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子育て

2019-12-04 19:55:43 | Weblog
 自分の子育てが良かったのかどうか、よく分かりません。今の所、まあ、良かったのかなとも思いますが、ずっと先々まで見ないと、分かりませんね。
 長女が産まれた時、私は、宮医大の小児科勤務でした。医大の開院当初で、とても忙しく(小児科の医師は、自分も入れて、わずか7人で、その内、私が一番下で)、朝、8時には、病院にいて、帰りも、夜の10時過ぎまでと言う生活が大半でした。
 で、長女、よく眠る子だなあと思っていましたが、後でよく考えてみると、長女が起きている時、私は、殆ど家にいなかったのです。で、土曜も日曜も祝日も、仕事で病院に行かない日は、殆どなくて、看護師さんから、「仕事の虫・・・」なんて言われていました。
 次女が、「車があるといいなあ・・・」と、よく言っていました。直ぐに行きたい所に行けるからとの理由で。「うちは、お金がないから、買えない・・・」と家内が理由を説明していましたが、近所の人が、「そんなことはないよ、買えるはず・・・」なんて言って、次女も、どちらが本当か、考え込んでいるようでした。
 車がないので、よく、皆で、佐伯の土手を歩いて、散歩したりしていました。時に、弁当を持参して。
 末っ子の長男が、小学生の時、ファミコンを欲しがっていましたが、私は、ガンとして、買ってあげませんでした。周りが殆ど持っていたので、それで友達と話が合わす、家で出来ないので、友達の家でそれをしていました。で、家内からも、もう、買ってあげたらと言われたりもしましたが、それでも、私は、買ってあげませんでした。
 でも、三人の子ども達、いろんな難関にぶつかりながらも、それなりに成長し、結婚し、子どもも出来、幸せそうです。
 私が、子育てで、終始、一貫してしなかったこと、それは、進路の強制でした。進路は、子ども自身に全て任せ、結婚も(結婚式を含めて)、当然、子ども達に任せました。
 私の子育てで良かったかなと思うことは、お金を残すことなく、精神を残そうと思って、(近所の子どもを含めて)三人共に、茶道を教えた事です。よく、次女と長男に、お茶会で、お茶を点てさせて、私が、後見人をしていました。お茶会でのそのお茶代のお金は、全て、寄付していました。
 子育ては、子どもが、その子どもの子どもを上手く育てられて、親の役割がやっと終わると思っています。




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