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日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

角打ち

2021-07-11 16:45:12 | 文化
  「角打ち」

 令和3年7月11日(日)、恒例の「角打ち」を、I君の「〇〇庵」でしました。気の合う同級生が集まり、風通しのいい状態で、話が尽きない感じで、最後まで話し込みました。
 「角打ち」、コロナ禍で、やむなく自粛傾向ですが、私は、アルコールなしでの参加でした。
 10:30に始まって、I君の作った手料理を美味しく頂きながら、14:30過ぎまで、いろんな話題が次から次へと出て、盛り上がりました。
 話の内容が、コロナウイルスやコロナワクチンの話だけでなく、免疫力を付けるには、自律神経がとても大切なこと、お酒の種類、中学時代の修学旅行など、多岐に渡って。
 もう、この歳になると、皆、仕事の第一線から退いているので、仕事をしている人も、セーブしての仕事となっていて、やはり、ついつい、年金や健康の話となってしまいますが・・・。
 篠笛を持って行って、「越天楽」と「荒城の月」と「高校三年生」の曲を吹きました。真剣に聴いて頂いて、ホント、良かったです。
 ありがとうございました。とても楽しかったです。来年も、宜しくお願い致します。

 
*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E6%89%93%E3%81%A1(←角打ち)


三児の父親

2021-07-10 08:18:30 | 生き方
「三児の父親」

 11月16日午前1時52分に、3.270gの第3子(長男)が生まれた。
 長女が出生の時には、私は都農町立病院に出張中であり、早朝に医局長から、「田原君、女の子だよ。元気だよ。」と電話連絡があり、宮崎医科大学の産婦人科に帰ってみると(8人ほどのベビーがそこにいたが)、唯一人自分の子どもだけが保育器に入っていた。口をポカンと開けていて、色の黒い2.360gの女の子だった。
 次女の出生の時には、骨盤位であったので、私が付いていた。西田病院の手術室で帝王切開の準備をしている最中に、幸いにも生まれた。逆子の為に、ETみたいな顔で、これでまともな女の子の顔になるのだろうかと心配したものである。やはり色の黒い2.800gの女の子であった。
 第3子(伸一)は、手足の細い、二重まぶたの、口元の引き締まった、ほっそりして感じの、ハンサムな、色の白い3.270gの男の子であった。
 私の場合、卒業して医師国家試験が終わってから(父の誕生日の4月18日に)直ぐに結婚式を挙げたが、新婚旅行は、臼杵の石仏を見ただけであった。県病での手取りは1カ月7万しかなく(7万の内、2万が家賃であったが)、100万の女房の貯金を小刻みに使って行き、1カ月半後に医大に就職した時には、その残高が一桁になっていた。
 周りから、「まだ、赤ちゃんは?」と言う声が多かったが、経済的な理由で3年間は、作らなかった(作れなかったのではない。念の為に)。
 医大に行ってからは、直ぐに文部教官助手にしてもらったし、バイトもして、手取りが25万前後になり、それでテレビを買い、カメラも買い、前から買いたかった医学の本も沢山買い、それでも金銭面で少しゆとりが出来たので、子どもを作ることにした。
 星占いの本を見て、生まれる日が自分達とちょうど120度になる様に計画し、その通りにすることが出来た。生まれても仕事の方が忙しくて長女の顔をまともに見ることは少なく、私の家は母子家庭同然であった。つまり、私は朝早く行き、夜は深夜の0時近くに帰ることが多かった。
 昭和55年3月末に西田病院に就職して忙しく働いていたら、「あんまり忙し過ぎて子どもを作る暇がないのでは?」とか、「夫婦生活はどうなっているんじゃろうか?」とか、周りの人が色々うるさいので、又、作ることにした。前回同様に、生まれる日が家内と又120度になる様に計画してその通りにすることが出来た。
 二番目の子どもの時には、お腹の中にいる時から、クラシック音楽を聴かせ、生まれてからもよく接触し、お風呂にも入れ、散歩にもよく連れて行く様になった為、女房から、「父親としての自覚が少し出て来ましたネエ」と言われた。
 次女は、その影響か、芸術高校を卒業して、その後、音楽大学を卒業し、現在、プロのバイオリニストになっている。
 もう、作る予定はなかったのだが、家内の誘いもあって第3子が出来てしまった。
 私の母の話では、私も予想外の子どもで、4人兄弟の末っ子の私が母のお腹にいた時に、経済的な理由でどうしようかなあとかなり迷ったとのことである。その時、父が、「せっかくだから生んだら」と言い、それで私がかろうじてこの世に生まれて来た。正に父は、命の恩人であった。家に私の医学部合格の通知が来た時、私の一番上の兄の初めに発した言葉は、「お母さん、生んでて良かったなあ」であった。
 三人目は、男女どちらでも元気であれば良かったのだが、周りの反響は大きかった。私の両親の孫の9人の内、初めの1人だけが男であと残り8人が全て女で、又、女房の両親の孫にしても、この時、4人共全て女であった為、両家の両親の喜びは想像以上だった。
 人は何故子どもを作ろうとするのだろうか?子どもの為でなく自分たち(親)の為に作る様な気がしてならない。この住みにくい世界に生まれて来て良かったと思われることの出来る親にならないといけないと思う。いろいろ考えると難しくなるが、私に男の子が出来たことは確かであり、周りの人はこの子にいろんな夢を託すだろう。
 賢い子にしたい、性格のいい子にしたい、外国語が上手に話せる子にしたい、国際的感覚を持った子にしたい、芸術に秀でた子にしたい、運動神経の発達した子にしたい、他人と上手くやって行ける子にしたい、更には、若い時に苦労させたい、許されるなら何度でも若い時に失敗をさせたい・・・など。
 しかし、次の三点に極力注意すれば私の子どもの場合、いい子、更には、立派な社会人になれると思っている。
 1、期待を掛けないこと!
 2、親より偉くなれと言わないこと!
 3、お金と財産を子どもに残さないこと!
 
 この3点、今も、しっかりと守っています。

*佐伯市の茶室「汲心亭(きゅうしんてい)」でお点前をしている息子と、それを見守っている私。
*https://www.youtube.com/watch?v=OR4-S0kpbfw&t=477s(←息子が創り、海外で演奏してきた曲)  

(令和3年7月10日、少し修正して、再掲)


兄ちゃんが先生に

2021-07-09 08:09:54 | エッセイ
  「兄ちゃんが、先生になりました。」

 佐伯の新町でやきいもを売っていたおばちゃんがいました。「ヤキイモ屋のおばちゃん」と周りの人は言っていました。いつもニコニコして、感じがいい。深夜、酔った男の人たちがよく買っていました。多くの人が、「おばちゃん、イモ焼けとる?」と聞いてきていました。列が出来ることもしばしばありました。まだ焼けていないこともしばしばでしたが・・・。
 「兄(にい)ちゃん、まけちゃるけんなあ・・・」「兄ちゃん、学生さんじゃないごとあるが・・・」「兄ちゃん、ちゃんと仕事をしよるか?」「兄ちゃん、結婚してるんネ?」「兄ちゃん、何しとるんね、よくここで見るけん・・・」「兄ちゃん、元気がいいなあ・・・」・・・これが、私と「やきいもやのおばちゃん」との間に長く交わされていたいつもの会話の内容でした。
 西田病院の時から、夜の診療を終えて、新町を通って自転車で帰っていましたが、その時、目が合うと必ずお互いに挨拶を交わしていました。今までに200回はゆうに買っていると思われます。いもはいたって健康食品。繊維が多いので、お腹の掃除をしてくれるし、大腸癌を防ぐ意味で注目されているとかいないとか、それに、おいしい。
 この「ヤキイモ屋のおばちゃん」、どう言う訳か、私には、買うと例外なくまけてくれるのです。
 自分がどの様に見えるのか、自分がどんな人間か、その判断は他人がします。決して自分ではないですね。このおばちゃんの「兄ちゃん・・・」と初めに出る言葉が、客観的に見た私の姿をよく現わしていると思い、いつも嬉しく感じていました。何と、それが2~3年どころではなく、はっきりと覚えていませんが、10年近く、続きました。
 それが、おばちゃんの孫が、「たはら小児科医院」に病気で入院してしまいました。そして、バッタリ我が医院の待合室で会ってしまったのです。しまったと思いましたが、いつかはこんな日もくるだろうとは常々覚悟はしていました。
 その時の「ヤキイモ屋のおばちゃん」のビックリした顔。今まで生きてきてこんなに驚いたことなかった感じの顔でした。おばちゃんが、「いじがわるいんじゃあけ・・・」と言って追っ掛けて、私の背中を叩きました。
 ちょうどその時、私の父(佐伯小学校長)が玄関から入って来て、「やきいもやのおばちゃん」は、私の父とも会いました。「やきいもやのおばちゃん」は、私が父の息子であることも、この時、初めて知りました。父から孫が佐伯小学校の時によくお世話になっていたとのことでした。
 父は、若い時、玄関で来客から、「校長先生は?」と聞かれ、その時、父は顔色一つ変えずに、校長室で待つように言い、後で自分が入って行き、その来客の人が「校長先生、意地が悪いわ・・・」と言って冷や汗をかいていたとのこと。
 退院の日(平成3年12月3日)、「やきいもやのおばちゃん」は、孫の主治医である私に、「先生ありがとうございました」と言って、深々と頭を下げて帰って行かれた。
 私の自称「兄(にい)ちゃん」の歴史は、ここで幕を閉じてしまいました。

(令和3年7月9日、少し修正して、記載)


医師の意見は

2021-07-08 08:44:15 | 医学
  「医師の意見は」

 今回のコロナ禍で、信用できないPCRを用いて、感染者と発病者を一緒にしてしまったことですね。PCR陽性者の内、本当に発病している人がどの位いるのか、全く、出て来ませんね。これがとても必要だと思うのですが・・・。
 それに、現場の医師の意見がないがしろにされていますね・・・亡くなった時、検査で陽性が出ただけで、全て、コロナによる死としたり・・・医師の意見でなく、(直接見ていない、診察していない)保健所や行政の意見で、どうするかが決められていることなど・・・。
 医師だけの掲示板で、私は、以下の内容を入れて、多くの医師の意見を聞いてみました。
「全世界的な生体実験ですね。慌てる政治家の気持ちは分かりますが、ちょっと、勇み足ですね。日本に関して言えば、若い人のコロナによる死亡者数、重症者数、明らかに、欧米よりも少ないし、若い人に関しては、天秤かけたら、どう見ても、打たない方がいいですね。打って、5日以内に、亡くなる人が多いのですから、ワクチンのせいと考えていいと思うのですが。それに、量が日本人には、多いですね。90Kgの欧米人男性と、50Kgの日本女性の量が同じだなんて、子どもの量は?!」
 すると、601名見て頂いた中で、賛成46名、反対10名と出ました。
 少しホットしました。反対が多いと思っていたのですが、意外と少なくて・・・多くの医師は、その判断に、白黒付き兼ねなくて、困っている感じにも思えました。
 医師は、現場で、実体験しています。インフルエンザに関しても、医師により、いろいろです。医師自身、毎年打つ医師、(私の様に)10年以上、打ってない医師。
 今回のコロナウイルスに対しての遺伝子ワクチンは、初めての試みです。まだ、治験が終わってない段階であることは、確かですね。

*https://www.youtube.com/watch?v=t56rZfJ3Nw4

(令和3年7月8日、記載)


四面楚歌

2021-07-07 08:50:01 | 医学
  「四面楚歌」

 最近、「もう、打ったの?」って感じでよく聞かれ、「打たない・・・」と応えると、「エッ、何で?」と言われることが多くなっています。次第に、四面楚歌って感じになっていますが・・・。
 周りを見ても、打っている人が大部分で、打つ人も打たれる人も、早く早くって感じになっている様に思われます。
 ある調査によると、様子を見て、打つかどうか決めると言っている日本人、半分近くいるとか・・・?!まあ、アンケートの取り方で、割合がかなり変動するとは思いますが・・・?!
 医療従事者の中には、本当は、打ちたくないけど、周りの圧力に負けて、打っている人もいるのでは・・・?!
 打たない人に対して、差別してはいけないと政府ははっきりと言っていますが、実際に、それを貫き通すのは、難しいですね・・・特に、人間相手の仕事をしている人にとっては!
 若い女性は、頭越しに、しないと決めている割合、少なくとも、1割は、いる様ですが・・・?!
 厚労省が、情報をそのまま素直に出しているって思っている人、少ないのでは・・・。
 23日の厚労省の専門部会の資料によれば、今年2月17日から6月18日までに、ワクチン接種後の死亡は、355人となっています。インフルエンザの予防接種と比べると、比較にならない程、多いですね。
 ワクチン接種との因果関係で、厚労省の専門家は、6月13日までの277例を評価した結果、ワクチンと症状名の因果関係について、認められないが5件、情報不足などにより評価できないが275件、否定できないは、なんと0件となっています(3症例は評価が分かれ、総数が一致していない)。
 ワクチン接種の翌日から数日後以内に死亡するケースが集中していますが・・・→ここまで偏っていても、接種と死亡に何らかの因果関係がないと言えるのは、何故でしょうか・・・?!

*https://www.youtube.com/watch?v=5Jl06x_DEHI&t=401s(←松田学氏の話)

(令和3年7月7日、記載)


300回

2021-07-06 07:23:51 | 語学
  「オンラインDMM英会話、300回」

 令和2年10月7日に始めた「オンラインDMM英会話」が、令和3年7月5日(月)に、300回に達しました。
 10月7日に1回目をして、それから一度も欠かすことなく、何とか、毎日、1回25分間、続けてこれています。それで、思ったほど上手になってはいないのですが、あまり気にせず、楽しんでいます。
 「300回」の国別の内訳を見ると・・・→アフリカが23ヵ国、ヨーロッパが23カ国、アジアが22ヵ国、中南米は、16ヵ国となり、総計「84ヵ国」となっています(もう、国名は、これ以上、あまり増えませんが・・・)。
 今まで行ったこともなく、将来も行きそうにない国が多いです。
 アジア・・・フィリピン、ベトナム、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、タイ、ブータン、バングラデシュ、インド、スリランカ、アルメニア、ジョージア、トルコ、タジキスタン、トルクメニスタン、ネパール、パキスタン、ヨルダン、イエメン、アフガニスタン、アゼルバイジャン、中華人民共和国(←この中で、今までに、私が実際に行った国は、インドネシア、タイ、バングラデシュ、トルコ、マレーシア)
 アフリカ・・・エジプト、チュニジア、モロッコ、ガーナ、ペナン、ナイゼリア、カメルーン、ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国、アンゴラ、ザンビア、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、マラウイ、エスワティニ国、レソト、モザンビーク、モーリシャス、アルゼリア(←この中で、私が実際に行った国は、ないです。アフリカのコモロの人から、アラビア語とスワヒリ語を教わったことが、あります。)
 中南米・・・ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、パナマ、ジャマイカ、ドミニカ共和国、ドミニカ国、バルバドス、トリニダード・トバゴ、コロンビア、ベネズエラ、スリナム、ガイアナ、 チリ、アルゼンチン、ブラジル(←この中で、私が実際に行った国は、ないです。)
 ヨーロッパ・・・スウェーデン、デンマーク、ベルギー、ドイツ、フランス、リトアニア、ポーランド、ベラルーシー、ウクライナ、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、モルドバ、ルーマニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、アルバニア、北マケドニア、ブルガリア、ポルトガル、ギリシャ、ロシア(←この中で、私が実際に行った国は、フランスとポーランドのみです。)

*2005/1/22~2/8、バングラデシュのダッカで(ベンガル語を教わったAPUの学生さんの家で)ホームステイした後に、日本に帰らずに、そのまま、2005/2/9~2/17、マレーシアのクアラルンプールに宿泊しました。その間、キャメロンハイランドで2泊し、その時に、私が宿泊したゲストハウスの写真です。

(令和3年7月6日、記載)


飢餓の島

2021-07-05 08:27:50 | 生き方
  「飢餓の島」

 戦争で生き延びた人は、亡くなった人の分まで、余生をしっかりと生きなければいけないと思います。又、戦争を経験していない人は、平和の有り難さをもっと感じる必要があると思います。軍備に多額のお金をつぎ込むよりも、もっと価値のあるものにつぎ込むべきですが、今の世の中、どうでしょうか?多くの政治家が、平和の尊さを自覚して、広い立場に立って、行動に移すべきだと思います。

 以下は、(今は、亡き)私の叔父が書いた「饑餓の島」の一部です。
 叔父は、衛生兵でした。胃がんがあり、その術後に、あっけなく、心筋梗塞で亡くなりました。生前は、戦争時の飢餓の島のことを、私は、何度も聞かされました。

  ・・・今は、極限との闘いで、死を考える前に食うことを考えるばかりだ。戦争をしたくても、銃も弾も食料も体力も気力も底をついている。目の前の作業している姿は、子どもの時にお寺で見た地獄の絵と同じだ。肋骨の数が良く分かるし、胃の部分は膨れ、足首は大きく、栄養失調の状態だ(叔父は、この時、衛生兵として赴任)。付近の椰子林は切り尽くしてしまい、パパイヤの木の芯を食い、雑草や木に「うさぎ」なんて名前を付けて食う。・・・歳は若くても、体は老人だ。野糧収集に出たまま、体力尽きて帰って来ない人もいる。禅僧が栄養失調寸前まで、自分を律し、妻も娶らずに生涯が送れる気持ちが分かる様な気がする。・・・今は、食う為に生きるのであって、生きる為に食うのとは違う。極限の生活をした人のみが分かる言葉だ。・・・戦友や患者が亡くなって埋める時に出る言葉は、いつも、「君達は埋めてくれる人が居る間に死亡して幸せだ。自分が死んだら、誰が埋めてくれるのだろうか?」だ。・・・
 
 この本を書き上げたからでしょうか、叔父は、安心し切った感じになって、旅立って行きました。

*インドネシアのバリ島のサヌールに、1ヵ月間(2005/3/1~3/31)、独りでいました(ウブドで2泊)。写真は、その時に、撮ったものです。

(令和3年7月5日、少し修正して、記載)


棋聖防衛

2021-07-04 06:56:07 | エッセイ
  「藤井聡太二冠、棋聖防衛」

 令和3年7月3日(土)、棋聖戦の第三局で、藤井聡太二冠、見事に、渡辺明名人を下して、それも、ストレートで破って、ホント、凄い人ですね。
 防衛に成功した以外に、最年少での九段昇段も手にして、凄い人ですね。
 この三戦、全て、私は、見ていました。一戦目は、凄い試合、二戦目も、又、これも凄い試合、で、三戦目も、名人優勢が続いていた感じだったのに、100手で、藤井二冠が勝ちました。
 それにしても、渡辺明名人も、負けても、明るい感じで話されていましたが、この人も、素晴らしい人ですね。三連敗なんて、一度も経験なかったのに。
 解説者が、気が付かない手を打っていることもあって、三局共、雲の上の二人が、次元の違う世界で、戦っているって感じでしたが・・・。
 この日は、エンジェルスの大谷翔平選手も、オリオールズ戦で、29号、30号と、連続ホームランで、メチャ、凄いですね。何せ、二刀流もあり、盗塁も凄いですから。オリオールズのブランドン・ハイド監督から、大谷翔平選手を「この惑星で最高の選手」何て言われているけど、ホント、そんな感じですね。
 暗いニュースが多い中で、この二人の飛び抜けた活躍、確かに、元気もらって、免疫力も上がりそう・・・?!
 
*2005年7月、カナダのトロント大学に留学していた時に、トロントでのマリナーズのブルージェイズ戦で、イチローの後ろ姿を私が撮ったものです。(←プロ野球を見に行ったのは、今までで、この時だけ)
(令和3年7月4日、記載)


時は今

2021-07-03 08:18:11 | 生き方
  「時は今」

 残された人生で、やろうと思えば、出来るもの、まだ多いと思っていますが・・・。
 出来ない人は、次の3つで言い訳することが多いと思います。

1、忙しいから
2、頭悪いから
3、歳だから

 1に関しては・・・→することを探せば、誰しも、忙しくなりますね。それは、皆、同じ感じですね。その内容は、人それぞれでしょうが・・・。
 人に頼む時、忙しい人に頼めって先人の言葉があります。忙しい人は、暇がないので、直ぐにする傾向にあるのですが、そうでな人は、いつまで経ってもしない傾向にあるのです。片付けると言って、永いこと片付けてない人、周りにいませんか? する人は、もう、それなりの何らかの行動に既に取っていることが多いですね。
 実話ですが、休みがないと言って、しばしば不満を周囲に言っていたドクターが、やっと休暇を取ったのは良かったのですが、何をしたらいいのか、分からなくて、結局、いつもの仕事をしてしまっていましたが・・・。

 2に関して・・・頭悪いなんて、そんなこと、誰が正確に分かるのでしょうか。親や教師から、「頭悪いんだから、頑張っても駄目・・・」何て言われて、周りからもそんなレッテルを張られていたとしたら、ホント、おかしな話ですね。多くの人が、凄い特殊な潜在能力を持っているのに、それを使わずに一生を終わるとが殆どとのことですが・・・?!
 頭がいいから、知恵があるとは限りませんね。この知恵が、生きる上で、とても大切ですね。
 大きな会社の社長がいい仕事をする為には、直属の部下に、どういう人を選ぶかですね。自分1人で出来ることは、限られていますから。それが、知恵ですね。出来ないと思えば、出来る人を代わりに採用すればいいだけの話ですから・・・。
 だいたい、頭いいとか、そうでないとか、正確には、誰にも言えないと思うのですが。テレビで、記憶力の優劣を競争している番組が多いですが、あれは、単に、一つの側面を見ているだけですね。
 誰も思い付かない手を考え出す将棋士の藤井二冠、ホント、特殊な頭の持ち主だと思います。が、歩いていて、溝に落ちることもありますが・・・ある囲碁の棋士は、買い物で、レジでお金を払うのをよく忘れるとか・・・?!

 3に関しては・・・→そんな人が若い時、どうでしたでしょうか?する人は、今しているし、今からは、今が一番若い訳ですから・・・。
 1万時間を費やせば、その道のプロになれているとよく言われていますね。1日に3時間だと、10年間でそれに達します。1日に6時間だと、5年間ですね。仕事として、残業も入れて、1日9時間もしていると、3年間で一人前になります。
 よく言われることですが、初めの1年間は、未熟なので、教わって行動し、次の1年間は、何とか、独りで(時々アドバイスをもらいながら)出来る様になり、3年目となると、新入社員に教えるまでになれるケースが多いかと思います。と言うことは、1~2年で辞めるとなると、本人にとっても、会社にとっても、未消化で、空回りって感じになりますね。「石の上にも3年」とは、よく言った言葉ですね。

(令和3年7月3日、少し修正して、記載)


敗れます

2021-07-02 08:29:45 | 生き方
  「敗れます」

 全ては、流動的で、変化します。
 生まれ落ちた時、既に、いつかは、死の運命が待っています。当たり前ですね。大きな企業で、どんどん売り上げを伸ばしていても、そのまま順調に伸び続けることは、ないですね。上がったり下がったりが普通ですね。
 株も、その内、下がると思います。そして、永い目で見て、下がっても、いつかは再び上がるでしょうが。(←私は、株は、していませんが)
 藤井二冠も、快進撃を続けていましたが、6月30日、王位戦の第一局の2日目に、豊島竜王に敗れてしまいました。どんなに強くても、時には、敗れ(今回は、ずっと押され気味で、終盤の藤井二冠らしい内容はなく)、そして、いつかは、引退となります。7冠全て制覇した羽生善治九段でしたが、今は、無冠です。
 大谷翔平君も、現在、ホームランのトップを走り、又、二刀流で、投手としても活躍していますが、6月30日、敵地で行なわれたニューヨーク・ヤンキース戦で、初回に2安打5四死球で自己ワーストの7失点で、降板しました(→幸いに、味方の援護で、敗戦投手には、なりませんでしたが)。
 あるメーカーさんが言っていましたが、「売り上げがどんどん上がると、このまま、ずっと上がり続けるんじゃないかと、つい、思ってします。又、下がり出すと、どんどん下がって、大変なことになると、つい思ってしまいます。何故でしょうか?」と。
 そうですね、上がったり下がったり、いろいろですね。全てが、そんなものです。人生も、同じですね。

*写真は、佐伯市の春祭りで、インドネシアの人(佐伯市での研修生)が、お点前をしています(←私の茶道の弟子で、インドネシアに帰る時、扇子を差し上げました。)。

(令和3年7月2日、記載)