もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

180917 (政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子

2018年09月17日 15時39分42秒 | 時代の記憶
9月17日(月):  

朝日デジタル:(政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子
                                  2018年9月17日05時00分
  過日。出張先にて立ち寄った喫茶店のトイレ、個室の右側の壁に貼り紙がしてある。
  「最近、トイレットペーパーを大量に使用しているお客様がいらっしゃり、便器が頻繁につまっております」「そのたびに従業員が便器に手を突っ込んで取っています」
  なんとストレートな愁訴であろうか。黙ってトイレを詰まらせるとは迷惑千万、後に続くは当然、「大量に使うのはお控えください」だろうと読み進めると……むむ?
  「たくさん使っても構いませんので、少量をこまめに流していただけるとつまらなくなると思います。ご協力をよろしくお願い致します」
  なぜだ。なぜ「構わない」なんて言うのだ。
     *
  便器に手を突っ込む事態さえ回避できればいい。その気持ちはわかる。わかるから余計に、元凶を正さずに対処法でしのぐということではいけないと思う。おかしいことをおかしいと言わずにいたら人は、生きていく上で土台となる部分をすり減らし、しゃんと立つことができなくなってしまうから。
  でもこういうこと、あちこちで起きているんだよねと、個室で独りごちる私。膿(うみ)を温存したまま講じられた“再発防止策”、「行政をゆがめても構いませんので、公文書として残さずメモもこまめにとらないで頂けるとバレなくなると思います」みたいなことをやらされる官僚とかさ。
  「強者」の理不尽にさらされ続けると、抵抗する気力を奪われ、そのうち粗末な「エサ」をもらっただけで大変な恩顧を受けたかのごとく感じるようになる。かくして「強者」はますます増長し、さらなる理不尽が横行する。「正直、公正」なんて当たり前のことを言うと叱られるこの国、なんて美しい国
  無理が通れば道理はわりと簡単に引っ込むことを思い知らされたこの6年。ボーッとしていたら飼いならされる。おかしいことはおかしいと声を上げ、気弱な道理を励ましてあげなければならない。見えない首輪をふりほどき、当たり前を取り戻すのだ。
     *
  さて自民党は総裁選のさなかである。政策の中身よりも、恫喝(どうかつ)、締め付け、乗れ乗れ勝ち馬、諸センセイ方のお尻の穴の小ささがいやに際立つ低調な選挙戦、それでも首相は憲法改正が争点だったということにしておきたいのだろう、先月末、横浜市で開かれた自民党の会合で「憲法改正に取り組んでいく責任がある」「発議をしないのは国会議員の怠慢ではないか」と述べたという。
  へー。怠慢だって。へー。
  ならば教えて頂きたい。
 同性カップルを念頭に「生産性がない」と主張し、当事者らから強く批判されたのに公式に会見も謝罪もしない国会議員は怠慢ではないのか。それをなんだかよくわからない「指導」で済ませている自民党は怠慢ではないのか。言い出したらキリがないほど累積している怠慢を放置して憲法改正に固執する首相は怠慢傲慢(ごうまん)華麗に欺瞞(ぎまん)ではないか。
 「責任」を言うならまず、自分のお尻を自分で拭く。
 話はそれからである。
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