日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その138)

2007-07-04 07:46:36 | Weblog
○昭和52年6月6日(月)晴。
 よく考えて見ると、研修医の先成・山内の独身組が一番頑張っているのだなあ。ここの病院での研修医の存在は大きい。1カ年も経てば、ほぼ正職員と同じ様に仕事をこなしている感じだ。しかし、安月給で生活を切り詰めて、皆、何もかも限界に近い感じで働いている。このことは自分等にしかわからない。県や事務屋に分かるはずがない。僕と山元先生がいなくれば、正にここは火の海化しそうだ。難しいのが大学に行けば、感染症・腎疾患・未熟児・救急の割合が今以上に多くなるだろう。
○昭和52年6月10日(金)雨。
 横隔膜ヘルニアを向け持った。ボッホダレックみたいで、大きな孔が開いていた。オペ後に写真を撮ったら、気胸を起こしていた。助かるといいが。助かる確率が、外科の先生の言い方で、4対6で、上手くいかない確率の方が多いと言ったら、父親の兄らしき人が不服そうな顔をしていた。
○昭和52年6月11日(土)曇。
 朝4時、呻吟激しく、チアノ一ゼが出て、7時過ぎに心停止した。ショックだった。「心臓が動かなくなりました」と親に言ったら、「先生、お願いです、助けて下さい」と言われた。ベビ一は元気で元々、すごく悪くて助かったのみ感謝される感じだ。軽い内に助けてもその意味が患者さん側には分からないので、感謝の念が沸きにくい。医者は生かすことしか能がない。後遺症が残るとわかっても生かさなければいけない。
○昭和52年6月17日(金)。
 先成君がF2の食道でF2のナ一スを集めてSLEの講義をした。僕がここに来た時、初めからしようとしたことをここのナ一スはどうしても受け入れずに、僕が諦めてしまったのだ。それが、今、講義をして下さいとドクタ一側に言って来たのだ。これは一体どういう事だ。今更なんだと本心は言いたいが、ま、いい方向に行っていることだけは確かだなあ。
○昭和52年6月13日(月)晴。
 梶原部長が宮医大で医学生に感染症の講義を100分間した。素晴らしい講義だった。生きた講義とは正にこのことを言うのだろう。実際に使った教材を使用し、理論と実践を実に上手に組み合わせて話している。眠っている様な医学生は一人もいなかった。講義なんて学生の時に聞いても、経験していないから何となくピンと来ない。その点、今聞くとそれがはっきりと理解出来て、スパスパと頭の中に入って行く。

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