アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

尹奉吉暗葬の地散策

2012年10月18日 | 尹奉吉義士
 秋晴れに誘われて、尹奉吉暗葬の地を歩きました。すぐそばに、イチョウの大木が天に根をはるように聳えています。このイチョウを見上げると、韓国西大門刑務所の「歎きのポプラ」を思い出します。日帝植民地時代に、朝鮮独立運動家はそのポプラの前を通って、絞首台のある建物に入り、ふたたび、生きて戻ることはありませんでした。
 尹奉吉が野田山に暗葬されたとき、このイチョウの木はあったのだろうか。秋になると、銀杏(ぎんなん)が鈴なりに実り、風にゆられて尹奉吉のおおつぶの涙のように、その実りがこぼれてきます。

 「ユンボンギルと天長節事件始末」(1992年発行)を片手に周辺を歩きました。長い間、この冊子に掲載されている何枚かの写真(1946年撮影)が、一体どこで、どこから写しているものなのか疑問を持っていたからです。

 数十人の調査・発掘団がトラックの荷台に乗り、遺体(柩)を乗用車に運んでいる写真(12番)は県道から暗葬の地への入り口であることが判りました。背景にある垣根は、日露戦争で戦死した兵士の墓群と県道の境目にあり、現在は朽ち果て、木々に隠れています。(上は1946年、下は2012年に同じ場所を撮影)

            
            

 遺体発掘を完了し、十字刑架を中心にして調査・発掘団を写した集合写真(11番)の背景には三つ叉に分かれた木があり、それと同じような木が陸軍墓地入り口の右側に、現在も聳えています。この集合写真は日露戦争で戦死した兵士の墓群を背にして写したのではないかと思われますが、これは確信が持てませんでした。

 陸軍管理事務所を背景にして、発掘作業を行っている写真(4,5,6番)にはイチョウの木が写っていません(写真原板を見たい)。今では大木になって聳えているイチョウは調査・発掘後に植えられたのでしょうか、それでも大きく成長しています。

 上海爆弾事件、尹奉吉処刑・暗葬から80年、遺体発掘から67年、長い歴史を感じた散策でした。
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