もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

181023 近頃、一番聞きたかった話:古賀茂明「70歳まで働くと年金は失業保険化する? 安倍総理は真実を語れ」

2018年10月24日 00時27分39秒 | 時代の記憶
10月24日(火):   

俺の父親は55歳で定年を迎えた。その後しばらくは働いていた。俺も今や父親の定年の年齢を越えて、50代後半で体はがたがたである。「70歳まで元気で働け」というアベの無神経な言葉を聞いていて「おいおい、おまえ正気かよ?!」と最近ずっと思い続けていた。65歳までも正直言って、自信はない。青息吐息なのに、70歳まで働けと平気で言える感覚がわからない。国民を奴隷だと思っているのか。

AERA dot.古賀茂明「70歳まで働くと年金は失業保険化する? 安倍総理は真実を語れ」 10/22(月) 7:00配信

  年金は大丈夫だろうか?
  これは高齢者だけでなく、今や、若者にも共通の懸念だ。多くの人々が、老後のことが心配だから、ひたすら働き、ひたすら貯蓄に励む。銀行預金にほとんど金利が付かなくなってから久しく、貯金は少しも増えない。株を買えと政府は勧めるが、そもそもそんな余裕がないし、そんな言葉を信じてよいのかもわからない。八方塞がりの庶民は、ますます将来が不安になって、財布のひもを固く締める。消費は伸びず、円安の恩恵を受けた大企業や一部の富裕層だけが「好景気」と「不動産バブル」の恩恵を享受するといういびつな経済状況には変化の兆しが見えない。
  政治状況を見ても、「格差拡大」を批判する野党は頼りなく、安倍一強には陰りが見えると報道されるが、その割に内閣支持率はかなり高いままだ。他に有効な選択肢がないからなのだろうが、今の政権の経済政策の恩恵を享受できない庶民にとって、それは当分希望がないというのと同義だ。
  そんな不安な状況が続いても、政府はいつもいい加減な経済予測を作って、「年金は大丈夫」と言い続けている。最後に行われた2014年の「財政検証」でも、「100年安心」の標語は変わらなかった。厚生年金保険料率は若干の引き上げを行うが、18.3%を上限として固定し、年金受給開始年齢を65歳に引き上げることにより、現役世代の平均的な所得に比べて現在の6割程度よりは下がるが、概ね5割以上の年金を支給するというものである。そして、これが実現できれば、まずまずだと考えられてきた。そして、今年は2018年だから、最後の検証から4年しか経っていない。
  しかし、安倍政権は、ついに、年金破たんに備えた具体的な準備に着手した。もちろん、「このままでは破たんです」とは口が裂けても言わない。来年の統一地方選と参議院選挙が終わるまでは、とにかく有権者に余計な心配をさせないように、「明るい未来が待っている」かのような装いで、長寿化社会の負の側面を徹底的に隠しながら、年金改革の下準備を始める作戦なのだろう。そして、参議院選が終わったら、驚きの「年金大改革」に乗り出すことになるのは確実な情勢だ。
  そもそも、年金制度がスタートした1961年の平均寿命は男66歳、女71歳だった。しかし、長寿化によって、2017年には男81歳、女87歳まで寿命が延びたことにより、年金を受け取る平均期間が大幅に延びている。さらに、生産年齢人口が減り、今は現役世代2人で高齢者1人を支えているが、少子高齢化はこれからさらに深刻になり、60年には1.3人で一人を支える計算だ。そして、そのこと自体、今からどんな努力をしたとしても変えることができない。
  こうした状況を見れば、抜本的な改革か大増税でもしない限り、いずれ年金制度が立ち行かなくなるのは自明なことのように見える。だから、難しい知識はなくても、誰もが不安を感じている。そして、専門家も、そもそも政府の試算は、非常に現実離れした楽観的な前提に立っており(ここでは、この点についての詳しい解説には立ち入らないが)、実現不可能なシナリオだと具体的に指摘し、批判している。どう考えても、この制度を「100年安心」などと偽り続けることはできないところに来ているというのが現実だ。
  もう間もなく迎える2019年は、5年に1度行うことになっている年金制度の検証(財政検証)の年だ。この機会に、年金制度を根本から見直して、必要な対策を一日も早く採ってもらいたいというのが、国民の切なる願いだろう。

■「生涯現役」でバラ色の老後を演出しようとする安倍総理
  こうした国民の不安と関心をとらえて、安倍総理は、自民党総裁選の公約などで、「生涯現役社会」などという夢のある言葉を連発した。その中で、生涯現役を目指す人は、70歳を超えても年金受給をせずに働き続けたいと考えるはずだということで、「受給開始年齢を70歳を超える年齢とする選択も可能にする仕組みづくりを3年で断行したい!」と声高に訴えた。
  もちろん、そんなことを言っても、70歳までみんなが働けるのかという声が出る。そこで、まずは、現在企業に課されている65歳までの雇用義務を70歳まで引き上げることを検討するとしている。当初は義務ではないが、おそらく、将来的には義務化ということになるだろう。
  70歳まで働ければ、老後を年金に頼る高齢者は減る。さらに年金の繰り下げ受給(現在の制度では、受給開始を1カ月遅らせるごとに0.7%ずつ、年金額が上乗せされる)を奨励し、なるべく70歳以上まで年金をもらわないように促していく。安倍総理が、これらによって年金財政への負担を緩和しようと狙っているのは明らかだ。
  年金が70歳までもらえないと言うと、国民に大きな不満が出る可能性がある。ロシアのプーチン大統領が年金受給開始年齢を男性60歳、女性55歳から段階的にそれぞれ65歳と63歳に引き上げる案を出した途端、国民は強く反発し、各地でデモが起きた。慌てたプーチン大統領は、女性について、63歳とした案を60歳に引き下げると提案し直したが、それでも8割前後あったプーチン氏の支持率はつるべ落としに下がって、調査によっては3割台にまで下落した。年金の受給開始年齢引き上げは、政治家にとって、時に致命傷となることを示している。
  しかし、だからと言って、日本の場合も、この問題に手を付けなければ、本当に年金破たんというリスクが顕在化するかもしれない。したがって、その制度を持続可能な仕組みに変えようとする安倍総理の目的は大きな意味では正しいと言ってよいだろう。このままでは若い世代の負担はさらに重くなり、世代間の公平も保てなくなる。やらなければならないのなら、早く手を付けた方が良い。これは、政権が自民党か立憲民主党かと言ったことにかかわらず、誰かが手を付けなければならない国民的課題なのだ。
  ただし、現在安倍総理が採っている改革の手法には疑問が残る。総理は「一億総活躍社会」のかけ声のもと、「生涯現役で働ける仕組み」「70歳でも元気に働ける社会」など、バラ色の夢ばかりを語っているが、それでは、とても真実を語っているとは言えないからだ。こんなことをしていると、いずれ、国民は騙されたと怒り、必要な改革が政治的に実行不可能になってしまうかもしれない。 

■「勤勉な」国民に年金繰り下げ受給を勧めると何が起きるか
  私は、雇用延長と年金の繰り下げ受給が定着すれば、日本国民の「勤勉な」国民性のために、年金制度の性格は様変わりするのではないかと見ている。どういうことが起きるのだろうか。
  70歳まで働けますということになれば、人生100年と言われて不安に駆られる高齢者の多くは、多少無理してでも70歳まで働くだろう。さらに、その先には、後期高齢者になる75歳くらいまでは働けるという声が出て来る。現に75歳でも元気な人はたくさんいる。75歳雇用はすぐそこに来ていると思った方が良いだろう。その先には80歳雇用が待っている。
  当然、働き方も変わる。これまでは、60歳を過ぎると、再雇用される人が大半で、給料が半分くらいに大きく下がる代わりに仕事も軽くなるケースが多かった。しかし、今後70歳まで、あるいは、75歳まで働こうと言われても、今のような仕組みのままでは、働く意欲を失う人が出て来るだろう。そういう人が増えると企業にとってのお荷物になるので、最近は、「いかに高齢者にやる気を出させるか」が大きな課題として企業の間で議論されている。
  具体的には、やりがいのある仕事にするために、真面目に頑張れば、給料もボーナスも増える仕組み、昇進もある仕組みなどがもてはやされている。「高齢者も切れ目なく活躍してもらい、充実した人生にしてもらいたい」という経営者の言葉を聞くと、素晴らしいことだと感じる人もいるかもしれないが、それは、高齢者も最後まで(死ぬまで)競争社会を生き抜きましょうと言っているのと同じだ。もちろん、頑張ったかどうかは厳しく評価されることになり、75歳だから大目にということにはならない。
  おそらく、マスコミも、「75歳で昇進した○○さんの輝く笑顔」というような報道をするようになるだろう。「頑張り屋」が高く評価される社会は当たり前だという声が広がって行く。こうして、企業は人手不足の中で、生涯頑張って働く高齢者を戦力として期待できるようになるのだ。

■「生涯現役」で年金の失業保険化へ
  こうなると、とにかく生きていて、体が動く限りは働くのが当然だという価値観が蔓延して来る。ほとんどの人は働けるのだから、年金受給開始は、原則65歳から68歳、そしてすぐに70歳、いや75歳まで上げるべきだという意見も増えるはずだ。給料を結構もらう人が増えてくれば、給料をもらっているのだから、健康保険料だけではなくて、年金保険料も払い続けるべきだというような声も出て来るだろう。
  日本社会の特徴は、同調圧力が非常に強いことだ。世の中の流れに逆らって、「元気だけど働かない」という選択をすると、年金財政が苦しい中で、自分の生活さえ良ければいいと考えて努力しないのは非国民だというような目で見られたり、あるいは、そんな贅沢ができるのかと妬まれたりする。さらに進んで、「働かずに遊んでる奴らには年金を払うな」などと、厳しい声が投げかけられることになるかもしれない。挙句の果てには、働ける間は年金を払わないという制度改正が行われることもないとは言えないだろう。
  もちろん、病気などで働けない人は、働かなくても年金をもらうことは認められるだろうが、何となく後ろめたい気持ちにならざるを得ない社会の雰囲気になって行くような気がする。他の人たちは、働いて年金ももらわず、保険料まで納めているのに、自分は年金のお世話になっているという負い目を感じる社会になるのだ。こうなると、年金は、もはや失業保険や生活保護と同じような性格になってくる。働きたいが仕事が無いときに限り年金というのであれば、年金の失業保険化だし、身体を壊して働けないから年金ということであれば、年金の生活保護化と言ってもよいだろう。運が悪くてかわいそうな人のための制度というイメージに変わってしまうのだ。

■「老後をのんびり楽しく」という庶民の夢は消えるのか
  つい、この前までは、60歳以降の雇用を人生の余禄(よろく)ととらえるシニアも多かった。しかし、これからは、せっかく活躍の場が広がっているのに機会を生かさないのはもったいないと言われ、家でのんびりしていても落ち着かない、そんな気分になる社会が、もう始まっている。
  そういう社会が本当に幸福な社会なのだろうか?と考えて、私は、バートランド・ラッセルの「怠惰への讃歌」を思い出した。
  私は、元々怠惰なのか、そもそも、何のために働くのかときかれれば、それは、楽な暮らしをするためだと答える。「働くことは社会のためだ」とか、「働くことに生きがいを感じるはずだ」と言われてもどうもしっくり来ない。こう言うと、「働く喜びがわからないなんてかわいそうだね」「働くことは、労働ではなくて、創造だよ」とか「自己実現だ」「社会貢献だ」「人間としての義務だ」とか、「単なる道楽と同じで楽しいもんだよ」などと言ってくる恵まれた? 人もいそうだ。
  しかし、私は、お金をもらって働くのではない活動の方に喜びを感じ、のんびり老後を過ごしたいと思う人たちがたくさんいる社会がおかしな社会だとは思わない。
  ただ、それは人の価値観によるから、その是非を議論しても仕方ないだろう。
  むしろ、私が心配なのは、日本の社会保障制度が、そんな価値観の議論などしても全く意味がないほど深刻な状態になっているのではないかということだ。
  普通の人に、「老後はのんびり」などということを許せるほど、日本の経済も財政もゆとりはない。とにかく働けるなら働いてもらうしかない。働いて保険料を納める側に回ってもらわなければ、制度が持続可能ではない。だから、働けるなら働いて、保険料も納めてもらうしかない。それが今日の状況なのではないだろうか。
  そして、そう考えているのは、決して私だけではないはずだ。おそらく、かなりの人は、そう言われても、「やっぱりそうだったのか」と思うだけ。それが、多くの人の実感かもしれない。

■安倍総理は真実を語るべき
  安倍総理は、今の制度が持続可能でないことを率直に国民に語るべきだ。「高齢者が活躍できる社会」などという耳に心地よい言葉で、改革に伴う「負の側面」を隠そうとしてはいけない。
  「働ける間は働こう」「若い世代の負担を軽減するために、収入のあるうちは高齢者も保険料を払おう」「しかし、老いや病気で本当に働けなくなった時にはしっかり国が老後の面倒を見る。そんな年金制度に根本から変える時が来た」「それが嫌なら、大幅な保険料引き上げか増税を受け入れよう」――そう国民に正直に語りかけ、少子高齢化社会に対応した新しい年金制度を再構築する議論を急いでスタートさせるべきだ。
  しかし、現実はそううまくはいかない。残念ながら、安倍政権の戦略は、来年夏の参議院選までは、厳しいことは言わず、ただ、70歳までの雇用延長だけを打ち出して人気取りをするということのようだ。選挙が終われば、前述した年金関連の厳しい話はもちろん、医療や介護などあらゆる面での「改革」、すなわち、年金支給開始年齢の引き上げ、様々な給付の切り下げと負担の引き上げの議論が本格化する。ただし、企業や富裕層に大きな負担をかける選択肢は採用されない。あれよあれよという間にそれらが実現し、中負担低福祉の格差社会になって行く可能性がかなり高いのではないか。私には、そう思えてならない。

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