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日めくり万葉集(177)

2008年11月13日 | 万葉集
日めくり万葉集(177)は巻18・4094、大伴家持(おおとものやかもち)が《海行かば》を歌った長歌。選者は映画監督の篠田正浩さん。

【訳】
大伴の遠い祖先の神、大来目主(おおくめぬし)の名を背負い、お仕えしてきた。海を行くなら水浸しの屍(しかばね)。山を行くなら草生(む)す屍と朽ち果てるとも、天皇のおそばで死のう。

後を降り向きなどしないと誓い、ますらおの清き名を古(いにしえ)から今に伝える祖先の末裔ぞ、大友と佐伯の氏(うじ)は。

【選者の言葉】
最初に(出会った)万葉集の歌は《海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍》だが、これは大君のために命を投げ出すという忠君愛国。近代における明治維新以後の(日本の)思想と万葉集は地続きになっていると少年時代と思い込んでいた。

《海行かば》は実は天皇への忠誠を尽くすというのが目的ではなくて、天皇が自ら大伴氏と佐伯氏という、一番身近に守ってくれているこの二つの僚属(りょうぞく)の忠誠心をほめたたえた宣命(せんみょう)があった。

こういうしあわせな体験が出来たのは大伴氏や佐伯氏というわが親衛隊の忠誠によって行われたというもの。それに対して感動した家持(やかもち)がこの歌を詠った。だから《海行かば》は忠君愛国の歌ではなく、元の動機は奈良の大仏が黄金で飾られるということが判明した喜びの歌ということがわかった。

こんなに違ってしまったのかというのが私の万葉集体験。(この歌を基にした【海行かば】の歌は)ちょっと日本人離れをした、豊かな音の響きで、大伴家持の長歌に連動したものがある。

大伴家持というのはこういう人だと決められてしまった《悲哀》と【信時潔】が【海行かば】を作曲した音楽家としての純粋な動きが全部、国家主義に利用されてしまうと言う、その二つの歴史的な悲哀があると私は思う。

【檀さんの語り】
この長歌の題詞には《陸奥国に金を出す詔(みことのり)を賀く歌》。陸奥に金が出たときの天皇が発した《みことのり》を讃えた歌。

天平(天平)12年、天皇が発願(ほつがん)した東大寺の大仏はすでに鋳造が始まっていたが、大仏を覆う金は入手の目処(めど)がたっていなかった。そこに陸奥で金が出たとの知らせが入り、その幸運を喜んだ天皇が詔を発し、さらに家持がそれをたたえて詠んだのがこの歌。

【海行かば】というこの曲は昭和12年、国民精神協調週間のテーマとして【信時潔】によって作曲され、不幸なことに(戦地の兵士の)玉砕を伝える大本営発表で繰り返し用いられた。

【感想】
篠田監督の映画は太平洋戦争前夜の歴史を再現した【スパイゾルゲ】が印象に残っている。封切の映画館にも見に行った。エンディングのテーマソングにジョン・レノンの【イマジン】が流れたときには涙が出てきたのを覚えている。

万葉集を学ぶというときに一番警戒するのはやはり、古代の天皇一族がやたら出てきて、歌が持つ日本人の良さに感心しながらもいつしか、先の大戦の自己正当化が行われてしまうのではないかということだ。

篠田監督は戦後、直に万葉集を読んでみたら、実は戦争中に使われていた意味とは違っていて、この歌やその音楽が戦争中の国家主義に利用されていたという事実に気が付いたというお話だった。

《国民精神協調週間》などという言葉はまるでここは北朝鮮か、と疑うようなお題目だ。日本にもこういう時代があった。そしてこういう言葉を持つ時代の亡霊はいつまでも消えずにまた出番があるのではないかと、その辺を徘徊している。田母神・前航空幕僚長の背後にはっきりと存在するのが見える。







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