黒鉄重工

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京都鉄道博物館を見て回る その1【2017/8/16】

2019-09-30 22:45:41 | 旅行・イベント記
2017年8月16日。
関西にある鉄道むすめのスタンプラリーを制覇した翌日。この日は京都市にある「京都鉄道博物館」へ行きます。もともとあった梅小路蒸気機関車館を拡張したような鉄道博物館で、2016年に開館。一度は行ってみたいと思っていましたので、今回ちょうど良いので行くことに。
昨日泊まった江坂のホテルを出発して、JRの225系の新快速で京都駅へ。


京都駅からは京都市営バスで鉄道博物館へ。駅の案内やバスの方向幕に鉄道博物館と書かれているので、路線数の多い京都のバスでも迷いにくいです。


はい着きました。
博物館のロゴマークは、本棟と扇形車庫を図案化したものだと思いますが、中国の謝謝の手振りに見えなくもなく・・・・・・(右手をグーにして左手で包み込むようなかんじ)。



入り口で入館料を払います。1,200円しました。近年開館したJR系の鉄道博物館はこのくらいが相場ですね。まあそんなもんでしょう。その代わり募金とかしないし、そも募金箱見たこと無いし。日本は博物館への募金文化無いですよねぇ・・・。
いきなり本館に入るわけではなくて、まずは屋根のついた屋外展示から。いわゆるプロムナードと呼ばれとるやつです。これフランス語なんですね。なんでフランス語使った?

今も書いたように梅小路蒸気機関車館を拡張してできた博物館で、収蔵車両も大幅に増えています。どこから持ってきたかというと、増えた分の大半は大阪市の弁天町駅にあった交通科学博物館から引っ越してきたもの。なのでなんか見覚えあるなって顔ぶれが多いです。いま並んでるこの3台もすべて交通科学博物館出身です。


日本最大の蒸気機関車C62形26号機。4-6-4ハドソンで、旅客用の機関車ですな。
カナダの博物館ならいざしらず、日本の鉄道車両についてつらつら書いても皆さんすでにご存知のことしか書けませんから、中身は軽く触れるにしときますよ、また長引いてしまいますから・・・。


80系の最初の制御車のクハ86形1号。東海道線の東京口で走り始めた湘南電車です。
これを見ると、正面2枚窓のいわゆる湘南顔の制御車が現存していないことが返す返すも惜しい・・・という決まり文句が反射的に出てしまいます。


内装は長距離用客車みたいなかんじです。電動自走化した客車というところか。


電車の保存車にしては珍しく中間車も残っているのです。これはモハ80形1号なので、電動車なわけです。ただし車体から下は完全に覆い隠されてしまっているので、単に運転台の付いていない中間車なんだね、という感想しか出てきません。


ご存知0系新幹線。説明不要。
小さい頃はよく乗っていましたね。


先頭車しか保存されない0系にしては珍しく中間車も残っています。こちらグリーン車の16形1号


さらにビュッフェ車の35形1号。他に先頭車が2台(21形1号と22形1号)両端に連結されているのでここだけで4両の0系が保存されとります。JR東海だってこれだけのものは持ってないぞ。
特に中間車はよく引っ越しの時に解体されずに済んだね。良かった・・・。


変わってC62の後ろに連結されている客車をば。これはスシ28形301号。系列的にはスハ32系に属するようで。
もともと2等座席食堂合造車スロシ38000形として1933(昭和8)年に製造されたので、乗り心地を良くするために3軸台車を履いています。日本では貴重な現存例です。
何度か改造を経て最終的にスシ28形へ。ただしこれは、交通科学博物館への収蔵の際に全室食堂車へ改造された時に付けられた架空の形式というなんじゃそりゃというもの。内装の改造も含めてちょっとよくわからない。正確にはスハシ38形といったところでしょう。


TR73三軸ボギー台車。TR23系列っぽいな~と思ったら案の定でした。
やっぱり台車は見れたほうが絶対楽しめるよなぁ。



内装はこう。


その隣に連結されているマロネフ59形1号。1938(昭和13)年にマイロネフ37290形37292号 として製造されました。皇族・貴賓用の寝台車で、準御料車みたいなものでした。その後GHQに接収されたり返還されたりしてマロネフ59に落ち着きました。これもTR73を履いています。


内装はこう。あー、プルマン寝台ですね。アメリカで見たことあるから知ってるんだ。


寝台を展開途中の図。


ナシ20形24号。20系ブルートレインの食堂車ですね。交通科学博物館時代は食堂として使われていて、食堂車で食事が体験できる設備として名物になっていました。京都にやってきてからも同じように使われています。昼時になると行列ができますね。人気が高いからなのか席が少ないからなのかは議論の余地あり。
それよりも車体との隙間を絶対になくしてやるぞという意気込みのこもった床の施工ぶりに目が行きますよ。これじゃまるでダルマですな。他の車両でも感じるところですが、ほんと徹底的だ。


20系と連結しているDD54形33号機
ドイツのエンジンと変速機を三菱がライセンス生産して製造したディーゼル機関車です。立ち位置は本線用のDD51の軽量型みたいなところで、DD51が1,000馬力エンジン2基なところをDD54は2,000馬力エンジン1基で走らせてました。
でもエンジンの推進軸が脱落して脱線したりエンジンや変速機も問題を抱えたりで性能が安定せず、長続きせずに10年経たずに廃車になってしまいました。三菱・・・。


現存機はこれ1機だけ。失敗作だったにも関わらずよく残したと思います。
この33号機は風防の窓枠がHゴム支持のロットですね。前期型の窓枠はステンレス枠だったんですが、そっちの方が精悍な顔つきで好きですね。


外観は日本のディーゼル機関車の中でも特に好きだなと思える機体です。造形村のHOゲージの模型が出た時は買おうか悩みました。結局買いませんでしたけど。
当時のヨーロッパ系の機関車に影響を受けていると思いますが、日本っぽさも出ているのが素敵。


みんな大好き103系クハ103形1号。国鉄時代に大量に製造された通勤電車です。
これは今回新たに収蔵されたものです。103系が丸車で保存されたのはこれが初事例です。そして、これが唯一の事例になりそうな匂いがしまっせ(諦め)
博物館建設時にちょうど103系のトップナンバー車が廃車になったので、保存されたというところでしょう。このタイミングが合わなければクハ103-1も他と同様に解体されてたと思うし、トップナンバー車が残っていなければ103系の保存はなかったかもしれません。・・・個人的にはたぶんそうなってたと思いますが(諦め)
鉄道車両の保存は運要素が結構絡んでくるのです。


103系の台車のTR201。


内装は末期に運用されていた阪和線の姿のまま。つまり体質改善工事で改装された内装です。
電車の保存車はたいてい廃車時の姿のままのことが多いので別に目くじら立てることないですけどね。むしろ、中途半端に環状線の橙色に塗り替えた方がアレだと思いますけども。阪和線のままじゃイカンのか。

というところで今日はここまで。