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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ありがとう、ミコちゃん

2020-07-27 19:25:04 | 追悼

絵空事 / 弘田三枝子 (日本コロムビア)

弘田三枝子の突然の訃報に接しました……。

正直、信じたくありません……。

しかし、諸行無常は、この世の真理……。

サイケおやじが少年時代から、素敵な歌と名唱をどっさり披露してくれたミコちゃんには、感謝するばかりです。

衷心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。

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偲ばれる笑顔

2020-07-24 19:24:30 | 追悼

親戚の通夜に列席してきました。

新型コロナ蔓延から、本来であれば欠席という選択が正解かもしれなかったんですが、故人はサイケおやじに最初のエレキギターを調達してくれた恩人ですから、ど~しても最期のお別れがしたかったのです。

しめやかな雰囲気の中、明るい笑顔が印象的な故人の遺影は、何時までも心に残るものになりそうです。

合掌。

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追悼:リトル・リチャード

2020-05-10 17:25:08 | 追悼

Lucille c/w Slippin' And Slidin' / Little Richard (artone / Specialty)

偉大なるロッカー、リトル・リチャードが天国へ召されました。

故人の業績については、とても語りつくせぬ大きさですが、サイケおやじとしては、現在の大衆音楽界において、その全てに影響が及んでいるはずと思うばかりです。

例えばエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ジェームス・ブラウン、オーティス・レディングは言うに及ばず、ジミ・ヘンドリックスにしても駆け出し時代はリトル・リチャードのバックバンドに雇われていましたし、マイケル・ジャクソンだって強い影響を受けている事等々は、あらためて述べるまでもないはずです。

とは言え、サイケおやじが故人を知ったのは、やはり鈴木ヤスシの「Jenny, Jenny / ジェニ・ジェニ」やビートルズの「Long Tall Sally / のっぽのサリー」あたりからでして、とにかく威勢の良いロケンロールの源流だったのがリトル・リチャードであったという事実、そしてほとんどの演目が本人の自作であったという真相に辿り着いてみれば、長く音楽を聴いていく中においては感服する他はありませんでした。

今となっては、そのド迫力のライブギグに接する事が出来なかったのが大いに残念……。

なにしろ残されている映像からだけでも、激しいシャウトにブッ叩くが如きピアノ演奏、さらに1960年代末頃からのギンギラメイクやキッチュなファッションを見るにつけ、全盛期のエルトン・ジョンやグラムロックの連中までもが影響されていたと確信させられましたですねぇ~~。

冒頭に述べた、「大衆音楽全てに影響」云々は、そこにあると思うんですが、いかがなものでしょう。

さて、そこで本日掲載したのはオランダで発売されたシングル盤で、収録両面2曲共が良く知られたリトル・リチャードの代表作ですから、稚拙な筆を弄するまでもありませんが、サイケおやじが、それでもこのブツをゲットしたのは、裏ジャケに掲載されているリトル・リチャードとビートルズの記念撮影ショットに尽きます。

故人は生前のある時期、自分が作り出した楽曲が人気バンドや歌手によって取り上げられながら、なかなか自分にスポットが当たらない事を嘆いていたと云われていますが、ど~です、この写真でのリトル・リチャードのご満悦とビートルズの面々の嬉々とした表情はっ!

これこそ、20世紀の素晴らしい瞬間ですよねぇ~~~♪

ということで、リトル・リチャードの残したオリジナルヒット曲は、そのほとんどが普通に聴ける反面、1960年代にゴスペルロック系の歌をやっていた音源やオールディズリバイバル期のレコーディングが聊か軽んじられているのは勿体ないところです。

確か、そんなこんなの権利関係はマイケル・ジャクソンが買い集めたという噂(?)も耳にした事がありますので、ど~か……、故人の供養の為にも、集大成を願っております。

合掌。

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追悼:岡江久美子

2020-04-23 17:16:23 | 追悼

女優、そしてマルチタレントとしても活躍中の岡江久美子の突然の悲報!

それも現在、世界を脅かしている新型コロナウイルスによる肺炎とあっては、絶句するしかありません……。

報道によれば、今月3日から微熱があり、自宅療養していたところが6日に容体が急変し、以降は集中治療室にて病魔と闘っていたというのですが、それにしても享年 63……。

どうやら乳癌で放射線治療をされていた最中ということで、免疫力の低下もあったらしいという推測もあるようです。

あぁ……、サイケおやじは彼女のファンの端くれではありますが、ここに謹んで故人への哀悼の意を綴っている次第です。

岡江久美子が最初にブレイクしたのは、テレビドラマ「お美津(TBS)」のヒロインとして、昭和50(1975)年にデビューした時かと思いますが、それ以降は若妻・良妻のイメージが演技の十八番となり、特に当時は全盛期であった所謂「2時間サスペンス」物には欠かせない存在でありました。

そして同時に強い印象を残したのが、クイズバラエティ「連想ゲーム(NHK)」における頭の回転の速さと心配りの素晴らしさで、持ち前のクールな美貌とハートウォームな振る舞いが大きな人気の要因であったはずです。

また、私生活では昭和58(1983)年に俳優の大和田漠と結婚され、今度は人妻・熟女のお色気が全開ながら、その程好い生臭みが逆に幅広いファンを摑んでいた様で、近年ではバラエティ番組のMCとしても活躍していた事は記憶に新しいところでしょう。

しかし、それにしても忘れられないのは、昭和57(1982)年に発売された本日ご紹介の「岡江久美子写真集(スコラ社)」です。

それは嬉しくも、強烈なセクシーショットが満載の所謂着エロ物であり、この表紙のイメージから導かれるフェロモンが噴出しまくった全篇は、実用性満点 ♪♪~♪

残念ながら、諸事情から中身のカットは掲載致しませんが、既に述べたとおり、翌年には結婚された事を思えば、ますますのエロ度数は高まるばかりですよ ♪♪~♪

また、こ~ゆ~イメージの演技を堪能したいと思えば、昭和60(1985)年にテレビ朝日「土曜ワイド劇場」で放送された天地茂主演による明智小五郎の美女シリーズ最終作「黒真珠の美女」を、ぜひともお楽しみくださいませ。

ちなみに説明不要かとは思いますが、ここで明智小五郎を演じた天知茂は、昭和60(1985)年7月27日、クモ膜下出血のため急逝しています。享年 54……。こうして「美女シリーズ」には、一応のピリオドが打たれたのですが、現在シリーズ全作がDVD化されているのは、とてもありがたいところです。

ということで、あれやこれやと失礼な事も書いてしまいましたが、衷心よりお悔やみ申し上げます。

うむ、今夜は件の「黒真珠の美女」を鑑賞しようかなぁ……。

合掌。

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追悼:志村けん

2020-03-30 20:01:21 | 追悼

ヒゲのテーマ / たかしまあきひこ&エレクトリック・シェーバーズ (SMS)

志村けんの訃報に接しました。

それもっ!

現在流行の新型コロナウイルスによる肺炎というのですから、絶句です。

故人の功績については、あらためて述べるまでもありませんが、シニカルでありながら、分かり易いギャグに徹した、その笑いの本質を我々に提供し続けてくれた事は、決して忘れられるものではなく、本日突然の悲報にも、所謂「使い果たした」感が無きにしもあらず……。

それほどの燃焼エネルギーには、志村けんという稀代のコメディアンが我々に与えてくれた和みや安らぎが凝縮されていたはずで、矢鱈に自分達だけが笑っている今の芸人連中とは向き合う視点が違っていたと思うばかりです。

しかし、そんな志村けんの弱点のひとつとして、楽器が出来なかったという現実があり、もちろんドリフターズという音楽グループに下積みとして入った頃から、様々に練習は積んでいた事は周知の事実ながら、表向きはギター担当とされながらも、プロのレベルでは無かったと云われています。

ところが、音楽そのものは大好きだった事も知られるほどのマニア性があり、殊更黒人音楽好きという本性を如実に表したのが、ドリフターズの看板番組「全員集合」の中で昭和54(1979)年頃から演じられた加藤茶と共に繰り広げる曲芸コント「ヒゲダンス」の大ウケでありました。

なにしろそこで使った演奏はグルーヴィでファンキーなベースとシャープなギターカッティングが実にキャッチーなインストで、その場の観客も、またテレビの前の我々も、思わず腰が浮くほどカッコイィ~~んですよねぇ~~♪ そして元ネタがテディ・ペンターグラスの1979年のアルバム「テディ」に収録されていた「Do Me」のベースラインであった事から、志村けんがソウルミュージック大好き人間であるという真相が明かされたのですから、コント芸の素晴らしさ共々に「笑わせる&楽しませる」という、そのコメディアンとしての基本的天才は流石の一言でありました。

本日掲載したのは、その大人気故に発売されたシングル盤で、収録A面の「ヒゲのテーマ」は実際のコントの場面で使われていた音源と同じトラックではないかもしれませんが、しかし違和感は無い仕上がりになっているもんですから、当時の宴会芸にも、このレコードの活躍の場は多かったはずで、告白すれば掲載の私有盤も、サイケおやじがその頃、そんな目的でゲットしたものです。

ということで、故・志村けんについては、書きたい事柄が多すぎて、しかし自分の気持ちが纏まらないほどに悲しい思いが心の中に広がっているのは、我ながら不思議なほどです。

個人的には、「変なおじさん」のコントが一番好きですが、それだって「ハイサイおじさん」を使っていたあたりは、流石と思う他はありません。

思えば、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなられた方で実名を公表したのは、日本では志村けんが最初でしょうか?

だとすれば、これからは、もっともっと、この伝染病の怖さを我々は自覚し、感染が拡大しないように努力を重ねていくことが、故・志村けんから与えられたメッセージじゃ~ないかと思います。

ありがとう、志村けん!

サイケおやじは、笑いと安らぎを忘れません。

合掌。

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追悼・グレン・フライ

2016-01-20 19:44:18 | 追悼

New Kid In Town / Eagles (Asylum / ワーナーパイオニア)

イーグルスの創設者にして、ウエストコーストロックの全盛期を導いたひとりでもあるグレン・フライの訃報に接しました。

皆様ご存じのとおり、グレン・フライはイーグルスにおいて数々の名曲を作り、またリードを歌ったヒット曲も多いので、そのまんま、リーダー的な存在と目されていたわけですが、個人的には同バンドの歴史を鑑みても、一番に地味な存在という印象です。

もちろん、と書いてしまったのも、失礼ながらギタリストとしてはバーニー・レドン、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュという歴代名手の後塵を拝し、またボーカリストとしてもドン・ヘンリーという哀愁のソウルシンガー、あるいはハイトーンボイスにコーラスも上手いランディ・マイズナーがあまりにも強い存在感を発揮してしまえば……。

しかし、それでもグレン・フライは「イーグルスの」という冠が一番に相応しいメンバーであり、それはイーグルス解散後にヒットレコードを作った時でさえ、失せる事はなかったと思います。

つまりグレン・フライが参加しなければ、解散後のイーグルスが再結成した時も意味が無かったはずであり、逆に言えばグレン・フライが仲間のレコーディングセッションに参加しただけで、仕上がったレコードにはイーグル風味を我々は期待してしまうという現実が確かにあったんじゃ~ないでしょうか。

また、グレン・フライの音楽性やキャリアを紐解けば、駆出し時代はアメリカ中西部あたりで骨太ロックをやっていたらしく、ロスに移ってからはフォークロックやカントリーロックに傾倒したレコードを出しながら、結果的には鳴かず飛ばずだったんですが、その流れの中でボブ・シーガーJ.D.サウザージャクソン・ブラウン、そしてリンダ・ロンシュタットのマネージャーだったジョン・ボイラン等々の名士(?)と知り合い、共に明日に向かって友情と音楽的交流を深めていったのは、汎用性の高い故人の曲作り、殊更R&Bやソウルミュージックの白人的解釈やAORど真ん中の雰囲気でありながら、不思議と懐古趣味に彩られた楽曲の味わい等々に反映されていたと思います。

で、そんなこんなの印象から、サイケおやじとしてはイーグルスが1976年に出した驚異のメガヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」から先行シングルとしてカットされた「New Kid In Town」を故人を偲ぶ1曲と致します。

いゃ~、もう、とにかく最初に聴いた瞬間から、この穏やかにしてせつない曲調の魅力は、まさにソングライター&ボーカリストとしてのグレン・フライならではの世界ですよねぇ~~♪

しかも楽曲を印象づけているエレピが、バンド内では堂々とキーボードを演奏する事になっているグレン・フライじゃ~なく、なんとっ! 剛腕ギタリストのジョー・ウォルシュが弾いていたという現実が、如何にも「らしい」真相というのも、味わい深いところでしょう。

ということで、グレン・フライについては、もっともっと書きたい気持ちがあるんですが、とりあえず本日はここまでとさせていただきとうございます。

ただ、願わくば前述したイーグルス以前のキャリアの中で、J.D.サウザーと共にロングブランチ / ペニーウィッスルと名乗ったデュオ名義のLPを完全公式盤として復刻して欲しいものです。

なにしろこれが和みのフォークロックが満載なんですよっ! 決して「ぬるま湯」とか云って欲しくはないほどの穏やかさは、たまらない魅力ですから!

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

 

コメント (2)
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