FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

苦悩

2006年08月23日 | Weblog
サッカーでヨーロッパクラブ同士が争うチャンピオンズリーグの予備予選というのをやっていて、これになんとモーツァルトの故郷ザルツブルクというクラブが出ていたのには驚いた。今に生きていたら、応援歌やクラブの歌なんか、いっぱい作っていたかもしれないなあ。

毎日モーツァルトは第113回、魂のカンタータ。カンタータ「悔悟するダビデ」K.469.第8曲「暗い不吉な闇の中から」ソプラノ、バーバラ・ヘンドリックス、指揮、ネヴィル・マリナー。

ゲストはヴァイオリニストの中西俊博さん。
僕ね、「うたもの」は嫌いなんです。嫌いと言い切るよりも、昔、嫌いだったんです。もったいないことしたねえ。モーツァルトの良さがわかっていたら、もっと陶酔して弾けたと思うんだけど。

昔のイメージというのは、そういう苦労する曲は眠くなっていたので、いけないんだろうけど。軽いとか、整然としているとかのイメージがあったんだけど、そういうのをすごく超えていて、全然違う形容詞が浮かぶ。やっぱり苦悩する感じかなー。

なるほどー。業界用語で「うたもの」というんですか。中西さんとはちょうど逆を辿っていることになりますね。昔は歌詞が入っているものを聞いていたけど、今は純粋に音を楽しむという傾向になってきましたから。イメージを自由に羽ばたかせたいと思うと、歌詞がないほうがいいと思うようになりました。

言葉とはいっても、だんだん長く生きていると、愛の言葉をささやくシーンの前には、ロダンの考える人のような格好で、厠に入っていたかもしれないという風に、どうしても考えるようになってきちゃうんですよねえ。

この家来の妻の話は、シェークスピアの物語にありそうだし、イギリス王室なんかの争いの中でも、ありそうな話に見える。ダビデでなくても、何千年たってもおんなじ愚かことを繰り返している人間というのは、どうしたらいいのでしょうか。

1785年3月、モーツァルトは当時のブルク劇場で、一つの声楽曲を披露した。「悔悟するダビデ」は旧約聖書のダビデの詩篇に題材をとっている。イスラエルの王になったダビデは家来の妻を自分のものとするために、その家来を戦いに追いやり、戦死させた。神の怒りにふれたダビデは深く自分の行いを悔い、神に許しを請う。神の許しを得たダビデは回心し、その喜びを歌う。

”暗い不吉な闇の中から 澄み切った空は正しいものを照らします。主に忠心な心は 嵐の中でさえ安らぎを保つのです。この美しい魂たちよ ああ楽しみなさい!誰もが乱すことにないように 神のみがお創りになる この喜びをこの安らぎを”

カンタータとは器楽伴奏を伴い、独唱や合唱などで構成される声楽曲。この曲は2部構成になっており、暗い旋律を奏でる前半と明るい後半のコントラストが特徴。この曲は音楽芸術家協会からの依頼で作られた。

音楽芸術家協会は1771年、スヴィーテン男爵によって設立。音楽家の遺族に年金を支給することを目的としていた。演奏会は無償であったが、モーツァルトは何度も出演し、曲も提供した。600人の聴衆を前に、モーツァルトは自ら指揮をして行われた。

そういう互助会というのか、組合のような形のものがあって、モーツァルト亡き後のコンスタンツェはどんなに助かったことだろう。わずか35歳でなくなってしまったのだから。6人の子供を産み、二人が生き残った。そのご、コンスタンツェは再婚して当時としては、かなり長命の人生を送ったらしい。二人の子供は生涯独身で、モーツァルトの才能を受け継ぐものが残念ながらいない。後世から見るともったいないことだ。

















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