日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

暇つぶしの話(その5)

2017-02-10 09:22:29 | Weblog
 この歳になると、体のアチコチが不調になるので、老後に、どんな風にして生きて行けばいいのかと、悩みますね。それに、終活も、しておかないといけないし・・・(一応、私の子ども達3人共に、フラッシュメモリーを渡して、それには、私が言いたいことをしっかりと書いていますが・・・)。
 いつまで生きるのか何て、いくら考えても、誰にも分らない訳ですが、まあ、子ども達に出来るだけ迷惑を掛けない様にと、常々、家内と話したりもしています。
 計画では、私が家内よりも10年ほど早く亡くなる計画ですが、これが、ひょっとして、家内に先に行かれると、大変ですね。正に、想定外になるので・・・。
 まあ、この世は、先々がはっきりしないので、今日も楽しく、生きられるのかも知れませんが・・・?!
 安定があれば、自由がないし、自由があれば、安定がないですね。生きてること自体をどう考えるかですが、どっちみちあの世に行くなら、生きてる間、したいことをしたいですよね。その時、全てを思い通りに手に入れることは、まず、不可能で、何かを得ようとすれば、何かを捨てなければいけないのが、世の常です。
 それに時間を入れると、生き方が、更に複雑になってきますが・・・。
 自分のピークをいつに持って行くかですが・・・体力は、それなりに次第に落ちて行く訳で、精神的な活動も、記憶力など、落ちてくるので、いつも、同じペースには、ならないですね。
 そんな中で、総合的な見方は、歳を取ればとる程、出来てくる感じがしています。アメリカ大統領のトランプさん、70歳で、元気ですね。声も姿勢も、堂々としています。
 NNK(ネンネンコロリ)よりも、PPK(ピンピンコロリ)を願いますが、そう上手くいくかどうかは、神のみぞ知るって感じでしょうか。
 病気との付き合い方、人により、いろいろですね。
 仕事を直前までして、行き着いて病院に行った時には、アチコチ転移して既に手遅れで、それから1カ月して旅立たれた人、身近にいます。
 施設に入ると、他人との付き合いが少なくなりますし(脳機能が低下していく?)、それに、体を動かさなくなるので、足腰が(重力に逆らわない関係で)次第に弱くなって、却って早死にする感じに思えるケース、多い様にも見えますが・・・?!
 まあ、亡くなる時に、この世に、ニッコリと、満身の笑顔で、出来れば、周囲を笑わせて、あの世に行きたいものです。
 
*写真は、トルコのイスタンブールに行った時に、宿泊したホテルの屋上から撮ったものです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暇つぶしの話(その4)

2017-02-09 17:32:44 | Weblog
 端から見る感じと実際とでは、かなりその間に差があること、多いですね。

1)例えば、宝くじで、大金が当たった人の多く、後が大変みたいで・・・周りが自分のお金を狙っていると思い込んで、友達との間がおかしくなったり、又、努力しないで大金を得た人を身近に見て、その人が勤めている会社の人までが、やる気をなくしてしまったりと・・・。
 あるO市で働くドクターが、たまたま、売りに来た人から、(今まで買ったこともないのに)宝くじの券を買って、それが大当たりで・・・しかし、彼は、(それまで苦労していたせいでしょうか?)その後の生活が全く変わらなかったとか(その人と同じ職場で仕事をしていた人からの話ですが)。

2)二代目は、大変みたいで・・・従業員が先代を尊敬して、ずっと付いて行っている場合、後を継いだ二代目は、周囲から常に先代と比較される運命にあります。
 現状維持で普通で、ちょっとでもおかしくなると、大変で・・・倒産でもすれば、全て、二代目の責任って感じで言われますから。
 今の時代、現状維持でも、実際は、大変なことなのですが。

3)芸能人、実際はとても大変みたいで・・・忙し過ぎて、運動不足で、食事も充分に摂れず、常に睡眠不足で、かと思うと、仕事がなくて、暇過ぎて、生活もままならない状態かの、どちらかだとか。
 つまり、ちょうどいい時がなくて、仕事がある時も、ない時も、常に、次の仕事のことを考えておかないといけないとのことですが・・・。

4)海外永住に憧れている人が時にいますが・・・実際には、それなりに大変で・・・日本で周りとコミュニケーションが上手く取れないからと言って、海外で生活しても、文化が全く違いますから、初めは面白く感じますが、次第に落ち込んで来るケースが多いかと思います。
 そうならない為には、まず、目的をはっきりとして、相手の気持ちが理解出来て、現地の言葉もそれなりに勉強する必要があると思います。時々、日本から来て、ちょっと長く住むのは、いいのでしょうが。
 物価が安い所は、危険なことが多いですし、物価が高い所は、それなりに安全ですが・・・。日本人だけで集まって生活している人たちもいますが、それなら、日本には、そんな所、沢山あるので、日本で住んだ方がいいと私は思いますが。

5)私には、地位も名誉もお金も、要りません。ただ、我が息子が普通の大人になってくれさえすれば、それだけでいいのですが・・・と言う父親がいましたが。
 子どもが欲しくても出来ずに、大金を使ってやっと(今の最先端の医療を使って)子どもが出来て、その時は、万々歳だったのですが・・・子どもの欲しがるものは、何ても与えて、したい事も、出来るだけさせてあげて、超過保護に育てた結果、子どもが我儘放題な子になってしまって、難儀している例もありますが。

*写真は、インドネシアのバリ島で撮ったものです。 






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暇つぶしの話(その3)

2017-02-08 09:44:12 | Weblog
 金沢に行った時に、タクシーの運転手さんに、医師不足の事を尋ねると、「ここでは、医師不足で深刻な医療状況になった話、聞いたことないです・・・」って感じで言われました。そうなんです、石川県は、全国の中で、人口が(私の故郷がある大分県の次に多くて)34番目なのに、金沢大学と金沢医科大学の2つの医学部がありますから。
 京都に行った時にも、同じ質問をタクシーの運転手さんにすると、同じ様な感じの返事が返ってきました。そうなんです、京都府は、人口数が全国13番目で、京都大学と京都府立医科大学の2つの医学部がありますから。
 その点、人口の多い埼玉県に医学部が2つしかなかったり、千葉県(6番目)に医学部が1つしかなくて、大変です。それに、静岡県(10番目)や茨城県(11番目)なども、医学部が1つしかなので、それなりに大変ですね。北海道だと、3つあっても、広大な面積なので、やはり、大変です。
 私なりに(2014年を中心に)、医療状況を調べて見ました。
 現役医師数を調べて見ますと、人口当たりでは、九州では、宮崎県が一番少なくなっています。しかし、全国平均だと、宮崎県、平均並みです。これは、新設医学部が出来るまでは、医学部の多くが、西日本に多かったせいだと思います。
 小児科医だけを調べて見ますと、人口当たりでは(正確には、15歳未満人口10万人当たりの小児科医師数)、宮崎県が、130.72人となって、全国で一番少ない数になっています(全国平均は、191.52)。絶対数も、小児科医200人で、高知県の次に少なくなっています(宮崎県の人口は、大分県の次の次で、35位、面積は、静岡県の次で、14位)。
 宮崎県でも、南よりも北の方がより深刻で、延岡市(12万人余)に関しては、小児科の日祝日当番医を隣りの日向市(6万人余)と一緒になって、10カ所の輪番制でしています。
 医師の中で、小児科医を選んでいる割合を見ますと・・・→宮崎県の小児科医師比率では、高知県の次に、全国で2番目に低い順位になっています。
 ところで、看護師数(看護師+准看護師)では、(人口の割合で)多い順に、高知県→鹿児島県→佐賀県→熊本県→宮崎県→長崎県→大分県となっていて、九州の各県が目立って多いのです。更には、看護師数中の准看護師の割合を見ますと、宮崎県→鹿児島県→熊本県→佐賀県→福島県→長崎県となっていて、ここでも、九州の各県が目立っています。
 何故か、助産師さんの数、県別にあまり差がないんですね。

*写真は、北海道→宮崎→沖縄で撮ったものです。

http://todo-ran.com/t/categ/10007







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暇つぶしの話(その2)

2017-02-07 08:58:34 | Weblog
 日本は、4つの島から出来ていますが・・・その面積、北海道は、(私の住んでいる)九州の2倍の広さで、四国は、九州の約半分の広さですね。
 世界に目を向けると、アフリカ大陸の東にあるマダガスカル島やインドネシアのスマトラ島、(メルカトール法の地図だと、日本よりも小さくなっていますが)、日本の全面積よりも広いんですね。
 ところで、日本で四国の次に広い島となると、何と、(返還されれば)北方四島の「択捉島」なんですね。次に、「国後島」で、国後島の倍以上の広さを持つのが、「択捉島」となっています。
 で、「沖縄島」は、国後島よりも小さいんですね。で、沖縄島の次が、「佐渡島」で、佐渡島の次に広いとなると・・・;→何と何と、私の住んでいる「天草下島」と「天草上島」を合わせると、その合わせた面積が、佐渡島の次に広くなっていますが(!)。
 天草に台風の目が通過した時、「今、天草を通過して、九州に上陸しました・・・」何て、放送されていました。天草の島だと、上陸とは言わないんですね。
 私、天草に11年半ほどいて、島にいるって実感、あまり持ってきませんでした。何故かと考えてみますと・・・→しっかりと橋が出来ているし、それに、情報は、インターネットでいつでも入るし、それに、買い物や旅行の予約や切符の購入なども、それで充分に出来ていましたから。
 「車がないと不便でしょう・・・」とここでも何度か言われてきましたが、それなりに、バスやタクシーもありますし、コンビニも22時まで開いていますから、さほど不自由を感じなくて来ていますが。
 天草は、澄み切った空、広い綺麗な海、そぐ傍にある高い山、それに、美味しい魚と心温かい人々(←散歩していて、人に会うと、殆どの人が挨拶してくれます。それに、ゴミが少ないですね。そして、冬温かく、夏、涼しいですね。)・・・→小さい時ほど、こんな環境で育つのがいいのでは、と思ってきています(私の故郷、佐伯と少し似ていますね)。
 これで、仕事の場所があって、人がどんどん集まってくれれば、いいのでしょうが・・・人口減は、ここでも深刻な問題ですね(←ここだけの問題ではありませんが・・・)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暇つぶしの話(その1)

2017-02-06 12:56:45 | Weblog
 何事も、追及していくと、世の中、面白ことが沢山あると思っているのですが・・・。
 今、世界の注目を浴びている北朝鮮の「金正恩」など、正確に発音するには、どうしたらいいのでしょうか、私なりに考えてみました。

1、金正恩
 この発音、キンマサオンでなく、キムジョンウンと日本語では書かれていますが、実際には、どうなんでしょうか?
 まず、金は、kimuではなく、kimです。日本語では、どうしても、mだけを発音する習慣がないので、母音uを入れてしまいますが、母音のuを入れないで発音するには、ムを言う時に、口を閉じてしまえばいいと思います。
 ジョンは、それだけでは、チョンなのですが、続けて言う時は、ジョンと濁ります。ンは、舌先を上に付けなくて、鼻に抜ける感じで、終わります。日本語のンには、ンに、この付けると付けないの区別が表記されないので、とても難しいのですが、ハングルでは、どうしても避けて通れない道です。
 次のウンのンは、先のンと違って、舌先を付けます。ウは、更に難しくて、口角を横に強く引いて、イを言う口の形にしてウと言います。

2、朴槿恵
 パククンヘ(エ)のンとエが連音化して、クネと発音されます。

3、プーチン
 唇を尖らせて、プーと言い、日本語式に、チンと言います。プーティンではありません。アクセントは、プーにあります。ロシア語の場合は、アクセントがあると、長く伸ばします。
 ありがとうを言う時、スパシーバと書いたテキストを時々見ますが、正確には、スパスィーバですね。

4、北方4島
 島々の名前が、アイヌ語から来たのが多いのですが・・・それは、別にして、ロシア語で書いています。

5、習近平
 中国語だと、習の字も、近の字も、日本語と違いますね。
 日本語では、シージンピンとなりますが。
 シーは、そり舌音のshでなく、シーと発音します。で、無気音でジン、有気音でピンと発音し、ジンのンは、舌先が付きますが、ピンのンは、鼻に抜ける感じで、舌先を付けなくて、ンと発音します。

6、最後に、(イスラムの世界で、食べることが許されている食材や料理のことを言う言葉である)ハラールを説明します。
 アラビア語は、右から読みます。初めの字が日本語のハ行ですが(日本語のハ行とは、ちょっと違って、アラブ独特の発音の仕方で、喉の奥からハと吹きかける感じで、無声音で言います。次にLが付いています。次の斜めの字は、(特殊な書き方ですが)アの文字です。最後の字は、RでなくLで、母音は、発音しません。
 
 以上は、私なりの解釈ですが・・・。

 エジプトのピラミッドに命を捧げている感じの吉村作治先生の「人生は大いなる暇つぶし」との言葉、いつも、思い出しています。

 http://blog.goo.ne.jp/221414/e/5ea1be19cd7d926ed78eb6a78bdb37c9






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世は、想定外の事、多し!

2017-02-04 10:17:22 | Weblog
 熊本地震の余震が、まだ、続いています。こんなこと、正に、想定外!
 東日本大震災にしても、東電の原発の大惨事で、その周辺で住めなくなるなんて、想定外でした。
 あの時、2号機がとんでもないことになる可能性もあった訳で、そうなっていたら、東日本で人が住めなくなっていたのでは・・・?!
 核開発を進める北朝鮮に攻撃を加えようとして、アメリカは、クリントン大統領の時、一応、その計画があったのに、その後のことを考えて、已む無く中止とし、カーター元大統領を派遣することで、その時、折り合いが付いた形になったけど(北朝鮮は、アメリカとの約束に反して、極秘で、核開発を進めていたけど)?!
 ずっと昔に戻って・・・
 ユカタン半島に隕石が落ちていなかったら、恐竜が絶滅していなくて、変わった地球人が産まれていたかも知れませんが・・・?!
 まあ、どっちみち、地球は太陽に飲み込まれ、我々の住んでいる銀河は、隣のアンドロメダ銀河に飲み込まれますけど・・・?!
 ヒトも、皆、遠かれ遅かれ、あの世に行きます。
 心配してもしなくても、時間は確実に、皆に平等に過ぎて行きます。
 で、結局の結論は、今を噛みしめて有意義に生きるしかないってことになるかと思いますが・・・?!
 まあ、今の時代は、今までの過去の時代と比べると、最高にいい時代だと私は常々思っています。特に、日本人の場合は。
 しかし、今の時代、動きが実に早くて、それに付いて行くのが大変ですね。
 コンピューターおばあちゃん何て歌が流行っていましたが、今は、75歳のご婦人でも、携帯、沢山の人が持っていますね。ちょっと前までは、そんなこと、とても考えられませんでしたが。
 私の生まれた時は、(中華人民共和国が出来た)1949年で、昭和24年、戦後からちょっと経っていて、生活が少し良くなった時で、それから、目を見張る感じで、どんどん生活が豊かになりました。
 子どもがアチコチに沢山いましたが・・・今は、道を歩いていても、子どもに会う数よりも、車に会う数の方が多いですね。
 まあ、この先、想定外の事が沢山起きるかも知れないと思うと、生きている間、それを不安に思うよりも、それを(楽しむでなく)味わう感じで生きて行くことが大切かなとも思いますが・・・。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科外来での会話・・・

2017-02-03 12:44:15 | Weblog
 外来で診察中に、思わず、面白くて、ドッと笑うこと、ありますが・・・?!
その1、11歳の男児が、午前中に嘔吐で来院しました。この日、学校に行ってからの嘔吐で、何度も嘔吐して、顔面蒼白の状態で、来院しました。で、点滴500ml入れ、点滴内に吐き気止めのプルンペランを入れましたが、点滴中にも嘔吐続き、已む無く(大きい子ですが)五苓散の注腸をしました。これで多くの例は、嘔吐が治まるのですが、何故か、この児の場合、治まらず、再び、点滴200mlをして、五苓散注腸も、再びしました。
 少し収まった感じで、顔色も良くなりましたが、今イチって感じで、夜の19時過ぎに、ダメ押しの200mlの点滴をし、五苓散を3日分処方して、22時に帰りました。
 「もう、どうもなかったら、明日の朝、来なくていいけど、良くなかったら、朝、9時に来て下さい。良くても、3日間は、大人しくしている様に。」と言いました。
 で、翌日、来なくて、夕方にその児の父親に会うと(院内の職員)、「先生、最後の点滴のおかわりが良かったみたいです。」と言われて、思わず、爆笑しました。
その2、予防接種の時に、乳児の祖母が連れて来ました。で、祖母の仕事が葬儀屋さんで、注射を打つ前に、いろいろ世間話をして、それが面白くて、外来スタッフ一同、笑いっぱなしでした。
 葬儀屋さん、葬儀でいろんな出来事を見てきて・・・→奥さんが先に亡くなると、残された旦那さん、とても悲惨でとの話で、是非、男の方が先に亡くなるべきで、先生(私)も、それがいいです、それがお互いに幸せとの話で、そんな話を肝心な赤ちゃん、大人しく聴いていた感じでしたが・・・。
その3、私のことを「おじいちゃん先生」と言う児が外来に時々来ます。何か、孫を見ている感じで、私も、「そうか、私は、おじいちゃんなんだなあ・・・」と思って、歳を再認識しています。
その4、(私が、3月17日までで)退職する・・・と言うと、いろんな感じで返答されます。
1)「長い間、子ども達皆が先生には、大変お世話なりました。助かりました。ありがとうございました。お疲れ様でした・・・」って感じで、笑顔で、感謝されて言って頂けます。
2)「先生、ホント、困ります。ここにまだいて下さい。ずっとずっと・・・」何て言われることも多いです。
3)「次、どんな小児科の先生が来るんですか?」って感じで、(別にそんなに驚く様子もなく)言われることもあります。
4)「辞めて、後、ここが気になりませんか・・・」何て、(怒った感じの顔して)言われることもあります。

 平成17年8月から平成29年3月まで、正確には、11年と7カ月、勤務して、独り勤務は、その内、半分余でした。
 長い間、本当に、ありがとうございました。
 まだ、3月には、市の3カ月健診、それに、看護学校の講義が3回ありますが・・・”飛ぶ鳥跡を濁さず”ですので、今、それなりに努力しています。

*写真は、早々と空になった棚(ここに私の本がぎっしり並んでいましたが・・・)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする