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藤田嗣治のアトリエ

2007年11月02日 | 絵画
北海道新聞、10月30日の夕刊。一面の左端にある小さなコラムは「今日の話題」。題して「画家のアトリエ」。そこでは藤田嗣治(1886~1968)のアトリエが来年7月、札幌の道立近代美術館に再現されると紹介されている。

昨年、東京の国立新美術館開館記念で開催された「異邦人たちのパリ」。そのときに上京していて見たのが、黒い衣装の白人女性を描いた「カフェにて」。乳白色の肌色が強く印象に残り、そこだけスポットライトを浴びたような存在感があった。

・・・「渡仏したパリでピカソらと親交を結び、名声を獲得した栄光の時代。これとは対照的に、帰国後は、太平洋戦争に戦争画家として従軍し、戦意高揚の国策絵画との厳しい批判を浴びる。

戦後、ふたたび渡仏した藤田は日本国籍を捨て、カトリックに改宗した。戦争中の自らの行為に対する免罪符との見方もあるが、真意はわからない。」

「日本の画壇から冷遇されてきた藤田だが、フランスでは今なお、『もっとも著名な日本の画家』として不動の地位を占める。芸術家の運命とは皮肉なものだ。」

「藤田が晩年をすごしたパリ近郊のエソンヌ県の小さな村を訪れる機会があった。住宅は7年前から『メゾン・アトリエ・フジタ』として一般公開されている。画家の息遣いが伝わってくる生活空間。妻にさえ入室を許さなかったという絵の具や筆、パレットなどが往時のまま、そっくり残されていた」

「そのアトリエが来年7月、札幌の道立近代美術館で再現される。没後40年にあわせて、北海道新聞社が主催する『レオナール・フジタ展』の一環だ。レオナールとは改宗後の名前である。」・・・

地方ではなかなかこういうものが目の前で見られる機会が少ないので、これは是非見に行きたいと思っている。フランスから日本に帰り、その間、先の世界大戦に翻弄された藤田の波乱に満ちた生涯。

芸術の都のパリで日本人の独自性を出すことの難しさ。いろいろな国の人間が集まるパリでも、おかっぱ頭はいかにも風変わりな姿だったようだが、その中で苦労して作り出したあの誰も真似の出来ない乳白色。あの透明感のある肌色には東洋の美意識が感じられた。なんにせよ、TVではなく肉眼で見られるのはしあわせなことだ。








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