OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

泉アキも素敵でした♪

2009-08-21 11:54:35 | 歌謡曲

夕焼けのあいつ / 泉アキ (クラウン)

昭和歌謡曲の元祖アイドルとしては、泉アキも忘れられません。

そのデビューは昭和42(1967)年でしたが、その前年に出場したタレントスカウト番組「あたな出番です(日本テレビ)」で優勝しての芸能界入りだったと記憶しています。

彼女の魅力は掲載したシングル盤のジャケ写でもご覧になれるとおり、ハーフ特有の西洋顔にナイスバディ、もちろん巨乳でミニスカも最高に似合っており、特に水着姿は同時代の女性歌手の中では圧倒的な存在感がありました。

もちろん歌手としても、些かリキミが感じられるところはありましたが、絶叫調のキメがウリで、また曲調は当時最先端のエレキ歌謡が初期のスタイルでした。

で、本日ご紹介のシングル曲はデビューヒットの「恋はハートで」に続く2作目の更なる大ヒットで、泣きのあるメロディ、パワフルでせつない彼女のボーカル、さらに間奏での「かえしてぇ~」、そして歌終わりでの「帰って来てぇ~」の絶叫がキメ! という昭和歌謡曲史に残る名曲名唱です。もちろんエレキもビンビンですよ♪♪~♪

このあたりは「天使の誘惑 / 黛ジュン」や「真赤な太陽 / 美空ひばり」の路線を強く意識していたのは言わずもがな、しかも泉アキの場合はハーフという日本人男性の弱みを狙い撃ちする魅力も兼ね備えていましたから、忽ちにスタアの座を獲得しています。

もちろん映画出演も幾つかあって、中でも松竹の傑作歌謡映画「進め!ジャガーズ・敵前上陸(昭和43年・前田陽一監督)」では劇中、この大ヒット曲を熱唱しました。

そして既に述べたように、恐らくは黛ジュンの路線を踏襲したのでしょうか、いよいよ正統派歌謡曲の哀愁路線でも、スバリ良い曲を歌っているんですねぇ~♪

それはB面に収録された「これが恋かしら」が、いきなりストライクゾーンのど真ん中! 原曲のマイナーメロディ、幾分もっさりしたストリングと洒落たヴァイブラフォンの響きを効果的なスパイスとしたアレンジが、一生懸命に感情移入する彼女のボーカルと絶妙に融合しています。こういう大袈裟な乙女の心情吐露って、中年者になると尚更にグッときますねぇ~♪

そうした味わいは、さらに粘っこいR&B調の「ハートは泣いている」とか、「あなたの瞳」や「夕陽がまぶしい」、そして昭和歌謡曲最高の隠れ名曲「黄色いひなぎく」で見事に結実しています。

ただしこうした名曲群は当時も今も、全くといっていいほど注目されていません。何故ならば泉アキはイメージ的に、もう少し派手な楽曲をファンは望んでいたのかもしれません。実際、彼女はグラビアでも豊満な肉体を惜しげもなくキワドイ水着で披露していましたし、当時のテレビ歌謡番組では夏の恒例だった水着姿での出演でも、他の女性歌手を圧倒する存在感がありましたからねぇ~♪

ですから彼女は17歳でのデビューから歌手としての全盛期が十代でありながら、岡崎友紀のような等身大の親しみやすさよりは、やはり憧れのスタアという感じでした。それはハーフという、ある意味での「敷居の高さ」や芸能界にどっぷりという楽曲の素晴らしさがあったからでしょう。

そうした意味では、GS歌謡の最高峰のひとつとしてヒットした「愛を下さいマリア様」も決して忘れられません。まあ、ここで「GS」と書いてしまいましたが、この曲が発売された昭和44(1969)年春といえば、GSが完全に歌謡曲化していた真っ只中で、こうしたR&B系コブシ演歌が、最高の和製ポップスとされていた事情をご理解願います。

ちなみにB面に入っている「青い蝶々」はマーチビートも潔い、尚更にGS歌謡の傑作で、たまりませんよ♪♪~♪

ということで、ご紹介のシングル盤以外の話が多くなってしまいましたが、実際、泉アキの残した歌は捨て曲がひとつも無いと思っています。現在ではその多くがCDに纏められておりますので、ぜひともお楽しみくださいませ。

彼女のボーカルスタイルは、初期の頃のパワフルで情熱的なものが、後期になるとしっとりとした情感を含んだ魅力的なものになって完成されますが、その頃からテレビタレントとして売れっ子になり、素晴らしい歌手としての活動が縮小されたのは、個人的に残念でなりません。

今の若い皆様は彼女に対して、レポーターとかタレントとしてのイメージが強くなっていると思いますが、サイケおやじは懐メロ番組でも良いですから、もう一度、泉アキの生歌を聴きたいと念じているのでした。

帰って来てぇ~~~!

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フラワーズが好きだった

2009-08-20 12:26:13 | 日本のロック

ラスト・チャンス / 内田裕也とフラワーズ (日本コロムビア)

昭和元禄のGSブーム期には有象無象も含めて、プロ・アマに星の数ほどのバンドが日本中で活動していましたが、その中で第一線の売れっ子になったのは結局、それなりの実力とルックやチャンスに恵まれた者たちだけでした。

しかし、そうはならなくとも、決して忘れられない、忘れてはならないバンドがあって、本日ご紹介のフラワーズも、そのひとつです。

このバンドのリーダーだった内田裕也は、ご存じのとおり、ロカビリー時代から活躍していた歌手で、GS時代になってもブルージーンズに入って歌っていたのですが、そういうところから当時の欧米で最先端のプームとなっていたサイケデリックやニューロックと称された流行に対処すべく結成したのか、フラワーズでした。

まあ、私がこういう経緯を知ったのは後のことなんですが、それでも昭和43(1968)年の2月に体験したフラワーズのライプステージには、今もって強烈な印象が残っています。

この時は無料イベントということで、アマチュアも含めて幾つかバンドが出たのですが、フラワーズは流石に圧巻で、その演奏力とステージングの迫力には、集まった観客が呆気にとられていたと思います。実際、拍手をするのにも、戸惑いがあったというか……。

というのも、当時はGSブームの最盛期でありながら、一般的にはロックバンドの形態を維持しながらも、実は歌謡曲っぽいヒットを出せないバンドは認められていませんでした。もちろんゴールデンカップスのように、テレビやラジオでは歌謡曲ヒットを演奏しても、ライプの現場では凄すぎるニューロックをやっていたグループもありましたが、フラワーズの場合はデビュー直後という事実を抜きにしても、ある意味での「毒気」が強すぎたのです。

それは麻生レミと紹介された女性ボーカリストのエキセントリックな歌唱、スチールギターでありながら、全く聴いたことのないエグイ表現のリード&アドリブ、さらにバンド全体の重いビート感や目がチカチカするような照明……、等々!?!

既に皆様がご推察のとおり、麻生レミはジャニス・ジョプリンを強く意識していたのですし、スティールギターの不思議な音作りはファズやワウワウを繋いだ独自性が強烈! リズム隊の重いビートはクリームヴァニラ・ファッジを狙ったものでしょう。

ところで私は、この時点で麻生レミを知っていました。

実は昭和40年頃だったと思うのですが、彼女はブルーコメッツの前座をやっていたバンドで、ギターを弾きながら歌っていたんですねぇ~♪ 今となっては、そのバンド名も定かではないのですが、とにかく彼女のロック的な美しさには、唯一度だけ接したそのライプステージでKOされていたのです。

その女神様がフラワーズの紅一点として、再びサイケおやじの前に現れた! その事実だけで、私はこのバンドが好きになりました。もちろん既に述べたようにスティールギターのサイケデリックなリードをメインにしたサウンドの凄さにも圧倒されていましたから、これは絶対、レコード買うぞっ! と決意したのですが……。

何故かフラワーズのレコードは売っていません!?!

そして本日ご紹介のシングル盤が発売されたのは、かなり後の翌年1月という、既にGSブームも衰退期に入ってからでした。

このあたりの事情については知る由もありません。

ただしフラワーズというバンドは、本格的なロックを演奏するという評価が高く、しかしデビューシングル曲が当時の慣例という歌謡曲が丸出しだった所為もあって、ほとんどヒットしませんでした。

それでもサイケおやじは忽ち、この曲が好きになりましたですねぇ~♪

麻生レミのボーカルはジャニス・ジョプリンの色なんて全く感じさせない、妙にベタベタとして演歌チックなコブシが素晴らしく、実は井上忠夫がブルーコメッツ用に書いたという歌謡曲王道のメロディと橋本淳のクールで熱い歌詞の世界を存分に表現しています。重いピートと印象的なスティールギターのサイケデリック的な展開も、こういう歌謡ロックには不思議とジャストミートしています。刹那のコーラスも良い感じ♪♪~♪

またB面の「フラワー・ボーイ」は全く笑ってしまうほど、当時のフォークロックとしてヒットしたタートルズの「Happy Together」にクリソツで、いやはやなんとも……。

本当に実際のライプステージと、これほどイメージが狂わされたレコードを出したバンドは、ちょっと珍しいように思います。

特に完全に独自の世界を作り出していたスティールギターによる熱くて幻想的なサウンドが、ここでは本当にわずかな魅力しか楽しむことが出来ないのです。

それは後に発売されたフラワーズの唯一のアルバム「チャレンジ!」でも同様で、当時の最先端ロックのカパー曲も演じられていながら、ただひとつオリジナルの「左足の男」というインストジャムだけが救いという……。

しかし、ご安心ください。

フラワーズの勇姿は、当時の映画のスクリーンで、きっちりと残されています。特に渡哲也主演の日活ニューアクション「無頼・殺せ」は代表的な出演でしょう。

また話が逆になってしまいましたが、企画アルバム「横尾忠則をうたう」という前衛オペラのアルバムにも参加して、サイケデリックがモロ出しな演奏を聞かせていますよ。

そうした音源は今日、各種の復刻CDに収められていますので、ぜひともお楽しみくださいませ。

最後になりましたが、フラワーズのバンドメンバーは内田裕也(mc,per,vo) 以下、麻生レミ(vo,g)、奥ススム(g)、小林勝彦(sg)、橋本健(b)、和田ジョージ(ds)、千葉ひろし(vo) の6人組としてスタートしたのですが、途中でメンバー交代もあったらしく、このシングル盤発売当時には千葉ひろしに代わって中村ケント(vo) が参加していたようです。

また実際のステージでは内田裕也が歌うことはほとんどなく、MCやタンバリンを叩いての盛り上げ役でしたが、このあたりもフラワーズが誤解される一因かもしれません。なにしろ私が二度目に体験したライプステージでは、酔っぱらって野次っていたお客さんに説教したあげく喧嘩になってしまったほどですが、お客さんあってのプロでありながら、こういう一本気な人って、私はこの時、初めて見ましたよ。

今でも様々に悪く言われることが多いんですが、内田裕也ほど生真面目にロックしているミュージシャンって、我国では貴重な存在だと思います。映画出演も多く、そこでは妙にスジの通った芝居を演じてくれますが、そのあたりも共通する何かを持っているのでしょう。

気になる麻生レミは、後に知ったところによれば、そのキャリアは昭和37年頃にレコードデビューして、「和製ブレンダ・リー」と称されたほど、パンチの効いた歌手だったそうです。その頃は麻生京子の芸名で、前述したようにブルーコメッツの前座とか、けっこう昔っから人気があったようですね。またフラワーズでは前述のアルバム「チャレンジ」のジャケットで、当時としては衝撃的なヌードまで、バンドメンバーと共に披露しています。

しかし昭和45(1970)年に入るとフラワーズを脱退し、アメリカで自分のバンドを結成したり、帰国してソロ活動もやっていましたが、現在では結婚して、アメリカで生活しているとか!?

ですからフラワーズもメンバーチェンジを経て、ついにジョー山中が在籍していたフラワー・トラベリンバンドとなり、日本のロック史に名を刻みました。

ちなみにバンドのサウンドの要だったスティールギター奏者の小林勝彦も、その前後に脱退して渡米し、現地で活躍したと言われていますが、それにしてもフラワーズで聴かせていたサイケなスライドギター風味のプレイは唯一無二! 同様の味わいはジェフ・ペックやデュアン・オールマンあたりの名手がスライドギターで演じていますが、やはりスティールギターというスライド本家を用いての音作りは、完全に他を圧していると思います。こんな人って、世界中でも小林勝彦だけですよっ!

ということで、GSと言えども、本格的なロックをやっては売れないというのが本日の結論ではありますが、この「ラスト・チャンス」は歌謡ロックの名曲名演として忘れてはなりません。

心底、私は大好き♪♪~♪

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野際陽子に魅せられる

2009-08-19 09:43:22 | 歌謡曲

非情のライセンス / 野際陽子 (テイチク)

今やテレビドラマや映画に欠かせない女優となった野際陽子の歌手としての代表曲が、本日ご紹介の1枚です。もちろん彼女が出演したテレビアクションドラマの最高峰として昭和43(1968)年に放送開始となった「キイハンター(TBS)」の主題歌ですから、忘れ難い皆様も大勢いらっしゃると思います。

物語は各国の諜報員や謀略機関が暗躍する当時の日本を舞台に、基本はスパイアクションながら、ミステリやサスペンスに加え、オトボケ調も入った秀逸な展開が素晴らしく、手に汗握るスリルが満点なのは当然として、笑いや人情の機微までも巧みに演出されましたから、毎週土曜日の放送が待ち遠しいほどのヒット番組として、昭和48年まで続く長寿シリーズとなりました。

そのレギュラーメンバーは丹波哲郎、千葉真一、野際陽子、谷隼人、大川栄子がメインの5人で、中期には川口浩や中丸忠雄、後期には宮内洋や沖雅也も加わるという豪華版! そして特に人気を決定的にしていたのが千葉真一のダイナミックなアクションでした。なにしろ自らノースタントで過激な飛び降りや空中アクション、追撃と逃走の体力勝負を演じていたのですから、たまりません。

そしてもちろん、劇中にはお色気場面がお約束♪♪~♪

毎回、多彩な美女や脱ぎ要員が登場していたのは言わずもがなですが、レギュラーとしては野際陽子の知的なセクシーさが、もうひとつの魅力だったと思います。

で、これまでも度々書いているように、サイケおやじの好みはズパリ、お姉さん系ですから、野際陽子にも忽ち夢中にさせられました。

それは掲載したジャケ写でもご覧になれるとおりの雰囲気で、しかも当時の事ですから、ミニスカやハレンチ系の衣装までも、最高の色っぽさで着こなしていたのです。そこはかとなく漂うミステリアスなムードの良さにも、グッとシビレます。

ちなみに後で知ったことですが、野際陽子はNHKのアナウンサーとして有名になり、フリーのタレントとしてバラエティの司会等で活躍、次いで出演した「キイハンター」放送開始時には三十代で、なんと私の母親とそんなに年齢も変わらない人だったのですが、その美しき存在感は雲泥の差というか、当時は中学生だったサイケおやじが下半身にまでも刺戟を受けていたことを思えば、今は複雑な心境です。

さらに告白すれば、私にはロリ趣味というか、そうしたものが無くて、所謂「アイドル」にしても同世代よりは上のお姉さん系が好きなんですが、それにしても失礼ながら、はっきり言えば野際陽子はこの時点で既に「熟女」ですからねぇ~。いったい自分の趣味嗜好はどうなってんだか、我ながら自嘲してしまうほどです。

言い訳めきますが、私はAV等々の熟女物にも興味が無いんですよ、本当に!

しかし野際陽子、特に「キイハンター」での彼女は最高でした♪♪~♪

数え切れないエビソードの中では、今もって脳裏を離れない名場面も多く、中でも潜入捜査のために特殊なクスリで一時的に盲目状態となった彼女がピンチに陥り、ペッドに足をとられてミニスカ姿で大股開きに転倒した演出では、強烈なパンツ見せ♪♪~♪ 全く当時、ビデオデッキが無かったのが悔やまれてなりません。

あと、別なエピソードですが、捕らわれていた大型ヨットから脱出する場面では衣装を脱ぎ棄て、目にも眩しいブラパン姿で海に飛び込んだり♪♪~♪ あるいは敵を籠絡するためのセクシーな振る舞いは、シリーズを通しての「お約束」でした。

このあたりは前年から放送されていたアメリカの人気スパイアクション「スパイ大作戦」におけるシナモン・カーター役のバーバラ・ペインに共通する魅力かもしれません。もちろんサイケおやじは彼女も大好きでした♪♪~♪

肝心のシングル曲「非情のライセンス」は菊池俊輔が書いたオープニングのテーマメロディに歌詞をつけたという、如何にもの仕上がりですが、そのスリルとサスペンスが交錯する曲調と刹那の恋愛を描いた歌詞がジャストミート♪ 野際陽子の歌唱は正直、上手いとは言えませんが、宝塚系小学唱歌のような実直な歌いっぷりが、不思議なお色気を醸し出していると感じます。歌い出す前の「ため息」な部分も、フランス語っぽいニュアンスが絶妙で、ゾクゾクさせられますよ。

いゃ~、何度聴いても、実に素敵ですねっ♪♪~♪

ちなみに当然というか、番組ではラストテーマに使われていたこの曲も、放送用バージョンとレコード化されたテイクとでは、明らかに異なっていますから要注意! 魅惑の「ため息」の部分については、こちらのシングルバージョンの方が、個人的には気に入っています。

こうして野際陽子に夢中になったサイケおやじを失望させたのは、もちろん千葉真一との結婚でした。

それは確か「キイハンター」終了後の昭和48年だったと記憶していますが、当然ながら番組での共演が自然の成り行きだったのは言わずもがなでしょう。そう思えば劇中での2人の演技は、妙に生臭いところもあったなぁ……。

ちなみに前述した「スパイ大作戦」で私を虜にしていたバーバラ・パインも、同番組で共演していたマーチン・ランドーとは夫婦だったそうですから、劇中での微妙な恋愛関係がシリーズを通しての密かなポイントだったことを思えば、さもありなんです。

こうした人妻への横恋慕って、サイケおやじの悪いクセなんですねぇ、昔っから。

と、あたらためて自嘲するまでもなく、野際陽子は後に離婚を経て、再びテレビやスクリーンに登場し、今日に至っていますが、すっかり齢を重ねられたとはいえ、往年の知的なセクシーさが、そこはかとなく漂う雰囲気は、やはり素敵です。

まさかこの人が、昔はセクシーな女スパイだったなんて、誰が思うでしょう。

そんな現実と虚構が綯交ぜにさせられてしまうこと自体が、彼女の魅力だと思います。

その意味で、ジャケットを眺めて聴く「非情のライセンス」は、ますます最高♪♪~♪

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岡崎友紀の歌が好き♪

2009-08-18 12:04:44 | 歌謡曲

しあわせの涙 / 岡崎友紀 (東芝)

日本の歌謡ポップスが黛ジュンのブレイクによって完全に主流となった昭和40年代、それに追従する多くの同系女性歌手が登場しました。しかし彼女達は現代で言うところの「女性アイドル」とは、些か雰囲気が異なっています。

それは彼女達の年齢が二十代であり、また黛ジュンとトップを争っていた奥村チヨや小川知子、中村晃子にしても、その多くが再デビューや女優からの転身組でした。つまり「スタア」であっても、「アイドル」とは呼び難い、雲の上の憧れの女性だったのです。

平たく言えば、お姉さん系♪♪~♪ ゆえに私は大好きだったんですけどねぇ♪

さて、そんなところへ出現したのが、本日の主役たる岡崎友紀です。

ご存じのように彼女は子役時代を経て、昭和44(1969)年頃からテレビドラマやバラエティ番組へ頻繁に顔を出すようになり、その愛くるしい面立ちと溌剌とした演技や雰囲気の良さで、忽ち人気スタアになりました。

当然、芸能雑誌にもグラビアだけでなく、早い段階から表紙にも起用され、サイケおやじと同世代の皆様ならば、きっとファンだったり、胸キュンの思い出になっている「アイドル」でしょう。

つまり「アイドル」の条件のひとつ、等身大の親しみやすさが、彼女の新鮮な持ち味だったと思いますし、実際、彼女はリアルタイムで17歳だったのです。

ただ、正直に言えば、岡崎友紀のルックスやムードは決してサイケおやじの好みではありません。しかし彼女の歌、歌唱力と声質の素晴らしさには完全に参っていました。

で、本日ご紹介のシングル盤は、恐らくは彼女のデビュー曲でしょう。発売されたのは昭和45(1970)年の春頃だったと記憶しています。

まず歌謡フォーク調の曲メロが抜群に良いですねぇ~♪ いきなり胸キュンのイントロは原曲のシンプルな変奏ですが、グッとせつない気分にさせられます。

そして既に述べたように、岡崎友紀のハートウォームの声質は、その伸びやかさが素晴らしく、またイヤミの無い節回しが逆に説得力抜群! もちろん女性アイドルそのものという爽やかさは言わずもがな、多重録音による「ひとりコーラスハーモニー」も実に上手いですし、なによりも曲メロのせつない雰囲気を大切にした歌詞の解釈は、今になって思えば、新人ばなれしていたと思います、

このあたりは後に知ったことですが、彼女は子役時代からミュージカルの舞台も踏んでいたそうですし、演技の経験も活かされたにちがいありません。

またサウンド面では、典型的なフォーク歌謡ということで、生ギターやピアノのフォークロックっぽい使い方に加え、最初から最後までドライヴしまくったエレキベースが圧巻! また哀愁のトランペットや細かいギターの寄り添うフレーズが最高のアクセントになって、彼女の歌を盛りたてるのです。さらに控えめにミックスされたドラムスが、実は流石の目論見となってジャストミート♪♪~♪ 薄めなストリングも同様だと思います。

ですから、忽ちの大ヒットは当然が必然!

以降、その人気は十代をメインに急上昇するのですが、その決定打がテレビドラマの「おくさまは18歳(TBS)」でした。これは確か同年秋頃から放送されたと思うのですが、教師と女子高生が同じ学校に在籍していながら、実は新婚の夫婦だったという設定が絶妙のコメディとして、まさに驚異的な大ブレイク! 些か脂っこい中年者のような石立鉄男に明朗快活な岡崎友紀が「おさな妻」というアブナサも、それが絶対の秘密主義を押し通す様々なドタバタ劇によって、最高に好奇心を刺激するキュートな物語になっていました。

そして岡崎友紀はブロマイドやレコードのセールスでも頂点に立つ、まさにトップアイドルになったのです。

当時、サイケおやじの周囲にも、彼女の切り抜きを大切に手帳に入れている者や、ポスターを自室にベタベタと貼りまくっている奴が大勢いましたですよ。また彼女自身も分かっているというか、明るい笑顔はもちろんのこと、ミニスカやホットパンツ、水着やスケスケの衣装までも出し惜しみしない姿勢は、持ち前の健康的なムードやルックスと合致して、最高の魅力を存分に披露していたのです。

ドラマでの活躍はこの後、ミニスカのバスガイドを演じた「なんたって18歳!」も大ヒットしていますが、やはり等身大の18歳だった彼女が演じてこそ、リアルな魅力が全開していたのでしょうね。

肝心の歌手活動にしても、前述した人気ドラマの主題歌「おくさまは18歳」をはじめ、翌年に出した「雲と渚と青い海」とか「天使はこうして生まれるの」等々は、まさにアイドルポップスの基礎をがっちりと作り上げた名曲名唱でしょう。いずれもフォークロック歌謡として、出色の仕上がりになっていますが、それにしても彼女の歌の表現力が素敵です♪

それと個人的に高得点なのが、昭和45年末に発売された正統派哀愁路線の「鳩時計は唄わない」で、それが極みつきとなったのが、昭和歌謡曲最高峰のひとつとして昭和47年秋~冬にヒットした「私は忘れない」です。これは後に必ず取り上げる所存ですが、気になる皆様は速攻で聴いてみてくださいませ。必ず、泣きます♪♪~♪

ちなみに彼女は耳が素晴らしく良いでしょうねぇ、その昔、テレビだったかラジオだったかで、初期ユーミンの物真似を演じたんですが、それが絶品過ぎて笑えないほどでした。

ということで、歌手としての岡崎友紀が大好きなサイケおやじです。

それゆえにテレビの活躍については、何時もスヌーピーのぬいぐるみを持っていた姿ぐらいしか印象に残っていないのですが、ソニーの御曹司との結婚や離婚を経て、今ではすっかり地味なと言うよりも、忘れられたような状況は、ちょっとさみしいな……。

もう一度、彼女の歌が聴きたいのは、私だけではないと、固く信じております。

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誘惑する天使

2009-08-17 11:12:34 | 歌謡曲

天使の誘惑 / 黛ジュン (東芝)

夏になると聴きたくなる曲のひとつが、本日ご紹介のシングル曲じゃないでしょうか。ご存じ、昭和43(1968)年5月に発売され、レコード大賞に輝いた昭和を代表する名曲ですよねっ♪♪~♪

胸キュンの歌詞とメロディはサイケおやじの最も好むところですし、ジャズロックなドラムスにドライヴするエレキベース、そしてハワイアンなスティールギターとゴージャスなストリングスをバックに、当時の言い方では、まさに「パンチの効いた」黛ジュンのボーカルが最高の極み!

夏になると、なんて最初に書きましたが、実は告白すると、サイケおやじは何時もこの歌を聴くと、泣きそうになるほどです♪♪~♪ あぁ、実に良いですねぇ~~♪

歌っている黛ジュンにとっては4枚目のシングル曲で、まず昭和42(1967)年2月というGSブーム全盛期に、そのサウンドのキモを丸取りしたエレキ歌謡の大名曲「恋のハレルヤ」がデビューヒット! 続く哀愁路線の「霧のかなたに」、GS歌謡に演歌系R&B色も強く滲んだ「乙女の祈り」というヒットの連発で、忽ちポップス系女性歌手ではトップに躍り出ましたが、思えば当時の歌謡界では、彼女のように本物のロックビートで歌謡曲を歌える歌手が少なく、その意味で黛ジュンの登場そのものが、実に新鮮で衝撃的だったと思います。

それと如何にも日本人的な体型とミニスカの相性、丸顔と魅惑の瞳で歌い踊る彼女はテレビや映画でも安心感と和み、大衆に許容されるセクシーさがありましたですね。

ちなみに黛ジュンは再デビューにあたっての芸名で、実はそれ以前、本名の渡辺順子として数枚のシングル盤を出していますが、いずれも不発……。また実兄は先日の訃報も記憶に新しい作曲家の三木たかしですが、2人は揃って大御所の船村徹に才能を見いだされ、弟子入りしていたそうです。また幼少の頃から歌が上手かった彼女は、様々な場所で歌いながら家計を助けていたと言われています。

そしてついに大輪の花を咲かせたのが、本日ご紹介の「天使の誘惑」となるわけですが、作曲した鈴木邦彦は私の好みにジャストミートの作家なんですねぇ~♪ というよりも、私の好きな歌謡曲のクレジットを確認すると、この人の名前が実に多いんですよ。そうした個人的な嗜好に目覚めさせてくれたのも、この「天使の誘惑」です。

と書いて置きながら、この名曲の元ネタはハワイアンの素敵なメロディ「月の夜は」じゃないか? と長年思っているんですが、いかがなもんでしょう。

ということで、誰もが一度は聞いたことのある歌でしょう。

黛ジュンは以降、正統派歌謡曲の「夕月」、熱いファズギターが唸るR&B歌謡の「不思議な太陽」、フォークロック風味の「雲にのりたい」、ポップス路線の「涙でいいの」、ソウルフルな「土曜日の夜、何かが起きる」と快調にヒットを続けますが、昭和41年に発売した大名曲「とても不幸な朝が来た」が局地的に放送禁止となったあたりから失速……。

私生活でも結婚や離婚があり、昭和58年には日活ロマンポルノ「女帝」に出演するなど、紆余曲折……。しかしテレビの懐メロ番組に登場する彼女に接すると、確かに歌の実力が落ちているのは否めませんが、やっはり嬉しくなるのがファンというものです。

そしてその度に「天使の誘惑」に魅了されるのでした。

すっき~、なのぉにぃ~、あの人~は、いなぁ~いぃ~~♪

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今は大好き! ブラインド・フェイス

2009-08-16 10:49:17 | Rock

Blind Faith (Polydor)

1969年、ロック界の期待を一身に背負ったバンドが誕生しました。それがブラインド・フェイス:Blind Faith です。なにせメンバーが物凄く、元クリームのエリック・クラプトン(g)とジンジャー・ベイカー(ds)、元トラフィックのステービィー・ウィンウッド(vo,key,g,b)、そして日本では全く無名だったリック・グレッチ(b)という布陣は当時、スーパー・グループと呼ばれるほどの大センセーション! デビュー・アルバムの日本盤タイトルも「スーパージャイアンツ・ブラインド・フェイス(ポリトールMP-1456)」という気合いの入り方でした。

ちなみに、オリジナルデザインの少女ヌードを使ったジャケットはアメリカでは発禁! 暮ったいメンバーの写真に差し替えられるという騒動もありましたですね。

それはさておき、クリームにシビレきっていた当時の私も、乏しい小遣いを懸命にやりくりして、1750円の日本盤を買ったのですが、その目当てはエリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーによる、クリーム的な味わいでした。

 A-1 Had To Cry Today / 泣きたい気持ち
 A-2 Can't Find My Way Home
 A-3 Well All Right
 A-4 Presence Of The Lord
 B-1 Sea Of Joy / 歓喜の海
 B-2 Do What You Like / 君の好きなように

ところが結果は、皆様がご存知のとおり、それは全くの期待はずれというか、完全に騙されたとしか思えない内容でした。

あぁ~、こんなんだったら、ジェフ・ベックの新譜を買えばよかったぁ~、と心底後悔した記憶が、今も鮮明に残っているほどです。

A面ド頭収録曲の邦題「泣きたい気持ち」が、まさにそのまんま……。

しかし当時中学生だった私には、1750円は死活問題という大金でしたので、なんとか元を取り返そうと悔しさを隠しながら、負け惜しみ的に毎日、繰り返し聴いていたのも、また事実でした。

すると、どういう心の変化なのか、とにかく「Presence Of The Lord」と「歓喜の海」の2曲がたまらなく好きになっていったのです。

前者は厳かな宗教的な雰囲気から一転して熱く炸裂するエリック・クラプトンのギターが強烈ですし、後者はステービィー・ウィンウッドのボーカルが泣いている不思議な名曲で、熱いエレキギターのリフに穏やかな生ギター、厳かなオルガンに間奏のバイオリンが奇妙な取り合わせで、さらにジンジャー・ベイカーが敲き出すドカドカ煩いビートが気持ち良いという、これまでに聴いたことが無い快感がありました。あぁ~、もっと聴いていたいなぁ~! という時に終わってしまうのも、絶妙な展開です。

そしてそこに目覚めてから、同様の快感を求めて様々な情報を集めてみると、どうやらこのアルバムの秘密は全曲を歌っているステービィー・ウィンウッドに、そのカギがあるんじゃなかろうか? という推察をして、彼の参加していたというトラフィックというバンドが気になりはじめたのです。

ただし正直言って、当時の私はトラフィックについて、ほとんど何も知りませんでした。僅かに音楽雑誌等で名前を読んだことがあったくらいです。ラジオでトラフィックの曲がヒットしたという記憶もありませんし、もちろん友人も誰ひとり、彼等のレコードを所有していないのです。ですからトラフィックを聴くには買うしか無い……、しかし彼等のレコードを買うのは、乏しい小遣いを鑑みれば大袈裟でなく決死的覚悟が必要でした。

しかし青春の情熱というのは、今思うと恐ろしいものがあります。昼飯代を倹約しまっくって、ついに買ったのが「トラフィック(フォンタナSFON-7104)」という中古の日本盤LPでした。そして早速、針を落としてみると、そこにはまたしても異次元空間が広がっていたのです。

で、これ以降の話は別の機会に譲りますが、ブラインド・フェィスというバンドは、その名前のとおり、盲目的な信仰に思い込まされたファンの妄想が全てだったかもしれません。穿った推測をすれば、それを読み切っていたメンバーやブロデューサーの思惑も感じられるほどで、所謂「隙だらけ」、ツッコミどころ満載の仕上がりが当初は失望でも、後に深い味わいに転化し、様々な奥の細道へのガイド役だった気がしています。

実際、サイケおやじにしても、このアルバムが無かったらトラフィックにも、デイブ・メイソンに邂逅することがなく、ステービィー・ウィンウッドの真の天才性にも、気がつくのは確実に遅れていたと思います。

またアルバムの魅力についても、実は私が40代になってから、あらためて良いなぁ~~~♪ と感銘するところが顕著で、イギリスプレスのアナログ盤LPを買い直したほどです。

「泣きたい気持ち」では、リアルタイムでユルユルだったリフが、まるっきり中年者の琴線に触れまくるグルーヴにシビレますし、恐らく左からクラプトン、右からウィンウッドによるギターバトルが刹那の境地♪♪~♪

また「Well All Right」では後半のピアノのアドリブ、そして「君の好きなように」ではデイヴ・ブルーぺックの人気曲「Take Five」の如き変則5拍子による、いずれもロックジャズの味わいが、ハッとするほど良い感じです。

もちろん今に至るもロックの名曲として揺るぎない「Can't Find My Way Home」は、そのアコースティック&ソウルフルなシミジミフィーリングが不滅でしょう。と言うよりも、如何にもステービィー・ウィンウッドらしいヨーロッパ趣味も、自身による最高のボーカル表現によって、全てを超越しているように感じます。

ということで、今日になっても評価が分かれているアルバムというのが、真っ当な受け取られ方の名盤でしょう。もちろん「名盤」と私が書いたのは、歴史という重みの中の存在意義ゆえのことですが、それを詳しく書かなくとも、以降のメンバーの動向や彼等が作り上げた流行とキャリアは、ますます不滅になっていると思います。

人間は誰しも人生の中で「裏切り」を経験するものですが、それが何時しか思い出となり、さらに人生の糧として、豊かな心に繋がるという不思議さは、私にとって、まさに「Blind Faith」です。

もしかしたら、生涯の愛聴盤になりそうですよ。

さあ、もう1回、聴こう!

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追悼、レス・ポール…、そして…

2009-08-15 10:50:50 | Rock

Living Loving Maid / Led Zeppelin (Atlantic / 日本グラモフォン)

間違いなくハードロックの王者だったレッド・ツェッペリンの傑作アルバム「Ⅱ」からカットされたシングル盤が、本日のご紹介です。

個人的には昔に書いた「レモンスクイーズ事件」により、レッド・ツェッペリンにはある種のトラウマがあるのですが、昨日はエレキの神様のひとりである偉大なレス・ポールの訃報に接し、それが一番似合うギタリストはジミー・ペイジかなぁ……、なんて思いついたわけです。

掲載のジャケットに写るジミー・ペイジとギブソン・レスポールのカッコ良すぎる相性は、まさにスタアの証じゃないでしょうか。

しかし、この曲を実際に聴くと、ギターの音はレスポールしていませんよね。多分、テレキャスター? ちなみに曲調はアップテンポで分かり易いリフを使ったR&Rのハードロック的な変奏で、レッド・ツェッペリンの演目の中では比較的コピーしやすいので、その頃のアマチュアバンドでは必修科目だったかもしれません。実際、私もやったことがあります。ただし楽曲そのものは、名盤「Ⅱ」の中では一番につまらないという感じもします。

さて、肝心の神様レス・ポールとギブソン・レスポールの関係ですが、レス・ポールは一般的にジャズギタリストであり、多重録音の商業的成功を編み出した人物として、生前より歴史に名を刻していました。そしてレス・ポールがギブソン社にアイディアを持ち込んで作り上げたのが、レスポール・モデルというわけです。

ご存じのようにギブソン社は公式には世界初とされるエレキギターを1935年に開発していますが、それはもちろんホローボディでした。ところがレス・ポールが提唱したのはソリッドポディ!

基本的には表板がメイプル、裏板がマホガニーとされ、シングルコイルのピックアップが2個ついていますから、切れ味鋭い音色とナチュラルのサスティーンがそれまでとは決定的に異なる魅力でした。

これが1952年頃の事であり、ちょうど黒人R&Bと白人のC&Wが融合し始めていた時期でもあり、そのレスポールモデルは忽ち多くのギタリストに評判となり、1950年代末にはライトゲージが開発されたこともあって、以降はロック系ギタリストの御用達となるのです。

サイケおやじが憧れる多くのギタリスト、例えばジェフ・ペック、デュアン・オールマン、ピーター・グリーン、マイク・ブルームフィールド、ミック・テイラーあたりは、全員がレスポールを愛用しているのも何かの偶然では無いでしょう。

アンプとの組み合わせによって、馬力のある音から繊細な美しい音色を活かした表現まで、その汎用性の高さもロングセラーの秘密だと思います。それは1958年のモデルから搭載されたノイズ消しシステムを使った通称ハムパッキングのピックアップにより、尚更に顕著となりました。

あと、実際に弾いて驚くのが、滑らかなタッチのネックで、ほとんどフレットの存在を感じないほどです。また演奏するスタイルが、これほど絵になるギターも無いと思いますねぇ~。逆に言えばレスポールは構えているだけで、カッコイイ♪♪~♪

そして言い訳がましく、サイケおやじも持っていますが、告白すると、最初に買ったのは東海楽器で出していたレスポールモデルでした。これは今でも愛用していますよ。だって、本物よりも凄い音が出るんですよっ! オーバードライヴとの組み合わせがベストと断言します。

閑話休題。

気になるジミー・ペイジとレスポールとの関係については、このギタリストはアイディアの人だと思いますから、その緻密に作り上げたリフと演奏全体のバランスを活かすためには、マーシャルのような馬力型のアンプを使い、あまりオーバードライヴさせない低いボリュームでナチュラルなディストーションを出していると思うのですが、いかがなもんでしょう。

もちろんレコーディングの実際の現場ではテレキャスターを多用している感じもしますし、ライプステージでは、例のダブルネックも弾いていますからねぇ~。必ずしもレスポールだけの人ではないんですが、仰天させられたエレキギターのアルコ弾きとか、そうした印象的なライプショットの数々から、レスポールといえばジミー・ペイジと決定づけるに十分でした。

最後になりましたが、私がこのシングル盤を買ったのは昭和46(1971)年のことで、当時としては珍しいモノラル仕様になっていました。もちろんLPが買えなかったがゆえのことですし、後に友人から借りたアルバムの物凄さに圧倒されたことを思えば、なんか回り道だったなぁ……、と思います。

しかし繰り返しますが、問題の「レモンスクイーズ」事件を思えば、それも……。

そのあたりの青春の哀しみとやるせなさは、今となってB面収録のハードロック版黒人ブルースで、シミジミと癒されますねぇ。

あらためてレス・ポールに感謝!

衷心よりご冥福をお祈り致します。

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グッド・バイブレーションの馴れ馴れしさ

2009-08-14 11:01:21 | Beach Boys

Good Vibrations / The Beach Boys (Capitol / 東芝)

今日では20世紀大衆音楽を代表するとまで崇められる名曲・名演ですが、告白すれば、サイケおやじには、未だにそれが釈然としないというか、良く分からないのです……。

この曲はご存じ、アメリカでは1966年の秋頃に発売され、チャートのトップに輝いていますが、我国では恐らく翌年の発売だったのでしょうか? 当時のメモを読み返してみると、私が初めて聴いたのは昭和42(1967)年の2月になっています。

演じているビーチボーイズは、もちろんアメリカを代表するグループとして、明朗なサウンドと素晴らしいコーラスワーク、そして魅力的なメロディのオリジナル曲が大きなウリ♪♪~♪ 初期のサーフィンミュージックからハリウッドポップスの王道路線というヒットを連発していたわけですが、それがビートルズの登場により、些か進むべき道を狂わされた感があるのは否定出来ないと、私は思っています。

これはビートルズだけでなく、イキリスから襲来した多くのバンドにも言えることですが、その根底にあるのは、当時のアメリカの白人層が聴かない黒人音楽のリアルな真相でしたから、ビーチボーイズのような脱色系お洒落サウンドとは本質的に魅力が違うはずでしょう。

ですからビートボーイズのメンバーがビートルズのファンだと言っても、なんらの支障もないわけです。それなのにリーダーだったブライアン・ウィルソンは意識過剰となり、ビートルズに負けじとハッスルしすぎた後には、皆様がご存じのとおりの悲惨が訪れるわけですが……。

そんな歴史的な後付けをしても、このシングル曲の特異性を私は上手く説明出来ません。

以前にも書いたように、私が初めて買ったビーチボーイズのレコードは「Barbara Ann」のシングル盤でしたし、その前にもビーチボーイズと言えば、これっ! というサーファン系ヒット曲をラジオで聴いていました。それは私の感性からすれば、軽いなぁ~♪ という心地良さが確かにあって、決して嫌いではなかったのです。

ところがその頃の我国洋楽事情は、ベンチャーズやビートルズといった強いビートと激しいロックのリズムが求められ、それでなければウケないという時代になりつつあったのです。昭和41(1966)年1月に行われた待望の来日公演も、その所為でしょうか、前座のスパイダースの方が良かったという噂もあるほどでした……。

そしてこの頃を境にしたかのように、ラジオでもビーチホーイズが流れる頻度が減ったように思いますし、それゆえにリアルタイムの新作アルバム「ペットサウンズ」やシングルカットされた名曲「素敵じゃないか」も、私には印象に残っていません。

つまり今では決定的なロックの名盤となっている「ペットサウンズ」にしても、発表された時には注目されていなかったという事実が、アメリカばかりでなく、日本でもあったということですが、いかがなもんでしょう。今日の視点からは信じ難い現象なんですが、実際、サイケおやじがこの傑作盤を聴いたのは昭和47(1972)年の事で、それは当時のビーチボーイズの最新アルバムとして2枚組で発売された「カール&ザ・パッションズ」の、はっきり言えばオマケとされていた1枚でした。

今となっては徳用盤ということにもなりますが、裏を返せば、それほどに冷遇された状況が、この時点になっても解消されていなかったのです。ちなみにサイケおやじにしても、このアルバムを買ったのは某デパートの特設会場で行われた輸入盤バーゲンセールでした。なにしろ2枚組なのに1700円位で売っていたので、得した気分というのが真相です。

で、本日ご紹介の「Good Vibrations」ですが、既に述べたように昭和42年初頭の日本洋楽事情としては、まさに突拍子も無いとしか言えません。もちろん本国アメリカやロックの最先端地域だったイギリスにしても同様だったと思いますが、それにしても、いきなり聞こえてくる脱力したファルセットのボーカルは!!?!?!

フワフワした曲メロが不安感と妙な心地良さを誘う展開も微妙な雰囲気ですが、一転してサビに入ると力強いリフと低音ボーカルが交錯し、さらにクライマックスでは「グー、グー、グー、グッバイブレィショ~ン」と一緒に歌える楽しさに変転していくのですから、たまりません。

というか、強制的にそんな気分にさせられてしまう、ある種の詐術が、このレコードには間違い無く潜んでいると感じます。

ちなみに私は、既にビートルズの当時の最新アルバム「リボルバー」も聴いていましたが、そこにあったソリッドなビート感や温故知新のメロディのゴッタ煮、あるいは急進的な音作り等々には、完全についていけない本性を自覚していました。

ところが、この「Good Vibrations」には、分からないなりに不思議な馴れ馴れしさがあって、何度でも聴きたくなるのです。もちろんそれが、ヒット曲作りのポイントなのは言うまでもなく、私がシングル盤を買わされたのも当然でした。

後に知ったことですが、このシングル曲だけで録音には膨大な時間と夥しいスタッフが動員されていたとのことです。そこには悪いクスリの存在も否定出来ず、結果としてビートルズの先を行く瞬間が作り出せたわけですが、それゆえに制作の中心だったブライアン・ウィルソンは燃えつきて……。

まあ、これは当然でしょうねぇ……。こんな神の領域に近づくような創作をやっていたら、まともには暮らせないのが、この世の掟かもしれませんよ。

ということで、分からなくても雰囲気で好きになる♪♪~♪ という邪道に踏み込んだ、そのきっかけとなったのが、本日ご紹介のシングル盤でした。もちろん、それが音楽マスコミには「サイケデリック」と称賛されていたのです。

冒頭で書いたように、この曲の魅力というか、秘密には釈然としないものが、今でもあります。幾つものパートに分かれて録音された素材を強引にミックスさせたとか、どうやって作られたのか解明されない演奏やコーラスの化学変化的融合……。

中身と全然、ミスマッチなジャケ写とデザインも、それに拍車をかけているようです。

もしかしたら、そこが分かった時には、音楽を聴く最後の審判が訪れるのかもしませんね。

そして最後にもうひとつ、リアルタイムのサイケおやじは、この翌月にビートルズの「Strawberry Fields Forever」を聴き、またまたサイケデリック地獄へと道連れにされるのでした。

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不良になった加山雄三!?

2009-08-13 14:54:55 | 歌謡曲

夜空の星 / 加山雄三 (東芝)

既に何度か書きましたが、昭和40(1965)年の我国は、まさにロック元年というか、アストロノウツベンチャーズが爆発させたエレキブーム、そしていよいよ本格的に猛威をふるい始めたビートルズ台風によって、日本中がシビレていました。

もちろんそれは若者中心の文化ではありますが、社会現象としても、例えばエレキギターの量産、洋楽レコード売上の急増等々、確実に高度成長経済の一翼を担っていたと思います。

ただしエレキという「騒音」を「反体制」として快く思わない大人達は、「エレキは不良」の大合唱! 地域や学校によっては、エレキギターを完全に禁止する条例や校則が出来ていたほどです。

そしてそんな騒動に敢然と立ち向かったのが、加山雄三の主演映画「エレキの若大将」だったのも、象徴的でした。

ご存じのように加山雄三は名優・上原謙のご子息でありますから、育ちもルックスも、また自然体の演技に加え歌も作曲も素晴らしいという東宝の若手スタアで、そのデビューにあたっては、日活の石原裕次郎や小林旭の魅力だった不良性を徹底的に否定する芸風が与えられました。もちろん、その代表作が「若大将シリーズ」における明朗闊達な物語です。

ところが「エレキの若大将」はタイトルどおり、当時は「不良」と烙印を押されていた「エレキ」を真正面から扱ったのですから、たまりません。

物語は京南大学で学ぶ加山雄三が、酒酔い運転で人身事故をやった青大将・田中邦衛の身がわりを引き受けたものの、そんなこんなで保険の適用が受けられなかったのでしょうか、被害弁済に窮し、ついに勝ち抜きエレキ合戦で賞金を稼ぐためにバンドを作るというのが大筋です。ちなみに件の被害者が澄ちゃん=星由里子というのも「お約束」です。

そして順調に勝ち抜き、いよいよ決勝戦! しかし相手は強敵のシャークスで、リーダーのジェリー藤尾は「電気うなぎ」と称されるほどの名手であり、しかも銀行頭取のドラ息子とあって、田中邦衛は手抜きを強要されるのですが……。

こうして本番、加山雄三のバンドが演じるのが、本日ご紹介のシングル曲「夜空の星」というわけです。

前半はインストでビリビリにシビレる演奏が快調にスタート、しかし途中で弱気の虫が出た田中邦衛が、アンプの電源コンセントを外すというバカをやって、バンドは失速! しかしそれをドラムスのブレイクで切り抜け、痛快なブリッジから加山雄三が「僕のゆくぅ~、とこ~ろへ~、ついてぇ~、おいでよぉぉ~~♪」と歌い出す瞬間のエキサイト感度は、もう映画館が揺れ動くほどでした。

ちなみにバンドメンバーには、あの寺内タケシが入っているのですから、演奏が最高なのは当たり前なんですが、映画全体を通しても、ここが前半のクライマックスになっています。

いや~~、実に興奮させられましたねぇ~~♪

まさにカッコイイ! としか言えません!

そしてもちろん、その映画館の帰り道に買ったのが、本日ご紹介のシングル盤というわけですが、ちなみにA面曲の「君といつまでも」は説明不要でしょう。しかし、あえて言えば、この歌は映画の後半で、加山雄三が星由里子に愛の告白をする場面の、もうこれ以上は無いというほどの名曲名唱になっていますから、レコードが売れまくったのもムペなるかな! 

映画そのものも、併映が東宝特撮のひとつの頂点とされる「怪獣大戦争」だったこともあり、劇場作品が斜陽になっていた当時としては驚異的な大ヒットで、本当にお客さんが入れないほど集まりした。なにしろ封切られた12月には「入れ替え制」があったほどで、サイケおやじにしても、今日までにそれを体験したのは、この時以外にありません。

さて、肝心の「夜空の星」ですが、もちろん作曲は加山雄三で、作詞は岩谷時子というゴールデンコンビ♪ 当然ながら映画でのフィルムバージョンとは異なるのが、このシングル盤のテイクです。

いきなりテンションの高いエレキのコード弾きと炸裂するロックのビートをイントロに、爽快にしてノリが素晴らしい加山雄三のボーカル! バックのエレキサウンドも申し分なく、寺内タケシのリードギターもハナからケツまで炸裂しまくっています。特に間奏でのツインリードから後半の本家「Terry-sh」なフレーズの大サービスは、もう最高ですよっ♪♪~♪ またボーカルのバックで執拗に絡んでいく乱れ撃ちのフレーズも本当に凄くて、歌よりエレキっ♪♪~♪

ということで、これはエレキ歌謡の代表的なヒット曲です。一説によれば、このレコードはA面の魅力もあって、当時だけで三百万枚以上売れたとか!?! これで「エレキは不良」だったら、加山雄三は大不良ってことになりますよねぇ。

その所為か否か、翌年のレコード大賞は決定的と言われた「君といつまでも」が、結局は特別賞扱いとなったのも、なんだかなぁ……。

しかし世の中は急速にロック化して行ったというか、このあたりをきっかけにしてグループサウンズのブームがジワジワと広がり、ついにはビートルズの来日があって、完全な昭和元禄へと流れていくのです。

その意味で、「夜空の星」が今もってエレキのスタンダードになっているのも、ご理解願えると思います。もちろんカバーバージョンもベンチャーズを筆頭に多数、発売されているんですよ。

そしてシングル盤も素晴らしいのですが、映画「エレキの若大将」も、ぜひ、ご覧下さいませ。この曲以外にも、「ブラック・サンド・ビーチ」や「ランニング・ドンキー」といった、加山雄三謹製のオリジナルエレキインストに、それこそビリビリにシビレますよ♪♪~♪

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まさに進化系だったイエス

2009-08-12 11:19:52 | Rock

Yes (Atlantic)

今と違って海外情報が不足していた1970年代、特に洋楽関連で広く行われていたイベントがフィルムコンサートとかレコードコンサートでした。

これはファンクラブやレコード会社、あるいはオーディオ専門店が主催する集まりで、有料の時もありますが、ほとんどがプロモーションを兼ねた無料が多かった所為もあり、青春時代のサイケおやじは楽しみにしていたものです。特にレコード会社の宣伝担当者が配る新譜情報のチラシとか、時にはシングル盤のサンプルまでもらえたんですよ♪♪~♪

さて、本日ご紹介のアルバムは昭和45(1970)年にあった、そういうイベントで邂逅した1枚で、プログレの名門バンドとして今も活躍を続けるイエスのデビュー盤! 本国イギリスでは1969年に発売されていたものですが、我国では翌年に出たということです。しかもジャケットは掲載したイギリス盤とは異なり、メンバーが古い建物の前に立っているという、あまり冴えたものではありません。ちなみに邦題は「イエスの世界」という帯がついていましたですね。

しかし内容は、まさにサイケおやじの感性にジャストミート!

ジャズとロックの美しき融合というか、非常に作り込まれた世界でありながら、アドリブパートの自然発生的なノリが、全く未体験の世界でしたし、コーラスの美しさも絶品♪♪~♪ そして曲そのものも知っているメロディがあって、つまりは他のバンドによる有名曲がイエス流儀にカパーされていたのです。

 A-1 Beyond And Before
 A-2 I See You
 A-3 Yesterday And Today
 A-4 Looking Around
 B-1 Horold Land
 B-2 Every Little Thing
 B-3 Sweetness
 B-4 Surviva

まずA面では私の大好きなザ・バーズのカバーバージョン「I See You」が圧巻! ちなみに当日はアルバム全篇が聴けたわけではなく、選ばれた曲だけが流れたのですが、その初っ端が、この演奏でした。アップテンポのジャズビートで、イントロから弾きまくられるギターもオクターヴ奏法やフレーズ展開が完全にモダンジャズ! しかも見事なコーラス主体の歌メロの処理も素晴らしく、タイトなドラムスに蠢くベースという、これがまた私の好きな世界なんですねぇ~~♪

イエスの結成は1968年の初頭らしく、メンバーはジョン・アンダーソン(vo,per)、ピーター・バンクス(g,vo)、トニー・ケイ(key)、クリス・スクワイア(b,vo)、ビル・ブラッフォード(ds,per,vib) というのが当時の5人組でしたが、ご存じのように彼等はメンバーチェンジの度に新しいバンドを派生させ、またイエス本体も様々に飛躍充実した活動を展開していくという流れも、全てはここからがスタートでした。

そして私をこの時点で歓喜悶絶させたのが、トニー・バンクスのモロにジャズっぽいギターと千変万化に凄いビートを叩き出しているビル・ブラッフォードのドラムスで、前述「I See You」でのアドリブパートの強靭なノリは、ちょうど本格的にモダンジャズを聴き始めていたサイケおやじをグッと惹きこんだのです♪♪~♪ まさに歌入りロックジャズ、ここにあり!!! あぁ、4ビート、最高っ!!!

しかし、決して当時のニューロックという本質も忘れておらず、クライマックスへと疾走していく激動の盛り上がりも痛快! もう、この一発だけで、シビレまくりでしたよっ!

さらにもう一丁、驚かされたのが続く「Yesterday And Today」での、一転して爽やかな和みの世界です。綺麗な曲メロを透明感溢れるボーカルとコーラスで聴かせる、そのミディアムテンポのノリも心地良く、生ギターとピアノの響きも素敵ならば、隠し味としてのヴァイブラフォンも潔く、また絶妙のアクセントを強調するベースやジャズっぽいエレキギターも素敵です。

おまけにB面から選曲された「Every Little Thing」は、ご存じビートルズの隠れ人気曲を過激にロックジャズ化したトンデモバージョンなんですが、初っ端から猛烈にアグレッシプなバンドのアンサンブルとアドリブの縺れ合いから一瞬の隙をついて飛び出すテーマメロディ、そしてなんと「Day Tripper」のギターリフまでもがサービスされるという快感が、たまりません♪♪~♪ もちろん綺麗なコーラスワークも当然が必然ですし、タイトなロックビートがポリリズムに進展していく流れも凄いの一言です。嵐のようなバンドの勢いをさらに過熱させるクリス・スクワイアのエレキベースも実に最高ですし、ちょいと懐かしい響きのオルガンとか、とにかく1960年代ロックが確実に「1970年代」へと進化した喜びが満喫出来ると思います。

しかしご推察のように、当時のサイケおやじは、これほど夢中になったアルバムさえ、お金が無くて買えませんでした……。そこで数年後、リベンジの意味をこめて入手したのが、本日掲載のイギリス盤アナログLPなんですが、このジャケットのトッポイ漫画のようなデザインは???

今日の歴史では、有名グループの全く売れなかったデビュー盤として最右翼のひとつになっていますが、それもムペなるか……。しかもド頭に収録された「Beyond And Before」が、個人的にはアルバムの中で一番につまらない曲と演奏なんですねぇ……。

このあたりは十人十色の心持なんでいしょうが、なんというか無難というか、纏まり過ぎというか……。他の楽曲の演奏が驚異的なだけに、実に勿体ないと思います。

イエスの魅力とは、当時の流行だったブルースロックっぽさが全く無いことかもしれません。その意味ではサイケおやじの嗜好に合っていないのは確かです。しかしこの頃のロックジャズ系の演奏は本当に好きです。

「Looking Around」でのバロック系バードロックは第一期ディープ・バーブルよりも鮮やかですし、大衆狙いの楽しいアートロック「Horold Land」や我国のGSが十八番にしていたクラシックと歌謡曲の融合を想起させられる「Sweetness」にも捨てがたい魅力があります。

そしてオーラスの「Surviva」はフュージョンロックの先駆けとでも申しましょうか、ピンピンに活躍するクリス・スクワイアのエレキベースとビル・ブラッフォードの既にしてクリムゾンライクなドラミング、そして作り込まれたギターサウンドと曲の展開が、その後のイエスを予感させてくれますよ。

ただし告白すると、そうした大艦巨砲主義は決して好きではなく、ここで楽しめるようなイエスが、私にとっては一番です。

今となっては完全に無かったことにされているアルバムかもしれませんが、このジャズっぽさ、現実的なプログレ感覚は最高ですよっ!

機会があれば、ぜひとも聴いていただきたい1枚です。

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