日本の心・さいき

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篠 笛

2006-09-25 07:38:57 | Weblog
 小学校の時、家にプラスチックの横笛があった。学校では、音楽の時間は、縦笛で練習していたが、自分は、その横笛の笛で吹いていた。
 私は、小学校の時から、皆が縦と言っても、横と言うことが多く、確かに、変人だったと思う。
 小学6年生の時、担任の先生に少し反感を持ったことがあり、その時、1日中、手を全く挙げなかった。翌日、担任の先生がクラスの皆の前で、「昨日、田原君は、1日中、全く手を挙げなかったが、あんな事も、時には、いい」と、言ってくれた。
 笛に関しては、自己流で、ずっとして来ていて、太鼓演奏で、どうしても笛が必要になってきたので、笛も始めることにした。
 習い始め、どうしても、先生の様に、きれいな音が出なくて、悩んだ。暇があれば常に練習していた。しかし、どんなに努力しても、先生の様に、人の心を奪う感じの音色は、出なかった(当たり前だが)。
 そんな時、大分の能楽堂で、「横笛の会」が開催された。大分県下の百桂先生から教わっている弟子が、そこに沢山集まった。地区別で、それぞれ演奏して行った(会場は、満席で、催しは、大成功だった)。佐伯地区は、7人で、「浜辺の唄」を演奏した。
 福原流の元祖、福原百之助先生(人間国宝、東京芸大の名誉教授)やプロで有名な女性の福原百華先生、そして、百桂先生も、演奏された。
その3人の達人の音色を聞いて、私の悩みは、完全に吹っ切れた。
 「百之助先生のは、正に、奥の深い、さびとわび。百華先生のは、正に、澄み切った感じで、フルートの音色に似て、優しい感じ。そして、百桂先生のは、その両者を持っている。そうだ、自分の味を出し切れればいいのだ。まねをしなくていいのだ。三人共、全く違う世界ではないか。」
 百之助先生の本には、「どんなに技術的に上手に演奏できても、40歳以上にならないと、なかなか、相手の心に届きにくい。それまでのその人の豊富な人生経験が最も大切。何故なら、笛は、心であるから。ちょっとでも心配があったり、反対に嬉しいことがあると、それが笛の音に微妙に出る。笛は、同じ6本調子の笛でも、一本一本、違うし、笛を吹く人の体型や口の形でも違ってくるし、そその時の気分や体の調子でも、違ってくる。外気の湿度や温度でも、当然、違ってくる」と言った内容のことが書かれていた。
 今日も、笛を吹いた。目をつぶって吹くことが多い。無の状態になろうとするが、凡人には、出来ない。しかし、時々、自分の音色を聞いて、涙が出ることもある。同じ仲間にも、そんな人、少なからずいる。
 篠笛は、私にとっては、寂しい時の友であり、又、精神安定剤でもある。

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