■Little Man / Sonny & Cher (Atoc / 日本ビクター)
1960年代中頃、妙に印象的な活躍をしたのが、ソニーとシェールでした。
と言うか、サイケおやじにとっては、この夫婦で歌われる楽曲よりも、洋楽雑誌のグラビアやテレビで時折に放送されるフィルム映像で見た、実にミョウチキリンなファッション感覚が今も忘れられないのですが、まあ、それはそれとして、ポップスの歴史の中では、なにかと今日までお騒がせ(?)な二人でしょう。
もちろん、それは後に知った事が大半であって、まずソニーと名乗るソニー・ボーノは1950年代後半からR&Rのソングライターとして、西海岸ではちょいと知られた存在であり、また、ドン・クリスティーの芸名で幾枚かのシングル盤を出していましたが、どちらかと言えば、当時から既に裏方としての仕事が多かったようです。
例えばソングライターとしては、黒人R&B歌手のラリー・ウィリアムズが1957年に放った会心の大ヒット「Short Fat Fannie」、さらにはサーチャーズやジャッキー・デシャノンでヒットした1964年の人気曲「ピンと針 / Needles And Pins」を書いた事は有名だと思います。
そして後者を共作したのが、これまた西海岸ポップスの裏方としては重要人物のジャック・ニッチェだったことから、どうやらこのあたりからフィル・スペクターとの繋がりも出来ていたようです。
ちなみに当時、そこでの仕事は宣伝や下足番だった等々、いろいろと言われていますが、録音の現場では打楽器やコーラスを担当していたというのが、今では定説です。
一方、シェールことシェリリン・サーカシアン・ラピエールはインディアン系の美女で、本来は女優志望だったようですが、1960年代初め頃からアルバイト的にハリウッド芸能界の様々なレコーディングセッションで歌っているうちにソニー・ポーノに見出され、1963年になるとフィル・スペクター子飼のロネッツでは、実際のスタジオ録音のコーラスパートで、その大半に参加しているとか!?
ですから、その流れの中でソニーとシェールが結婚し、一緒に歌い始めるのも自然の摂理のような気も致しますが、まずは最初に熱が入っていたのはソニー・ポーノであり、フィル・スペクターにシェールのデビュー曲を頼んで断られると、自らプロデュースに乗り出し、二人はデュエットとして最初の「Baby Don't Go」を作り出したというわけです。
こうしてめでたくソニーとシェールになった夫婦は、それまで培ってきた業界のコネを存分に活かしたのでしょう、アトランティックの某系レーベルだったアトコと契約し、本来はB面曲扱いだった「I Got You Babe」をレコード会社の意向に逆らう形でラジオ曲に売り込みをかけ、見事にチャートトップの大ヒットに乗せたのですから、そのミュージックビジネスの手腕は流石という他はありません。
既に述べたように、リアルタイムで盗られた宣材写真やフィルムに見られるような奇抜といって過言ではないファッション感覚、そして幾分の生臭さを滲ませる夫婦デュエットの味わいの濃さも、そのあたりの戦略だったように思います。
さて、そこで本日ご紹介のシングル曲「Little Man」はアメリカにおいては、1966年秋の大ヒットなんですが、今となっては何故かそれほど注目されていないのが現状でしょうか……。
個人的には日本じゃ、これが一番に流行った記憶なんですが、実は不思議なエキゾチック風味のメロディ展開が正統派ポップスのファン、あるいはオールディズマニアからは好まれないのかもしれません。
またジャケ写のムードが実に意味深というか、予定外の射精をしてしまったソニーを慰めるよりは幾分軽蔑したかのようなシェールという構図が透けて見えるようなデザインは、けっこうキテるんじゃないでしょうか?
告白すれば、サイケおやじはリアルタイムから、ソニーとシェールには生臭い感じを強く覚えていました。
ですからシェールが独立し、また自分達のテレビショウを持ったりする芸能界どっぷりの活動に進んでいく時でも、全然違和感がありませんでした。
いや、むしろエキセントリックな衣装を纏い、ツッコミ鋭い節回しを披露するシェールと既に中年太りが隠し切れていなかったソニーという佇まいは、なにか夫婦間の問題をリスナーに明かしているような……!?
その意味で後年、シェールがグレッグ・オールマンとの熱愛騒動で芸能界を席巻した事についても、軽く許容出来てしまうのですが、いかがなものでしょう。
ということで、ハリウッドポップスもヒッピー文化も夫婦生活さえも、徹底的に芸能界ノリに拡大解釈したが如きウリが、ソニーとシェールの大ブレイクした要因かもしれないと思います。
もちろん、その良し悪しは十人十色の感性でしょう。
しかし結果的に1960年代後半に一世を風靡し、1970年代からは別行動でそれぞれが当たりを取った実績は、ちょいと真似出来ない芸風として屹立しています。
最後になりましたが、そんなこんなを書き綴っても、少年時代のサイケおやじには夫婦間の空気とか現実なんてものは分かりようもなくて、きっと、だろうなぁ……。そんな漠然とした推量だけでソニーとシェールを見ていたのですから、ある意味ではバカがつくほど幸せだったというわけです。
思わず自嘲!