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日めくり万葉集(26)

2008年02月13日 | 万葉集
日めくり万葉集〈26〉は、夫が亡くなる時に詠んだ妻の挽歌。選者は宗教学者の山折〈やまおり〉哲雄さん。死者に対する信仰がそのころ伝わってきた仏教の影響を受けて日本独自のものになったという。

【歌】
青旗(あをはた)の
木幡(こはた)の上(うへ)を
通(かよ)ふとは
目(め)には見(み)れども
直(ただ)に逢(あ)はぬかも

巻2・148   作者は倭大后(やまとのおおきさき)

【訳】
青々と旗のように茂る木幡の山の上を、大君の魂が抜け出して、行きつ戻りつすることは目には見えるけれども、直にはお逢いできないことだ。

【選者の言葉】
天智天皇の后が歌った、こなたの山の上に、天智天皇の魂が宿っているという歌。万葉集には死者を悼む歌、挽歌がたくさんある。死んだ人の遺体から魂が抜け出て、高いところ、特に山の頂上を取り巻いている霧や雲、樹木の上に漂っていくという歌が多い。

古代万葉人の人生観が表れていて、肉体と霊魂というものは分離すると言う信仰。魂は高い山の上を登っていってどうなるか。やがて時を経て、山の神になる。こういう信仰が次第に定着していく。

やがてそこへ仏教が入ってくる。人間の死後の運命はどういうものかという、浄土教(じょうどきょう)の思想では、西方十万億土(さいほうじゅうまんおくど)に往生すると考えられていた。

これはインド人の考える浄土教で日本に伝えられると、西のほうに死後の魂が赴くことは認めるにしても、西方十万億土などという、途方もない距離は想像しょうもない。そこで浄土は山の上のあると読み替えるようになった。

万葉時代には死んだ人の魂は山の上に登って神になる。仏教が入ってくると、同時にそれは仏〈ほとけ〉になるという信仰に変わっていく。山は神の世界と仏の世界を媒介する舞台となる。日本人の神仏共存の原点はここにある。

山こそ死者の赴くところ。そういう考え方を典型的に表しているのが「挽歌」なのである。(おわり)

【檀さんの語り】
天智天皇が亡くなるときに妻の倭大后が詠んだ歌。木幡の山は京都府宇治市の東部にある山といわれている。人の魂は死後山に登る。そうした信仰がそのころ伝わった仏教の影響を受けて、日本独自の型になったと宗教学者の山折さんは考えている。

〈死者の魂は山の上へ行き、その後は山の神になるという。そこに山が大切にされる考え方の原点があるのだとわかった。今は里山が崩壊するとか、村にはお年寄りばかりが残って、山の管理が出来なくなってきたとか。

こうした山を大切にするという考え方も崩れてしまっている。お年寄りばかりが多いという限界集落というのか、そういう村が全国にたくさんあり、道徳や倫理観だけではどうしようもないほど、根深い問題。

西方十万億土というのは想像もつかないからと、考え方をもっと具体的に山の上に設定するというお話は興味深かった。抽象的に物事を捕らえたり、長い時間の中で考えるということが、すでにこのころから日本人には苦手だったんだなあと。)

【調べもの】
○大君(おおきみ)
天皇の尊称。

○挽歌(ばんか)
①中国で、葬送の際、柩車〈きゅうしゃ〉を挽(ひ)く者がうたった歌。
②死者を哀悼する歌。悼歌、哀傷歌。万葉集では相聞〈そうもん〉・雑歌(ぞうか)とともに部立(ぶだて)の基本。









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