■Yellow River / Christie (CBS / CBSソニー)
さてさて、ようやく自室の模様替えも何んとか格好がついて、音も鳴らせるようになりましたが、まだまだ道半ばというか、部屋の半分以上が雑多に積み上げられた蒐集物ですし、その中でどうにか自分の居住位置を確保しているにすぎません。
まあ、それでもスピーカーにはセンターから対峙する場所を維持出来たのは、まさに執念に近いものありますし、鑑賞バランスの補正も適宜やりましたんで、一先ずは安心というところでしょうか。
しかし、こんなに手間取ったのは片付けの最中、これまで失われていた様々なブツを再発見しては感慨に耽るという、平たく言えば懐かしさのあまり、レコードならば無理してもターンテーブルに乗せて針を落とし、すっかり姿が見えなくなったスピーカーから馴染みのメロディを流してみる行為を繰り返していたからなんですよねぇ、恥ずかしながら。
もちろん昔のエロ本とか、スケベ心に導かれたビデオの数々のそんなこんなを表紙やパッケージで懐かしむ事も忘れていませんでしたから、あとはご想像にお任せする次第です。
で、そんな中から本日の1枚は英国産バブルガムロックの人気ヒットとして我国でも昭和45(1970)年に大当たりした名曲「Yellow River」を久々に♪♪~♪
いゃ~、すっかり往年のラジオ洋楽番組のノリを再認識させられますねぇ~♪
それほどに快適な曲メロとロックビートの楽しさを提供してくれるクリスティーというグループは、ゲオフ・クリスティー(vo,b,key)、ヴィック・エルメス(g)、マイク・ブレイクリー(ds) という3人組だったんですが、既に皆様もご推察のとおり、クリスティーもまた本来が実態の無いバンドでした。
つまり拙ブログでも度々述べてきたとおり、最初に楽曲があっての後追いヒット結成がクリスティーの正体という、その頃の業界では当然の手法が、ここにもあるのです。
ただし演奏パートをやったのは、これが当時第一線のスタアバンドだったトレメローズという真相は侮れません。
というよりも、実はリアルタイムで「Yellow River」がヒットしていた当時、クリスティーはトレメローズの弟バンドという紹介もあったわけですが、それはドラマーのマイク・ブレイクリーがアラン・ブレイクリーの実弟であり、そうしたコネがデビューのきっかけだったという裏話が明かされていたからです。
しかし、それにしても、演奏までがトレメローズだったという驚愕にサイケおやじが遭遇したのは相当に後の事で、それはトレメローズがクリスティーの大ヒットオリジナルと同時期に出していたスペイン語バージョンを聴いた時であって、時代は既に1980年代になっていたんですが、その頃にはサイケおやじも自分なりに音楽産業のあれこれを多少は知っていたので、さもありなん!?
どぉ~~聴いても、ふたつの「Yellow River」は同じカラオケでやった雰囲気が強いんですよねぇ~。まあ、正確にとらえればミックスも演奏の細部も異なっていますから、再録バージョンと思われますが、表出されるフィーリングは限りなく同じでしょう。
で、そうなったのはクリスティーのリーダーだったゲオフ・クリスティーが自作の「Yellow River」をトレメローズに売り込んだ経緯が根底にあり、一応は同バンドによってレコーディングされたものの、結局はオクラ入りだったのでしょう。
ところが、これも後に知ったところによると、トレメローズとクリスティーは同じエージェントに所属しているのですから、もしかしたら楽曲の良さに惚れ込んだマネージャーかプロデューサーが「クリスティー」という新グループを売り出すため、作者のゲオフ・クリスティーに出来上がっていたバックトラックを使って歌わせたんじゃないでしょうか?
これはあくまでもサイケおやじの当て推量かもしれませんが、そんな妄想が浮かんでしまうほど、「Yellow River」という楽曲は王道のビートポップスがど真ん中!
首尾良く世界中で大ヒットした事はご存じのとおりですが、一方のトレメローズはちょうどこの頃から落ち目の三度笠……。
う~ん、全く芸能界の浮き沈みはタイミングとチャンスの兼ね合いだと痛感させられるわけですが、そのクリスティーにしても、続く2作目のシングル曲「思い出のサンバーナディーノ / San Bernadino」がそれなりにヒットした後には人気も下降線となってフェードアウトしているのですから、難しいもんですねぇ。
ちなみに前述したとおり、クリスティーも最初は「実態の無いバンド」でありながら、ヴィック・エルメスとマイク・ブレイクリーの参加によって形を整え、ライプ活動もやっていた実績は確かにありましたし、おぼろげな記憶ではありますが、サイケおやじはテレビの洋楽番組でプロモーション映像らしきものに接したこともありました。
ただし、そこでは既にドラマーが交代していましたし、キーボードかギターが新たに参加した4人だった事は覚えていますから、いろんな紆余曲折があったにちがいありません。
ということで、当時の洋楽ポップスは聴くほどに調べたくなる事象が多く、時が経つほどに面白みが増していくんですねぇ~♪
しかも、そこには必ずや人脈や音楽的系譜にひとつの流れが存在している真実があって、決して突発的・偶発的な成功例は本当に稀な事を再認識させられるのです。尤も本当のところは、楽曲の良し悪しを優先させて楽しむべきなんでしょうが……。
そんなところも含めまして、ここ数日休載だった本日の1枚がシングルヒット優先モードで復活出来ましたのも、積み重なった蒐集物が他人からはゴミの山と思われたくない一心であります。