もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

150323 翁長知事を断然支持する!独裁者気取り安倍と菅は恥を知れ。沖縄県民を凌辱し、法治国家は筋違い!

2015年03月23日 23時34分49秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月23日(月):
【電子号外】
辺野古作業停止を指示 翁長知事 30日までの実行要求 2015年3月23日 琉球新報
 翁長雄志知事は23日午後、県庁で記者会見し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画で、沖縄防衛局が海底に設置したコンクリートブロックがサンゴ礁を傷つけている問題を受け、防衛局に対し、ボーリング調査などの海上作業を30日までに停止するよう指示したと発表した。23日付で防衛局に文書を提出し、作業停止について報告するよう求めた。指示に従わない場合は、辺野古埋め立てに関する岩礁破砕許可を取り消すことがあるとしている。移設阻止を掲げている翁長知事が政府の作業停止に向けた権限を行使した形となる。
 翁長知事は県が岩礁破砕を許可した区域外でサンゴ損傷があった可能性が高いとして「県の調査が終了し、あらためて指示するまでの間、当該工事に係る海底面の現状を変更する行為の全てを停止すること」と求めた。
 さらに現場海域の潜水調査のため米軍に臨時制限区域内への立ち入りを求めていることを挙げ、政府側に米軍との再調整を重ねて要求。立ち入り調査が実現していないことに関し「調査さえできないことは不合理極まりない」と批判した。
 県は前知事時代の昨年8月、防衛局からの岩礁破砕申請を許可したが、ことし2月に許可区域外で大型ブロックによるサンゴ礁の損傷が発覚していた。
 県によると、岩礁破砕許可が取り消されれば、防衛局は海底ボーリング調査などができなくなる。だが政府はこれに従わず、作業を継続する構えを見せている。菅義偉官房長官は23日午前の記者会見で「粛々と作業を進めていく」と強調した。

150323 田中龍作ジャーナル:山本太郎議員、「NHK討論番組」でタブーに踏み込む

2015年03月23日 23時16分28秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月23日(月):

山本太郎参議院議員、頑張れ!

山本太郎議員、「NHK討論番組」でタブーに踏み込む
http://tanakaryusaku.jp/2015/03/00010852 2015年3月22日 13:32 田中龍作ジャーナル
 政界とマスコミにとって最も不都合な男、山本太郎議員が今朝の「NHK日曜討論」に初出演した。それも編集のきかない生放送だ。
 きょうの日曜討論は「拡大版(※)」ということで「新党改革」の荒井広幸代表らと共に出演した。
 「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表は、自民党の茂木敏充・選挙対策委員長、公明党の斉藤鉄夫幹事長代行ら与野党の幹部と「地方創生」「原発再稼働」「安全保障」などについて意見を交わした。
 司会の島田敏男解説委員は「『生活の党』の山本太郎さん」と紹介した。
 山本議員の真骨頂が発揮されたのは「原発再稼働」についての発言だった。
 「安倍総理はオリンピックを招致するためにアンダーコントロールとウソをついた。汚染水はもれ続けている。子供たちが危ない。食品検査、ストロンチウムの検査を至急して頂きたい」。
 官邸が目をむいて怒りそうなコメントが山本議員の口から飛び出した。マスコミは記事にしないだろう。いや、できないだろう。
 NHKは官邸から叱られないだろうか? 「何であんなこと言わせたんだっ」と。
 原発問題以外でも、山本議員はタブーに踏み込んでいった―
 「少子高齢化対策というのなら最低賃金をあげるべき」「消費税を5%に戻し、(最終的には)廃止する」(地方創生についての議論で)
 「イラクに派遣された自衛隊員のうち28人が自殺している。若者がこれ以上生きづらくなることを決定しないで頂きたい」。(集団的自衛権についての議論で)
 番組終了後、山本議員に感想を聞いた―
 「大きく脱線して排除されないように気を付けた。一回だけで(NHK出演を)既成事実化され、伝説にされたくなかった。継続的に出演することが大事」。山本議員はセーブして意見を述べたことを強調した。
 「(安倍首相と記者クラブが好んで会食する)寿司の話もしなかったし」とギャグを飛ばす余裕も見せた。
 タブーを嫌い真実に目をつぶるNHKが、今後も山本議員を出演させるか、どうか。この国の未来を左右すると言っても過言ではない。
 ◇
 ※「拡大版」でない場合、「生活の党と山本太郎となかまたち」は公職選挙法にもとづく政党の構成要件を満たしていても、NHKの基準は満たしていないため出演できない。改善を求めて同党がNHKに抗議した経緯がある。


 ※司会の島田敏男解説委員とは、安倍晋三の鮨友だちの宦官・去勢豚である。(もみ)

150323 リテラ:内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判

2015年03月23日 21時21分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月23日(月):

内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判
http://lite-ra.com/2015/03/post-963.html 2015.03.21. リテラ

  安倍首相は人格乖離、インポなのにマッチョなレイプ魔だ。
  こんなことを言うと、ネトウヨの皆さんは「反日極左サイトがまたぞろ安倍ちゃんをディスってる!」と喚き立てるかもしれないが、これは、本サイトの弁ではない。安倍首相のことをこんなふうに形容しているのは2人の学者だ。
  ひとりは、さまざまな分野にわたる鋭い批評で左右を超えた幅広い支持を得ている思想家の内田樹。もうひとりは、『永続敗戦論』(太田出版)などの論考で注目される若手政治学者・白井聡。2人はこの2月、『日本戦後史論』(徳間書店)という対談本を出版し、安倍首相のことをケチョンケチョンにけなしているのだ。
  まず、内田は、安倍首相が「積極的平和主義」や「歴史認識」について、極端な政策を次々打ち出していることについて、こう語っている。
 「安倍首相はたぶん人格乖離しているんだと思います。本人を知っているという人から聞くと、とってもいい人なんだそうです。(略)でも、それが政治家になるとまるで別人に変わる。ということは、政治家の方の人格がかなりの部分まで演劇的に構築されたバーチャル・キャラクターだということです」
 「生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なんです」
  そして、第一次政権時には村山談話を見直すことを示唆していた安倍首相が、2013年秋の国会では一転して「これまでの歴代内閣の立場を引き継ぐ」と答弁したことについても、以下のように斬って捨てる。
 「発言が極端に振れて、空気を吸うように食言できるのは、内的葛藤がないからです。そのつど『この局面ではこの台詞』というのが決まっていて、決めの通りにしゃべっている。ああいう家柄ですから、きっと子どものころから自分の個性や欲望は抑えてきたんでしょう。どこの学校に行くか、どこに就職するか、いつ父親の秘書になるか、いつどの選挙区から立候補するか、全部あらかじめ決められている。そういうがちがちに決めつけられた環境を生きてきたわけですから、生身の自分は身体の奥の方に押し込められて出てこない」
  白井の安倍評はもっと過激だ。内田の人格乖離発言を受けて、このように言う。
 「不思議なのは、安倍首相がお父さんの晋太郎さんの話をまったくしないことです。おじいちゃんの岸信介の話ばかりする。たぶん晋三から見て、晋太郎の政治家としてのスタンスは全然男らしくないと映るんでしょう。じいちゃんは本物の男だった、それを受け継ぐんだということなのでしょう。ところが、戦に強いということを誇りにはできない、もう男になれないというのは、戦後日本の所与の条件なんですよね。軍事的にインポテンツであることを運命づけられている」
「それで、インポ・マッチョというのが一番性質が悪い。自分がインポであるというのを何がなんでも否定する。それが敗戦の否認ということの言い換えなのですが。そういう人間は首尾一貫しないことをやる
  リテラでさえ使うのを憚るような激しい非難だが、しかし、これらの言葉は、たんなる安倍首相への人格攻撃ではない。対談をじっくり読めば、現在の日本という国家のありようを鋭く突き刺す言葉であることがわかってくる。
  たとえば、インポなのにマッチョだという苛立ち。これは、安倍首相をはじめとする日本の右派勢力の最大のモチベーションとなっているものだ。戦争に強いという国家の誇りを取り戻したいのに、憲法によってそれができないと考えているからこそ、彼らは憲法を攻撃する。そこにあるのは、非常にエモーショナルな動機であって、現実の政策判断とはほとんど関係がない。
  実は、白井は彼の名を世に知らしめた代表作『永続敗戦論』でも同様のことを指摘している。日本では8月15日を「終戦記念日」と呼ぶが、このように、戦後日本は史実としての「敗戦」を「終戦」にすり替えることで、その意味するところを曖昧化させてきた。そして、〈敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる〉という構図が継続している状態を、白井は「永続敗戦」と呼んだ
  戦後日本は、東西冷戦の構図のなかで、この永続敗戦というレジームのもとに運営されてきた。それゆえに、この国のエスタブリッシュメントは一種の“ねじれ”を抱えている。たとえば日本の保守改憲派は、平和憲法をGHQから押し付けられた「まがいもの」とみなし、「自主憲法」の必要性を声高に叫ぶ。だが一方で、くだんの憲法を「押し付けた」はずのアメリカには従属し続けるという倒錯的な外交姿勢を貫いている。
  つまり、彼らがマッチョイズムを傷つけぬまま“ねじれ”を解消させるためには、徹底的に「敗戦の否認」を行う他ない。それは「米国による対日処理」を完全に否定することだ。しかし、戦後処理は東京裁判やサンフランシスコ講和条約と繋がっているから、現実にそれを達成することはほぼ不可能である。
  実際、安倍政権でも歴史の修正という「敗戦の否認」の動きを活発化させようとしながら、そのたびにアメリカの“にらみ”で抑制されているのが実情だ。そして、日本の右派勢力はアメリカににらまれたとたん、簡単に屈服して、それまで声高に叫んでいた「大東亜戦争の肯定」を引っ込める、日米開戦はルーズベルトの罠だと主張しながら、現実的にはアメリカの犬となる、そういった矛盾した行動を繰り返してきた。
 〈ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く──それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である〉(『永続敗戦論』)
  思えば集団的自衛権の行使容認も、安倍首相らはそれを「自主性の回復」などと称しているが、実際には長年にわたるアメリカの要求を自民党が呑んだにすぎない。つまり、対米隷属の態度を貫いていることには変わらない。白井は内田との対談のなかでこう述べている。
 「安倍さんの最近の憲法に関する発言を見ていて気持ち悪いのは、(日本国)憲法が大嫌いなはずのくせに褒めることです。(略)これは憲法に対するレイプですよ。なんでそういうレイプをしたいのかというと、憲法はアメリカの置き土産なわけですから、アメリカの分身ですよね。そのアメリカの分身をアメリカの命令によってレイプするという奇妙奇天烈な状況にある。世界最強の軍隊の活動に自衛隊を差し出せば世界最強軍団の一部になれるってわけです。これはつまり、アメリカというバイアグラを飲んで無理矢理勃たせるということです」
  アメリカ=バイアグラというのはなかなか言い得て妙な表現だが、しかし、一方の内田は安倍首相がその「永続敗戦」というジレンマや矛盾を自覚しておらず、むしろ「不思議なやり方」で処理していると述べる。
 「かつての『対米従属を通じての対米自立』は一人の人間の中に面従腹背という葛藤を呼び込んだ。だから言うことがわかりにくいものになった。でも、安倍さんは違う。『対米従属』と『アメリカが嫌がることをする権利』がバーター交換されている」
  たとえば、普天間基地問題で仲井眞沖縄県知事(当時)を懐柔したした直後におこなった靖国参拝や、集団的自衛権行使容認の閣議決定の直後に解除した北朝鮮への経済制裁。これらが「バーター」だったというのである。
 「問題は、従属の代償に受け取るのは『アメリカが嫌がることをする権利』であって、日本の国益ではないということです。(略)本来なら国益と国益のトレードのレベルの話であったものが、国益と(靖国参拝に代表される)私益のトレードの次元に移動している。だからこそ、葛藤がないんです。日本が何かを失って、その代わりに安倍晋三個人が何かを得るという構図ですから、葛藤のしようがない。僕が人格乖離というのはそのような状態のことです」(内田)
  ようするに、日本という国が安倍首相の個人的なマスターベーションの道具になっていると、内田はいうのだ。しかも、その存在はアメリカをはじめとする国際社会にとっても脅威になっていると分析。「今やアメリカの東アジア戦略上の最大のリスクファクターは安倍晋三です」と断言する
  そういえば、先日来日したメルケル独首相も、講演会や民主党の岡田代表との会談などで、明らかに安倍政権の歴史修正主義の動きを危険視する発言をしている。
 「人格乖離」の「インポ・マッチョ」な首相に引きずられて、日本はいったいどこに向かうのだろうか。(梶田陽介)

150323 リテラ:安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ

2015年03月23日 21時18分12秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月23日(月):

 安倍晋三を分析することの虚しさ(価値も深みも無い!)は分かっているが、それでも少しでも多くの人たちに実体を知らせるしかない。

安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ
http://lite-ra.com/2015/03/post-965.html 2015.03.22. リテラ

 「(賞を)もらっといてやる」──『共喰い』(集英社)で第146回芥川賞を受賞した際にこんな発言をして注目された作家の田中慎弥。そんな田中の新作が、いま、話題を呼んでいる。
  というのも、話題の小説の題名は『宰相A』(新潮社)。タイトルから想像がつくかと思うが、このなかで描かれる “宰相A”のモデルが安倍首相ではないか、と見られているからだ。
 『宰相A』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説。物語は、小説が書けないでいる主人公の作家が電車に乗り、母の墓参りに向かうところから始まるのだが、作家が辿り着いたのはアングロサクソン系の人間たちが「日本人」だと主張する世界。──第二次世界大戦後、敗戦国となった日本をアメリカが占領・統治を行い、アメリカ人たちが入植し、日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で押さえ込まれるように生活をしている……そんなパラレルワールドのような“もうひとつの”日本を描いている。
  その世界で、旧日本人の反発を封じるために選ばれた首相こそが、旧日本人の「A」である。
 〈緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象がある
  顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。
 我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。
 「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」

  現実の安倍首相は、ことあるごとに「積極的平和主義」という言葉を持ち出しては日本を交戦国にしようと働きかけるが、宰相Aはその未来の姿にも見えてくる。本来、平和学では、戦争がなく、差別や貧困による暴力のない状態を指し示す「積極的平和主義」という言葉を、いま、安倍首相はアメリカと協調し、軍事的に他国に介入する意味として使用している。現実の安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、小説内のAが口にする戦争主義的世界的平和主義そのものではないか。
  このように、決して笑えない世界の姿を叩きつける『宰相A』。作品は文芸評論家からも高い評価を受けているが、一方で読者からは「話題づくりで安倍首相をモデルにしたのでは」という声も上がっている。
  だが、田中が安倍首相を小説のモデルにした理由は、話題づくりではないはずだ。それは、田中は以前より安倍首相に対して関心を寄せ、その強気の姿勢に危惧を表明しているからだ。
  田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』という原稿がある。題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。
 〈(安倍は)田中さんの本は読んだんですが、難しくてよく分かりませんでした、と言う。私は思わず、読みづらい本ですので、とかなんとか適当に返したように記憶している。(中略)面と向かって、よく分かりませんでした、と言うとは、ずいぶん正直な人だなと思った。怒ったのではない。(中略)作家としてはむしろありがたいくらいだった〉
  だが、田中が気になったのは、安倍の〈うつろ〉さだった。
 〈私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった〉〈政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった〉
  このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。〈いいですか、いま私が喋ってるんですから、などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示す〉ことや、〈自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔〉を見せてしまうことを挙げて、〈これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う〉と述べている。
  しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。
 〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。(中略)祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉
 「戦後レジームからの脱却」と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。だが、ここまで強気に進める理由を田中は〈そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ〉と見る。そして、タカ派に分類される安倍を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現するのだ。
 〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉──ここまで田中が憂虞するのは、政治的・軍事的な理由からではない。幼くして父を亡くしたことのせいか、田中は〈男性的でマッチョなものが、根本的に怖い〉のだという。男であることが不潔に感じ、〈何度も死のうとした〉ことさえある。そのときのことを〈死んでみせることで、周囲に強い人間だったと思わせることが出来るのだと、勘違いしたからだろう〉と田中は振り返るが、だからこそ、弱い自分でいることを許されない安倍は危険な状態なのではないか、と田中は案じるのである。
  この田中による指摘は極めて重要だ。安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。
  自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。  (水井多賀子)

150322 「接続(접속)ザ・コンタクト」(1997)の録画を久しぶりに観た。感想5

2015年03月23日 00時18分09秒 | 映画・映像
3月22日(日):

今、I.W.ハーパーでかなり酔っている。酔ったついでに

 韓国映画の「接続(접속)ザ・コンタクト」(1997)の録画を久しぶりに観ている。昔、ハングン・マルの勉強をしていた時を思い出す。この映画と「八月のクリスマス」が俺の韓国のイメージの原点だ。激情もあるが人の良さ、繊細で優しい奥行きのある世界だ。いずれもハン・ソッキュが出ている。韓国は、こんなに素敵な映画をつくる国なのだ。Kポップは理解できないが、韓国の俳優はとっても良質で良い。「接続」では特にヒロインのチョン・ドヨンが可愛くてとっても良いのだ。韓国語を勉強していた当時、この映画を見ながら、俺にとって韓国は本当に素敵なあこがれの国だった。

 今の日韓のぎすぎすした関係は悲し過ぎる。理屈ではなくて、素朴な感覚で今の状況が残念でならない。Kポップ以外では、安っぽいドラマが何の説明もなく垂れ流されている。それを支えるべき背景としての隣国への敬意・憧憬が存在しない。このちぐはぐな状況は何なんだ!

 本来、最も近い感性を持ち、理解し合える国同士が一緒になれない状態は異常だ!これは理屈じゃない!

 パク・クネは嫌いだが、安倍晋三はもっともっと最低だ。俺の根っこには韓国に対する強い強い憧れと親愛の情がある。韓国は、日本にとってどこの国よりも本当に心の底から信頼し合える仲間の国になれる国だ。その国といがみ合っているとは情けなくて涙が出る。ネトウヨの馬鹿ども、それと同レベルの安倍晋三の低能は本当に悲しいほどのクズだ。

 オモニ・ハッキョでの素敵な人たちとの出会い、韓国外国語大学校と高麗大学の自費で語学研修に行った日々が懐かしい。そして、映画「風の丘を越えて(ソピョンジェ)」「八月のクリスマス」「接続」「春の日は過ぎゆく(ポム・ナルン・カンダ)」、ドラマ「冬のソナタ」が俺の韓国への思いを形作っている。

 チクショウ! なぜこんなに素敵な信頼できる国と仲良くできないんだ! 今の日本の政府は、日本近代史上最低の政府だ!その自覚がないのが、本当に最低だ。従軍慰安婦をはじめ、特攻隊として死んでいった朝鮮の若者たちの無念も含めて、日本は誠心誠意謝罪すればいい。歴史教育で事実を事実として認めればよい。それが正しいことなのだ。韓国と日本が真に信頼によって良好な関係を結べることを心から望む。

150322 斎藤美奈子「本の本 書評集1994-2007」(筑摩書房:2008)が届いた。

2015年03月22日 15時28分07秒 | 日記
3月22日(日):

 「本の本 斎藤美奈子書評集1994-2007」は、最近、図書館に行くと知らぬ間に手にしてその場で読み始めるのを繰り返してきた本である。興味に任せてパラパラと読む記事はどれも達人の職人技を思わせるものであり、何よりも著者の根っからの反骨精神が貫かれているのが小気味よい。時に、俺の読みの甘さを思い知らされ不愉快になることも含めて、「著者ならどう言うだろう?」と気になって手にしてしまう本だった。

 とは言え、「欲しいな…」とは思っても、3024円(=本体2800円+税)もする738ページの辞書のような単行本を買おうという気にはなれなかった。それが数日前、著者の東京新聞「本音のコラム」にハマってしまい、著者の過去のコラムを渉猟・収集するうちに勢いでアマゾンに注文してしまったのだ。届いた本は、とてもきれいな状態だが古本なので731(474+257)円である。

 パラパラめくり読みしながら、思わず口元がゆるんでくるのがわかる。取り上げている作品や作家は巻末の索引よりもはるかに多い。本書の対象年が1997年から2007年というのも良い。俺がよく利用するブックオフ108円均一の本の中心層の年代である。既に読んだ本の書評を読む、これから読むべき本を探す、単純に斎藤美奈子節を楽しむ、どれでもいける。大満足である。

 斎藤美奈子は、米原万里師匠と一面識もないままに著作のやり取りをする関係(それがまた良いのだ!)で、本書では米原万里著「打ちのめされるほどすごい本」を紹介している。その中で、米原師匠が「一日に七冊の本を読むのを20年間続けている」のを知り刮目(目をこすってよく見ること)し、1956年生まれの斎藤美奈子は、1950年生まれの米原万里より6歳下であるが、それ以上に「そもそもの教養がこちらは遠く及ばない」と認めている。一方、手元の米原万里「打ちのめされるようなすごい本」の書中では、斎藤美奈子は異例の6か所に登場し、その取り上げられ方も皆十分にページを取ったものである。最後には、斎藤の「読者は踊る」について「私の下手な推薦文に惑わされずに、とにかく読んでみて! 読みなさい! 読むんだ! 読め! 読んで下さい!(436ページ)」と米原が一面識もない斎藤のために頭を下げている。これは尋常ではない。まさに絶賛と言ってよいだろう。

 もう一つ、斎藤美奈子と米原万里の共通点は、池澤夏樹に対する高い評価である。本書と米原の著作をぱらぱら眺めていて嬉しくなってくる。また、斎藤は、本書で斎藤貴男(紛らわしい…)や森達也に対しても正当な評価をしている。斎藤美奈子との出会いは俺にとって何か強い味方、師事すべき存在を発見した喜びである。

 既に、本書に付けた付箋が増えてきているが、今後もっとハリネズミのようになるだろう。そうなった段階で、一気に速読しようかなと考えている。いずれにせよ、長い付き合いになる、長く付き合っていたい精神である。

紹介文:『妊娠小説』でデビューしてから14年間、膨大な本の山と格闘し各紙誌で書きまくった膨大な書評の集大成。扱った本は約700冊、扱った著者は約650人。ジャンルは小説、エッセイ、文芸評論、日本語論、読書案内、社会評論、歴史、文化、趣味と多岐にわたり、90年代半ばからゼロ年代までの日本の読書界が一望のもとに見渡せる。ここまで読めたら、すごい。ここまで言えたら、面白い。読書の醍醐味を、あらためて思い知らされる渾身の一冊。内容別の目次と書名・著者名索引も充実。どこからでも読める特別編集。

目次:
小説と随筆の本:少年少女の日々/青春と恋愛と/オンナの生き方/オトコたるもの/家族の姿/彼女の闘い/その謎を追って/長編小説の醍醐味/古典&近代文学異聞/古めの文学を読んでみよう/文学のこころみ/話題作・受賞作/小説の傾向と対策/現代文学入門
文芸評論と日本語の本
本のある生活
社会評論と歴史の本
文化と趣味の本

150321 安倍の地球俯瞰外交も、肝心要な中国・韓国・オバマ・プーチン・メルケルの不信を受けてピエロだ!

2015年03月22日 00時28分57秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月21日(土):

 安倍晋三の知能の低さは、ドイツの新聞でも見放された!日本の国際的信用をどんどん下げて、まさに「国益」と「国民の人的・財政的資産」を大幅に損なっている。一番大切にしなければならないものが、真っ先にどぶに捨てられ続けている。これが、安倍を支える自称愛国者たちの実体だ。一日でも早く自己の不正に甘過ぎる安倍晋三と取り巻きの自称愛国者に退場してもらうしかない。

メルケル訪日、安倍首相の度量の無さ・・独新聞が論評
2015年 3月 20日 時代をみる 池田龍夫
<池田龍夫:毎日新聞ОB>
 政府は、メルケル独首相の助言を生かせなかったい印象が強い。3月9日付本欄で「両国首脳には距離がある」と指摘したが、内外の報道も押しなべて失望じている。
 ベルリン在任の梶村太一郎氏(ジャーナリスト)は16日のブログで「メルケル報道、独メディアから匙を投げられた安倍政権とNHK」と指摘していた。

■「日本は孤立している」
 特に南ドイツ新聞が論説欄で、「日本は批判に慣れていない。政府は、その第二次世界大戦での歴史観に疑問を呈され、それによって孤立し、それが国際間ではコンセンサスとなっていても、拒否反応を示すのである。批判が善意であり得ても、東京には伝わらない。歴史を歪めることは長期的には無理である。メルケル首相は東京への旅の前に、領土と歴史問題での対処に関して、東京を批判したり教訓を与えることなく、どのように表言すべきかを自問しなければならなかった。彼女はこの微妙な課題を巧みに解決した。彼女は忠告を与えず、ただドイツの和解の経験を指摘しただけだった。彼女は、例えば東アジア諸国のかたくなな姿勢への選択肢として、『1500年、1600年、1700年当時の国境がどこであったか』などは、問題とすべきではないと述べた。メルケルの含意ある示唆は、すでに政府が非難攻撃しているリベラルな朝日新聞社で基調講演を行う決断にみられた。その場の聴衆の質問に答えて、彼女は言論の自由に何の問題もないと述べた。民主的な政府には異なる意見が必要である。 日本の公共テレビのNHKはこのことからまったく学ぼうとはしない。そのニュースでは、首相がどこに登場したかを、ある新聞社でしか伝えなかった。日本の学習能力はこの程度である」と、日本の姿勢を糾弾していたが、全くその通りではないか。メルケル首相は、非常に慎重に、脱原発の選択肢や、特に歴史認識に関して、その意義を伝えたかったのに、アレルギー的に拒否反するだけで、聞く耳を持たない出来の悪い子供のような安倍政権の傲岸さ国際的に見て恥ずかし」と指摘していたが、確かに安倍政権の姿勢は恥ずかしい。

 ■天皇とは20分も和やかに懇談
「ただ一つ、メルケル首相は天皇陛下とは、予定時間を越えて20分も大変気持ちの良い対話ができて非常に喜んでいるとの、政府報道官からの情報があった。記事の写真も、その天皇に対する表敬の意であると解釈できる」と、南ドイツ新聞が記していたのが、唯一の救いだった。〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/

150320 一年前:3 077 阿部彩「子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える」(岩波新書;2014/1) 感想5

2015年03月21日 03時40分46秒 | 一年前
3 077 阿部彩「子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える」(岩波新書;2014/1) 感想5
3月19日(水):254ページ  所要時間 2:30    図書館著者 歳(  生まれ)。専門は、貧困、社会的排除、社会保障、公的扶助論、社会保障論である。活動家ではないの...

150319 日刊ゲンダイ:なぜ鳩山元首相だけが叩かれるのか 永田町の裏を読む/高野孟

2015年03月19日 22時55分38秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2月19日(木):

「150313 鳩山元首相のクリミア訪問は、そんなに悪いことか。極右の「この道しかない」の方が絶対に危険だ。」を一緒に読んで下さい。

なぜ鳩山元首相だけが叩かれるのか 永田町の裏を読む/高野孟
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158174 2015年3月19日 日刊ゲンダイ

 鳩山由紀夫元首相のクリミア・モスクワ訪問に対する政府、与野党、マスコミ挙げてのバッシングは常軌を逸していた。「軽率」「迷惑」くらいならまだしも、「国賊」「日本人ではない」「パスポートを取り上げろ」などの言葉までが飛び交い、行く先々で待ち構えたメディアが「どう責任をとるんですか!」とマイクを突き付ける。自宅には連日、右翼の街宣車が押しかける。この騒ぎは、政府に対する一切の異論を許さない戦時下の統制社会の再来を思わせるものだった。
 とはいえ、鳩山に同行した私や新右翼団体「一水会」の木村三浩代表、それに昨夏クリミアを訪れて「ロシアの実効支配の下でクリミアは平穏」などと最近の週刊文春で2回続きのリポートを書いた池上彰などは、とくに名指しの攻撃に遭っているわけではない。やはり「元首相たるものが政府の方針に逆らう言動をするのはけしからん」というに尽きるのだろう。
 しかし、民主党政権の首相だった彼が自民党政権の言うとおりにしなければならないという法はないし、むしろ「元首相であって今は一民間人」であるからこそ、膠着しきった日露の外交関係改善の糸口を政府とは別の角度から探るという役割もあって、それはまたひとつの責任の果たし方なのではあるまいか。米大統領を辞めてからのカーターが、北朝鮮はじめ難しい国や地域を訪れて解きほぐし役を務めている例もある。
 総じて日本の外交は建前ばかりにしがみつく「一枚板」でしかない。建前はそうでも、一枚めくるとちゃんと裏パイプでの本音ベースの模索は続いていて、さらにもう一枚めくると最後の落としどころは密かに用意されているという具合に、どの国も二枚腰、三枚腰でやっているのが外交というものである。
 とりわけウクライナ危機とクリミア問題をめぐっては、日本では、米欧の立場から見た「ロシアが悪い」一本槍の情報しか流れていない。安倍晋三首相は、せっかくプーチン大統領と親交を積み上げて北方領土問題を打開するチャンスを手にしておきながら、極めて安易かつ軽率に米欧の対露経済制裁に馳せ参じてしまい、身動きがとれなくなっている。西側の言い分はそうとして、ではロシア側はどういう言い分で、現地の実情はどうなのかを探りに元首相が出かけて行くというのは十分、国益に沿ったことだと思うのだが、それが通じないのがこの国だ。
 なお、鳩山、木村、私ほかの共著「ウクライナ危機の実相と日露関係」(花伝社)が今週発売された。この問題に興味があれば、ぜひご一読いただきたい。(水曜掲載)
▽〈たかの・はじめ〉1944年生まれ。「インサイダー」「THE JOURNAL」などを主宰。「沖縄に海兵隊はいらない!」ほか著書多数。

150318 斎藤美奈子の東京新聞コラムにはまった!これは癖になる!

2015年03月19日 02時39分30秒 | 考える資料
3月18日(水):

 今頃と笑われるかもしれないが、安倍ポチの宦官曽我豪を編集委員に抱え、責任が発生しそうな難しい発言は全部外注する腰抜け朝日新聞を購読している身では仕方がない。「東京新聞に変えようかなあ。東京新聞を取りたいな」と本気で思う今日この頃です。
 去勢豚の宦官曽我豪朝日新聞編集委員よ「斎藤美奈子の反骨の爪の垢でも煎じて飲ませて頂き、自分が汚い権力の幇間・手先であることに恥を知れ!」一定以上の知性をもつ購読者は、みんながおまえのようなコソ泥・道化記者を軽蔑して、笑って(怒って)いるぞ!もう一度言う「恥を知れ!」「朝日新聞を辞めろ!」

追伸160921:「151101 52万PV超: part2 斎藤美奈子の東京新聞コラムにはまった!これは癖になる!」も訪れてみて下さいませm(_ _)m。
                                           
2013年2月27日


【本音のコラム】厚顔なセールス  斎藤美奈子 (東京新聞 2013年5月8日)
 大型連休中、財界の御大ご一行様を引き連れ、中東へのセールス行脚に出かけた安倍晋三首相。その甲斐あって、アラブ首長国連邦(UAE))での原子力協定合意に続き、トルコでは原発の受注にも成功したようだ。
 自分ちの重大事故も何ひとつ解決していないのに、「事故の素」をいけしゃあしゃあと他国に売りこむ。セールストークは「日本は地震に強い、世界で最も高い安全基準を満たす技術でトルコに協力したい」。聞きしにまさる厚顔無恥、というより死の商人ぶりである。
 これを伝えるニュースや論説がまた笑わせてくれる。<中国や韓国と競争の末、耐震性など日本の技術力が評価された意義は大きい>(読売新聞6日社説)<日仏の原発メーカーは最新鋭の技術で信頼を積み重ねてきた>(日経新聞5日社説)。よくいうわ!
 まあ、売るほうも売るほうだが、買うほうも買うほうだ。いったいトルコは日本の何に釣られたのだろうか。中東の安定化に日本が出すと申し出た22億ドル(約2140億円)規模の支援金か。あるいは「(1昨年の事故のこともあるから)勉強しときまっせ」とでもいわれたのか。
 商談成立の記念に、日本政府はトルコ首脳を日本に招くべきだろう。そして福島に案内し日本の原発がいかに「安全」か見ていただく。技術に自信があるならできるでしょ。

2013年5月15日

【本音のコラム】女性の道具化 斎藤美奈子 (東京新聞 2013年5月15日)
「米軍の司令官に、もっと風俗業を活用してほしいと言った」「慰安婦制度は必要だった」
橋下徹大阪市長の一連の発言は暴言なんてレベルじゃない。言葉の性暴力とお呼びしたい。
「軍人の性的欲求がゼロになるわけがない。何らかの解消策を真正面から考えないといけない」
このような発想は、彼の頭の中が戦前戦中の軍人や政治家と大差ないことを物語っている。
一九四五年八月十八日(玉音放送のわずか三日後だ)、日本政府は全国に通牒を発令し、占領軍兵士向けの「特殊慰安施設協会(RAA)」を設立した。性の相手をする女性は「女子事務員募集」などの名目で集められた。戦中の慰安婦募集も同じような手口だったのではと思わせる。
GHQが拒否したことでRAAば翌年廃止されたが、今回の橋下&米司令官のやりとりを彷彿させるものがある。
もっとも与党自民党の閣僚の口がら「慰安婦制度は女性の人権に対する侵害だ」などの発言が出るのもちゃんちゃらおかしい。つい最近まで河野談話の見直しに躍起だったのはどの党か。
おりしも政府の「少子化危機突破タスクフォース」とやらが早めの妊娠出産を奨励する「女性手帳」の導入を企てて総スカンにあったばかり。女性は「性の道具」か「産む道具」。時代錯誤すぎてヘソが茶を沸かしそうだわよ。(文芸評論家)

【本音のコラム】責任転嫁大王 斎藤美奈子 (東京新聞 2013年5月22日)
 暴言は連鎖する。「軍と売春はつきもの」と述べた日本維新の会の石原慎太郎代表。「韓国人の売春婦がウヨウヨ」とは西村眞悟議員。いずれも橋下徹大阪市長の慰安婦は「必要だった」発言から派生した言葉だ。
 石原、西村両氏はもともと差別発言大王である。維新の会の人材の豊富さに感心するが、同党の対応もむちゃくちゃである。石原氏は放置。西村氏は除籍。当の橋下氏は全方位的に侮蔑的な暴言を吐きまくっている。
 「性奴隷」という海外報道に不満を述べ、米政府の批判には「アンフェアだ」。メディアには「大誤報をやられた」といい、あげく「もう囲み会見はしない」。「日本人の読解力不足」にいたっては支離滅裂。責任転嫁大王である。
 しかし、社説で橋下発言を批判した新聞各紙はなぜあっさり会見を再開させたのだろう。その前に「大誤報」への訂正と謝罪を求めるのが先じゃないのか。自民党ほか大阪市議会議員は、なぜ市長の不信任案を提出しないのだろう。党幹部の橋下批判は耳には入らなかったのか。
 メディアや議会のこうしたアイマイな態度が、歴史認識をめぐって二転三転する安倍晋三首相を含め、政治家の無責任な発言を許してきたのではなかったか。記者も議員も責任をともなう言論の当事者なのだ。見物人みたいなふりしてちゃダメだよ。 (文芸評論家)

【本音のコラム】改憲後を先取り 斎藤美奈子 (東京新聞 2013年5月29日)
 17日に閣議決定された生活保護法改正案は、「今後はもう保護には頼らないでね」という意図が見え見えの法案だ。 保護申請者に資産や収入を記した書類の提出を義務づける。受給が決まったら、扶養義務者(親族など)に書面で提出する。場合によっては親族の資産や収入まで洗いざらし調査される。
 ここで威力を発揮するのが24日に可決成立したマイナンバー法(共通番号制)である。この法律で、収入、納税、年金、保険などの記録を含む90項目以上の個人情報を行政が管理できるようになった。これさえあれば鬼に金棒。保護が申請されたら、行政は親族の資産や収入を一発で調査できる。そしていうのだ。「ご家庭にこれだけ収入があれば生活保護は必要ありませんね」。
 なんと巧妙な連係プレー。政府はマイナンバー導入の理由を「行政の効率化」だと説明するが、誰のための効率化なんですかね。両方の裏を考えると、自民党の改憲草案に行き当たる。
 現行憲法の「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換えるなど、草案は明らかに基本的人権の制限を狙っている。「家族の助け合い」を条文に加え(24条)、「財政の健全性」をうたって(83条)福祉予算の削減を正当化する。96条を改正するまでもない。改憲草案の狙いはとっくに先取りされているのだ。 (文芸評論家)

2013年7月31日 この記事に注目!


2013年8月28日


2013年9月4日


2013年10月9日


2013年10月30日


2013年11月6日


2013年12月24日


【本音のコラム】 原発立地の問題 斎藤美奈子 (東京新聞 2014年4月30日)
 広瀬隆さんの講演録を読んでいて、シンプルかつ重大な事実に今さらながら気がついた。
 日本列島の上空には偏西風が吹いている。九州や四国に上陸した台風の進路予想図を思い出していただきたい。必ず北東方向(地図上の右上方向)に進みますよね。
 原発事故で放出された放射性物質が拡散する経路もこれと同じ。現在、再稼働に向けて最優先で安全審査が進められている川内原発(鹿児島県)は、九州の南西部(地図上の左下)に位置しており、ここで事故が起きたら日本列島をなめるような形で放射性物質が全国に拡散するのは必至。
 四国の西端(地図上の左端)に位置する伊方原発(愛媛県)で事故が起きた場合も、瀬戸内を死の海に変え、やはり被害は全国に及ぶだろう。九州の北西部に立つ玄海原発(佐賀県)や山陰地方の真ん中あたりにある島根原発(島根県)の事故は日本海を直撃する。
 どこに立地していようと原発が危険なことに変わりはないけれど「よりにもよって、なんでこんな場所に建ててんだ!」な思いを強くする。
 福島第一原発から漏れた放射性物質の8割は太平洋に流れたという。それでも避難者は13万人超。13日の伊方町長選でも27日の衆院鹿児島2区補選でも原発の再稼動は焦点にならなかった。西日本の原発立地地域の責任はことのほか重いのに。(文芸評論家)


2014年5月21日


2014年6月18日


7月2日 集団的自衛権行使容認に物申す(東京新聞)
>【本音のコラム】「代償は大きい」 斎藤美奈子(東京新聞 2014年7月2日)
 しまった。解釈改憲なんてまやかしの用語をいわれるままに使うんじゃなかった。集団的自衛権の行使とは「大国と結託して他国に戦争をしかける権利」のことだと、もっとハッキリいうんだった。
 政府与党は憲法9条の解釈を変えたのではない。9条を「廃棄処分」にしたのである。
 それでどうなるの?
 ①国内の都市がテロの標的となる。②テロ対策に莫大(ばくだい)な予算と人員が割かれる。③必然的に福祉予算は削減される。④海外、特に中東での企業活動や非営利活動がしにくくなる。⑤対中、対韓関係はさらに悪化し、東アジアの緊張が高まる。⑥自衛隊員に戦死者が出て、士気が下がる。⑦応募者が漸減し、徴兵制が現実味を帯びる。⑧デタラメな法の解釈を許した以上、もう法治国家ではないも同然。⑩学校で教える憲法の3原則もうそになる。
 半世紀以上かけて築いた「戦争をしない国」のブランドをむざむざ捨てた代償は、私たちに跳ね返ってくる。どこか遠い戦地の話じゃないのである。(文芸評論家)

9月10日


9月17日


10月22日


11月5日


11月19日


2014年12月17日


2014年12月24日


2015年1月7日


2015年1月21日


1月28日


2月4日


2月11日


3月11日


※きりがないので寝ます。→ ※その後増えてます。

150318 沖縄と共に怒ろう!自国民を凌辱する政府は、政府じゃない!:田中龍作ジャーナル&室井佑月コラム

2015年03月18日 20時08分02秒 | 徒然・雑感
3月18日(水):

現政府が沖縄でやっていることは、犯罪だ。そして、海上保安庁は、国民の支持を失ってどうやって日本の海域を守るつもりだ。沖縄をいじめる“海猿”は、本当にイメージが悪い、格好悪いぞ!

辺野古基地建設「これは沖縄と日本政府の戦いだ」
http://tanakaryusaku.jp/2015/03/00010830  2015年3月17日 23:45 田中龍作ジャーナル

「抗議のボートに体当たりする海保の警備艇」証拠写真をかざす玉城デニー議員(衆院・沖縄3区)。右は安次富・ヘリ基地反対協議会共同代表。=17日、参院会館 写真:筆者=
 海上保安庁の警備艇が猛スピードで抗議のゴムボートにぶつかる。暴走族のスポーツカーが自転車に衝突するようなものだ。
 陸上では基地反対運動のリーダーが米軍のセキュリティー(日本人の基地従業員・雇用主は日本政府)に引き倒されて拘束された。
 安倍首相は翁長知事に会おうともしない。その一方でボーリング調査はすでに始まった。辺野古基地本体の埋め立て工事は夏にも着手されそうだ。
 住民の意向は全く聞き入れられず、国家による暴力で事が進んでいる。
 こうした事態を受けて、今夕、参院会館で「辺野古新基地問題を考える院内集会」が開かれた。(主催:沖縄等米軍基地問題議員懇談会)
 沖縄からはヘリ基地反対協議会の安次富(あしとみ)浩・共同代表が駆けつけた。
 「辺野古だけでなく南部からも北部からもバスを仕立てて(キャンプシュワブのゲート前に)座り込みに来る。沖縄全土の戦いになっている。これは沖縄と日本政府の戦いなんです」。安次富・共同代表は怒りを込めた。
 「辺野古は滑走路だけではない。(米軍は)最大級の強襲揚陸艦が接岸できる埠頭を作り、大浦湾を軍港にしようとしている。こういう事実をどうして在京紙は報道しないのか?」。安次富氏はマスコミにも不信感を示した。

強襲揚陸艦が接岸できる軍港の建設予定地。本体工事着手を前に作業台船が現場海域に出ていた。=2月、大浦湾 写真:筆者=
 「にじてぃ・にじららん。沖縄の怒りは受忍限度を超えている」。照屋寛徳議員(衆院・沖縄2区)も安次富氏と同じように怒りを表した。
 「戦争をするための辺野古基地は作らせない。(本土の人は)同情ではなく真に連帯する意志を寄せてほしい」。照屋議員は声をふり絞るようにして訴えた。
 沖縄は先の戦争で本土防衛のための犠牲となり、戦後は在日米軍基地の約75%を背負わされた。
 「核抜き本土並み」という条件で佐藤栄作首相(当時)が米国から返還を勝ち取った沖縄。返還とは何だったのだろうか?
 「1972年以降も、復帰前と変わらず、米兵から被害を受けている。私たちの自己決定権を実現したい。永田町の住民に将来を ゆだねる つもりはない」。安次富・ヘリ基地反対協議会共同代表の言葉が事態を象徴している。


ホステスとメディアは似ている? 室井佑月のメディア評〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150318-00000002-sasahi-soci  週刊朝日  2015年3月20日号
 作家の室井佑月氏は、自身のホステス経験を踏まえて、メディアの扱う情報の出し方についてこういう。
*  *  *
 ホステスをしているときに、言いたくないことは言わない、そのかわり言ってもいい事実は、聞かれてなくてもしゃべりまくる、という技術を学んだ。
 これがどういう効果を生むかというと、秘密がない開けっぴろげな人に見えるようだ。
 ほんとうのところは、どうでもいいことを過剰に話しているだけなのにね。ま、言いたくないことは言わないだけで、嘘は言っていないわな。
 あたしがなぜこんな話をするかというと、このところの報道にもこれに似た感じをうけるからだ。
 ここんとこ、テレビをつけると「川崎の少年リンチ殺人」と「家具屋の喧嘩」のことばかり。
 川崎の少年リンチ殺人についていえば、同世代の子のいる母親として、どうしてこんな悲惨な事件が起こったか知りたくもあった。
 しかし、1週間以上、連続して、電波を流し伝えることなのかね? 犯人の逮捕が遅かったこともあるんだろうけど。
 被害者は当時まだ中学1年生の13歳。犯人逮捕という新たな展開がなかったためか、メディアは被害者側の家族構成や、生活環境などを洗いまくった。
 被害者遺族がそんなこと望んでいるわけない。あたしはこれは、セカンドレイプみたいなものだと思う。
 視聴者は、少年の生い立ちを知り、
(うちとはぜんぜん違っているから大丈夫なんだわ)
 そう考えて安心しろってか。
 たくさん時間を割いたので、テレビ局はもうこの件についてはブームは去ったと、犯人逮捕をさらっと報道するだけかもな。加害者も未成年らしいし、弁護士がつくだろうから、面倒臭いことには巻き込まれたくないだろうし。
 すると、今度は週刊誌あたりが、加害者の生い立ち情報合戦を繰り広げるかもしれない(この原稿が出るころにははっきりする)。
 あたしが今、なにを言いたいかというと、メディアがおかしいってこと。
 あたしたちに家具屋の喧嘩情報は必要か? 必要ないわな。自分の情報キャパシティーが、こういった情報で埋められていくのが腹立たしい。
 福島第一原発から漏れている高濃度汚染水が海に流れていた件はどうなった?廃炉に向けた工程表に遅れがあるって言っている人がいるけど、ぜんぜんニュースにならないね。
 辺野古の件はどうなった? 移設反対派2人が米軍に拘束され、県警に不当逮捕されたみたいだけれど。
 政治家たちの金の問題も、一瞬だけ騒ぎ、そこから深く追及しようとしない。天皇陛下や皇太子さまのあれだけの平和への願いも、軽く扱われる始末。
 この国の一員として、知っておかねばならない大事なことはたくさんある。なのに日々、不要な情報を詰めこまれ、大事なほうをさらっと受け流してしまう。
 ま、メディアは嘘は言ってない。面倒臭いことはしたくないだけ。


※マスメディアの不作為による未必の故意は目にあまる。

150317 参議院「八紘一宇」発言、「無知の無恥」の極み。国会がネトウヨ掲示板化。過激な言葉を競う愚か者

2015年03月18日 00時09分11秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
   レベル低過ぎ。

東京新聞 3月18日
「八紘一宇」持ち出した三原じゅん子氏に沈黙する国会の異常
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158149   2015年3月17日 日刊ゲンダイ
 まさか、21世紀の国会で、この言葉を聞くとは思わなかった。16日の参院予算委で、質問に立った自民党の三原じゅん子議員(50)が「八紘一宇」という戦前・戦中のスローガンを唐突に持ち出し、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」とまで言ってのけた。
 八紘一宇とは「全世界を天皇の下にひとつの家のようにする」という意味が込められている。先の大戦中には朝鮮半島・台湾の植民地化、中国・東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして喧伝された。
 三原議員の発言は企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した。「八紘一宇の理念の下に、税の仕組みを運用していくことを安倍総理こそが世界に提案すべきだ」と語ったが、この時代がかったセンス、戦前日本の侵略行為への無反省、戦前回帰の発想にはホント、目まいがしてくる。
 敗戦を12歳で迎えた筑波大名誉教授の小林弥六氏はこう嘆く。
「これが戦争を劇画的にしか知らない世代の恐ろしさなのでしょう。戦時下の『八紘一宇』の背後には、世界を日本を中心とした“ひとつの家”にするという思い上がった発想がありました。それこそが日本が道を誤った大きな理由で、その反省の上に現在の平和がある。日本の軍国化を進める安倍首相の下、国会は今、この言葉が出てきても不思議じゃない状況になってしまった。国会の戦前回帰も極まれりですが、国民まで黙認してしまえば、国際社会から“日本人は再び戦争をしたいのか”と誤解されるだけです」
 一昔前なら大問題となったはずの暴言だが、16日の参院予算委で三原議員の発言をとがめる議員はゼロ。共産党も社民党も黙って聞き流していた。この国はもはや行き着くところまで来てしまったのか。


そう言えば、二日ほど前の報道ステーションで、ゲストが「片手落ち」という言葉を使っても、古舘伊知郎は訂正しなかった。みんなが投げ遣りになっているようだ。それで済むと思ってるのか!

4 062 米原万里「米原万里の「愛の法則」」(集英社新書:2007) 感想4+

2015年03月17日 23時18分03秒 | 一日一冊読書開始
3月17日(火):

188ページ  所要時間 3:25   アマゾン258円(1+257)

著者没後出版(1950~2006;56歳)。

著者の亡くなった後、生前の4つの講演記録を書き起こしてまとめたもの。原著群に比べると、やや薄口感と既視感は否めないが、やはり良い。著者が、ロシア文学だけでなく、日本文学についても恐るべき読書家であり、良い通訳者になるための条件は、両方の文学の達人になることであり、もう一つ、母語と英語と第三外国語の素養が絶対に必要だ。通訳界では、英語が90%に、英語以外の言語が10%だが、英語の通訳たちが数の割には一番面白くない連中である。英語以外の通訳は、みな面白い人間が多い。彼らは専門の言語以外に、必ず英語ができる。母語と専門言語と英語の三角形が、英語及び英語世界を相対化できるからだ。

 チェコ・プラハのロシア語学校の授業では、読書で「感想」を聴かれることは全く無かった。それより呼んだ作品の「梗概・内容」を再現説明することを常に求められた。感想は要らないが、読んだ作品の内容を必ず説明することを求められることが読書を立体的なものにした。

 語学上達の方法として、単語をその都度調べる方法を否定し、自分が面白いと思う作品をできる限り辞書を引くことなく文脈で想像することを最大限重視して作品を最初から終わりまで読み切る経験をこなしていく。20%ぐらいの単語がわからなくても、物語の梗概は分かる。それを繰り返していくことによって、作品をとにかく読み切る経験を重ねていくことによって上達を目指すのが、語学学習の遠回りに見えて、最短の王道なのだ。

 通訳になる場合も、単語にこだわっていては通訳にはなれない。むしろコンテキストを重視して、単語の意味以前に存在する意味そのものをつかむようにすることが最も重要である。逐一の単語の意味に拘り、強迫的に逐語訳することを目指す者は通訳者になれない。 

【目次】第1章 愛の法則(世界的名作の主人公はけしからん!/もてるタイプは時代や地域で異なる ほか)/第2章 国際化とグローバリゼーションのあいだ(「国際」は国と国とのあいだ/国を成立させる要素 ほか)/第3章 理解と誤解のあいだー通訳の限界と可能性(同時通訳は神様か悪魔か魔法使い?!/濡れ場の多いベストセラー小説『失楽園』 ほか)/第4章 通訳と翻訳の違い(言葉を相手にする通訳と翻訳/小説を楽しめる語学力があれば通訳になれる ほか)

表紙裏紹介文:稀有の語り手でもあった米原万里、最初で最後の爆笑講演集。世の中に男と女は半々。相手はたくさんいるはずなのに、なぜ「この人」でなくてはダメなのか―“愛の法則”では、生物学、遺伝学をふまえ、「女が本流、男はサンプル」という衝撃の学説!?を縦横無尽に分析・考察する。また“国際化とグローバリゼーション”では、この二つの言葉はけっして同義語ではなく、後者は強国の基準を押しつける、むしろ対義語である実態を鋭く指摘する。四つの講演は、「人はコミュニケーションを求めてやまない生き物である」という信念に貫かれている。

150316 日刊ゲンダイ:NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」

2015年03月16日 20時06分33秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
3月16日(月):

NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」 
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158019  2015年3月16日 日刊ゲンダイ

■国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常

 相変わらず安倍政権の支持率は高いが、不思議なことだ。庶民にアベノミクスの恩恵はまったくないし、イスラム国の人質事件は最悪の結末に終わった。政治とカネの醜聞が噴出し、大臣がまた辞任した。そんな中で、安倍政権は平和憲法をかなぐり捨てる法整備を進めているのに、世論は怒るわけでもない。その理由を尋ねると、来日して12年になるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏からは明快な答えが返ってきた。

「報じない大メディアが悪いのです」――。

――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、戦争協力する法案が提出されることになります。国の形が完全に変わってしまうのに、日本人は関心も示さない。どう思いますか?

 こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです。

――やっぱり、怖がっているように見えますか?

 見えますよ。日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。果たして、それでいいのか。大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。これは本当に不思議なことです。恐らく多くの国民は、戦後以来の大きな変化が起こっていることすら知らないんじゃないですか。私は何も新聞に反安倍のキャンペーンをやれと言っているわけではないんです。安倍政権はこういうことをやろうとしているけれども、そこにはこういう問題点や危険性がある。こういう別の意見もある。せめてさまざまな立場の見方を紹介して、幅広い議論を喚起することが必要なんじゃないですか。

――しかし、それすら大新聞はめったにやらない。何か安全保障の問題はタブー視されているような印象すらありますね。

 なぜ、タブー視されるのでしょうか。9・11の直後、米国では国を守るためには団結しなければダメだという危機感がメディアの批判精神を鈍らせました。これは大きな失敗でした。あの時こそ、メディアは冷静になって、きちんとブッシュ政権に問うべきだったんです。本当にイラクに大量破壊兵器はあるのか。本当に、この戦争をしなければいけないのか。しかし、それをやらなかった。それと同じ失敗を日本のメディアは犯そうとしていますね。いま、日本の国家はどういう危機に直面しているのでしょうか? 台頭する中国への不安や懸念ですか? イスラム国の脅威ですか? そんな小さなことでジャーナリズムが批判精神を失うのでしょうか。

――イスラム国の人質事件ではニューヨーク・タイムズ紙に掲載された風刺画が非常に印象に残っています。「イスラム国は平和主義から逸脱する日本を後押しするか」というタイトルで、車夫(=日本人)の鼻先にイスラム国の旗をぶら下げ、「憲法改正」の車を走らせる安倍首相が描かれていた。キャプションには「安倍晋三“大統領”は復讐を呼びかけた」とあった。

 ニューヨーク・タイムズの論評を扱う部署には複数の風刺画家がいます。そのうちのひとりがアイデアを提示した。私が関わったわけじゃありません。

■権力を見ない新聞を国民が信じますか?
 
孫崎亨氏(右)との対談本も出版した(C)日刊ゲンダイ

――ということは、米国人は一般的に安倍首相のことを、そういう目で見ているということですね?

 そうだと思いますね。ひとりがアイデアを出して、みんながそうだね、と賛同したわけでしょうからね。

――それなのに、日本の大メディアは風刺画どころか、安倍政権が人質救出に何をしたのか、しなかったのか。イスラム国と戦う国への2億ドル支援演説の是非もほとんど論じていませんね。

 私は中東で調査をしたわけではありませんが、東京から見ている限り、安倍政権はあらゆるルートを駆使したわけではないでしょう。最初からあきらめていたように見えます。身代金の支払いにしても早い段階から拒否しているし、この事件を政治的に利用し、テロに屈しないと宣言して米英の一員であることを国内外にアピールするのが狙いだったように感じました。

――人質救出に全力を挙げると言っていましたけどね。

 政治っていうのは、みんなそんなもんですよ。オバマ政権も一緒です。ただ違うのはメディアが政府の言い分をうのみにするかどうかです。私は列強の仲間入りをしたいという安倍首相が悪いとは言いません。彼は素直に自分のやりたいことをやっている。それは就任前の言動から容易に推測できたことです。問題はそれに疑問も挟まず、従って何の質問もせず、説明も求めないメディアの方です。だから、安倍首相が積極的平和主義を唱えれば、多くの国民が何の疑問も持たずに“そんなもんか”と思ってしまう。ここが危険なところです。

――積極的平和主義で、米国と一緒になって戦う。それが日本を守ることになる。こういう主張の政治家、官僚、学者、評論家たちは、米国がやっていることが正義であるという大前提に立っていますね。ただし、そういう人々の多くは、アーミテージ元国務副長官に代表されるジャパンハンドラーと呼ばれる人としか付き合っていない。このほど、ファクラーさんが出された孫崎享さん(元外務省国際情報局長)との対談本、「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)の中には、こういうことが書いてあって、本当に驚きました。ハンドラーという言葉は「犬を扱う」ようなイメージだというし、そのジャパンハンドラーの人々が米国を動かしているわけでもない。これは非常におかしなことだと思います。

 ジャパンハンドラーの人々は非常に保守的で、オバマ政権にも入っていないし、決して米国の意見を代表しているわけではありません。それなのに、自民党の政治家や外務省の官僚はジャパンハンドラ―に頼ってしまう。

――対談本でファクラーさんは、「ジャパンハンドラーは『既得権益集団』で、コンサルティンググループなどをつくり、強欲な商売をしている」とおっしゃっていた。

 鳩山政権の時に脱官僚を唱えた瞬間、日米関係がぶっ壊れたでしょ? あんなにすぐ壊れるものかと驚きました。このことは日米のパイプがいかに細いかの裏返しです。一部の自民党の政治家や官僚とジャパンハンドラーとの付き合いしかないのです。日米関係に関わっている人は非常に少数で、そういう人が同盟関係を管理している。だから、普天間基地の移転問題にしても辺野古しかないという結論になってしまう。もっと幅広い人脈と付き合っていれば、さまざまな意見、選択肢が出てくるはずです。

――集団的自衛権についても、それが日米同盟では当たり前ということになってしまう。

 確かに戦後70年間、米国と一緒にやってきて、ある意味、安全だった過去の実績はあります。でも、今後もそれでいいのか。平和憲法を捨てず、平和主義を貫く選択肢もあるし、鳩山政権や小沢一郎氏が唱えたようなアジア重視の道もある。どちらがいいかは国民が考えた上で決めるべきです。

――ところが、日本人には、それを判断する情報すら与えられていないんですよ。新聞が選択肢すら報じないものだから。

 日本のエリートの上の方で、物事が決まっている。大きな新聞はそちらの方を見て記事を書いている。そんな印象ですね。新聞社は読者の側に立って、権力を見ていない。権力者の側に立って、国民を見下ろしている。そんなふうに感じます。こんな新聞を国民は信じますか? 

――このまま米国追随路線をエスカレートさせたら、この国はどうなっていくと思われますか?

 イスラム国のような事件がまた起こりますよ。米英豪仏などと同じ一員になれば、彼らの敵が日本の敵にもなる。日本人はそこまでの覚悟をしているのでしょうか。いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない。戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。健全な民主主義に不可欠なのは議論なのに、それを忘れているとしか思えません。

▽マーティン・ファクラー 1966年生まれ。ダートマス大卒業後、イリノイ大、カリフォルニア大バークレー校で修士。ブルームバーグ東京支局、AP通信東京支局、ウォールストリート・ジャーナル東京支局などを経て、ニューヨーク・タイムズ東京支局長。近著に「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)。

4 060&4 061 伊藤理佐「やっちまったよ一戸建て!!①&②」(文春文庫+:2001) 感想 4

2015年03月16日 04時27分43秒 | 一日一冊読書開始
3月16日(日):
    吉田戦車と伊藤理佐夫妻(2007年再婚)
① 173ページ  所要時間 3:00   アマゾン388(131+257)円
② 176ページ  所要時間 3:00   アマゾン379(122+257)円

著者32歳(1969生まれ)。マンガ家。

 今日は読書できないと思っていたが、本書2冊をもって入浴。風呂の中でマッタリしながらpm7:45~am1:45まで、途中何度か意識を失いそうになりながら6時間延々と読んでしまった。むちゃくちゃといわれると困るが、けっこう面白おかしく読めた。

 著者は行きあたりばったり、出たとこ勝負で流されるみたいなところがある。「土地を買うなら今しかない」という言葉に踊らされて活動開始。怪しい(実はいい人)不動産屋と出会い、気に入った土地との出会いを結婚に例え、銀行にカネを借りようとするが相手にされない。一行だけ貸してくれた銀行から「購入した土地に一年半以内に新築をする」という条件を追加されて大慌て、10年ぐらいかけて家を建てようという予定が一挙に崩れる。いきなり1999年中、30歳で家を建てることになった。

 とは言え、家を建てる金なんてない。結局、2年半前に5540万円で購入して住んでいる、まだ1700万円ローンが残っているマンションを泣く泣く4100万円で売って工面するはめになる。新築に3000万円の費用がかかるので、差し引き600万円の借金に追われる状態だ。

 不動産屋のつてで、怪しい一級建築士と工務店(実はいい人たち)を紹介されるが、ミサワホームの提示する建築プランと両天秤にかけ、自分を「悪い女」に例える。結局、王道のミサワホームを袖にして、個性の一級建築士を選ぶ。そこから、マンション売却の広告を出し、4500万円から4100万円まで値引きを迫られ、2年半の家賃計算でひと月40万円近い家賃で生活していたことになると愕然とする。

 施主である著者の要望を聴き、家が完成するその日まで、どこまでも希望にこたえようと努力し続ける建築士の先生と工務店さんには少し感動した。しかし、三階建ての家の基本構想が固まるはじめの重大な質問が建築士の先生から発された時には笑えた。結婚、出産など将来設計の全くない施主に対して「このままでは一人用一軒家になる。ワンルーム一軒家になる」と警鐘を鳴らしたのだ。

 もともと銀行のローンの条件で予定のなかった家を建てるのだから、確かにおかしな家になっていくが仕方がない。それでも、地鎮祭が行われ、基礎工事が念入りに始まり、棟上げ式の日、一気に柱の骨組みが組み上げられ、その日は施主、建築士、工務店、大工他職人さんたちの宴会が盛大に行われる。一方で、キッチン、ふろ、トイレ、洗面台などを決めるショールーム回りに建築士、工務店と一緒に出かける。

 一旦、建築が始まると家は3カ月ほどで出来上がる。その間、家が日々形を成していく中、施主もいろいろやることがあって忙しい。著者は、いま住むマンションを売りに出しながら、家の完成と同時に買い手に引き渡すためのせわしない引っ越しをせねばならず大変な思いをする。

 引っ越したあとも新居にはさまざまな不具合があり、それをいちいち直してもらうように申告し続ける。入居した後も、建築は終わっていないのだ。家を建てるというのは、本当に多くの人々との関わりの中で大変な事業だ。読んでいて、「きついなあ」としり込みするような気分になったが、著者の最後の言葉が、「大変だったけど、土地とお金を誰かが用意してくれるなら、今すぐにでももう一度家を建ててみたい。楽しかった。この家が最後になるとは思わない(またいつか新しい家を建てる気がする)」というものだった。これも家造りには、やはり他では味わえない醍醐味がある、というのも真理なのだろう。

 家を建てるというのは、さまざまなトラブルを面白がる精神的タフさが求められれが、逆に日常では味わえないさまざまな人たちとの共同・協力によってひとつの目標を成し遂げる快感が、事後にも忘れられない、ある意味「癖になる」ような思い出を残すのだろう。

アマゾン紹介文:①男なし、お金なし、信用なし。そんな三十路に突入した著者が7千万で家を建てることを決意!不動産屋は敵なのか?銀行へお金を借りに行くと、どんな応対をされるのか?理想の間取りは実現するのか?「人生最大の買い物」を実行に移すべく大奮闘の日々を綴った爆笑ドキュメントコミックがついに文庫化!これを読めば、あなたも家が建つ。 ②ゼロからの家造りもいよいよ後半戦に突入!工務店や設計士らと密に話し合いながら、部屋のデザイン、防犯やシックハウス対策など、ひとつひとつ丁寧にクリアー。厳かな「地鎮祭」や意外に楽しい「棟上げ」の行事も新鮮。大工との付き合い方など、素人の目から家造りを分かり易く綴った爆笑ドキュメントコミック。「近況報告」を新たに収録。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)