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サイケおやじの生活と音楽

アリス・クーパーの明日はどっちだっ!

2012-09-24 15:17:30 | Rock

嘆きのティーンエイジ'74 c/w Woman Machine / Alice Cooper (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

どんな世界にも思いっきり誤解されている人物は確かにいますよねぇ。

そりゃ~、確かに第一印象ってのが大切である事は、この世の理ではありますが、あえてそれを逆手に活かし、自分の印象を強くしようと目論むのは、あざとくも若気の至り……。

しかし、三十歳過ぎたらロックは出来ねぇ~~!

と信じられていた1960年代末からの十年間ほどには、それが堂々と許されていた感もあり、同じ頃に人気の絶頂を極めていたアリス・クーパーは、まさにその路線の大成功者だったと思います。

なにしろステージライプでは大袈裟なメイクに大蛇と一心同体(?)の如き、ド派手なアクション! さらには電気椅子や絞首台まで使う芝居っ気がありましたから、何時しか「ショックロック」なぁ~んていうキャッチフレーズがウリになっていたほどです。

ただしやっている事は正統派のハードロックであり、それも幾分のオールディズ味を大切にしていた事から、1971年後半からは折しもブームが到来しつつあったグラムロックの一派に数えられる人気を得たのですが……。

あえて言及しておけば、アメリカ西海岸でスタートしたアリス・クーパーはグラムロックではなく、グリッターロックというのが正解かもしれません。

尤も、その両者には相互共通のフィーリングが言わずもがなで、同傾向のロック&ポップスが短期間とはいえ、世界的ブームになったのも、そういう広がりがあったればこそ! と思えば、アリス・クーパーの行き過ぎた強烈なイメージ戦略も認めさせるをえません。

そしてメジャーデビューから「エイティーン」「キラー」「スクールズ・アウト」と続く3枚のLPにぎっしりと収められた演目は、そのほとんどがカラッとしたアメリカンロックの保守本流なんですから、先入観念は禁物でしょう。

ちなみに当時のアリス・クーパーはヴィンセント・ファニア(vo)、マイケル・ブルース(vo,g,key)、グレン・バクストン(g)、デニス・ダナウェイ(vo,b)、ニール・スミス(vo,ds) という5人組のバンドが実態であり、メンバーは何れもが富豪の子弟、所謂おぼっちゃんバンドであったというのですから、後にそれを知ったサイケおやじは思わず唸りましたねぇ~~~。

というのも、最初に彼等を認めたのはフランク・ザッパであり、その偉大なる音楽家の個人レーベルから数枚のレコードを制作発売したものの、その費用はバンド側が出していたそうですし、結果的に不発となって以降の下積み時代にも、相当に享楽的な生活だった事は業界で知られるところです。

しかし、それは決して悪い事ではなかったのでしょう。

何故ならば前述した退廃的なステージアクトと楽天的な楽曲のコントラストの妙は、絶対に貧乏ったれの世界からは生まれなかったとサイケおやじは思うからです。

まあ、このあたりについては異論反論、多々あって、お叱りも覚悟しておりますが、本日は居直って書いてしまいましたので、ご了承願います。

さて、そんな経緯からアリス・クーパーが本格的に大ブレイクしたのは、前述のLP「スクールズ・アウト」を出した頃からで、まずは件のレコードが女性のパンティを模った紙の内袋に入れられていた事は、日本でも大きな話題になりましたですねぇ~~♪ 確か日本盤初回LPも同じ仕様になっていたはずですが、残念ながらサイケおやじは持っていません。

しかし何よりも大切なのは、その中身であり、既に洋楽マスコミによって伝えられていたケバケバしくも毒々しいステージの様子が、相互作用的にレコードに収められたハード&ポップなロックを良い方向へと導く感じは最高♪♪~♪

そして1973年にはザ・フーのキース・ムーン、ドノバン、さらにはマーク・ボランまでもがゲスト参加した傑作アルバム「ミリオン・ダラー・ベイビーズ」が発表され、このあたりが過言ではなく、アリス・クーパー全盛期の頂点でしょう。ステージから本物のドル紙幣をバラ蒔き、来日した時は確か五百円札を代用して問題になったのも、懐かしいエピソード!?!

また、前述したバンド形態のアリス・クーパーが、ボーカリストのヴィンセント・ファニア個人の芸名に変えられたのも、この頃のはずです。

いゃ~、全く禍々しいほどのイメージは、そのルックスから放たれる絶妙の屈折感も合わせて、アリス・クーパーがアリス・クーパーであり続ける限り、不滅! もちろん作られたレコードが本物のロケンロールである事は、論を俟ちません。

そこでいよいよ本日ご紹介のシングル盤なんですが、まずはジャケットイラストの蛇のイメージが、まるっきりギリシャ神話のメデューサなんですから、いやはやなんとも!?

しかしA面曲「嘆きのティーンエイジ'74 / Teenage Lament '74」は、これが出た1973年末リアルタイムのニューアルバム「マッスル・オブ・ラブ」からのカットで、その力強いロカパラードはアリス・クーパー十八番のボーカルスタイルのひとつであって、おまけにバックコーラスがライザ・ミネリ、ロニー・スペクター、ポインター・シスターズというスター揃いなんですから、たまりません♪♪~♪

簡潔にして狂おしいギターソロも良い感じ♪♪~♪

あぁ~、このあたりを聴いていただければ、蛇だとか、電気椅子だとか、そんなオドロの雰囲気よりは、もっと素直にアリス・クーパーを楽しめと思います。

一方、B面の「Woman Machine」は、伝統的なハードロックのギターアンサンブルを前面に出した、これまたストレートなアリス・クーパーの本領発揮!

実はプロデュースを担当しているのが、直後にエアロスミスをブレイクさせるジャック・ダグラスというのも、なかなか説得力があるんじゃ~ないでしょうか、サイケおやじは好きです。

もちろん前述のアルバムタイトル「マッスル・オブ・ラブ」は「愛の筋肉」なぁ~て邦題に訳されていた事もありましたが、本来は往年のキャバレー等では呼び物だったヌードレスリングやキャットファイトの事らしく、だったらサイケおやじが気に入ってしまうのにも、それなりの理由があったというわけです。

ということで、実はオリジナルメンバー主体によるアリス・クーパーは、ここでお終い!

以降は完全にボーカリストのアリス・クーパーが単独で演じるプロジェクトになり、実はガチガチの保守的人物であったとか、私生活はテレビとお菓子とビールがあれば、それでゴキゲン!?

そんなこんなの実像(?)が、まことしやかに伝えられ、それもまた一連のイメージ戦略かと思えるほどに極端なんですから、流石です。

そして今こそ、虚心坦懐にアリス・クーパーの全盛期に接してみれば、1970年代後半からはアル中で精神病院に入ったとか、落目になった1980年代にはテレビタレントになって、特にクイズ番組で大ボケばっかりやっていたとか、些か情けないニュースに接していた頃でさえも、それがアリス・クーパーならではの確信犯だったにちがいない!

そんなふうに思えてくるのですから、たまりませんねぇ~♪

どこまでが芝居で、どれがマジだったのか、曖昧な生き方を見せるのもロックスタアの仕事であるとすれば、アリス・クーパーは最高のレベルにあって、それが混迷する現在の社会においては、そこに我々一般人が何かしら生きる指針にすべきものがあるように感じられます。

というか、1970年代前半のアリス・クーパーがやっていた、スカッとして、どこか熱に浮かされたような音楽が、昔っから保守的なサイケおやじの心の拠り所になっているのでした。

皆様も、ぜひっ!

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2 コメント

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アリスクーパーと言えば (セブン)
2012-09-25 10:57:09
やっぱりフランクザッパとのウンコ対決ですけど
本当に食べちゃったんですかね?
返信する
両者痛み分け? (サイケおやじ)
2012-09-25 15:49:04
☆セブン様
コメントありがとうございます。

まあ、ザッパ御大もアリスのあんちゃんも、ネットでは文字化出来ない行状が多々ありますからねぇ(苦笑)。
でも、両人とも、熱くなると引けない性質と推察しておりますので……。
返信する

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