■裏切者のテーマ c/w Sunshine / O'Jay's (PIR / CBSソニー)
今では大衆音楽の古典的用語として普通に使われているであろう「フィリーソウル」あるいは「フィラデルフィアサウンド」という名称が我国で広まったのは、オージェイズが1972年にメガヒットさせた本日ご紹介の「裏切者のテーマ / Back Stabbers」によるところが大きいと思われます。
それは実際、当時のラジオ洋楽番組はもちろんの事、パチンコ屋とか居酒屋等々の有線からも流れまくったほどの人気があって、黒人音楽に特有の迫力と粘っこさが洗練されたサウンドに彩られた所謂フィール・ソー・グッドな感覚は、以降に例えばスリー・ディグリーズやハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノウツ、さらには白人ソウルコンビのホール&オーツが大ブレイクする呼び水となり、ひいては我国歌謡曲の世界でも存分に活用されたのは、今や歴史でしょう。
で、そのあたりを探求してみると、これが名前のとおりにアメリカはフィラデルフィアにあったカメオというマイナーレーベルで働いていた作詞家のケニー・ギャンブルとアレンジャーのレオン・ハフのふたりによって設立された新制作会社が源であって、そこに置かれたネプチューンやPIR=フィラデルフィア・インターナショナル・レコード等々のレーベルから発売される諸作こそが、1970年代に一世を風靡したフィリーソウルの根幹でありました。
ただしギャンブル&ハフの盟友コンビは他にも外仕事として同時期、例えばジェリー・バトラーやウィルソン・ピケット、またローラ・ニーロのレコーディングもプロデュースしていますし、それに伴って有能なスタッフの参集があったことは言うまでもないでしょう。
特に同じフィラデルフィアで既に実績のあったプロデューサー兼アレンジャーのトム・ベルは、デルフォニックスの「ララは愛の言葉 / La-La Means I Love You」やスタイリスティックスの「You Are EveryThing」等々の大ヒットへの貢献は有名ですし、それらが所謂フィリーソウルの雛型となった事実は侮れません。
ですから、この「裏切者のテーマ / Back Stabbers」を特に強い印象に焼きつける流麗なアレンジがトム・ベルの仕事だった事も説得力は充分! とにかくストリング&ホーンの使い方は、当時としては洗練の極みでありましたから、本来はちょいと無骨なオージェイズの持ち味と表裏一体のミスマッチ感覚が新鮮だったように思います。
ちなみに肝心のオージェイズはエディー・リヴォート、ウィリアム・ポーウェル、ウォルター・ウィリアムスの3人組ながら、決して新人グループでは無く、1950年代末頃から5人組で活動し、1960年代初頭にデトロイトの有名DJだったエディ・オージェイに認められてからは、正式にオージェイズと名乗った履歴があります。
そして1960年代中頃には、それなりのR&Bヒットも出していたようですが、所属していたインペリアルレコードに対する契約の縺れがあったようで、メンバーチェンジやグループの縮小が続いてのフェードアウトは業界の常というところでしょうか……。
しかし流石に実力派のオージェイズは、1971年秋頃から前述の3人組として復活し、ギャンブル&ハフの誘いでPIRから出した「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が世界中で大ヒットした事で名実ともにフィリーソウルの代表選手になったのです。
さて、そこでフィリーソウルを印象づけるサウンドのポイントは、モータウンサウンドの継承発展形と言えば体裁は良いですが、率直に言えばパクリであって、特にギャンブル&ハフがPIR以前に運営していたネプチューンという前身レーベルで作られたオージェイズのレコードを聴いてみると、これがモロ!?
それが1969~1970年頃の実相だったわけですが、諸々があってオージェイズが一旦はギャンブル&ハフの傘下を離れ、再び舞い戻った1972年に作られた「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が見事に独得の仕上がりになっていたのは時代の流れというべきなのでしょうか?
ご存じのとおり、それを作り出すのに大きな働きをしていたのが通称MFSB=Mother,Father,Sister,Brother という演奏集団で、そのメンバーにはノーマン・ハリス(g)、ローランド・チェンバー(g)、ロニー・ベイカー(b)、アール・ヤング(ds)、ヴィンセント・モンタナ(vib,per)、ラリー・ワシントン(per)、レニー・パキュラ(key) 等々の名手がメインで集っていたわけですが、他にもドン・レナルドが率いるストリングセクションや様々なセッションで幅広く活躍してたホーンセクションの面々も含め、白黒無差別の人種混成グループであったことが、結果的に良かったと思われます。
そういえば前述したホール&オーツも、件のMFSBにキーボードやギターで参加した事があったそうですよ。
そして束ねというか、作編曲家として参画していたのが前述のトム・ベル以外にもパニー・シクラー、デクスター・ワンセル、マクファーデン&ホワイトヘッド等々の有能な面々で、彼等が後にディスコミュージックやサルソウル、さらには白人AORの制作に関わって時代をリードした歴史も、また凄い結果!
ですから我国でもフィリーソウル~フィラデルフィアサウンドの信奉者はリアルタイムで数知れず、特に歌謡曲や歌謡ポップスの作編曲者には例えば筒美京平を筆頭に、その影響を悪びれずに表現していた現実は本当に嬉しくなるほどであり、それはについても追々に書いていく所存です。
ということで、華やかでもあり、シンミリとハートウォームな味わいも捨て難いフィリーソウルの魅力とは、分かり易さと用意周到さのバランス感覚の良さだと思います。
それは昨日も麻田ルミの項で書きましたが、ひとつの芸風を確立させ、広範囲の人気を得るための重要なポイントであって、結局はそうしたバランスを失ってしまった時には人気も落ちていく結末は、逆もまた真なり!?
今となってはフィリーソウルが懐メロ感覚でしかウケ無い現実もあるようですから、独断と偏見に拘るサイケおやじにしても決して強い事は言えないわけですが、それでも様々な混濁がたっぷりと存在していた1970年代には、これほどジャストミートしていた音楽もありませんでした。
つまり、どんな逆境でも明るい未来を信じる他は無かった当時、それが許されるような気分にしてくれたのが、独得の高揚感があったフィリーソウルの本質だったというわけです。
最後になりましたが、このシングル盤B面に収録の「Sunshine」は美しいハーモニーを活かしたスローバラードで、そのジワッと広がる甘美な魅力は所謂「甘茶」物の傑作ですし、本来がダンスナンバーの「裏切者のテーマ / Back Stabbers」の味わいと巧に混ぜ合わされたのが、次なる1973年の大ヒット「Love Train」へと繋がるのですから、併せてお楽しみ下さいませ。
本当に自然体でノセられてしまうのでした♪♪~♪。