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サイケおやじの生活と音楽

追悼・彩木雅夫 ~ 恋あざみを聴きながら

2022-09-28 17:02:35 | 追悼

恋あざみ / 勝彩也 (ユニオン / テイチク)

昭和歌謡界、殊更ムード歌謡や盛り場演歌の名曲を数多く書いた作曲家の彩木雅夫が天国へ召されました……。

故人が発表したヒット曲の数々は、意識せずとも日本で生活している我々にとっては耳に馴染んだメロディばかりで、あえて代表曲を幾つか列記すれば、「花と蝶 / 森進一」「年上の女 / 森進一」「なみだの操 / 殿様キングス」「さいはての女 / 藤圭子」「長崎は今日も雨だった / 内山田洋とクール・ファイブ」等々、数えきれないわけですが、サイケおやじとしては中でも特に好きなのが、昭和45(1970)年に勝彩也がヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「恋あざみ」です。

もちろん、これは現在でもカラオケの定番曲として人気がありますし、八代亜紀が公式デビュー前のクラブシンガー時代から十八番にしているほどですから、様々な歌手によるカバーバージョンも相当に残されているんですが、やはり本家・勝彩也のハスキーボイスを活かしきったオリジナルバージョンの存在感はピカイチ ♪♪~♪

それは運命に抗えない女の哀しみを綴った泉淳三の歌詞に附された彩木雅夫のセンチメンタルな演歌節の深層を、じっくりとした歌心で表現する勝彩也だけの歌謡世界であり、森進一とは似て非なる声質や節回し、また独特のタメとモタレは、当時の歌謡界においては、時として「異質」とされていたらしいんですが、決してキワモノではなく、絶対的な王道のひとつでありましょう。

で無ければ既に述べたとおり、カラオケの人気定番になるはずもなく、またカバーバージョンが吹き込まれる事も無かろうと思うわけでして、あらためて勝彩也のオリジナルバージョンを聴いてみれば、ミディアムテンポで弾んだ調子のリズムアレンジにテナーサックスやギターの使い方も、これまた盛り場演歌の王道をきっちりと守り抜いた森岡賢一郎の編曲は、流石!

ちなみに勝彩也は彩木雅夫の愛弟子であり、活躍が期待されながら、健康を害して引退されたのは、歌謡界にとっての大損失……。

現在は、ヨガや整体の仕事とカラオケ教室を運営されている諸々の状況がテレビの「あの人は今」系の番組で報じられていましたが、もっと歌って欲しかったという思いは尽きません……。

また、当然ながら「彩木雅夫傑作集」みたいな追悼復刻盤の編集も強く望まれるところなんですが、サイケおやじが所有しているレコードを幾つかに針を落としてみれば、あらためて故人が書いたメロディラインは下世話でありながら、決して下卑ておらず、むしろ哀切の黄金律とも云うべき胸キュン感に満ちているなぁ~~~♪

だからこそ、せつなくも、やるせない歌詞にはジャストミートするんでしょうねぇ~~♪

そして、そこには一抹の希望の光が見えたりするんですが、いかがなものでしょう。

ということで、またしても偉大なる昭和のソングライターが、この世を去ってしまいました……。

確かに、その時代に比べれば、「歌謡曲」は下火なジャンルではありますが、決して消え去っていないどころか、ジワジワと燃え盛りつつある現在の状況を鑑みれば、泉淳三&彩木雅夫が畢生の傑作「恋あざみ」は歌い継がれていくものと確信しております。

うむ、今夜は亜紀姐さんのカバーバージョンを聴こうかなぁ~~。

合掌。

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さよならオリビア、また会おう

2022-08-09 15:17:37 | 追悼

Xanadu / Olivia Newton-John & Electric Light Orchestra (Jet / MCA)

オリビア・ニュートン・ジョンの訃報に接しました。

過言ではなく、1970年代初頭から1980年代前半まで、洋楽の女性シンガーとしての故人はカーペンターズのカレンと双璧の人気があったと思いますし、正統派ポピュラーソングからフォークロックやカントリーロック、さらにはニューソウルやディスコサウンド等々、幅広いジャンルを表現出来た実力派歌手としての活動の他にミュージカルスタアとしての活躍は当時制作されていた、例えば1978年にジョン・トラポルタと共演した大ヒット映画「グリース」や評論家の先生方から酷評されながら、実は洋楽ファンなら大好きなはずの「ザナドゥ(1980年)」等々は、忘れられるものではありません。

ですから、追悼の思いを込めてのご紹介では、どのレコードを取り出そうか迷ったんですが、やはりサイケおやじとして前述したミュージカル映画からメガヒットした「Xanadu」に早朝から針を落としてしまいました。

それは、この楽曲がエレクトリック・ライト・オーケストラ=ELOと共演したド派手な胸キュンポップスである事に尽きるわけでして、もちろん作詞作曲とプロデュースはジェフ・リンですから、手抜かりなんかは心配ご無用 (^^♪

如何にものシンセサウンドとディスコビートにビートルズ由来の曲メロとコーラスが混然一体となった桃源郷で歌うオリビア・ニュートン・ジョンの清々しい躍動感は唯一無二であり、ちょい聞きには大袈裟とも思えるストリングスや曲構成を嫌味無く楽しめてしまうのは、やはり故人の歌心だと思うばかり!

世界中で大ヒットしたのは当然が必然でありましょうが、もちろん、オリビア・ニュートン・ジョンと云えば、1974年の「愛の告白 / I Honestly Love You」、1975年の「そよ風の誘惑 / Have You Never Been Mellow 」等々のMOR系ポップスの大ヒットもありますから、あまりにも躍動的な「Xanadu」は邪道という誹りも確かにありました。

しかし、続けて発売した「Physical」はスティーブ・ルカサーのギターソロが大爆発した産業ロックな傑作として、これまた世界中で大ヒットしたのですから、故人の進んだ道筋は決して間違ってはいなかったわけで、やはり天から授かった美貌と歌唱力を無駄にしなかったのは故人の遺徳と、サイケおやじは心から感謝です。

と、同時に、やっぱりサイケおやじは初期のヒット曲「If Not For You」や「Let Me Be There」あたりのカントリーロックを歌ってくれるキュートなオリビア・ニュートン・ジョンも愛おしくて、大好きです (^^)

あぁ……、彼女の笑顔が永遠に……。

合掌。

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追悼・島田陽子

2022-07-26 17:06:53 | 追悼

愛のナレーション / 島田陽子 (日本ビクター)

女優・島田陽子の訃報に接しました。

とにかく波乱万丈と申しましょうか、清純派スタアとして人気を集めた彼女が、何時しか不倫騒動や略奪結婚云々、そして様々な金銭トラブルの渦中にあった事は言わずもがな、だからこそ、ほとんどAVというイメージビデオに出演したり、ヘアヌード写真集を出したりする度に世間を騒がせていたのは、スタアの証明というには、せつなさが優先してしまうのがサイケおやじの偽りの無い心情です……。

しかし、それでも彼女が演じていた銀幕やテレビブラウン管の中におけるヒロイン像は決して忘れられないのも、また事実でありましょう。

そこにあるのは美しも儚い、何かしら諸行無常を感じさせる演技であり、しなやかでスレンダーな肢体の魅力は、脱いでいなくても伝わる彼女の大きな武器だったと思えば、例えば「犬神家の一族(市川崑監督・角川 / 東宝)」で犯されそうになるシーン、あるいは女子プロレス映画の問題作「リング・リング・リング(工藤栄一監督・東映)における哀愁のベビーフェイス等々、妙に倒錯的な演技にも納得というところでしょうか (^^;

ですから、前述の金銭トラブルに関連して、SM作家の大御所・団鬼六からの借金が返済出来ず……、という報道があった時には、これは絶対、巨匠原作のSM映画に出演するはずっ!

と、確信していたのがサイケおやじの本性だったんですが、現実的には、やはり無理だったというのが、せつないわけですよ (^^;

しかし、そんなこんなよりも、やはり故人の出発点である、ちょいと陰りの滲む「清純派」としてのイメージは絶大じゃ~ないでしょうか?

本日掲載したのは、そ~した島田陽子の魅力を活かした企画優先的なシングル盤で、なにしろ収録A面曲「愛のナレーション」は、そのものズバリっ!

作詞作曲:高嶺修二とクレジットされていますが、実際は上野登代志が設定した台詞をミディアムスローな演奏パートをバックに独演で読み上げる演技をメインにした構成であり、肝心の「歌」のパートは終盤の1コーラスだけという肩透かし……。

ところが、これはクニ河内の秀逸なアレンジが功を奏したのでしょう、だからこその成功作だと思うんですが、いかがなものでしょう。

如何にも「芝居でございます」調の台詞のパートが、イイ味じゃ~ないですかねぇ~~ (^^)

ということで、故人に関しては、まだまだ書き尽くせないものが多々ありますが、どうか冥府においては、安らかに。

合掌。

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追悼・安倍晋三

2022-07-09 17:48:18 | 追悼

元総理・安倍晋三の突然の悲報は、本当に残念です。

もちろん、故人とは直接的な面識は、あろうはずもないんですが、サイケおやじの知る限りにおいて、政治家としての信念・信条は、揺るぎのないものに思えました。

特に素晴らしいと思ったのは、自民党に後足で砂をかけるが如き姿勢・態度で去っていった者を再び迎え入れるという、その「許す」という行動です。

それは、なかなかのハードボイルドであり、周囲からは理解出来ないものがあって当然の行いですから、リーダーとしては、ひとつの失格行為であるはずが、それをすんなりとやってしまうあたりは、所謂ぼっちゃん育ちの功罪かもしれませんし、逆に言えば、安倍晋三という政治家の真骨頂だった様な気がしていました。

正直、サイケおやじは故人の保守的な部分の全てを肯定していたわけではありませんが、「許す」という行動を堂々とやってのけていたところは尊敬に値すると思っていました。

ですから、批判や中傷、言いがかりや嫌がらせ等々に、時として居直りがミエミエだったとしても、それが人間的な魅力と申しましょうか、自然体で弱さと強さを一緒に見せていくあたりの資質みたいなものは、ちょっぴり新しい政治家像だった気がするほどでした。

今回の惨劇を自業自得と揶揄・攻撃したり、また結果論から導き出した警備体制云々を批判するのは、それこそ言論の自由でしょう。

ただ…、国民は見るべきところは、きっちり見ているんじゃ~ないでしょうか。

繰り返しになりますが、あ~見えて、とてもハードボイルドに生きた安倍晋三という政治家、そして人間をサイケおやじは忘れません。

合掌。

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追悼:葛城ユキ

2022-06-29 17:56:00 | 追悼

木曾は山の中 / 葛城ゆき (RCA)

葛城ユキが彼岸へ旅立ちました。

故人が語られる場合、殊更昭和58(1983)年に出したメガヒット「ボヘミアン」が常に引き合いに出されるわけですが、皆様ご存じのとおり、これは大友裕子に提供されていたオリジナル曲のカバーバージョンであり、翌年には麻倉未稀と競作となった、これまたボニー・タイラーのカバー曲「ヒーロー / Holding Out For Hero」を出す等々、歌謡ロッカーという印象が強く焼き付けられておりますが、しかし、彼女のスタート地点は正統派歌謡曲であり、まず昭和44(1969)年に「田中小夜子」として「夜をかえして」をA面に入れたシングル盤を出し、翌年には「朝霧まち」に改名して、おそらくは2~3枚のシングル盤を吹き込んでいるんですが、何れもヒットしたとは言い難い状況でした。

しかし、この時期の彼女のレコードは好事家には人気が高く、特にジャケ買い趣味を探求する、サイケおやじを含む同好諸氏にとっては所謂「美脚」物として、その蒐集熱は衰える事が無いようです (^^;

ただし、故人は決して、それだけじゃ~なくて、歌謡魂は絶対の本物!

ですから、昭和48(1973)年にヤマハのポプコンに出場した事を契機に再び改名し、「葛城ゆき」となって出したのが本日掲載のシングル盤であり、作詞作曲:松田篝&編曲:福井崚による収録A面曲「木曾は山の中」は当時、ラジオの深夜放送をメインにオンエアされる事が多かった記憶があったもんですから、個人的には、ここで初めて「葛城ゆき=葛城ユキ」を意識したわけです。

ただし、これは曲タイトルやジャケットスリーブからも一目瞭然、ミディアムスローでアンプラグドな歌謡フォークであり、彼女の声質や節回しにしても、八代亜紀や梶芽衣子からの影響を感じてしまうわけですが、だからこそ、繰り返しますが彼女の歌謡魂、そして歌心のリアルな質感が染み込んで来るんですねぇ~~ (^^♪

う~ん、中盤から薄く被さってくるストリングスとの相性もイイ感じ♪♪~♪

あぁ……、彼女の悲報に接し、昨夜は久々に針を落としましたが、聴くほどに泣けてしまいますねぇ……。

ちなみに、ここでの彼女の歌声は後年多くのリスナーを虜にしたハスキーなロックボイスでは無く、それゆえに昭和55(1980)年に初めての大ヒットとなった「哀しみのオーシャン」をエグイ野生声で歌っていた「葛城ユキ」が、「葛城ゆき」と同一人物であった衝撃は、かなり大きかったですよ (^^ゞ

ちなみに、この「哀しみのオーシャン」もボニー・タイラーの「Sitting on the Edge of the Ocean」を日本語カバーしたものですから、所謂カバーの女王みたいな祀り上げ方も局地的にはあったんですが、そんな時、サイケおやじは、こっちの「木曽は山の中」を聴いていただきたいっ!

それを強く願っていたものです (^^;

ということで、彼女の訃報によって、葛城ユキ=ボヘミアン!

なぁ~んていう公式が膾炙されるのは、それはそれで認められるものではありますが、サイケおやじとしては、もっともっと、他に聴かれるべき音源は多数あると思っておりますし、これは決して自分だけの独り善がりでなく、同じ気持ちを強くしているファンは夥しいはずです。

本物の歌謡魂を聴かせてくれた葛城ユキ! 永遠なれっ!

合掌。

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追悼・桑原幸子

2022-04-29 17:00:01 | 追悼

東映で活躍された女優・桑原幸子の訃報に接しました……。

それは片山由美子様がツイートされたネットからの情報で、実は今日は、おやじバンドの練習だったんですが、その休憩時間中に知り得た悲報に、心が乱れ、バンドメンバーに迷惑を……。

説明不要かもしれませんが、故人は児童劇団から東映の新進女優として、キュートな魅力を発散させ、様々な作品に出演されていましたが、やはり代表作はテレビアクションドラマ「プレイガール」における「ユッコ」役でありましょう。

サイケおやじにしても、番組スタート時点からレギュラー出演していた故人の魅力にはグッと惹きつけられるところが多く、劇中ではボーイッシュなキャラでの活躍から、それほど派手なパンツ見せとかは無かったんですが、それでもセミヌードや水着姿、そして入浴やシャワーシーンでは、きっちり大サービス (^^♪

というプロの演技は流石の人気女優でありました。

そして私生活では作家の西木正明と結婚後、家業の製造業で経営者としての立場ながら、時折にテレビやラジオ、そしてビデオ作品等々にも出演されておりましたし、最近では片山由美子様のポコチャ配信にも音声だけの登場があったそうで、それが今月の 21 日に冥府への旅立ちとは、無常観を感じるばかりでございます……。

そして故人の諸々の活躍・活動については何れ、あらためて書き記したいと思います。

あぁ……、今夜は「プレイガール」を端座鑑賞し、故人を追悼、ご冥福を祈念するつもりです。

どうか安らかに……。

合掌。

 

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追悼:宝田明

2022-03-18 16:23:56 | 追悼

名優・宝田明の突然の悲報……。

高齢とはいえ、最近まで元気な姿を我々に見せていただけに、驚きと悲しみは言葉にならないほどです。

故人の業績については、正統派の二枚目俳優というだけでなく、歌手やミュージカルスタアとしての活動、さらにはトークショウにおける穏やかにして熱の入った語り口のハートウォームな雰囲気の良さは、華やかなスタア街道に入る前の幼少期、その戦中戦後の混乱した時代を過ごした悲痛な体験があってこそかもしれません。

そのあたりは故人が平成30(2018)年に出版した本日掲載の著作「銀幕に愛をこめて(筑摩書房)」に詳しいわけですが、サイケおやじが殊更に胸に染みたのが、少年期を過ごした満州国(現・中国東北部)における日本の敗戦から新潟県へ親戚を頼って引き上げる前後の経緯で、そこには侵攻して来たソ連軍兵士の乱暴狼藉から自らも銃撃されての大怪我、実兄との生き別れ、そして帰国後に再会した諸々……。

正しく、これが戦争という愚行の悲劇の一端であり、サイケおやじは以前に宝田明が登場したトークショウに参加した時、最初は東宝映画関連の逸話を期待していたんですが、実際には前述した悲惨な体験を静かな熱気と共に語られ、感動とも、動揺とも、あるいは…、せつなさの極みを覚えたましたですねぇ……。

中でも、前述した実兄との生き別れ~雪の降る北国の街での再会、そして再びの別れという現実の非情さは、それを実体験した故人が俳優として演じるものではない、真実の出来事だからこその静かな迫力があり、どんな映画のワンシーンよりも胸に残るものがありました。

また、故人を語り継ぐ場合に必ずや引き合いに出されるのが初主演作にして、永遠の名作「ゴジラ」だと思いますから、もしも関連してのドキュメント的映画が作られるとしたら、宝田明の戦争に対する悲痛な思いが実兄との別れや再会の場面を映像化する事により、尚更に強い印象となるのは必至でありましょう。

というよりも、「宝田明物語」を制作すれば、「戦争」や「ゴジラ」を包括した悲しみと希望が混然一体となった作品になるんじゃ~ないでしょうか。

相変わらず「金の亡者」に先導された無益な殺し合いをやっている現在の地球上から離れ、彼岸から愚行を見なければならない故人の胸中は、如何許りか……。

サイケおやじは、そんなこんなを再び考えさせられております。

宝田明、永遠なれっ!

合掌。

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生涯スタアだった西郷輝彦

2022-02-22 18:22:34 | 追悼

西銀座五番街 / 西郷輝彦 (クラウン)

西郷輝彦の訃報には正直、驚かされました……。

実は最近、あまり表舞台に出る事は少なくなっていたとはいえ、ネットで自らのチャンネルを開設し、闘病状況を語っていた姿は元気でしたし、昨年某所で見かけた西郷輝彦には、やっぱりスタアの輝きがありましたからねぇ……。

もちろん、癌という病は転移進行が激しいので……、という現実があるにせよ、現代人としては、少しばかり早い旅立ちだったという思いが強いです。

また、故人の芸歴や業績については、あらためて述べるまでもなく、青春スタアとしてのデビュー期から歌手と俳優の二足の草鞋での活躍に加えて、様々な名義・ペンネームを使い分けての創作活動も相当にあったそうで、それらは今後、きっちり整理され、纏められるべきでありましょう。

そして歌手としての活動においては、とにかく残された音源の集成と再評価は絶対に必要なところで、何故ならば、今となっては故人の印象がテレビドラマや映画演劇でのヒット作を中心に語られる事が多く、それは確かに正解ではありますが、聊か一方通行の感を免れないんじゃ~ないでしょうか。

告白すれば、サイケおやじは男性ボーカリストとしての西郷輝彦は決して侮れないと思ってから幾年月、それなりに昔っからテレビの歌番組への出演も楽しみにしておりましたし、レコードも中古ながら、ちまちまと集めており、本日掲載のシングル盤A面曲「西銀座五番街」は、かなり好きなんですよ♪♪~♪

発売されたのは昭和41(1966)年1月、ということは我が国ではエレキ~エレキ歌謡のブームが思いきっり盛り上がっていた時期でしたから、米山正夫が作詞作曲した狙いはスバリッ!

青春ビート歌謡であり、そこに附された重松岩雄のアレンジはエレキ重視のジャズロック調なんですから、真っ向勝負で歌いまくる西郷輝彦の快唱は「お約束」以上であり、高度成長を背景にしたアップテンポのグルーヴは、これが昭和の真骨頂でありましょう♪♪~♪

そ~ですよ、西郷輝彦の魅力って、常に真正面からやっていくところだと思えば、ルックスだって「正義を遂行する面構え」ですからねぇ~~。

俳優として時代劇中心に正義の味方やハードボイルドな役柄を演じても、また戦記映画で悲壮な演技を見せても、そこに説得力があるのは当然ですし、歌の世界だつて、決してネクラな楽曲は似合わないスタアでありました。

それゆえにと言えば語弊はございましょうが、昭和40年代末頃からはヒット曲が出せなくなったのとは裏腹に、テレビドラマや映画演劇での大活躍は必然の結果というところでしょうか。

だからこそ、サイケおやじとしは、あらためて「歌手としての西郷輝彦」に接していきたいと思っておりますし、それを故人への供養にしたい気持ちであります。

合掌。

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追悼:ドン・ウィルソン

2022-01-24 19:29:14 | 追悼

Feel So Fine / Don Wilson (Liberty / 東芝)

偉大なるベンチャーズの創始者であるギタリストのドン・ウィルソンが天国へ召されました……。

もちろん、故人は高齢ですし、既に現役からは退いていましたので正直、何時かは……、という思いはありましたが、やはり……、それが現実になってしまうと、悲しみや喪失感に圧し潰されそうです……。

故人の業績については、とてもとても語り尽くせるものではありませんが、やはりドン・ウィルソンと云えば、「テケテケ」でありましょう。

良く知られているとおり、件の「テケテケ」は決してドン・ウィルソンのオリジナルな必殺技(?)ではありませんが、もしもベンチャーズで、あの「テケテケ」を故人が弾かなかったとしたら、昭和40年代からの我が国に絶大な影響を及ぼしたエレキブームは到来せず、エレキインストが流行っていたとしても、それは一過性の洋楽ヒットで終わっていたという推察は易いじゃ~ないでしょうか?

極言すれば、日本の大衆音楽事情・歴史は間違いなく別なものになっていたと、サイケおやじは強く思っています。

また、ベンチャーズでのギタリストとしての役割はサイド&リズムを一貫して弾いていた、所謂「縁の下の力持ち」であり、しかし故人がそれをやり続けていたからこそ、リードギターが誰に替わろうとも、所謂「ベンチャーズサウンド」は不変だった事は言わずもがな、古来から黒人音楽の優れたバンドには、カウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーンやジェームス・ブラウンのバンドに去来した幾多のギタリストの誰もが、天才的なリズムギターを弾いていた事実に鑑み、黒人音楽から派生したロケンロールのバンドにも、優れたリズムギターを聞かせた名人は数多登場し、ストーンズのブライアン・ジョーンズやビートルズのジョン・レノン等々は殊更有名なわけですが、それも当時はライブステージの現場に高出力のPA装置なんてものが無かったところから、エレキであっても、リズムギターの存在こそが、エレクトリックなバンドを成立させる必須の条件だったんですねぇ~~。

だからこそ、ドン・ウィルソンは強い印象を残すリズムギターを存分に披露し、我々をエレキバンドの虜にしてしまったわけです。

で、その中でもサイケおやじが名演と思うのは、4&8ビートが混在する「Caravan」のリズムギター、また「Wipe Out」でのツイン&トリプルリードからリズムプレイに移行するロケンロールがド真ん中のピッキング等々、スタジオレコーディングだろうが、ライブ音源だろうが、とにかく熱いビートをかき鳴らしてくれた故人に感謝!

さて、そこで本日掲載したのは、故人がボーカリストとしても楽しいレコードを作っていたという証拠物件で、我が国では、1965年10月に発売され、ここに収録A面の「Feel So Fine」は忽ちラジオからも流れまくったコミックソング調のヒット曲でして、演奏パートは当時のベンチャーズとされていますが、キメのリフはベンチャーズも「nutty」の曲タイトルで演じている「くるみ割り人形」のロック的変奏からの流用であり、加えてスタジオでのSE効果やテープ操作等々をがっちり使ったアップテンポの仕上がりは、如何にもハリウッドポップスでありましょうか (^^)

もちろん、これはベンチャーズとしてのライブステージでも故人が歌ってウケまくりでしたので、途中の早弾きリードギターとか、リズム的お遊びも含めて、これも堂々のベンチャーズスタイルだと思います (^^♪

そ~ですよ、ドン・ウィルソンはエンタメ感覚にも秀でていた素晴らしいミュージシャンであり、他にもボーカル主体のレコーディングを多数残しておりましたですねぇ~~♪

ということで、実は「ムシの知らせ」と申しましょうか、掲載の私有盤は先日、借りているトランクルームから自宅へ持ち帰り、PCに仕込んでいたという因縁(?)が……!?

あぁ……、ミスター・テケテケ、永遠なれっ!

衷心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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追悼・鈴木淳:なみだ恋に涙する…

2021-12-14 18:09:21 | 追悼

なみだ恋 / 八代亜紀 (テイチク)

我が国の歌謡界に大きな足跡を残した作曲家・鈴木淳の訃報に接しました。

故人の作った名曲の数々は、それこそエバーグリーンな歌謡曲として、今も聴き継がれ、また歌い継がれていくに違いありませんが、サイケおやじが故人の天才に感服させられるのは、歌詞にジャストミートのメロディを書けるところであり、また同時に、それをオリジナルバージョンとして歌うボーカリストの個性や良い部分を引き出せるプロデューサー的な働きです。

それは例えば伊東ゆかりの「小指の想い出」、小川知子の「初恋のひと」、黒木憲の「霧にむせぶ夜」、ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」「朝がくるまえに」「四つのお願い」等々、数えきれませんが、何れも演じた歌手がトップスタアに成長したのも、鈴木淳の手腕があればこそっ!

ですから、ど~しても外せないのが、昭和48(1973)年2月に発売されるや、忽ち大ヒットして、八代亜紀を今に至る大スタアに押し上げた本日掲載のシングル盤A面曲「なみだ恋」でありましょう。

もちろん、楽曲そのものについては皆様ご存じのとおり、これを耳にした事が無い日本人は皆無と思われるほどに素晴らしい哀愁の盛り場歌謡なんですが、サイケおやじとしては、まずは故人の細君・悠木圭子の書いた絶品の歌詞が素晴らしく、そして附されたメロディを哀愁たっぷりに節回す八代亜紀の歌唱力の凄さこそが、三位一体となった傑作の要因と思うばかり (^^♪

加えて、当然ながら、小谷充のアレンジも秀逸ですし、そのあたりを俯瞰してメロディを紡いだ鈴木淳の懐の深さは、流石!

ちなみに故人の前妻は、これまた作詞家として売れっ子の有馬三恵子であり、彼女とのコンビにおいても、前述「小指の想い出」が決定的な代表作と思えば、常に歌詞の世界を尚更に印象づける作曲の作法(?)は、やっぱり天才の証じゃ~ないでしょうか。

それと決して忘れられないのが、昭和45(1970)年にスタートした伝説のテレビオーディション番組「全日本歌謡選手権(日本テレビ)」におけるメイン審査員としての活動であり、ここからは五木ひろし、天童よしみ、そして八代亜紀が勝ち抜いて、その実力を満天下に知らしめたのですから、これからも語られ続けるに違いありません。

一説によると、ちあきなおみとの確執(?)から、次のスタア歌手を探していたところで発見したのが、八代亜紀!?

そんな、これまた「運命の伝説」も、この「なみだ恋」には秘められているとしたら、何度聴いても、せつない歌心に心が揺さぶられるのが、サイケおやじの偽りの無い本心です。

そんなわけですから、同年夏に東映で制作公開された歌謡映画としての「なみだ恋(齋藤武市監督)」には、中島ゆたか、谷隼人、片山由美子、等々と共に八代亜紀もクラブ歌手本人として登場しているんですが、この作品は、ちょい前にCS東映チャンネルで放映されましたので、再放送があれば、お楽しみくださいませ (^^♪

最後になりましたが、この大ヒット曲「なみだ恋」の舞台は新宿であり、ですから当時、その界隈で下積みを重ねていた岡千秋、徳久広司、すぎもとまさと等々、現在の歌謡界を牽引している作曲家の名匠達が大いに触発されていたという逸話も、折々に語られているんですから、そんなところも、鈴木淳の功績のひとつかもしれませんねぇ……。

最近は、追悼を綴る事が増えた拙ブログではありますが、偏に諸行無常では拭いきれない思いが、サイケおやじには確かにあります。

そんな時にこそ、歌謡曲が尚更に胸に染入るわけですが……。

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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