日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その174)

2007-08-10 07:24:22 | Weblog
○昭和53年11月8日(水)晴。
 学生の講義は先になってしようと思っていたが、ついつい必死になって教えてしまった。屋久島から恵ちゃんの両親が来た。(初)孫を見てとても喜んでいた。早い所、開業したらと言われた。自分としては、佐伯の病院(恐らく南海病院)に勤務してしばらくしてから開業もと思うことがなきにしもあらずだが、今は、まだ、オ一ルラウンドに腕を磨かないといけないと思う。
○昭和53年11月9日(木)晴。
 バッチリと学生に講義した。2学期よりちゃんと分担して学生に教えることになっていたのに、他の先生は、消極的だ。大学では、教育が何でこんなにおろそかにされているのかなあ。当直の日だった(家にいる時よりもよく眠れた)。
○昭和53年11月11日(土)晴。
 国家試験の小児科の問題を分析した。遅くまで掛かったが、0:00までには何とか出来上がった。それを分析して驚いた。だいたいの次への傾向が分かったし、どこから出るかの範囲も分かった。厚生省、自分の受けた時よりも、結構、いい問題を作成していると思った。これを土台にしてもっとちゃんとしたのをいずれ作らねば。
○昭和53年11月12日(日)雨。
 超音波の講演が宮崎市郡医師会であったので、行った。面白かった。夕方病院に行って、指示を書いた。未熟児、何とか落ち着いているが、この先とても心配だ。今、受け持ち8名で、忙しい。
○昭和53年11月14日(火)晴。
 回診があった。何となく、形式的って感じがしないでもないなあ。1カ月にネ一ベン(バイト)を4回してもいいかどうかの話し合いがあった。こんな話になると、皆、目が輝いているかな。1に研究(ペ一パ一)、2にバイト、3、4がなくて、5に臨床って感じだなあ、アアアッ。
○昭和53年11月17日(金)晴。
 給料日だった。22万もあった。スゴイなあ。バイトを入れると30万にもなる。昔を考えると、ホントにスゴイなあ。
○昭和53年11月18日(土)曇。
 ○○小児科に(代診で)行った。81人来た。臨床は、やはり僕にとっては面白いなあ。PAP(異型肺炎)が多い感じだ。嘔吐症は少なかった。医者がどうしても必要で、受診してないと危なくなりそうな人は、10人に1人ぐらいかなあ。
○昭和53年11月19日(日)雨。
 当直の日だった。朝8:30までに病院に行った。受け持ち3人の親御さんにそれぞれ説明をした。今から、5通の総括を書かないといけない。
○昭和53年11月20日(月)晴。
 当直明けで、しかも、外来が忙しく、おまけに夕方18時から21時まで、未熟児の光凝固で付いてないといけなかったので、未熟児同様に、こちらもグッタリなってしまった。何でこんなに疲れるまで仕事をしないといけないのかなあ。

*写真は、ちょうど生後3カ月(昭和53年12月26日)の長女。
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