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サイケおやじの生活と音楽

日本語ロックは歌謡ポップス

2022-09-08 18:12:31 | 日本のロック

素敵なあなた c/w 悲しきロックン・ロール / 沢村美司子 (日本コロムビア)

我が国独自の大衆音楽である「歌謡曲」が、その汎用性故に洋楽の影響を素早く吸収応用した歴史は、所謂ポップス歌謡として演歌や日本語ロックにも繋がる美しき流れだと思いますが、その源流を辿る時、必ずや邂逅するのが作曲家の中島安敏と彼の妹である沢村みつ子=沢村美司子でありましょう。

良く知られているとおり、この兄妹は沖縄県那覇市の出身とされていますが、実は未だアメリカの統治下にあった沖縄において、幼少時から音楽に親しみ、それが当然ながらアメリカ直通のポピュラーミュージックであった事から、兄・中島安敏は昭和28(1953)年に渡米して、本格的に音楽を学び、そこでは殊更ジャズやR&B等々の黒人音楽の知識を体現吸収し、昭和34(1959)年に帰国すると日本コロムビアやポリドールをメインに作曲活動を本格化させ、例えば今日まで数多くのカバーバージョンが吹き込まれている「涙の太陽 / エミー・ジャクソン」や「モスクワの灯 / The Spotnicks」等々の本格的な和製洋楽のヒットに貢献した事は忘れられない歴史と思います。

また、妹・沢村みつ子も小学生の頃から沖縄の米軍基地で歌っていた天才少女であり、昭和30(1955)年には14歳で渡米し、ハリウッドのミュージカル映画に出演する等々の大活躍から、ナチュラルに育んだ洋楽フィーリングは、帰国後にも我が国歌謡界で異彩を放っていたのですが、しかし、それは当時の日本では早過ぎたカッコ良さだったのでしょう、今に伝わるほどの記憶が一般的には薄れている気がしてなりません……。

さて、そこで本日掲載したのは、件の「沢村みつ子」が「沢村美司子」として、昭和41(1966)年に出した和製洋楽の傑作シングル盤で、なかにし礼の作詞に実兄の中島安敏がロッキンポップなメロディを附した決定的なアップテンポのビート歌謡 (^^♪

絶え間ないロッキンリズムとラテンフィーリングのオーケストレーションで作られた演奏パートにノリまくった沢村美司子の明るい声質によるボーカルの弾み具合は、なかなか余人をもって代えがたいところと思いますが、いかがなものでしょう (^^♪

そして、同じソングライターコンビから提供のB面曲「悲しきロックン・ロール」が、これまた強烈なアップテンポのエレキ歌謡!

イントロから炸裂する激しいエレキギターにホワイトドゥーワップな男性コーラスもニクイところですが、全編を押し通すロック丸出しのリズム&ビートをバックにグイノリで歌ってしまう沢村美司子のノーテンキな節回しは痛快ですよっ!

あぁ~~、エレキ歌謡ならではのリズムギターとリードギターのコンビネーションも最高にイイ感じ♪♪~♪

う~ん、この2曲こそが歌謡ポップスの源流のひとつだとしたら、中島安敏と沢村みつ子=沢村美司子の兄妹が共に作り出した音源は全て、きっちり復刻されるべきでしょう。

と念じていたら、2年ほど前に「沢村みつ子スーパーべスト( SUPER FUJI DISCS)」という2枚組CDが発売され、一応日本コロムビア時代の音源が未発表と云われるトラックまで入れて復刻されたのは朗報でしたが、出来ればポリドール時代の音源も出して欲しいものです。

ということで、ちょいと最後に不満も書いてしまいましたが、とにかく沢村みつ子=沢村美司子に興味を抱かれた皆様であれば、前述のCDは速攻でゲットされる事を強くオススメする次第です。

歌謡曲の間口って、本当に広いですねぇ~~~♪


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