■霧の中の二人 / Mashmakhan (Epic / CBSソニー)
昭和40年代の我国は未だ矢鱈な欧米への憧れがありましたから、洋楽も雑多な地域から流入していたのは、その所為かもしれません。
もちろんそこには英語を含む外国語が日常的に理解されていない日本社会の特質があって、それゆえに音楽のリズムに上手く乗った語呂の良さが優先されていた感もあるよう思います。
例えば本日ご紹介の「霧の中の二人 / As The Years Go By」は昭和45(1970)年晩秋から翌年春にかけて、それこそ我国ではチャートのトップを独走した奇跡の洋楽ヒット!
なにしろイントロからアップテンポで哀愁のフレーズを弾きまくるオルガンの響きは、これが全く日本人の琴線に触れまくる美味しさですから、既にツカミは完全無欠♪♪~♪ しかも続くメインの曲メロがとにかく調子良く、変形中華メロディように歌われる英語も、どこかしらミチョウチキリンにカタカナっぽいのも親しみがありました。
で、演じているマッシュマッカーンというグループはカナダ出身で、メンバーはピエール・セネカル(key,sax)、レイバーン・ブレイク(g,vo)、ブライアン・エドワーズ(b,vo)、ジェリー・マーサー(ds,per) という4人組なんですが、掲載ジャケ写からも一目瞭然、決してルックス優先のバンドではありません。むしろ当時最先端のニューロック的なムードが濃厚に感じられさえすると思うのですが、やってしまった事が所謂「バブルガムサウンド」なんですから、これ如何にっ!?
実は後に知り得た事なんですが、マッシュマッカーンの本質はロックジャズ主体のプログレ派であり、しかしブレイクには必須のシングルヒットの必要性から、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」が捻り出されたのではないかという推察は容易でしょう。
そしてアメリカでの中ヒットに続き、日本での特大メガヒットが達成されれば、それはそれでメデタシメデタシというわけです。
ところが日本人特有の生真面目さからすれば、それは邪道と言うか、実は当時人気絶頂だったGFRの前座として来日が決定した時も、洋楽ファンの多くが???の気分に陥ったことは、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」のあまりにも分かり易かった大ヒットによる裏目の気分ですよねぇ。
まあ、このあたりの結末はサイケおやじが当時のライプに接していない所為もあり、あくまでも独断的な印象なんですが、しかしマッシュマッカーンの売れたとは言えないアルバムには、真性ロックジャズがテンコ盛りなんですから、今となっては遅かりし由良之助……。
ボーカルはともかくも、演奏は決して下手ではありませんし、マッシュマッカーンを名乗って公式レコードデビューする以前にはハコバンとしての下積みも長かったそうですから、この類のヒット狙いのシングル盤にありがちなスタジオミュージシャンによる演奏とは明らかに一線を画す矜持が、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」にはあるんでしょうねぇ~~♪
中間部でのギターメインのリフも、なかなかハードロックで良い感じ♪♪~♪
ちなみに日本盤シングルは、いきなり軽快なオルガンフレーズからスタートしますが、アルバムバージョンはその前に思わせぶりな重厚さが演出されていますから、それはそれで面白さがあって、彼等の「矜持」の証明かもしれません。
また近年DVD化された1970年のロックドキュメント映画「フェスティバル・エクスプレス」にはジャニス・ジョプリンやザ・バンド、さらにグレイトフル・デッドに混じって、マッシュマッカーンも登場していますから、本場でのライプの実力は当時から認められていたのだと思います。
そういえば前述したGFRの来日公演は「豪雨の後楽園球場」という伝説になって語り継がれていますが、実はマッシュマッカーンが演奏していた時から既に突風や雷雨が襲っていたそうですから、本当に嵐を呼んだのはマッシュマッカーン!
これは実際に当日のコンサートに赴いた良き先輩から、サイケおやじが事ある毎に聞かされる逸話として付け加えておきます。
ということで、芸人にとってのヒット演目は両刃の剣!?
それが本日の結論です。
このあたりは決して音楽ばかりではなく、映画演劇の俳優にとっても同様だと思います。
つまり一発の大当たりが、以降の活動を狭めてしまう事例は数え切れず、マッシュマッカーンにしても肝心のアルバムが少しも評価されないまま、1973年頃には解散したと言われています。
しかし今でも「霧の中の二人 / As The Years Go By」は、決して忘れられていないんですから、ここらでひとつマッシュマッカーンという「ロックジャズのバンド」を存分に楽しめる発掘音源&ボートラ付きのアルバム再発を願うばかり!
少なくともサイケおやじは決死的に熱望しております。
毎度のコメント感謝です。
当時の外タレ公演には「前座」を「ジョイント」と称して、意外なメンツが来日しているんですよねぇ~♪
個人的には史上最強の前座が後楽園球場のEL&Pで露払いをやったフリーでしょうか。
尤もポール・コゾフもアンディ・フレイザーも抜けていた時期でしたから、それも当然でしょうが、サイモン・カークのドラミングは凄かったですよ。
ドリフターズのビートルズ前座は決定的ですが、ビートルズのステージに置いてあって使われなかったオルガンは、荒井注が片付け忘れたのか?
なぁ~んて、ずっと思っていました(笑)♪
早速のレスを頂戴しありがとうございました。
ご教授並びに推薦戴きましたアルバムは元より
手ごろなシングル盤等も入手してみようかと
思う次第です。
この度はお手数とらせてしまい申し訳ございませんでした、
今後ともよろしくお願い致します。
アーティストは知らなくても
曲を聴けば知っていると言われるほどの
ビッグヒットナンバーですよね。
自身もこの曲しか知らないものですから
彼らがジャズロックを奏でるバンドだと知って
驚いておりますが
たしか当時のカタログに2枚のアルバムが
掲載していたと記憶しますので
さっそくヤフオクででもチェックしてみたいと
思います。
GFRの前座がマッシュマッカーンてのは
ちょっと違和感がありますが
ただテン・イヤーズ・アフターの前座が
アルバート・ハモンドというのよりは
全然マシなように思えてしまうのですが…。
でもやっぱりビートルズの前座にメンツに
ドリフターズってのが最強なんでしょうね(^^)