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サイケおやじの生活と音楽

忘れられない! 忘れてはならない! あの日の誓い

2021-03-10 16:34:42 | 追悼

 

あの悲惨な大震災から十年目の今、我が国ばかりではなく、世界中が伝染病の災厄に潰されそうになっているからこそ、あらためて防災・減災について真剣に取り組む必要があると考えます。

そこで冒頭に共有掲載させていただいたのは、偉大なるプロレスラーの蝶野正洋が提供されている公式チャンネル「CHONO Network」からのメッセージ動画でして、登場しているのは説明不要のレジェンドレスラーや有名人達ですが、皆が蝶野正洋が実践している防災・減災の啓蒙活動に賛同されての呼びかけであります。

ちなみに、蝶野正洋と云えば、現在では年末恒例となっているダウンタウンの「ガキ使」に登場するビンタのおじさんとして有名過ぎますが、実は十年前の大震災に関わる支援活動で、師匠のアントニオ猪木と共に現地を訪問した事が契機となり、率先して防災・減災の啓蒙活動にも取り組んでいる事は知る人ぞ知る!

思えば現役時代のプロレススタイルは決して逃げない、相手の技を正面から受けまくり、激しい喧嘩キックや厳しい固め技のSTF、そしてストロングスタイルのヒールレスラーとして「黒のカリマス」のイメージが強過ぎるわけですが、根底にあるのは「任侠」であり、サイケおやじは、そこに男としての憧れを感じたりするのです。

平たく言えば、カッコイイ~~人なんですけど、優しくなければ生きている云々という、極めてハードボイルドな姿勢に強く共感を覚えるんですねぇ~~!

ということで、個人の自覚、そして皆が一致協力しての行動こそが大切だとは分かっていても、それがなかなか出来ないのが人間という生き物の宿業だとしたら、せめて目の前にある防災・減災の意識だけでも、持ち続けていきたいものです。

サイケおやじは、あの日を忘れません!

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追悼・中村泰士&なかにし礼:心のこりを聴きながら

2020-12-25 17:54:50 | 追悼

心のこり / 細川たかし (日本コロムビア)

中村泰士、そして……、なかにし礼という偉大なソングライターの続けざまに訃報には、心底驚かされました。

皆様ごぞんじのとおり、二人ともが名匠と呼ぶに相応しい天才性を発揮していましたから、コンピを組めば大きなヒットが出せるのは当然だとしても、それを歌いこなせるボーカリストの力量が、それゆえに試されると申しましょうか、極言すれば甘え等々は決して許されない楽曲世界が提供されるのですから、現在の歌謡界において大御所たる地位に君臨(?)する細川たかしが、この名匠コンピの傑作「心のこり」をデビューヒットさせ、さらに「北酒場」では、ついにレコード大賞を獲得したのも、当然が必然だったと思うばかりです。

中でも、サイケおやじは特に昭和0(1975)年に発売された掲載のシングル盤A面曲「心のこり」が大好きで、いきなり「私バカよね」と放たれる歌詞のインパクトは如何にも、なかにし礼!

そうですよ、なかなし礼の書いた歌詞の分かり易い衝撃性は、夥しく残されたヒット作品の何れにも顕著で、挙げればキリがないほどですが、時には露骨な単語があったり、お茶の間が気まずい雰囲気にさせられる言葉使いの物語が伝えられたりしながら、それを歌謡曲という民衆の娯楽として成立させてしまう文学的才能には、あらためて感服させられてしまいます。

一方、作曲家としての中村泰士はオールディズ風味を活かした洋楽指向と日本人の琴線に触れる泣きメロを取り込んだ黄金律が持ち味で、これまたキャッチーで分かり易く、それでいてオシャレなフィーリングも滲ませる手際の良さは、流石の天才だと思います。

なにしろ、この「心のこり」にしても、当時から言われ続けてはおりますが、ニール・セダカの「恋の日記 /  The Diary」をベースにしている事は否めません。

しかし、それでも中村泰士が書くメロディは一緒に歌える親しみ易さが随所にあって、だからこそカラオケでも人気定番になっているメロディが沢山ありますし、アイドル歌謡ポップスの世界では桜田淳子を筆頭に、様々なスタイルの楽曲を提供しておりますので、アンソロジー企画が望まれますねぇ~~♪

そして、もちろん、忘れようとしても忘れられないのが、「喝采」「夜間披露」等々、ちあきなおみに提供した傑作の数々でしょう。

ということで、細川たかしの胸中、如何ばかりか……。

恩人の訃報は誰にとっても辛いわけですが、ここまでの仕打ちにも耐えられるエネルギーを持っているのが細川たかしというボーカリストです。

おそらくは近い紹介、追悼トリビュート企画が実行されるのは間違いなく、その時には必ずや気持ちの入った節回しを聞かせてくれるはずです。

それを信じつつ、衷心より、合掌。

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追悼・林家こん平

2020-12-23 19:16:47 | 追悼

この年末、またまた悲しかったのは林家こん平の訃報でした。

説明不要かとは思いますが、故人は昭和の爆笑落語家だった林家三平の直弟子であり、正統派の江戸前落語を教えられなかった三平師匠故に、他の名人噺家の下へ修行に出されていたという駆け出し時代があろうとも、やはり憧れて入門した三平師匠直伝とも云える明るい「すべり芸」を切り札に真っ当な落語の王道も外さなかった高座での芸人魂は、流石に「笑点」のレギュラーを放送開始当時から務めていただけの事はあります。

また、同時にテレビや映画出演も多く、CMにも数々起用されていたのは、やはり明るく豪放な芸風があったからでしょう。

そして残念ながら早世した師匠の三平から受け継いだ弟子を育て上げた指導力も素晴らしく、自身の内弟子も同様に活躍させている人望は、大いに評価されるべきだと思います。

本来ならば、こん平こそが「正蔵」の大名跡を継ぐのが世間一般の見方であった事は言わずもがな、しかし、やっぱり故人は「こん平」のまんまで生涯を閉じたのは、如何にも「らしい」んじゃ~ないでしょうか。.

晩年は難病との闘いもクローズアップされながら、それに屈せず頑張る姿も忘れられません。

どうか、あの世においても、笑いを提供されん事、信じております。

合掌。

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追悼・ショーン・コネリー

2020-11-01 16:11:12 | 追悼

007は二度死ぬ  / Nancy Sinatra/ (Reprise / 日本ビクター)

ショーン・コネリーの訃報に接しました。

説明不要ではありますが、イギリス出身の名優にして、映画「007」シリーズで演じた初代ジェスムズ・ボンドは一代の当たり役であり、そのイメージから脱却せんとばかりに後々まで素晴らしい演技を披露してくれた故人ではありますが、やはりジェイムズ・ボンドを実像化してくれた功績は計り知れませんし、決して忘れられる事はないはずです。

もちろん、映画「007」シリーズは制作される度に大きな話題となり、ほとんど確実にヒットして今日に至っているわけですが、やはり礎と申しましょうか、ショーン・コネリーが第1作目から決定的なイメージを焼き付けてくれたからこそ、荒唐無稽なストーリーや破天荒なアクション、さらには大人の世界の色模様、ついには国際問題諸々までも観客に刷り込んだ(?)のは、全く娯楽映画の王道!?

ですから、劇中に登場する美女が「ボンドガール」と称されるのも、様々な特殊な小道具&大道具が如何にも秘密探偵物語らしかったのも、ロケ地が世界的な名所だったりしたのも、決して後付けばかりじゃ~なく、綿密に仕込まれた映画的な楽しみとして、この世に残り続けているのでしょう。

さて、そ~した「007」シリーズの中で、サイケおやじがリアルタイムで最初に劇場鑑賞出来たのが、昭和42(1967)年初夏に公開された、日本が舞台の「007は二度死ぬ」でした。

いゃ~~、これは今でも思い出す度にワクワクした気分と違和感満点のミョウチキリンな面映ゆさに満たされるというか、言うまでもなく、外国産映画にありがちな日本描写の勘違いが、冒頭に述べたとおりの破天荒な物語展開にジャストミートしているんですから、たまりません♪♪~♪

後に知ったところでは、そのあたりのハチャメチャな日本文化に対する感覚表現を、完成された映画本篇で描かれた「日本」に修正させたのは、この作品に日本側から出演した丹波哲郎の尽力があったからだそうで、だとすればボンドガールに抜擢された浜美枝や若林映子のヘタウマ演技が逆にミステリアスなムードに満ちていたのも、失礼千万とは思えませんねぇ~~♪

その意味で、ショーン・コネリーの演技も超人的なエリートスパイでありながら、それまでのシリーズ作品に比べ、異国での戸惑い感が幾分なりとも表現されているのは流石と思うばかりです。

また、制作スタッフの本気度も確実に高く、例の秘密基地になっていたエメラルドグリーンの火口湖は九州の新燃岳なんですが、それを探す所謂ロケハンにはヘリコプターを長期チャーターし、日本中の空を飛んだそうですよ。

ちなみに現在、件の火口湖からは噴火等々により、エメラルドグリーンの風景が消え去ってしまいましたので、尚更に映画「007は二度死ぬ」は貴重な作品になるのかもしれません。

ということで、本日掲載したのはナンシー・シナトラが聴かせてくれた主題歌「You Only Live Twice」をA面に入れた我が国独自のシングル盤で、当然ながらボンド人気に乗じて(?)ショーン・コネリーがジャケ写の大部分を占めているというのは、当たり前田のクラッカーですよねっ!

う~ん、ゴージャスでミステリアスなストリングス&オーケストラアレンジでゆったりと節回すナンシー・シナトラのエグ味&ソフトなボーカルが実に心地好いですよ ♪♪~♪

よしっ!

今夜は映画本篇を鑑賞しようっ!

そして……、合掌。

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追悼・筒美京平:はつみかんなを聴きながら

2020-10-13 14:25:54 | 追悼

恋のタッチ・アンド・ゴー / はつみかんな (RCA)

昨日は筒美京平を訃報に接し、朝方まで故人の残したメロディを偲びつつ、あれやこれやとレコード書作を取り出しては針を落とし、あらためて「筒美京平」という天才に感服させられました。

もちろん、夥しい傑作群の中から聴けたのは極一部ですから、故人について何を書き、どのレコードを紹介しようかと迷う事は普通であり、気後れするほどの身の程知らずではないつもりですが、サイケおやじとしては本日、とりあえず掲載のシングル盤A面曲「恋のタッチ・アッド・ゴー」を謹んで「お題」とさせていただきます。

演じている「はつみかんな」とは「しばたはつみ」が公式レコードデビューした時の芸名で、発売されたのは昭和44(1969)年2月ですから、作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平という稀代のヒットメーカーが企図したのは、極言すれば黛ジュンが同時期に出していたエレキ&ソウル歌謡の路線に外なりません。

実際、イントロからファズが効いたギターと如何にものハモンドオルガンに耳を惹きつけられ、アップテンポで歌わなければならない主題には、絶対的なボーカルのパンチ力が必須という、まさにノリ優先の歌謡ポップスなんですねぇ~~!

未だ16歳の「はつみかんな」が、これを堂々の真っ向勝負で節回してしまうのは、正に脅威であり、溌剌とした発音のリズム感と中盤における演歌風のコブシの用い方には、後年「しばたはつみ」として大活躍する萌芽を確認出来るほどで、この仕上がりには制作スタッフも大満足だったんじゃ~ないでしょうか。

以下はサイケおやじの完全なる妄想ではありますが、筒美京平が提供したメロディとアレンジには、弘田三枝子を想定していたフシも感じられますから、はつみかんなの歌いっぷりの中に弘田三枝子っぽいウネリというか、共通するグルーヴを要求し、それを実現させてしまったのだとしたら、ストレートにヒット曲を量産する基本姿勢(?)として、自らのメロディを歌ってくれるボーカリストとの相性を見極める能力が、故人は抜群だったんじゃ~ないでしょうか。

だからこそ、この「恋のタッチ・アッド・ゴー」における渦巻く様なストリングスアレンジのパートも書けたのでしょうし、それに全く臆していない彼女のビート感溢れる節回しこそは、堂々の証拠物件なのかもしれません。

そのあたりを故人の諸作全般で考察する事は、当然ながら奥の細道であり、サイケおやじには能力も時間も大いに足りていませんが、どんな時に聴いても心を動かされてしまうのが筒美京平のメロディ♪♪~♪

あらためて故人の偉業には敬意と感謝を覚えるばかりです。

合掌。

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追悼:筒美京平

2020-10-12 17:06:22 | 追悼

                                                                                               

あぁ……、また、ひとり、偉大なるソングライターが天国へ旅立ちました……。

筒美京平、その名がクレジットされた楽曲の素晴らしさは、殊更昭和歌謡曲をオンタイムで楽しんでいたサイケおやじと同世代の皆様ばかりか、後追いの信者も夥しく、今では「筒美京平」という、ひとつのジャンルさえ確立されているのですから、喪失感は安易な言葉や文字では表せないほどです。

拙ブログでも、故人の作った楽曲は相当多く取り上げさせていただきましたので、皆様には検索していただければ幸いでございます。

取り急ぎ、本日は簡単な追悼文しか書けません……。

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

筒美京平、永遠なれ!

合掌。

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追悼:ルイズルイス加部&マモル・マヌー

2020-10-10 19:31:20 | 追悼

本牧ブルース / ザ・ゴールデン・カップス (東芝)

最近は有名人の訃報が相次いで、聊か気持ちが弱くなっているサイケおやじにとって、殊更先月はルイズルイス加部(b) とマモル・マヌー(ds,vo) というゴールデン・カップスのオリジナルメンバーが続けざまに天国へ召された衝撃は大き過ぎました。

追悼文が本日まで遅れてしまったのも、そ~した精神状態があって、とても冷静になれなかった所為でして……。

説明不要とは思いますが、ゴールデン・カップスの魅力は卓越した演奏力と大衆性を狙ったシングル曲をバランス良くレコード化していた事も重要だと思えば、昭和44(1969)年2月に出した本日掲載のシングル盤A面曲「本牧ブルース」は、作詞:なかにし礼&作曲:村井邦彦という、当時バリバリの歌謡曲系ソングライターからの提供でありながら、ここで聴かれるのはブラスセクションを導入し、リズムパターンも例えばブルース・プロジェクトあたりのニューロック系ブルースロックに仕立て上げているのですから、これは完全にサイケおやじの好みのツボがド真ん中♪♪~♪

アレンジは村井邦彦が担当したそうですが、おそらくはメンバーの意見や要望も相当に入っていたんじゃ~ないでしょうか?

リードボーカルやコーラスのタメがソウルっぽくもあり、微かに歌謡コーラス風の味わいが滲んでいるあたりは、ヒット狙いの表れかもしれませんし、そんな物分かりの良さ(?)をブッ飛ばしてくれるのが間奏で飛び出すニューロック丸出しのギターソロ!

こんな芸当(?)が出来るのも、ゴールデン・カップスの強みであったと思います。

それは彼等の大ヒット曲「長い髪の少女」が、GSという和製ロック特有の存在感を示した堂々の歌謡曲だった事からしても、この「本牧ブルース」に「横浜サウンド」なぁ~んていうキャプションがジャケ写に載っているところは、その真意は不明ながらも、新種の歌謡曲っていう事を知らしめたかったレコード会社の策略なんでしょうかねぇ~~。

しかし、それはそれとして、ゴールデン・カップスの「本牧ブルース」は間違いなく日本のロックの名曲にして名演であり、歌詞の中に「本牧」なんて地名は一言も無く、また音楽形式も真正「ブルース」では無いという、それでもの潔さが心地好いと思うばかりです。

ということで、ゴールデン・カップスに在籍していたメンバーでは前述したルイズルイス加部、マモル・マヌーの他にデイブ平尾、ケネス伊東という公式デビュー期の面々ばかりか、後期・再結成以降に参加したアイ高野や柳ジョージまでもが鬼籍に入ってしまった現実には、時の流れという以上の寂しさを覚えてしまいます。

生老病死・諸行無常は、この世の理とはいえ、それを受け入れるには、またまだ精進修業が足りていない自分を強く感じているのでした。

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追悼・エディ・ヴァン・ヘイレン

2020-10-08 18:25:29 | 追悼

必殺のハード・ラブ / Van Halen (Warnar Bros. / ワーナーパイオニア)

ハードロックのスタアギタリストとして我が国でも爆発的な人気を集めたエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報に接しました。

皆様ご存知のとおり、アメリカの超有名バンドだったヴァン・ヘイレンの創設者でもあり、それが既に長い闘病生活という情報の諸々は伝えられていたんですが、それにしても享年65……。

今は……、あまりにも早過ぎるとしか、言えません。

そこで本日は故人への追悼の気持ちから、サイケおやじが幸運にも接する事が出来た来日公演について、少しばかり綴ってみます。

で、まずは初来日について、それは1978年6月で、この時にサイケおやじはヴァン・ヘイレンの来日公演が開催されるなんてこたぁ~、全くのノーマークでありました。だって、ヴァン・ヘイレンが公式レコードデビューしたのは同年初頭であり、その評判が我が国で知られたのは、もちろん洋楽雑誌や洋楽系ラジオ番組だけという状況だった中で、件のデビューアルバム「炎の導火線 / Van Halen」からシングルカットされた「You Really Got Me」が、キンクスの往年の大ヒットをハードロック風味満点にカバーしてのスマッシュヒットしていたとはいえ、なんたって彼等は新人バンドでしたからねぇ~~~!?

それが、いきなり中野サンプラザですよっ!?

しかし、確かに当時、ヴァン・ヘイレンのギタリストだったエディ・ヴァン・ヘイレンのプレイは革新的な物凄さという評価は定まっていたというか、評論家の先生方が挙って絶賛していたのは確かでしたし、それが例の「ライトハンド奏法」であった事は言わずもがな、バンドとしての個性と申しましょうか、アメリカは西海岸で活動していた事から、明らかにハードロックの本場となっていたイギリス系のグループとは異なる「すっきり感」が魅力のひとつだったと、サイケおやじは今でも思っています。

ところが現実問題として、どうやらヴァン・ヘイレンの初来日巡業はチケットの売れ行きが当初は鈍かったのでしょうか、告白すれば既に述べたとおり、サイケおやじにしても、その情報は全く知らず、知り合いからチケットの購入を持ち掛けられて、そのメモリアルな行事(?)の開催予定に驚いたという次第です。

で、とにかく当日、中野サンプラザに赴いてみれば、今となっては信じられないかもしれませんが、空席が散見される様な状況で、サイケおやじの席は後ろの方だったんですが、もっとステージ近くには空いている席が幾つもあったと記憶しています。

しかし、実際に開演してからの盛り上がりは圧巻で、客席よりも舞台上でやっているバンド側の熱気が凄かったという印象が残っています。

また演目にしても、当然デビューアルバム「炎の導火線 / Van Halen」からの楽曲をメインにしつつも、リアルタイムじゃ~知らない歌や演奏も幾つかあり、それらは結果的に以降発売されるレコードに入っていたのですから、バンドとしての活動には余裕と自信があって当然だったのかもしれません。

ちなみに説明不要とは思いますが、初来日時のメンバーはデイヴィッド・リー・ロス(vo)、エディ・ヴァン・ヘイレン(g)、マイケル・アンソニー(b,vo)、アレックス・ヴァン・ヘイレン(ds,vo) という顔ぶれで、ライブの現場ではサイケおやじの予想を超えて激しく動くデイヴィッド・リー・ロス、安定したベースワークとコーラスも冴えていたマイケル・アンソニーが強く印象に残っておりまして、お目当てとも言うべきエディ・ヴァン・ヘイレンのギタープレイは確かに凄かったと思うんですが、告白すれば、期待し過ぎた所為でしょうか、案外と冷静沈着な印象もあったりして、そのあたりのバランス感覚こそが、ヴァン・ヘイレン大ブレイクの秘訣だったとしたら、所謂ノリのイイ曲が連発されたステージアクトにも納得させられるばかりでして、もちろん、その熱気こそが翌年9月に敢行された二度目の来日巡業大成功へと繋がったというわけです。

さて、そこで掲載したのは、その時に我が国独自というウリで発売された所謂「来日記念盤」で、収録されているのは両面共に1979年春に発売された2nd アルバム「伝説の爆撃機 / Van Halen II」からのカットだったんですが、驚くなかれ! A面曲「必殺のハード・ラブ / Somebody Get Me A Doctor」は前述した初来日の中野サンプラザ公演後半で既に演奏されていたんですよっ!

それを覚えていたのは、もちろんサイケおやじが件の楽曲を一発で気に入っていたからでして、当然ながらヴァン・ヘイレンの楽曲については、デビューアルバム「炎の導火線 / Van Halen」しか聴ける状況では無かったもんですから、明らかに自分好みの新曲というイメージが刷り込まれていたわけです。

なにしろ思わせぶりな前振りからハードロックがド真ん中のパワフルなギターが鳴り響き、ミディアムテンポで粘っこくもストレートなボーカルのシャウトは心地好く、決してキャッチーなメロディ構成が聴けるわけじゃ~ないんですが、トリッキーなギターソロと遊び心に満ちたボーカル、ロックする喜びさえ感じられるコーラス、そしてイケイケながらも、基本に忠実なドラムスのビートは、これが王道のハードロックってもんでしょう♪♪~♪

ところで、肝心のエディ・ヴァン・ヘイレンのギタープレイについて、あらためて述べさせていただければ、所謂「ライトハンド奏法」のキモは、右手のハンマリングと左手のトリル運指のコンビネーションが絶対を求められるわけで、つまりは卓越したタイム感がなければ、ヘタレは確実という危険技でしょう。

逆に言えば、現代では広く普及した演奏法であり、ハードロック系のプロギタリストならば苦も無く(?)やってしまう常態的なテクニックではありますが、少なくとも1970年代後半においては、その弾き方やサウンドの作り方さえも、なかなか分からない部分があったりして、その頃の専門誌では子細な解説も掲載されていたんですが、実際にやってみると、サイケおやじの場合はリズム感が悪い所為もあって、バンド内ではタイミングが合わずに顰蹙の嵐でしたねぇ~~。

このあたりをプロレスの技に例えれば、今では若手の前座試合でも使われるジャーマンスープレックスや飛び付き式の関節技みたいなもんで、なんとなくリスペクトされるところが少なくなってしまったのは寂しいかぎり……。

しかし、それでもエディ・ヴァン・ヘイレンの偉大さは不滅であり、故人のギタープレイだけに限って聴くとすれば、1981年に出た4枚目のアルバム「戒厳令 / Fair Warning」が徹頭徹尾、ハナからケツまで物凄い仕上がりだと思いますねぇ~~♪

極言すれば、ど~やって音を作っているのか、頭がこんがらがってくる様なギターの鳴りは言わずもがな、ファンキーなグルーヴまでも撒き散らすあたりは、正に時代にアクセスした名演ばかりで、サイケおやじは、これこそ名盤! 

と、断言して後悔致しません。

ということで、エディ・ヴァン・ヘイレンの追悼文にしては、明らかに中途半端な書き方しか出来ませんでした。

それは故人の偉業がサイケおやじには、あまりにも大き過ぎる事は当然として、語りつくせるものではありません。

ですから、せめて残された音源を端座して聴き直し、少しでもご紹介出来る様に精進を重ねてまいります。

合掌。

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追悼・渡哲也

2020-08-14 20:32:50 | 追悼

渡哲也が天国へ召されました……。

ここ数年、闘病中だった事は知られているところでしたが、諸行無常……。

故人の偉業については、「サイケおやじ館」の「日活ニューアクション・ヤクザ篇」「同・青春篇」をご一読いただければ、幸いでございます。

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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永遠のカール・ゴッチ

2020-07-28 20:09:03 | 追悼

くうぅぅぅぅっ!

すっかりボロとは自覚していながら、やっぱり愛車が不調だと、気がめいります (~_~;)

おそらく、コンプレッサーがイカレたんでしょうか、クーラー入れると、エンジンに負荷が大きくなって、カーオーディオの鳴りは狂うし、加速も激減だぁ~~ (>_<)

そんなこんなで、今日は朝から、イライラしっぱなしでした。

さらに……、ストロングスタイルの強豪プロレスラーとして偉大なるカール・ゴッチの命日だ…… (>_<)

なんといっても、我が国のプロレス界に大きな影響を残した功績は不滅と思います。

そりゃ~確かに、今となっては故人が伝授したという関節技や裏技は「総合」では通用しないという意見が正論の如く通用していますが、カール・ゴッチは「総合」をやっていたのではなく、あくまでも「プロレス」!

プロレスラーなんですよねぇ~~、それも半端無く強い!

直弟子としては猪木、藤波、藤原、前田、浜口、佐山、高田、さらに彼等の指導を受けたレスラーが大勢登場したからこそ、UWFやパンクラスが人気を集めた時代があり、それが現在に繋がっている事を鑑みれば、やっぱり「プロレス」は面白いし、カール・ゴッチという日本人の琴線に触れるプロレスラーの存在は大き過ぎると思うばかりです。

謹んで、衷心より、ご冥福をお祈り致します。

カール・ゴッチ、永遠なれ!

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