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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

西島三重子は歌謡シンガーソングライター

2017-10-28 19:22:20 | Singer Song Writer
想い出をふりかえらずに / 西島三重子 (ワーナーパイオニア)

シンガーソングライターと称される歌手は、殊更我が国じゃ~、昭和50年代であれば、所謂ニューミュージックに分類されていたと思いますが、しかしだからと言って、その全てが洋楽系であったとは限りません。

本日掲載のシングル盤の主役たる西島三重子にしても、歌謡フォークから歌謡曲全般を思わせる作風が特徴的で、例えば極みの大ヒット曲「池上線」は本当にその典型でしたから、昭和53(1978)年の「思い出をふりかえらずに」がテレビドラマの主題歌であった事を差し引いても、この歌謡曲っぽさがサイケおやじは最高に好きなんですねぇ~~♪

それは竜真知子の綴った歌詞に附された西島三重子が十八番の節というか、ちょっぴり軽い感じの和風ポップスなメロディがクセになる感じで、若草恵の編曲も良い感じ♪♪~♪

結果的に大ヒットしたとは言い難いレコードではありますが、失礼ながら、これをもしも小柳ルミ子が歌っていたら!?

なぁ~んていう不遜な気持ちも、小柳ルミ子の清純派的な下世話さが、作者自演の思い入れの強さを良くも悪くも凌駕してしまうような、いやはやなんとも、この歌の魅力は、そのあたりにも強く滲んでしまう隠れ名曲と思うばかりです。

ということで、サイケおやじは西島三重子のファンとしては勘違いの邪道者かもしれませんが、彼女の作るメロディラインの昭和歌謡曲的せつなさが特に好きなもんですから、本日書いた文章も、そこに拘ってしまいました。

そのあたりは例えば石川ひとみに提供した「冬のかもめ」にも顕著ですから、機会があれが皆様にもご確認いただきとうございます。

もちろん、ボーカリストとしての西島三重子も大好きなのでした。
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追悼:遠藤賢司

2017-10-25 20:20:20 | Singer Song Writer
ほんとだよ c/w 猫が眠ってる / 遠藤賢司 (東芝)

シンガーソングライターの遠藤賢司が天国へ召されました。

幅広い音楽性とストレートな感性から創作され、自演されてきた名曲名唱は、決して歌謡曲を侵食するような大ヒットにはなりませんでしたが、業界や音楽仲間、そしてフォークやロックの好きなリスナーからは確かに一目置かれる存在であったことは否定出来るものではありません。

不肖サイケおやじにしても、何でもありの破天荒な音楽活動には、ついていけない時もありましたが、あの独特の声質と節回し、またミョウチキリンなリズム感の不思議な整合性には畏敬の念さえ覚えるのが正直な気持ちであります。

さて、そこで衷心から追悼として本日掲載したのは、昭和44(1969)年に発売された公式デビューシングル盤とされる1枚なんですが、この両面2曲を翌年になってラジオの深夜放送で聴いたサイケおやじは、そのあまりにもぶっ飛んだサイケデリック感覚に混乱させられ、当時のメモにも、それがウダウダと綴られているほどの衝撃があったんですねぇ~~~!?

もちろん当時は中学生だったサイケおやじですから、ほとんど意味不明な歌詞の世界には共感なんてものは欠片も無く、また演じられている音楽そのものにも親しみは全然感じなかったのですが、とにかく噴出している膨大なエネルギー量に圧倒され、あぁ~、もう一度聴きたいなぁ~~!

と、漠然ながらも思いつめさせられるほどでしたので、ど~にかお金を工面してゲットした掲載のシングル盤を繰り返し聴いたあの頃が、何か自分の人生にとっては、それなりの意味らしきものがあったような気がするばかり……。

それが遠藤賢司の訃報に接した瞬間に蘇った記憶の印象でした。

で、その楽曲については、まずA面「ほんとだよ」は遠藤賢司の作詞作曲による、摩訶不思議なフォークロックで、馴染めないメロディに施された木田高介のアレンジには、クラシック~現代音楽みたいな高尚さがあるもんですから、これが今となっては日本版ニューロックという括りで語られるのもムベなるかな、個人的にはドノバンやニール・ヤングからの影響を強く感じる、サイケデリックなフォークロックかなぁ~???

仄かに雅楽からの香りが漂うのも良い感じ♪♪~♪

ですから、その意味で遠藤賢司が作詞作曲に編曲までもやってしまったB面「猫が眠ってる」は、アッと驚くインド丸出しのサイケデリックフォーク、今で言うところのアシッド・フォーク!?

なにしろシタール、タブラ、各種ベルやトライアングルの如きパーカッションが全篇に鳴り響き、ギターにしても変則チューニング、あるいは変態コードが用いられたような、ほとんど簡単にはコピー出来ないサウンド構成の中に、シュールな歌詞が呻くように唸られるんですから、一方的に圧倒されてしまいますよ。

そして我知らず、もう一度、レコードに針を落としたくなる中毒症状に導かれるのです。

ちなみに演奏の参加メンバーは加藤和彦、西岡たかし、早川義雄……等々が、タブラやシタールを操っているそうですが、その入れ込み様は、なかなか熱っぽくて、好きですねぇ~~。

また、ここに収録されているのは所謂シングルバージョンで、後に出されたLP「niyago (URC)」に入れられたバージョンとは異なりますので要注意! 正直に述べさせていただければ、そのアルバムバージョンの方がさらに熱い仕上がりなんですけどねぇ~、それはそれとして、やっぱり「猫が眠ってる」は名演だと思っています。

ということで、遠藤賢司は軟弱フォークからハードロック、さらにはソウルやジャズ、ワールドミュージックやテクノ&ニューウェイヴまでも横断する音楽性を披露してきたが故に、決して大衆的な人気が得られなかったのは失礼ながら、不幸中の幸いじゃ~ないでしょうか。

サイケおやじは数度、ライブステージに接することが出来ましたが、一番好きなのはギターやハーモニカだけで演じる弾き語りでして、それでも幅広い音楽性やシュールでありながら、有無を言わせぬが如き歌詞の強さが、尚更に鮮烈でありました。

そして恐らくは、これまでにも出ていた所謂アーカイヴ企画がさらに進められるものと期待しております。

合掌。
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冷たい雨のボサノバ歌謡

2017-10-16 17:41:20 | Singer Song Writer
雨の日のひとりごと / 八神純子 (キャニオン)

冷たい雨が降り続き、急激に寒くなりましたが、皆様は如何お過ごしでしょうか。

そこで本日は雨がテーマの歌謡ボサノバということで、八神純子が昭和49(1974)年末に出した実質的なデビューシングル曲「雨の日のひとりごと」であります。

もちろん作詞作曲は八神純子で、ヤマハ主催の通称ポプコン第8回の優秀曲賞を獲得したほど出来栄えは、なんとっ!

彼女が16歳にして作り上げた初々しい名曲♪♪~♪

なにしろイントロから軽快なボサノバのリズムが気持ち良く、フルート、アコースティックギター、ピアノ、そしてちょっぴりドラマチックなストリングスを伴奏に歌われるメロディの穏やかなせつなさとでも申しましょうか、八神純子が持ち前のハートフルなハイトーンボイスで自作自演の強みを活かしきった節回しを聴かせてくれるんですから、たまりませんねぇ~~~♪

特にサビでの思いつめた表現には、未だピュアハートな彼女を感じてしまいますよ♪♪~♪

このあたりは萩田光雄のアレンジとの相性も良かったと思われますが、実はこの「雨の日のひとりごと」は純然たるオリジナルのシングルバージョンですから、要注意!

というのも、皆様ご存じのとおり、八神純子が本格的にプロデビューしたのは昭和53(1978)年、二十歳になって発表した「思い出は美しすぎて」のスマッシュヒットからですので、同時期に制作された同名LPのA面ド頭に入れられたのは、大村雅朗のアレンジによる別バージョンであり、ピアノをメインに伴奏された、幾分ゆるやかな仕上がりになっているのは、好き嫌いが分かれるところと思います。

それは、このシングルバージョンに感じられた、ある種の意気込みというか、情熱みたいなものが、アルバムバージョンでは、幾分内省的に表現された感じでしょうか、その感性の違いは、つまり彼女の年齢的な成熟と書いてしまえば、贔屓の引き倒しかもしれません。

ですから、なかなか面白く聴ける楽曲でありまして、サイケおやじは両バージョン共に好きなんですが、とりあえず本日はシングルバージョンのご紹介というわけです。

ちなみに当然ながら、今日では両バージョンともにCD化されておりますが、個人的にはデジタル化されたシングルバージョンが「線の細さ」というか、なんとなく痩せたサウンドに聞こえてしまうことから、サビで特徴的なハイトーンボイスのパートに歪みを感じてしまうので、結局は温もりがあるアナログのシングル盤を聴いてしまうのですが、いかがなものでしょう。

ということで、本来なれば歌謡ボサノバは夏の日の必需品とはいえ、こんな冷たい雨の日にも、案外と良い相性を覚えてしまいます。

う~ん、まさに雨の日のひとりごと……、でした。
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とにかく今は本音を語れ!

2017-10-04 17:26:55 | Singer Song Writer
唇よ熱く君を語れ / 渡辺真知子 (CBSソニー)

一般の国民が未来に対し、それなりに多少なりともの明るさを求めて投票するのが選挙だとしたら、今回の衆院選には、それがほとんど感じられないと思うのはサイケおやじだけでしょうか……。

あくまでも個人的な思い、あるいは願いではありますが、議会制民主主義においては与野党のバランスが拮抗し、その中から、あまり使いたい言葉ではありませんが、妥協と協調を見出してこそ、少数意見を取り入れるという真の民主主義を達成出来るはずが、現実的には権力者と反対勢力のぶつかり合いばかりが本筋となり、いつも闇雲に反対ばっかりを唱えるのが野党の役割とする、如何にも安易な方法論に縋り、ふんぞり返って不平不満をタレまくるボンクラどもを御するのが与党の仕事!?

そんな悲しい構図が、常に我が国の政治の世界では当たり前になっている中で、殊更今回の状況は最悪でしょう。

なにしろ野党第一党の民進党が埋没していたところへ、その分裂を促進させる触媒としての小池百合子という、心身共に厚化粧の女王が出てくれば、咽び泣いて跪き、彼女の足を舐める変節者が続出したのですから、これまでの主義主張が如何に脆弱だったのかを自白したも同然!

結局、それでも小池百合子から拒絶された面々が、彼女の足どころか、自ら吐いた唾を舐めることになってしまったのも自業自得と思うばかりです。

そして結成された枝野一派の立憲民主党は、ど~見ても共産党の別動隊であり、しかも発表されたロゴのデコボコで不揃いな文字デザインからは、何時でもバラバラになりますよぉ~♪ ってな印象しか伝わってきませんし、奴らの主張にしても、反安倍政権・反自公じゃ~、この時局には完全にズレているのですから、始末が悪いですよ。

極限すれば、枝野一派には「立憲」だの「民主」だのという言葉は一番不似合いだし、振りかざす「理念」だって、自己保身と欲求不満の戯言が、その本質としか思えません。

うむ、これじゃ~全く、今までの支持者を無視したも同然ですし、自民党や創価学会が嫌いな有権者だって、それじゃ~投票しずらいから、小池百合子に希望を託すのでしょうか……。

しかし、希望の党は公認申請者に対して政策同意書に署名を求めたり、上納金を振り込ませたりするという、完全に寝返り者を信用していない処遇は、当たり前と云えばそれまでのキワドイ集団!?

おまけに極右思想を滲ませている事を鑑みれば、自公政権が目論んだ護憲派一掃の狙いが、ここに補完されたと受け取るべきかもしれません。

そして切羽詰まった民進党の前職候補者は無所属という、流れ者的な立場で選挙に臨み、あわよくば当選した後に枝野一派に草鞋を脱ぐつもりなんでしょうが、そんな義理知らずみたいな者にゆっくり遊んでいられたら、有権者や支持者はバカにされたも同然です。

何か口惜しさが半分、笑いが半分なのが、現在のサイケおやじの心境であり、願わくは全ての候補者には忌憚のない自らの言葉で、主張を述べていただきたいところです。

そこで本日のジャストミート曲は、渡辺真知子が昭和55(1980)年に放った大ヒット「唇よ熱く君を語れ」を出してみました。

ご存知のとおり、これは某化粧品メーカーのキャンペーンソングという扱いでしたから、東海林良の綴った歌詞は前向きですし、渡辺真知子の附したメロディにしても明るい力強さがあるという、これまでの彼女が十八番にしていた失恋系の楽曲からは幾分のイメチェンが良い方向へ作用した、まさにメジャーなヒット狙いの典型でありました。

そ~です、現在のドロドロと混濁した選挙には、ミエミエだとしても、こ~した明るく振舞う姿勢を繕うことこそが、国民に安心感を与えるんじゃ~ないでしょうか。

もちろん、それは決して真の姿ではないかもしれませんが、綺麗な口紅だって剥げる時からくるように、その時のためにも、今は心に響く、熱い言葉での本音の訴えを全ての立候補者に期待するものであります。
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夏向き歌謡は中原めいこ♪

2017-08-11 17:24:19 | Singer Song Writer
こわれたピアノ / 中原めいこ (東芝)

夏向き歌謡を演じてくれたミュージシャンは数えきれない中にあって、殊更我が国のニューミュージックの世界では、1980年代にブレイクした中原めいこも、そのひとりでしょう。

とにかくラテンフュージョンと歌謡曲の巧みな折衷は、本人が所謂シンガーソングライターという自作自演の強みがあることは言わずもがな、木森敏之、新田一郎、新川博、椎名和夫、佐藤準、小林新吾といった気鋭のアレンジャーが参画していたことも忘れられません。

それはアップテンポの楽曲では弾けるリズムに炸裂するホーンセクション、ミディアムスローな歌やコーラスにおいては、ソフト&メロウな彩のコラボレーションとして結実し、だからこそ溌溂して、ジワジワと染み入ってくる彼女のボーカルが際立ったように思いますが、そ~した個性は大ヒットした「今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」「君たちキウィ・パパイア・マンゴーだね」等々だけでも明白ですし、昭和61(1986)年に出した本日掲載のシングル盤には、その両方の魅力がたっぷりと♪♪~♪

もちろんA&B面は共に中原めいこの作詞作曲にアレンジャーとして小林新吾が関わった、これが如何にもバブル期らしい、と書けば贔屓の引き倒しかもしれませんが、殊更A面の「こわれたピアノ」はアップテンポでストレートにノレる「中原めいこ節」が全開ですよ♪♪~♪

またB面収録の「Destination」は、「さらりとした情の深さ」みたいなものを感じる、ど~にも気持ちが落ち着かなくなる歌唱がちょっぴりニクイわけでして……。

確かに両曲ともにマンネリ感は否定出来ませんし、ありきたりの良さは好き嫌いの対象に成り得るんですが、そこはジャケ写に登場しているアンニュイでセクシーな彼女のポートレートで許してしまうのが、サイケおやじの何時もながらの本音であります。

ちなみに彼女は公式デビュー前から歌謡スタアの巡業ステージやレコーディングの現場でコーラスをやっていたという下積みがあり、だからこそ、カラオケで素人が歌う時も簡単ではありませんが、それなりに歌い易い楽曲を作れたんじゃ~なかろうか?

ということで、最後は例によってサイケおやじの独断と偏見による妄想モードが全開してしまいましたが、お気楽にハンドルを握る真夏のドライブには、彼女のベスト盤CDを鳴らすのも一興かと思います。

良い意味で聞き流せるのも、夏向きソングの魅力のひとつなんでしょうねぇ~~♪
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新人時代に癒された旋律

2017-04-03 19:18:24 | Singer Song Writer
旋律 / 杉田優子 (ビクター)

さて、いよいよ今日から新年度がスタートし、各業界それぞれに新人が入っての出発は、その緊張感も快い時期だと思います。

しかし、そう書いてしまったサイケおやじにしても、それは職場に慣れきったところに根差した慢心であり、新人の立場であれば、緊張感は不安と希望のアンバランスな帰結に過ぎないでしょう。

実際、サイケおやじも新人として社会に出た大昔のあの頃は、例えそれが学生時代のバイトの延長であったとしても、やはり右も左も分からないというか、持ち前のお気楽さが先輩や上司にとっては、軽く見られていた事は否定出来ず、しかも前述したとおり、職域の若干部分はバイトで経験していた業務とダブッていたことから、つまりは即戦力の兵隊、都合の良い使いっ走り的な立場であったわけでして……。

そんなことからサイケおやじも一丁前に仕事で心に疲れを感じていたのが、ちょうど新人時代の春でした。

しかし、そんな時こそ癒される時間にはエロ映画やSM誌、そして音楽があった事も確かでした。

本日掲載したシングル盤A面曲「旋律」は、そ~した苦悩(?)の時期に耳に馴染んだ、これが儚いフィーリングが横溢した歌謡ボサノバのニューミュージック的展開でして、歌っている杉田優子が作詞作曲し、鈴木茂が如何にも都会的なアレンジを施した名曲にして名唱名演♪♪~♪

発売されたのは昭和53(1978)年早々らしく、既に当時の慣例となっていたLPデビューが先行していたという、今となっては、なかなかに恵まれたスタートだったのも、件のニューミュージックが大きなブームとなり、次々に新しい才能が送り出されていた歴史の証明かと思います。

ただし、「ブーム」の反動というか、これは「GS」や「アイドル」のジャンルでも同様なんですが、その最中に夥しく登場した歌手やグループが、結局は極僅かしかブレイク出来ず、だからといって、売れなかったものが、つまらないとは言い切れません。

むしろ少数のファンに愛され、聴き継がれ、後々になって再発見されるケースだって少ないない事は言わずもがな!?

杉田優子の芸歴やその後については知る由も無いサイケおやじではありますが、一応LPは2枚ほど作られたようですし、各方面のスタア歌手のバックアップコーラスの仕事もやっていたと言われていますので、なんとか残された音源がきっちり復刻される事を願うばかり……。

しかし、正直に書かせていただければ、失礼ながら彼女のボーカルはアップテンポよりも、ミディアム~スローなテンポで味わいがはっきり表出される感じで、それはLPに収録された楽曲がカントリーロックからAOR、あるいは疑似ソウル歌謡やアイドルポップスの如き仕上がりのものまで、些かのとりとめのなさがツライわけでして、だからこそ、この「旋律」が尚更に素晴らしく、心に滲みわたると言えば、贔屓の引き倒しでしょうか。

でも、個人的には、この1曲があるからこそ、杉田優子は忘れられないシンガーソングライターであり、聴く度に癒されるというわけです。

未確認ではありますが、未だCD化されたという話も無い楽曲とはいえ、機会があれば、聴いていただきたい、せつなくもハートウォームな歌であります。
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So Long Monsieur

2017-03-02 19:18:14 | Singer Song Writer
我が良き友よ c/w ゴロワーズを吸ったことがあるかい / かまやつひろし (東芝)

既に昨年から闘病を伝えられていたとはいえ、ムッシュかまやつ=かまやつひろしの訃報は、感慨深いものがあります。

ご存じのとおり、故人はGSの中でも別格の実力と人気を誇ったスパイダースでは、音楽とファッションセンスの両面をリードしていた事は、具体的には自作によるヒット曲の提供や最新の洋楽事情、さらには海外の流行全般に対し、敏感に反応するフィーリングの持ち主として、まさに我が国芸能界における裏街道のリードオフマンであったように思います。

もちろん、ここでむ「裏街道」と書いたのは、故人が決して押しの強い活動を意図的にやっていたわけではないと思うからで、逆に言えば、何が流行って、何がウケるかという観点からすれば、自らの感性に正直を貫いたところが一般的な商業主義とは異なりつつも、しっかり何時の時代にもアクセスしていたという稀代のミュージシャンでしたからっ!

つまり、サイケおやじはリアルタイムでは知らない故人のロカビリー歌手時代も含めて、カントリー&ウェスタン、エレキインスト、コミックソング、ジャズ歌謡、そしていよいよGS時代の大ブレイクを経て後はシンガーソングライターのブームを意識しつつも、ハードロックやグラムロックにも傾倒した楽曲を演じる等々、なにが本質か定かではないところから、ついには昭和歌謡フォークの世界にも切り込んで、昭和50(1975)年に大ヒットさせたのが、本日掲載のシングル盤A面曲「我が良き友よ」でありました。

しかも、これが吉田拓郎の作詞作曲という、所謂提供作であり、歌の中身のバンカラ風味や瀬尾一三の編曲にも顕著な和風オールドタイミーな下世話さが、ど~してもハイセンスなイメージがあるムッシュかまやつには違和感満点で、しかし実際には、きっちり収まった雰囲気を醸し出したボーカルを披露したのですから、故人の懐の深さには驚かされるばかり……???

というのも、実は当時、気ままな学生生活の中でバンド活動をやっていたサイケおやじが、バイトという大義名分、そして入れてもらっていたバンドの先輩からの命令とはいえ、この「我が良き友よ」をやるハメになった時には正直、嫌でしたねぇ~~。

もちろん楽曲が大ヒットしていた事は知っていましたし、それをやらなきゃ~、パーティバンドとしてのライブの場が失われる等々の諸事情も分かっていはいるんですが、これはど~やっても、当時の自分達が標榜していたアメリカンロックとは無縁の世界でしょう。

だいたい、ムッシュかまやつともあろう洋楽志向のミュージシャンが、こんな歌を出して、大ヒットさせてしまった事自体が、サイケおやじには面白くありませんでした。

で、不貞腐れていたら、マネージャー役の先輩から、とにかくこれを聴いてみろっ!

と強い口調と共に手渡されたのが、本日掲載のシングル盤というわけです。

そして驚愕させられたのが、B面収録の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」で、なんとっ!?

これがタイトでグルーヴィな演奏をバックにした和製トーキングファンクであり、現在では各方面(?)から絶大な支持を得ている人気快演ではありますが、リアルタイムの昭和50(1975)年の我が国じゃ~、カッコ良過ぎて、ついていけない世界でもありました。

もちろん、サイケおやじにしても最初は、うっと呻いて、クレジットを確認するのがやっとの状況で、すると当然ながら、作詞作曲はかまやつひろし、そして編曲がグレッグ・アダムス!?!

ひぇ~~~っ!

ということは、このバックの演奏はタワー・オブ・パワーなんですかねぇぇぇぇ~~!?

そうです、どうやら、これは本当にタワー・オブ・パワーが参加したファンキーグルーヴがあってこその傑作だったんですよっ!

う~ん、かまやつひろし、恐るべしっ!

それは失礼ながら、ダサいA面の裏側に、こんなに洋楽最先端を意識的に実践した歌と演奏を入れてしまうという、まさにムッシュかまやつの真骨頂なんでしょうかっ!?

穿った事を書かせていただければ、ど~やっても一般ウケせず、売れる事も無いであろう「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を広く大衆に聴かせたいがために、きっとウケるに相違ないと確信した、およそ自分のイメージとは異なる「我が良き友よ」をA面に入れたシングル盤を出したのかもしれないと思うのですが、いかがなものでしょう。

しかし、これはどちらも「かまやつひろしの世界」であり、大きく位相の異なる音楽を同時並行的にやれるのが、ムッシュかまやつの天才性なのでしょう。

でなければ、鬼籍に入られるまでの長期間、常に第一線の存在感を認められていたはずもなく、その多大な影響と偉業の数々は、そんなふうに尊敬と親しみを集めるはずもありませんからっ!

ということで、故人の残した楽曲はスパイダースの「あの時君は若かった」を筆頭に、今やスタンダード化した名作名演も多数ありますから、映像やインタビュー等々も含めた包括的なアンソロジーボックスが近い将来、編まれると確信する次第です。

ムッシュかまやつ、永遠なれっ!

合掌。
 
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約束の春

2017-02-17 19:20:09 | Singer Song Writer
約束 / 菊地弘子 (日本ビクター)

今日は強風、春一番ってやつでしょうか、何となくライトタッチの胸キュン曲を聴きたくなったのでご紹介するのは、ヤマハ系のシンガーソングライターとして今も根強いファンが多いらしい菊地弘子が昭和51(1976)年に出したシングル盤A面曲「約束」であります。

いゃ~、これがとにかくアップテンポのウキウキするような曲調で、もちろん作詞作曲は菊地弘子、そしてアレンジがクニ河内であれば、納得するしかない仕上がりなんですが、具体的には丸山圭子とユーミンの合作的な味わいが強くて、そう思ってしまうのは失礼でもなんでもないでしょう♪♪~♪

だって、こんなにウキウキさせられて、しかも青春のせつなさフィーリングが横溢した歌詞の甘酸っぱさは、菊地弘子の幾分ぶりっこ&ロリ風味の歌唱共々にたまらない世界ですからっ!

一般的には代表曲「青いくれよん」とか、ネクラな歌で記憶される彼女ではありますが、こんなに素敵な歌謡ポップスも出していたという、その真実は聴き継がれていくものと確信する次第です。

また、ユーミンっぽさに関しても、件の「青いくれよん」では一瞬ですがユーミンの人気曲「海を見ていた午後」と酷似したメロディフレーズが出るんですから、やっぱり影響はあるんでしょうねぇ~~、サイケおやじは好きです♪♪~♪

ということで、実は本日も移動中、その合間にPCから好きな歌を引っ張り出しては息抜きしております。

そしてこの「約束」も、その中のひとつなのでした。
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ありがとうへの共感

2017-02-16 20:28:33 | Singer Song Writer
ありがとう / 小坂忠 (マッシュルーム / 日本コロムビア)

移動中に爆眠して、目を覚ましてからはひたすらに頭を下げる……。

そして決まり文句が「ありがとうございます」じゃ~、あまりにも芸が無い……。
 
そんな生活が2日も続けば、サイケおやじならずとも、些か自分の命を擦り減らしていると感じるはずですが、いかがなものでしょう。

もちろん、それも稼業の宿命と割り切る事だって吝かではありませんが、なんとか今は見えている仄かな光が、果たして強く輝き、導いてくれるのか……?

その確証が欲しくてたまらないのが本音であります。

ということで、そんな心にジワジワ滲みてくるのが、昭和47(1972)年に小坂忠が出した本日掲載のシングル盤A面曲「ありがとう」です。

今日知られている小坂忠のキャリアの中で、殊更特筆されるのは昭和44(1969)年に細野晴臣や松本隆と共に活動していたエイプリル・フールのボーカリストだったという芸歴でしょう。

そして皆様ご存じのとおり、エイプリル・フールは柳田ヒロのキーボードをメインに構築されたサイケデリックロックが特徴的なバンドだったという個性は、残された唯一のLPに聴く事が出来ますが、グループ内は細野晴臣(b) や松本隆(ds)、そして小坂忠がフォークロックや日本語のロックに傾倒し始めて以降は分裂気味となり、どちからと云えばブリティッシュロック寄りの柳田ヒロ(key) や菊池英二(g) と袂を分かち、それが後のはっぴいえんどに発展したという事になっています。

つまり、小坂忠は、はっぴいえんどの初代ボーカリストに内定していたという歴史的解釈も可能ではありますが、小坂忠本人はロックミュージカル「ヘアー」の日本版に出演するためにそれを辞退(?)した等々の紆余曲折……。

それでも細野晴臣との絆は切れていなかったのでしょう。

昭和46(1971)年なって、村井邦彦やミッキー・カーチスが設立に関わった新興レーベルのマッシュルームと契約し、作られた小坂忠の最初のリーダーアルバム「ありがとう」の実質的なプロデュースをやったのが、レコーディングにも参加していた細野晴臣でありました。

で、このシングル曲「ありがとう」は作詞&作編曲が細野晴臣ということで、件のアルバムタイトルにもなったほどの名作ではありますが、なんとっ!?

それゆえなのでしょうか、アルバムに収録された「ありがとう」では小坂忠よりも細野晴臣の声が大きくミックスされるという本末転倒の秀逸バージョン!

それは小坂忠(vo,g)、鈴木茂(g)、大野克夫(stg)、細野晴臣(vo,b)、松本隆(ds) によって作り出された、ジェームス・テイラー調が強く出た世界であり、日本語歌詞で演じられながら、そのサウンドからはロックっぽさが滲み出ている事は否定出来ない仕上がりでした。

ですから、今となっては、まさに「日本語のロック」が堂々と通用する端緒の作品という評価もあるほどで、しかも歴史的には、はっぴいえんどの大傑作アルバム「風街ろまん」よりも約1ヶ月ほど早く世に出たという事実も無視できないところでしょう。

しかし、リアルタイムでは決して商業的に成功したとは言い難く、それでも当時の深夜放送のラジオでは話題となり、当該アルバムからの数曲が流されていた事もあったように記憶していますし、だからこそ、翌年春になって、いよいよミックスを改変して、つまり細野晴臣の声を極めて小さくしたシングルバージョンが発売されたのもムベなるかな、この不思議な和みのフィーリング、そして本音と風刺の利いた歌詞の味わいは同時期の歌謡フォークとは一線を画すものであり、これは明らかにニッポンのロック!?

という結論は今に至るも賛否両論、当然ながら不肖サイケおやじには、それを断定出来るだけの論拠も意思の強さもありませんが、ここでの歌詞には殊更現在、強く共感を覚えております。

そして諸事情から、それはここに記載出来かねますので、気になる皆様には、ぜひとも実際に聴いていただきとう思うのみです。

あぁ……、明日はすっきり素直に過ごしたいなぁ~~~。
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ヴァレンタイン・ディの雑念

2017-02-14 17:56:30 | Singer Song Writer
ブルー・ヴァレンタイン・ディ / 大滝詠一 (ナイアガラ / 日本コロムビア)

何かと好き嫌いの多いサイケおやじが、年中行事の中で最もソリが合わないのが本日、ヴァレンタイン・ディであります。

もちろん、それは今に至るも心の通った思い出がひとつも無いからで、具体的には現在の我が国で蔓延している所謂「義理チョコ」なぁ~んていうのが、殊更面白くありません。

以前から度々書いた事ではありますが、この日に本当に欲しかった青少年期には全く貰えなかったチョコレートが、中年者になって以降は黙秘的に仕事場の机上に置いてあったり、メール便で届いたりするんじゃ~、本来の目的がどうであれ、違和感が飽和状態ですよ……。

さて、そこで本日取り出したのは、大滝詠一が昭和53(1978)年に出した、そのものスバリのシングル曲「ブルー・ヴァレンタイン・ディ」であります。

皆様ご存じのとおり、この時期の大滝御大は何をやってもセールス的には惨敗続きだった頃で、実は同曲にしても前年末に起死回生を狙って出したと云われる自画自賛のアルバム「ナイアガラ・カレンダー ’78」に収録されていた本人自作の胸キュンポップスバラード♪♪~♪

そのアメリカンオールディズがモロ出しの曲メロで歌われるのは、もちろんヴァレンタイン・ディに好きな女の子からチョコレートが貰えない野郎どものロンリーな気分であって、個人的にはそこにある独善的な我儘に共感しかねる部分もあるんですが、ハーモニカやスティールギターが彩るサウンドの素晴らしさ、そして山下達郎がアレンジした事でも有名なストリングスのせつない響きが琴線に触れるんですねぇ~~♪

また、当然ながら、何時もは局地的に「なめくじ」と酷評される大滝御大の節回しと声質が、ここではこれ以上無いほどにジャストミートしているんですから、結果的に空振りになったのは大滝詠一という存在のマニアック性感度の高さを逆説的に証明してしまったように思います。

ただし、この「ブルー・ヴァレンタイン・ディ」は明らかに後のメガヒットアルバム「A LONG VACATION」の世界に直結している事は確定的でしょう。

また、例によって、このシングル盤に収録されているのは前述したLP「ナイアガラ・カレンダー ’78」からのストレートなカットではなく、独自のミックスが施された仕様になっているそうですが、サイケおやじとしては、両者聴き比べても、それほどの差異に感銘を受ける事はありませんでした。

ところが、これが如何にも大滝御大らしい遣り口なんですが、ここにもうひとつ、プロモ盤オンリーのモノラルミックスが作られていて、後にそれを友人から聴かせてもらったサイケおやじは、その何とも言えない味わいの深さにシビレた記憶が今も鮮明です。

ただし、それはあくまでも業界内のお楽しみというか、マニアとかコアなファンに向けての大滝御大からの憎らしいプレゼントですから、カセットコピー等々は出回っていても、現物はウルトラ級の高嶺の花!

しかし、ご安心下さいっ!

近々、掲載盤を含む初期ナイアガラ期に発売されたアナログのシングル盤がボックス仕様で復刻され、当時のレア音源の数々を収録したCDアルバムも付属されるという朗報が♪♪~♪

う~ん、御大のマニアックな心意気を継承&伝承してくれるスタッフの姿勢には、素直に拍手ですよ♪♪~♪

ということで、話は戻りますが案の定、義理チョコの洗礼をありがたくいただきました。

基本的に甘い物を積極的に食さないサイケおやじは、送り主の御尊名だけをチェックして、私物ロッカーに収めてしまうだけですが、何が困ると言って、貰いっぱなしには出来ないお返しの現実が待っている事でしょう。

明らかに「百円ショップ」みたいなものから、手作り仕様の豪華版まで多種多様にあっても、それに差異をつける事が不可避なんですから、結局は毎年、シンプルな食事会を開いて早々に退出したり、所謂女子会への賛助金を出す事で格好をつけているんですから、なんだかなぁ……。

まさに青春時代の懊悩が何倍にもなって跳ね返って来たような気もするほどです。

でも……、サイケおやじの様な天邪鬼な変態に心底愛を伝えるチョコレートを贈ってもらえるはずが無い事は、しっかり自覚しておりますし、やっぱり急に1個も貰えなくなったら寂しいですから、ここは素直に感謝という広い心を持つと決めております。

もちろん、これが若い頃であったらなぁ~~~、というのが本音なんですけどねぇ~~~。
コメント (1)
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