黒鉄重工

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遠州森あたりの散策 後編【2018/3/24】

2020-11-28 20:26:53 | 鉄道撮影記
森町での用事を全て済ませたもののまだお昼時だったことから、この後の行動について思案した結果、森町を静岡県道399号線と同63号線を北上して島田市家山に進出、大井川鐵道の撮影に興じることにしました。
で、途中の和菓子屋(大鳥居月花園)でお菓子を食べて昼飯とし、399号線を北上していくと「友田家住宅」という看板を見つけたり。どうやら古民家が保存されている模様。こっちに来ることもそう無いし、せっかくなので寄っていくことにしました。


駐車場に車を止めて、まずは外観から。茅葺寄棟造りの母屋があります。屋敷と言うには小さいですが、そこそこの大きさです。


空き缶で作った風車が田舎あるあるで、良いです。


お邪魔しま~す・・・。
母屋の右側には脇屋がありにけり。人気のある普通に現役の建物で、たぶん友田さんのお家だと思います。曖昧な言い方なのは、見学中にここを管理している人と遭遇しなかったので確かめることができなかったため。


この住宅は1973(昭和48)年に国登録有形文化財に指定されています。1983(昭和58)年には半解体のうえで新築当時の姿に復元されました。新築っていつなのよって話ですが、元禄年間に近所の元屋敷から移築してきたそうなってところまでは判明しています。なのだだいたい300年ちょっと前の新築です。側柱、側梁の一部はその当時からの部材が現存しています。
見学に際し、勝手口の横にある料金箱に見学料を入れておきます。


縁側と庭先。田舎の農家という具合ですな。頑丈そうな格子に注目。狼除けと呼ばれるほど頑丈なのだそうな。
縁側には布団が干されていて、この母屋が完全に博物館化しておらずまだ住宅として使われている機会があるんじゃないかということを匂わせていました。実際、希望すれば体験宿泊ができるみたいで、この布団はその人達が宿泊するときに使うものでしょう。
当時を保存しつつ現役の住宅として使うという状態はそそられるものがあります。実際に使い続けることが案外長持ちに繋がることが往々にしてあるので、いいことじゃないでしょうか。


蔵ですな。これは現役の雰囲気が漏れ出ています。


縁側から中の間を見ます。ここから見て右側に槍の間、左側に奥座敷があります。奥が広間です。広いですな。友田家は代々庄屋を勤めていたという話も納得です。


茅葺屋根が最後に張り替えられたのは2012(平成24)年です。それ以前1995(平成7)年にも張り替えられていますが、恐らくこの時に屋根を鉄板で覆ったと思われます。


そいでは勝手口からお邪魔します。土間です。土間のある家もめっきり減ってきた昨今です。屋外作業をする人には便利な空間だと思うんですけどね。


土間は今も使われていますね。杵と臼も使用感がありますし、年末には釜戸で炊いた米で餅つきをしているのかもしれません。


長年使われ続けた土壁や釜戸と、まだ真新しくも見える消化器や瓶ビールケースとの組み合わせは、似つかわしくないどころか却って長年本来の役割を果たしているようにも見え、やはり道具や建物は使われ続けてこそかな。


これは台所です。囲炉裏付き。囲炉裏の煙で茅葺屋根は長持ちするのだというのはよく聞く話ですが、この母屋の屋根は鉄板で覆われているので効果があるのかは果たして疑問です。
天井の蛍光灯は古く見積もって昭和末期あたりのものでしょうが、ああやって天井から吊るす電灯も最近はあまり売ってなさそう・・・。



囲炉裏です。


広間です。庄屋の家ということもあって、その昔は村(亀久保村)の寄合所としても使われていたそうな。


天井。


梁が立派ですね。


広間にある仏壇。


奥座敷。刀剣がありますね。友田家の起源は出雲国の刀鍛冶という言い伝えがあるので、その関連かもしれません。


室内はこのような感じでした。これにて退散。


古いランタン。


近辺には他の家も数棟あります。この近辺一帯が亀久保なのでしょうな。


横から母屋を見る。農村の古民家のゆっくりとした雰囲気を少しの間味わえました。


では川根方面へ。またこういう道を通るんだなぁ・・・。


家山を過ぎて北上し、徳山まで行きました。とりあえず駿河徳山駅で16000系(16002)を撮影。


普通電車もまめに記録しておきます。


蒸気機関車は、駅から歩いて少しのところにあるときどんの池から撮影。C56形44号機のかわね路2号です。この時期では恒例の「さくら」ヘッドマークを装着していますが、この年はオリジナルのデザインでした。そこら辺はまた別の日に。


後追い。電気機関車はE10形1号機でした。

撮るもの撮ったので、この日はこれにて帰宅としました。おしまい。