シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲 冬のシャンソン

2014年01月31日 03時16分45秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲 冬のシャンソン

昨年一月 パリで レオ・マルジャンのシャンソンメドレーを
勉強して 新曲ばかりで 気が狂いそうでしたけれど
一年ぶりに 来日中の近藤正春さんと
二月の日本シャンソン館で 再演しようとしています。

が・・・
我が肉体の 筋肉記憶は すっかり 消え失せ・・・
えー なんなのー?????
音楽というものは 常に体にしみこませていないと
何もかも 無くなっちゃいます。

仕方ない。音楽演奏は スポーツマンと似ていて
筋肉労働 反射神経 
一曲三分間 言葉と息が マラソンしているようなものだもの。

昨晩は ソルフェージュ状態。
音とリズムを正確に歌うところから スタート。
体の 筋肉に 呼吸を思い出させる。
唇に フランス語ポエムの 速い筋肉運動を思い出させる。
あー 何もかも愚鈍になってしまったー

ピアフのシャンソンも 舞台の度に 練習し直さないと
直ぐに劣化する。
どの歌も 同じように ちょっと構わないと 劣化するのですよ。

世の中の人は 一度舞台で歌ったら そのまま永遠に
同じように 歌えると思っているらしいけれど
いやいや
ダンスもバレエも 歌舞伎も オペラも サーカスも
シャンソンも 毎度毎度 繰り返していないと・・・
劣化してゆくのですよ。

しかも練習と本番を繰り返すから 
一つの作品に重みと味が出てくるものですからねぇ。
パリの長南さんが 勧めてくださった 
ビギンザビギン や 月光のチャペル 村の祭り
貴方無しで 今宵ひとり 素敵なあなた

どれも素晴らしいシャンソンですが・・・昨年同様
この曲たちと にらめっこ状態の日々になりそうです。

フランス語は発音が難しいわー
記憶も大変だわー
シャンソンは メロディーは クラシック歌曲より簡単で
覚えやすてけれど 旋律がシンプルという事は
逆に 余程 練り込まないと つまらない音楽に聞こえてくる。

楽しもう。勉強は 人生における最高の贅沢なゆとり で 遊び。
学ぶ時間があるということはありがたいです。
感謝。感謝。
義務でない勉強は好奇心を満たしてくれ
私を 興奮させ生き生きさせてくれる。  

シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley シャンソンブログ

2014年01月31日 03時05分17秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ Lili Ley シャンソンブログ

シャンソン歌手の人生・・・・という実感を味わえるのは
深夜 防音室で練習している時です。
誰もいない 孤独の世界で 私に幸せを与えてくれる音楽。
シャンソン フランス語ポエム 人生。

CHANSON POEME SOLITUDE LA VIE


家の掃除や洗濯や 料理 花の世話 ゴミ捨て 銀行や郵便局
もうすぐ 確定申告・・・・
人間が生きるための 様々な生活の日々の営みを終えて
たった一人の深夜から明け方まで
起きて歌っている 私。
孤独なはずなのに 決して不幸ではなく むしろ幸福感と微笑み
が溢れている。

感性の赴くままブログを入れ シャンソンと共に月日が過ぎゆく。
今年の一月は 長かった気がします。
コンサート続き旅の一週間はハードでしたけれど
充実していました。
長く感じたのは何故かしら・・・・
自分的には焦りがなく ゆとりを感じた一か月でした。
ありがたいことです。
たぶん 年末年始の休みを ゆっくり過ごせたからでしょう。
暖かい音楽仲間との 憩いの時があったからでしょう。

本日は 品川 グランド プリンスホテルで
来月2月21日に 伊藤雅治さんが開催する
シャンソンのディナーコンサートの打ち合わせに
出かけました。
他の用事は 家の雑事だけで 休日モード。
明け方まで 
防音室で練習して 昼過ぎに寝て 起きて のんびり。

伊藤雅治さんは 私の東京シャンソンアカデミーの生徒会長
で 奥様の久子さんは 補佐になっていただいています。
伊藤先生とお呼びしているのですが 本業は
書ききれない程・・・
日本の重要な医療関係の貢献者で 今回のコンサートは
伊藤先生が 今までに
お世話になった方々への感謝の宴を 伊藤先生ご自身が主催して
私がシャンソンを歌う・・・という70名のディナーショーです。

ホテル宴会担当の方と打ち合わせをして
そのあと
久子夫人と 伊藤先生を支える方三名と共に
お食事をご馳走になり 六名で楽しい時を過ごしました。

人格者・・・という言葉がありますが
伊藤夫妻は まさに 尊敬できる夫妻。
リリ先生より 生徒さんの方が立派です。

成城の我が家で教えて 練習して ほとんど出かけない
生活が続き
それが 今の所 とても幸せですが
久しぶりに マイカーで 品川方面へ行き
ノスタルジーにひたりました。

高輪二丁目泉岳寺のすぐ側のマンションを購入して
会社の事務所 兼 自分の住居にして
1992年から2000年まで住んでいた記憶が蘇ります。
成城の自宅には ほとんど帰りませんでした。
高輪には もう一軒 庭付きの小さいマンションを
隠れ家意識で購入して 暫く住んだり・・・
独身貴族で自由気まま 寝ずに仕事と恋愛して生きていた時代。
マイカーは 今のと同じ車種で 真っ赤な内装で 外がシルバー
メタリック。

そのあと 
会社の資金繰りが大変になってきて二件とも
同時に 売ってしまうのですが・・・・
それでも
銀座に近い お台場に部屋を借り 一人住まいを継続し
事務所は お店の中にリストラして移し
通勤時間節約し 仕事中心で過ごしたものです。

人生で 随分と引っ越しをしたものだわ。
随分と 大きな買い物を平気でしたり 売ったり・・・
それも 誰にも相談せずに 決断実行。
色々な町に住み 色々な場所で暮らしたものだわねぇ。
ベルギーに居た時も 三回引っ越したもの。
いままで13箇所に住んだみたい。記憶が確かなら・・・・

高輪の街
魚籃坂 伊皿子 泉岳寺・・・懐かしい街
ピーコック あー 大福の美味しい小さい和菓子屋
女性オーナーの 可愛い洋菓子店
花屋

伊藤夫妻と別れた後も マイカーで 夜の高輪
私の過去の思い出を 噛みしめながら
数多の記憶が 蘇ります。
あー 高輪での生活もあったなー
今の私は あの頃と別人になっているわー。
仕事の辛さと 恋の辛さの時代。

もしかすると
仕事のストレスを 恋愛のストレスで消していたのかも。
あの頃の仕事のストレスは 
経済低迷の中での 資金繰りが一番強かったなー
苦しかったわー。
思い出しちゃった。

あー神様ありがとうございます。
今の私は 本当に あの試練から抜け出せました。
運命としか思えません。
試練を与えてくれたので 現在の幸せが ことさらに有難いです。
感謝です。
本当に これ以上何かを望むことなんて 出来ません。
ただただ 感謝の人生です。