曙の明星のいと美わしきかな」は、「BWV739とともに、現存する最古の自筆譜で伝えられ」(『バッハ事典』)た、受胎告知の祝日(3月25日)のためのコラールです。ただし、その自筆譜は断片のため、ボウヤーのオルガン演奏もそこで止められています。

CD : NI 5734/5(Nimbus Records)

NI 5734/5

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これからきくBWV1073は、1713年8月2日、ある記念帳に「快き思い出に寄せて」記帳された「4声の無限カノン」。その記念帳の「持ち主は、シュピッタ以来J.G.ヴァルターと考えられてきたが、真相は不明」(以上すべて『バッハ事典』)とのことです。ゴルツたちはこのBWV1073を、弦のアンサンブルで演奏しています。

CD : CD92.133(Hänssler CLASSIC)

CD92.133

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フゲッタと題されたBWV679(「クラヴィーア練習曲集 第3部」)は、昨日きいた同名BWV678と同じト長調の楽曲。こちらの「これぞ聖なる十戒」は手鍵盤のみで演奏され、主題は10度提示されます。オルガン演奏は鈴木雅明です。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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鈴木雅明のオルガン演奏できいている「クラヴィーア練習曲集 第3部」、これからきくのは「これぞ聖なる十戒」です。ともに3曲1組だったドイツ語キリエとドイツ語グローリアでしたが、教理問答のコラールは、すべて手鍵盤とペダルによる楽曲と、手鍵盤のみの楽曲の2曲1組。これからきくBWV678は手鍵盤とペダルによるト長調のコラールで、定旋律はカノンによるアルトとテノールにあらわれます。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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これからきくのは、その第1曲から順にきいている同名3曲の「いと高きところでは神にのみ栄光あれ」(「クラヴィーア練習曲集 第3部」)から、その第3曲です。このBWV677は同名第1曲のBWV675と同じく、手鍵盤のみによる楽曲。同名3曲の調性は、第1曲のヘ長調から順に上るように配列されていて、この第3曲ではフゲッタと題されたイ長調の二重フーガとなっています。オルガン演奏はひき続き鈴木雅明です。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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これからきく「いと高きところでは神にのみ栄光あれ」は、「クラヴィーア練習曲集 第3部」の同名3曲中の第2曲。3曲中このBWV676だけが手鍵盤とペダルによる曲で、ト長調の「協奏風トリオ楽曲」(『バッハ事典』)です。オルガン演奏はこれまでと同じく鈴木雅明です。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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鈴木雅明の演奏できいている「クラヴィーア練習曲集 第3部」、これから3日はBWV675、BWV676、BWV677をきいていくことにします。これは3曲はドイツ語グローリアによる3声楽曲。これからきくBWV675は、手鍵盤のみによるヘ長調の曲で、定旋律はアルトにあらわれます。

CD : BIS-CD-1091/92(BIS Records)

BIS-CD-1091/92

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曽根麻矢子による「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」(avex-CLASSICS AVCL-25176-7)、ききはじめてすぐに感じたのが、即興性のある演奏だということ。即興性といっても、耳なれない音を織りこんでるというのではなく、いいかえれば自在性といえるもので、その録音におけるさまざまな一期一会が、その即興性を生みだしたのかもしれません。

曽根の「録音後記」によると、「パリでのレコーディングは10年ぶり」で、「ここ数年の、ライヴに合わせて録るというやり方ではなく、別枠でのセッション」であったこと。また、「自分が希望するチーム」との録音で、パリ・コンセルヴァトワールから「門外不出の楽器」を貸しだしてもらったこと。つまりこの録音には、いつものとはちがう空気が流れていたようです。

じっさい、「不思議なことに、日本で練習し準備していったテンポやイメージとは全然違うものが、教会で指慣らししている時に湧いてきて、自分でも驚いたものでした。楽器が違うこと、場所が違うことだけでこんなに変わるなんて!」と記しています。そんなちがいが、きき手に即興性のある演奏と感じさせたのだと思います。

(じつは借りものの)曽根の録音をきいて、比較のためにと購入したのが、ピーテル・ヤン・ベルダーによる「平均律クラヴィーア曲集」(Brilliant Classics 93892)。1966年生まれのベルダーは、曽根とほぼ同世代ということ、録音も1年ちがいということで選びました(それに2巻とも収録された4CDで安価という理由も)。

曽根とベルダーをくらべると、楽器(ミートケによるブルース・ケネディ製作)はもちろん、録音の場所や録音技師もちがうので、たんじゅんな比較はできませんが、演奏をどうこういうまえに、チェンバロの響きがずいぶんちがいます。曽根にくらべると、ベルダーのチェンバロは、低音のエネルギー感が薄くきこえてしまいます。

曽根のチェンバロは、パリ・コンセルヴァトワールから貸しだされたという、デイヴィッド・レイ(調律も)が2005年に製作したもの(ヨハン・ハインリヒ・グレープナーの1739年製作のチェンバロによる)で、「当時としては異例に低いCCまでの低域をもつ」こともあり、音も深く豊かで、とても美しい響きです。

そんな楽器との出会いをはじめ、プロデューサーにスキップ・センペ(チェンバロ奏者)を擁しての録音は、それまでのものとは一味も二味もちがった演奏を生みだしたのかもしれません。その確認は、この「平均律」以前の録音をきいてたしかめる必要がありますが、そういうふうに思わせる演奏であることはたしかです。

楽譜を手にしてきいていたとはいえ、まだ第一印象的な感想なのですが、曽根の演奏はとてもみずみずしいもので、これからも何度かきくことになると思います。なお、「調律はマルブルグ調律法を基本に独自にアレンジを加え、マルブルグが合わないと感じられた曲についてはヴァロッティ調律法をアレンジしたものを用いている」とのことで、ピッチはA'=415Hzです。



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