私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

男山 おとこやま 57.5m

2011-04-14 15:19:39 | 日記
 4月14日(木)  天気:晴れ  室温:23.4℃  地図:姫路南部・北部

 あーァ きょうも また 暇だなァ・・。 天気は いいし・・・。 そうだ! 姫路へ桜を
観に行こう! という訳で きょうは 姫路へ桜を 観に行ってきました。 しみけんさんの
アドバイスもあり 車は 止めて 電車で 行きました。 ガソリンは 節約するので できるだけ
東北地方に 回して! それにしても ガソリン代が高くなりました。

 「姫路城十景」の 大手前通り、三の丸広場、男山配水池公園、景福寺公園の4ヵ所をめ
ぐり「播磨国風土記」の14丘伝説の 男山59mと 景福寺山51mに 登り、「広報ひめじ」
3月号の裏表紙にあった”千姫ゆかりの天満社で 学問成就を願う”から 黒田官兵衛特別展が
開催される姫路文学館(建築家・安藤忠雄の設計)を 訪れ、「千姫の小径」(千姫は NHK
大河ドラマの主役・江ごうの娘) を 歩き、景福寺山・山頂にある亀趺(きふ)(松平直矩の
墓?) を 確認し・・・と 目の回る忙しさでした。 そうそう 姫路駅北広場の工事の進捗
状況も チェックしておかないと・・。

 残念だったのは 万歩計を付け忘れたこと。 5000歩以上歩いたはずだが・・・。
姫路の桜は 今が 最盛期。 満開の桜が 風に吹かれ まさに 桜吹雪・・・。 散った花びらが
ピンクの絨毯になり 川面の流れに乗って・・・。 あちこちに 八重の枝垂れ桜もありました。
もうひとつ 残念なことが・・。 千姫の小径南の白鷺橋へ行ったのに 「千姫像」 を見忘れ・・・。
えっ とうこさんが つい最近 男山に登られたとは つゆ知らず・・。 追っかけを しているわけでは・・

 網干駅まで歩いて 10:04の電車に乗りました。 が 姫路駅で降りて びっくり! こんな黄色
い電車に乗っていたとは・・。 新幹線のドクターイエローだったら 良かったのに・・。 改札口を
出たコンコースも きれいに なっていましたが 北は 工事の塀に 突き当ります。 駅の北口は
すっきりしたような・・。 タクシー乗り場しか ありません。 大手前通りを 北ヘ歩きます。

 大手前通りの歩道を歩くと 並木が邪魔で 「天空の白鷺」が 見えにくいのです。 信号を待ち
横断歩道を渡りながら 「白鷺」を撮りました。 大手前通りから見ると 西の家老屋敷跡公園の
桜が きれいです。 寄ってみましょう。 紅枝垂れの桜もあります。

 写真を撮って 姫路城へ。 桜門橋を渡ると 石垣の上の桜が お濠の水面に映えます。
大手門を潜り 三の丸広場へ。 桜は ほぼ 満開でしょうか? 

 「天空の白鷺」素屋根の7、8階部分だけが 妙に白く 違和感があります。 側面に描かれ
た お城の絵も はっきりとは 見えませんし・・。
「平成の大修理」は また 後日 見学するとして きょうは 写真だけ撮って 引き返します。
≪5月11日 追記≫
 今日の新聞によると 「建屋覆う大天主の線画 白い背景黒ずむ」という記事が 載っていて 工事用
建屋の南面で ポリエステル樹脂製のメッシュシートの6階から下部分が 消えてはいないが 白かった
背景が 3月ごろから 黒ずんできた・・・とあります。 私の見た通りでした。

 好古園の前を 西へ歩くと 「千姫の小径」 に出ます。 市之橋の手前から 船場川に沿って北
へ歩きます。 右は 濠かと思いましたが 右も川? 右上には 西の丸の白壁が見え 道は 桜
並木です。 左下の船場川の水面には 桜の花びらが 流れていきます。

 「広報ひめじ」2月号のふるさと探訪239に 「千姫の小径」が 載っていました。 千姫の小径
は 白鷺橋から清水橋までを結び 桜や紅葉など 季節に応じた彩が 楽しめる遊歩道として 整
備されたとあります。 6月には ハナショウブが咲き誇り 初夏を感じさせてくれるそうで 強く
生きた千姫の面影をしのぶ道・・・。

 11:17 「千姫の小径」北端の清水橋に 来ました。 ここに説明板があり 天守閣の周辺は
国宝で 世界遺産ですが 船場川より東の中濠の内側地域は 武家屋敷や城門の遺構を埋蔵
する重要な文化財で 「特別史跡」に指定されているとか・・。 ここは 石垣を修理中ですが 西
に これから登る 男山が 手の届く距離にあります。 橋を渡り 細い路地を 西へ進むと 水尾
神社があります。

 水尾神社には 由緒書がなく 詳しいことが分かりません。 一応 参りして 右の階段を上がり
ますが この石段は 急で 長く ウソ800段もあります。 喘ぎながら上がり 11:30 男山に登
りました。 三角点はなく 59m標高点となってすが 説明板には 57.5mとあります。


「播磨国風土記」14丘伝説の筥(はこ)丘と 比定されています。 今は 配水池公園となって
いて 芝生広場です。 また ここは 「姫路城十景」のひとつなので 姫路城の絶好の展望台
で 天主の素屋根が見えますが 日陰で暗くなり・・・。

 山頂広場の南西角から 目の前に なだらかな景福寺山を見ることが できます。 ところが
ここから 降りると 男山八幡宮の裏へ降りてしまい これでは お参りしても ご利益はない?
八幡宮の階段を 降りたところにある石鳥居は 城主・松平直矩が 寄進したもので 延宝七
年(1679)のもの。 その後 直矩は 九州へ移って行った・・。 

 さらに階段を降りると 千姫天満宮があります。 「広報ひめじ」 3号の裏表紙に ”千姫ゆか
りの天満社で 学問成就を願う” という記事があり 姫路城を 東に望む こぢんまりとした男山
の中腹に 天満社があります。 この神社は 千姫が守御神としていた天神木像を 本尊に 建
立されたもので 千姫は 朝夕 西の丸から 遙拝した といわれています・・・
千姫といえば・・ 詳しくは 「広報ひめじ」を 見てください。

 千姫といえば 徳川家康を祖父に 二代将軍秀忠を父に生まれたお姫様で 今年の大河ドラ
マで 注目されている お江の長女。 大坂夏の陣で 炎上する大坂城から 救い出され その後
自ら見初めた本多忠刻と 二十歳で 再婚し 姫路城に移り住み 千姫の輿入れで 増築された
のが 西の丸で 千姫のための化粧櫓も造られました。 夫婦仲が良く 本多忠刻の死により
江戸に帰るまでの 約10年 波乱の生涯の中で 最も 幸せな時期を 姫路城で 過ごしました・・・。

 本殿の右には 絵馬がたくさん掛けてあります。 千姫が 恋愛結婚したことから 恋愛・結婚を
願う人は お姫様の絵馬を また 学問の神様でもあることから 合格祈願の人は 菅原道真公の
絵馬を使うようです。 絵馬の裏を見ると 面白いことが いっぱい書いてあり 思わず 笑ってし
まいます。 例えば ・・・個人情報なので 発表できません! 千姫羽子板絵馬は 水尾神社の
近くで 売っているそうで 800円。  道真の絵馬は 東風吹かば・・ですが 千姫の絵馬には
  初秋の 風を簾(すだれ)に まきとりて(忠刻) 軒はにおほふ 竹の葉の露(お千) と
二人が 詠んだ連歌が 書かれています。 境内には 京都大学合格記念のプレートもありました。

 私には 恋愛、結婚、学問成就は 関係ないのですが 一応 お参りしておきました。 天満宮
から降りると 直ぐ西が 姫路文学館で 安藤忠雄の設計。 コンクリート打ちっぱなしの建物で
南館と北館があります。 「広報ひめじ」 4月号に 姫路文学館では 開館二十周年を記念し 特
別展を開催。 NHK大河ドラマの誘致活動などで 盛り上がる 姫路生まれの戦国武将・黒田官
兵衛を 紹介します とあり 4月22日から 特別展があるそうです。

 北館の奥に 望景亭があります。 旧濱本家の住宅で 和室、茶室、庭園、棟門、石垣などが
あり 見学自由。 ここへ来るのは 初めてですが なかなかいい雰囲気の建物、庭園でした。

 文学館の中には 入らず 建物を外から見て回りました。 文学館を後にして 南へ歩きます。
鷹匠町を抜け 県道を渡り 景福寺へ向かいます。 景福寺手前に 見星寺があったので 寄り
ました。 ここにも きれいな枝垂れ桜が ありました。 白い桜は?

 保育園を通り 景福寺に。 仁王門を潜り 境内に。 広い境内は 静かです。 お参りする場
所が 見当たりません。 禅寺だから? わざわざここへ来たのは 山に 亀趺があるということを
なにかで 見たからです。
 山へ登る前に 景福寺の由緒を。 景福寺(曹洞宗)は 古くは 摂津国にあったが 天正年間
に 戦火を避けて 姫路へ移り 池田輝政の築城のとき 坂田町に 寺を建てた。
 寛延二年(1749) 松平朝矩が 前橋から移封されるにあたり 現在地へ景福寺が移り 酒井
家の菩提寺になった。

 本堂の左から 山へ向かいます。 うっそうとした森に入ると 到る所に墓があり 倒れた墓もあ
り あまり 気持ちのいいものでは ありません。 景福寺山の南斜面一帯は 墓地になっているよ
うです。 北側は 景福寺公園。 幸い 右に進むと 直ぐ 亀趺が見つかりました。 広いスペース
に 五輪塔と石碑が立っていて 周りに倒れた石が 散乱しています。 この五輪塔は 姫路城・城
主だった松平明矩のお墓だと思いますが この荒れた墓地は 何とかならないのでしょうか?
 重要文化財の増位山・随願寺の亀趺とは えらい違いです。

 無縁仏となった墓も多いようで 景福寺も困っている? 東へ行くと 驚いたことに 女のひとが
一人で お墓参りしていました。 大阪から3時間かけて 月に一度は お参りに来るそうですが
お墓参りも 自分の代で 終わりとか・・。 「姫路城十景」 の東の展望台?から 「天空の白鷺」を
見て 下山。 景福寺の南を 東へ戻ると 「西国街道」の碑がありましたが 西国街道って 旧山
陽道のこと? ここは 姫路城の「車門跡」でした。

 内濠の周囲には 多くの門があったようです。 白鷺橋から国道2号線沿いを歩き 姫路駅
に戻り 確か 14:04の電車で 帰りました。 きょうは あちこち歩き回り 疲れました。
いろいろ 姫路の観光スポットを 紹介したので 市民税の減免等の御利益は あるかな?

 次回は GWが明けてから 千姫ぼたん園を観て 西の丸・化粧櫓を廻り 天空の白鷺・平成
の大修理を 観に行きます。 平日の午前中なら 予約なしで 行けるでしょう。 野歩記さんは
予約は かなり 煩わしい と言われています。
備前丸にある三角点を 踏むことが できるでしょうか? 千姫の小道のハナショウブは 6月?
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コメント (4)
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法道寺山 ほうどうじやま 807m

2011-04-10 18:17:00 | 山歩き
 4月10日(日)  天気:晴れ+モヤ   地図:但馬新井

 きょうは 生野町の法道寺山に登りました。 二等三角点:上生野です。 私には 難しそうなルートだ
ったので やまあそさんに お願いして 案内していただく ことにしました。 PSWさんこと ジローさんと
作畑・山ガールの ともみさんも 一緒に登りました。 思った通り 難しいルートで 「かみかわ登山日和」
の山ちゃんは 2010.4 この倍のルートを 歩いています。 山ちゃんの健脚には 改めて 脱帽です。
 法道寺山と言うからには 山頂に 法道寺があったとか 法道仙人が修業したとか 何か 謂われはな
いのでしょうか?  これで 二等三角点は 75個目、残り 23個となりました。
帰りに この前 新聞に載っていた 神河町・根宇野(みよの)の「首切り地蔵」に 寄ってきました。 この
お地蔵さんには 悲しい言い伝え・歴史秘話が あるそうです。


 8:05 出発。 姫路バイパスから 播但連絡道に回り 8:32 花田ICに入ります。 きょうは なぜ
か 車が多く 播但トンネルでは 時速50kmに落ちてしまいます。 市川北ランプでは 自動車道を
出る車が 20台以上並び 本線上まで並んでいました。 久しぶりに 但馬まで来ると 神崎南ランプ
から 生野北ランプまで 遠く感じました。 花田~生野北は 43km、1000円でしたが 実際の請求
は 休日割引があり 700円でしょう。 早く着いたので 鷲原寺に お参りしました。
 鷲原寺は 約1300年前 法道仙人が開いたと伝えられるお寺で 秘仏本尊・千手観世音菩薩は
平安時代の作と推定される。 お寺の周辺には 桜や梅が咲いていて 枝垂れ梅は 満開です。


 駐車場に行くと やまあそさんと ともみさんは すでに到着していました。 9:17 着。 家から 70.
7km。 やまあそさんたちは 早く来て 山上演奏会のため 音合わせをしていたのかな? しばらく
して ジローさんが 来られ 集合時刻を過ぎた 9:35 スタート。 直ぐ上の林道脇の祠に 石造阿弥
陀如来坐像がありました。 永仁四年(1296)心阿作の銘があり 鎌倉時代後期の石仏で 県文化
財。  林道終点から 真っ直ぐ 沢に沿って 山道を進みます。



 橋を渡り 最初の難所は 傾斜のある丸太の渡し。 丸太が濡れて 滑ります。 トタンを被せた橋
を渡り返し・・。 沢の小滝を見ながら進みます。 ジローさんが 上着を脱ぐと 赤いTシャツで きょ
うのメンバーの服色は 赤、青、黄(緑)で 信号色です。 ともみさんが 注意信号色・・・。



 10:10 不動滝へ来ました。 滝の水は 少なく 白糸の滝です。 滝の方から冷たい風が吹いて
きますが やまあそさんは 半袖です。 小休止して 左へ上がります。 なだらかな林を抜け 左へ
進んだ先に 分岐がありますが この分岐は 分かりにくい。 左へ進むと 急登を経て 尾根の73
0mPに出る前回のコースです。 きょうは 右の軟弱コースを辿ります。 山頂の急斜面を左に見
ながら 南の尾根へ トラバースしますが・・・。 



 やまあそさんたちは 右下の谷へ降りて 滝の源流調査。 私は 体力温存。 滝は確認でき
なかった? トラバース道は いい道だったのですが ミツマタの群生に阻まれ 道がなくなり・・。
急斜面で 動けません。 斥候中のやまあそさんから 道発見! の声がかかり 急斜面をトラバ
ース。 細い崩れそうなミチ?を 右へ廻り 折り返し 左へ登り やっと 尾根に・・・。


 11:26 分水嶺尾根に出ました。 南に 破線の道があるようですが 倒木があり 荒れているよ
うです。 尾根を東へ登りますが この尾根も やや荒れた急な登りです。 小ピークに登ると 左に
窓があり 北が望め なだらかな稜線が 行者岳のよですが 山頂は どこ? 左下に 観音堂の上
の大岩も見えます。 山頂手前のニセピークを越え 山頂へは 急な登りです。 誰かが お腹が空
いた!と 叫んでいます。 おやつのチョコを ひとつあげると 静かになり・・・。


 急な登りに足を止めると 右の木の間に 銀山湖が覗いていました。 皆に遅れ 11:50 登頂。
落葉の中に三角点があるだけの頂です。 早速 昼食に。 昼食後 やまあそさんは 無線機のス
イッチを入れましたが 誰とも繋がらなかったようです。 ごそごそしていると思ったら リュックから
ピアニカを出して 突然 演奏会が 始まりました。



 曲は ピタゴラスイッチだった? なかなか息の合った演奏でした。 秘かな練習の成果? ジ
ローさんが 持っていた怪しげなものは 楽器ではなかった? ミニコンサート後 東の尾根を降り
てみましたが お寺の跡らしきものは 発見できませんでした。 尾根が下りになる所から 東の
山並が 木々を透かして見え 左から三国岳、加美アルプス、マタニ山、千ヶ峰と並んでいます。
山頂へ戻るとき 北に 青倉山や粟鹿山も見えた? もう少し 見晴らしがあると いいのに・・。
山頂から 北への分水嶺・縦走路は 上から見ると 激下りでした。



 12:39 山頂へ戻り 登ってきた急坂を下ります。 私には 登りより楽ですが・・。 登ってきた
谷には ミツマタが あちこちで 群生していましたが 尾根には タムシバが 多く見られます。 が
距離的に 写真を撮るのは 難しいのです。 また 分水嶺尾根歩きも 難しく 居場所が 分かりませ
ん。 黙々と やまあそさんの後ろに 続きます。


 分水嶺尾根は 所々で 見晴らしがあり 北の行者岳方向が望め どこだったか 南の高畑山方向
も見えました。 高畑山は 大きな山塊で 右肩に覗くのは 白岩山? 左裾の山は 小畑山? 小畑
山は 俗称:おっぱい山? 南に見える釜床山は 俗称:カマトト山? 小ピークから 西の段ヶ峰方向
も 望むことができました。


 尾根を南へ下り 西へ曲がる所も 何も考えず歩いていると 直進してしまいそう。 やまあそさん
は さすがに 地図とGPSで 確認していました。 右への急な下りには 大柿布が・・。 尾根が南へ
曲がる所に登ると 新しい三角点が 埋設されていました。 四等三角点:露畑 555.5m。 コンク
リ杭に丸い金属プレートが 埋められていますが 値打ちが感じられません。 ここは 地形図では 平
坦な尾根ですが 実際は 小ピークです。 勿論 三角点は 地図には ありません。
 次の右折ピークは 急斜面をショートカットして 進み 新設された基準点のある分岐に 行きました。


 ここで ルートを外れ 南へ降りました。 東へ破線の道がある峠・鞍部には お地蔵さんがあり 石
仏に 74番とありますが 四国巡礼道? お地蔵さんと思った岩は 北を指さす”指さし岩”でした。
 岩屋観音を指す道標?  尾根に戻り 分水嶺尾根を外れ 尾根を西へ進むと 右下へ降りる道?
が ありますが ここも 直進して 尾根の先端へ行くと そこは 絶好の展望地でした。
 ほぼ360度 周囲の山が 見渡たせます。 後方を振り返ると 歩いてきた分水嶺尾根の左端に
法道寺山が 鋭く尖っています。 南には 釜床山が大きく 西には 平らな段ヶ峰山塊の右に トンガ
リ山が 形良く見えます。 やまあそさんは その左の山は 京都山だと 言われていましたが・・。
ここは 526m標高点かと 思いましたが 少し手前の530m等高線ピークで 通称・おむすび山?


 記念撮影をして 分岐に戻り 右へ降りますが この分岐も分かり難いです。 落葉に埋もれ 道
が 見えません。 と言うか どこも道に見えます。 ジローさんは 以前 道が分からず ここから引
き返した? ここからは ジローさんのテリトリーなのか ジローさんが 先頭を 歩きます。 倒れて
いる石仏を 抱き起こしながら・・・。 この辺りは 広いクヌギ?林で 落葉の積もる平原で 気持
のいい場所です。 爽やかな5月の風が吹く 新緑の頃 訪れたいものです。


 大きく右に折り返し 下って行き 谷へ降りると 植林の中へ入ります。 涼しい日陰のいい道
を 沢のせせらぎを 聞きなから 石仏を観ながら のんびり下っていると 徐々に 倒木が現れて・・。
難儀するほどではなく 潜って 跨いで 越えて行きます。 この谷にも ミツマタが多く咲いていま
した。 林を抜け 観音川の手前の石仏を観て 川を渡り 鷲原寺に戻ってきました。 紙面の
都合上 石仏の写真は 割愛させていただきます。


 梅や桜を見ながら 駐車場に帰ります。 15:29 車に。 きょうは ちょっと 疲れました。
本日の行程は 9:35~15:29 で 約6時間でした。 直ぐ帰るのかと思いきや もう一度
サプライズが 行われるようです。 やまあそ号に続いて 奥銀谷へ行き もう一度 ミニコン
サートを開催。 観衆は 約2名。 遅くなりました。 早く 「首切り地蔵」へ行かないと・・。
この辺りへは めったに来ないので 来たとき ついでに寄らないと。


 国道312号線を下り 神崎総合病院で 左折して 県道8号線を東へ走ると お地蔵さんは 直ぐ
分かりました。 ともみさんに場所を教えてもらったし 事前に調査報告もしてもらったから。
 4月3日の新聞に 「多彩な民話90編」という記事があり 神河町の「首切り地蔵」は 年貢の減
免を訴えようとした庄屋が斬られ 供養の地蔵に刀で斬られたような割れ目ができたというストー
リーで 封建制の中での反抗が 命と引き換えだったことを物語る とあります。
お堂の横にある「首切り地蔵(袈裟斬り地蔵)」の説明板には もう少し 詳しく 書いてありますし
やまあそさんのページにもあります。


 ともみさんは 気味が悪いと言っていましたが・・。 そんなことは ありません。 左の地蔵さん
は お顔がはっきりしませんし 胴体とは違う 別の石が乗っているような気がします。 右の地
蔵さんの目つきは ちょっと薄気味悪いかも・・・。 夜 ひとりで寝られないほどでも ないし・・。
 16:48 帰路につきます。 県道を下り 16:58 神崎南ランプから 播但道に入ります。
ETCが 設置されていないので 入口で カードを取ります。 播但道は 帰りも車が多い・・。



 17:19 花田ICを出ます。 帰りは 社会実験により 200円引きで 500円也。 姫路
バイバスを走り 17:48 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:70.7km 「首切り地蔵」まで29.4km 復路:58kmで 計:
158.1kmでした。
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陰陽師in浅口市

2011-04-07 14:53:19 | 日記
 4月 7日(木)  天気:晴れ   室温:24.5℃

 3月12日に 佐用町の山から降りて 江川地区を通ると 「陰陽師コスプレイベント」が行われていま
した。 そこで もらった資料に 道満塚と晴明塚が 岡山県の浅口市にもあると 書かれています。 ネッ
トで 調べましたが よく分かりません。 浅口市の産業振興課・観光協会に問い合わせると 資料を送っ
ていただけることになり 昨日 資料が 届きました。



 浅口市は 鴨方町と金光町と寄島町が 合併してできたようで 今も 三町で 構成されているようです。
鴨方町の北に 安部山があり 近くに 安倍晴明の碑や安部神社があるようです。 別の資料には 陰
陽師 安倍晴明ゆかりの地ー安部山ーとあります。 この地で 安倍晴明が 天体観測をしていた と伝え
られており そのため この山は 安部山と呼ばれるようになったと言われているそです。 ひっそりとし
た ゆかりの地にたたずむと 今にも晴明が現れそうな雰囲気がするそうです。



 南の寄島町には 神功皇后ゆかりの大浦神社や 三ツ山もあるようで これはもう 行かない訳に
は いきません。 近々 行ってみようと思います。 送っていただいた資料を じっくり見て 下記の
場所を訪れたいと思いますが 何カ所 回れるでしょうか? 休日千円を 利用して 山陽自動車道を
走ると 約1時間で 鴨方ICへ行けます。 まず 北の安倍晴明屋敷跡へ・・。

1.安倍晴明屋敷跡と碑
   安倍晴明は 平安時代中期に活躍した陰陽師で 天文道を学び伝え 天皇をはじめ諸家の陰陽道
   諸祭や占に従事し きわめて名声が高かったと言われています。
   浅口市には 晴明ゆかりの伝説地が 多く 残っています。
   金光町占見(うらみ)は その名も晴明の占いに由来する土地で
   ライバル芦屋道満の名も 多く 残されています。(道満池、道満墓・・)
2.岡山天文博物館、天文台
   日本最大級の188cm反射望遠鏡があります。 これも 安倍晴明の天体観測の影響?
3.遙照山展望台
   遙照山の山頂には 両面薬師堂があり 本尊の石仏は 南面は 薬師如来、北面は 釈迦如来という
   二仏一体の珍しい像です。 瀬戸内海の眺望良好。
4.晴明・道満の墓、鬼の手形岩、道満池の坊主岩
   道満に関しては 記述がありません。
5.鴨山の磨崖仏、鴨山城跡、陣屋跡
   鴨方藩は 岡山藩の支藩として 備中浅口、窪屋、小田3郡の地で 2万5000石。
6.大浦神社
   997年 晴明が その霊地に 応神・仲哀天皇、神功皇后の三神を祭り 地方の氏神としたと伝え
   られています。
7.三ツ山(三郎島)
   神功皇后が 三韓征伐から凱旋の際 立ち寄ったことから 「寄島」 と呼ばれるようになったと
   言われ 三つの岩は 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神が 祀られている?
   花崗岩から成る三つの島は 干潮時には 互いに陸続きになるそうです。
8.安倉八幡神社と大楠
   県下最大級の楠で 高さ20m、樹齢600年の巨木です。
   応神・仲哀天皇、神功皇后の三神が 祀られている?
9.ゆるぎ堂・地蔵石仏
   高さ210cmの石仏で 花崗岩の丸彫りの延命地蔵で 右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。
   正慶元年(1332)の作。 
10.昼食は
   「小料理こころ」 か 「きの味」 で 和定食・・・金光駅前 

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カタクリの里

2011-04-05 15:15:15 | 日記
 4月5日(火)  天気:晴れて暖かい   地図:土万+三日月

 あーぁ きょうも 暇だなァ・・・。 きのう きょうと 天気はいいのに・・。 そうだ カタクリの花を 見に
行こうっと! という訳で きょうは 佐用町東徳久(とくさ)の「カタクリの里」へ行ってきました。 が 東
徳久のカタクリは 山の西斜面にあるため 午前中は 陽が当たらず 今年は 花が少なく さっぱりです。
 おまけに 私のカメラは カタクリの花には ピントが合わないし・・。 私のカメラで 写せる所に 咲いてい
る花は 少ないし・・・。
 幸運だったのは ここで 会った人が 弦谷(つるたに)のカタクリを 教えてくれました。 弦谷のカタクリ
の里は 逆に 山の東斜面にあるため 朝から陽が当たり お昼頃行くと 花は 反り返っています。
 そうそう 東徳久に行った ついでに 日本最古 と言われる 天一神社に お参りしてきました。

 9:58 出発。 国道2号線から 10:24 龍野西ICから山陽道に入り 10:34 播磨新宮ICを降り
ます。 播磨道は 15.5km、400円。 科学公園都市を通り 10:42 市ノ上に降り 国道179号
線を西へ走り 10:34 太田井橋で右折。 千種川沿いに 県道53号線を 約2.5km北へ行き 右折
して 天一神橋を渡ります。 ちょうど 日向ぼっこ中の人が居たので 道を尋ね 「カタクリの里」を 教え
てもらいました。 難しい場所にあり 駐車場もありません。 下の図が 本日の概略・推定ルートです。




 10:59 道路脇のスペースに停めさせて もらいました。 家から 42.7km。 何所にも 「カタクリ
の里」の表示は ありません。 聞く人もいません。 ネットに囲まれた中を探して やっと見付けること
ができました。 手摺のある緑の斜面、幅約10m?ほどが そうです。 目を凝らすと 僅かに カタク
リが 咲いています。 今年は 花が少ないそうです。


 ここへ来たもう一つの目的は この前見た「幽黙」さんのページにあった 日本最古の天一神社へ行く
ことです。 カタクリの里の上、地図に 202m標高点のある丘に 神社の印があります。 日向ぼっこ中
の人は 道路を右に行く と教えてくれましたが 右の道路は 地元の人が出て 軽トラを停め 何やら整
備作業をしていて 通れません。 聞くと 少し手前から行けるそうです。 バックして 道路わきに 適当
に 車を停め 倉庫の前から山道を 左へ 進みます。 降りてから 聞くと 東(間村?)と西(殿崎?)の
地域の人が お参りするそうで 管理は 東の地域が しているそうです。



 教えてもらった通り 扉を開け 山道を進みますが・・。 参道は 扉から15mの所にあったのですが
ヤブっぽくて 分からず 通り過ぎ フェンス沿いに東の扉まで行き 土手をよじ登り 道のない雑木ヤ
ブを歩き・・。 きょうは ヤブ歩きをしたくなかった・・。 きのう ジャスコで 買ったばかりのトレーナー
を 着ていたので・・。 ヤブを抜けると 立派なコンクリート舗装の道に出て これを辿ると 高区配水池
に出て これを 過ぎると 古びた鳥居に出ました。 鳥居を潜り なだらかに進んだ先が 神社でした。 


 入母屋造りの拝殿と本殿があります。 南に石段があり これが 本来の参道のようで 東地区の
人が使い 西の鳥居のある参道は 西地区の人が使うそうです。 建物は 木造で かなり古く 歴
史を感じます。 山上にあるので 狭い境内です。
 拝殿にあった由緒によると 祭神は 天御中主(あめのなかぬし)大神で 日本神話に登場する神
で 天地創造の神? この神社は 今より 二千年前(弥生時代)に 創立された 日本でも 最古の神
社で 寶剣(銅剣)が 御神體なるは 天智記に「安置御宅」記され 延喜式神社名帳を はじめ 多く
の古書に登載され 有名である。 尚 奈良東大寺戒壇神名帳に 「天一天白中頭天王」と 天一神
のことが 登載されている。・・・・ ともあれ 古ーい歴史が あることは 分かりますが・・・。
 拝殿の左の柱に 白いプラ板に書かれた 西行法師の歌が ありました。
        何事の おはしますをば 知らねども かたじけなさの 涙こぼるる
これは 歌集「西行法師家集」にある歌だそうで 伊勢神宮を参拝した折 感動を詠んだ歌だそうで
すが なぜ ここにあるのでしょう? ここにあった絵馬も 相当古そうで 何が描いてあるのか・・。


 お参りし 西へ降ります。 家に帰り ネットで調べると  天御中主大神が 馬に乗り この岩に降り
立ったと言われる馬蹄石「天神降臨之岩」があるそうで 祠もある? この道以外にも 参道がある
ようです。 馬蹄石を 見られなかったのは 返す返すも 残念です。 降りるときは コンクリート道
から 右に道があったので それを降りると ササヤブを通り 扉の上に出ました。
12:04 車に戻り 帰路につきます。 県道53号線を下り 国道179号線で 市ノ上に戻り 左折
して 県道28号線に入ると 赤い幟が はためいていて カタクリの群生地を示しています。



 橋を渡り 12:41 弦谷の「カタクリの花 群生地」に着きました。 東徳久から7.3km。 狭いな
がら 駐車場もあります。 帰り道の途中にあるのも ラッキーでした。 道路の一段上の西斜面に 群
生地があります。 こちらは 少し多く咲いています。 長いレンズを付けたカメラで 写真を撮ってい
る人が居て・・。 場所を占領して ピント合わせに 時間がかかり・・。 隣のカメラマンに 露出、シャ
ッター速度を聞くな! さっさと撮れ と言いたくなります。 デジカメの良いところは 下手な鉄砲を数
うてることです。 何枚か ピントが合っていれば いい! 白いカタクリは ありませんでした。






 写真は 十分撮ったので 帰路につきます。 播磨学園都市に上がり 12:52 播磨新宮IC
から 播磨道に入り 山陽道に出て 龍野西SAに寄って トイレと昼食を済ませ 13:32 龍野
西ICを降りて 国道2号線を走り 13:57 家に帰りました。
本日の走行距離は 往路:42.7km 弦谷まで:7.3km 復路:36kmで 計:86km。

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点名:千本 せんぼん 489m

2011-04-02 15:43:18 | 山歩き
 4月 2日(土) 天気:晴れ のち 曇り 濃いモヤ   地図:三日月・安志

 きょうは たつの市新宮町の点名:千本(二等三角点)に登ってきました。 千本に登るなら 南の千
本から と思いましたが 三角点調査見習いたいの私としては 「点の記」のルートを たどらないと・・。
「点の記」では 北西方向の牧から 林道終点へ行くようになっているのです。 が このルートは 凄い
倒木で 予定のルートを 歩くことは できませんでした。 結果オーライで・・・。 まあ これで 倒木の
多い?佐用町周辺は 完了となりました。 二等三角点は 74個目 残りは 24個です。

 下の図が 本日の概略ルートです。 写真では 駐車地点から まだ先へ車で行けそうに見えますが
細いワイヤーが張ってあり 通行できません。 林道を歩いて 489m標高点ピークへ登り 尾根を 歩
いて 山頂へ。 林道へ降りたのは 確かなのですが・・。 途中経過は?


 8:02 出発。 龍野西ICから山陽道に入り 播磨道に廻り 8:38 播磨新宮ICで 降ります。
播磨道は 15.7km、300円。 県道44号線を東へ降り 栗町で国道179線に出て 左折。
 西栗栖で右折するところを通り過ぎ 佐用町に入り 引き返し 県道44号線に入り 北へ。 牧
で右折して 橋を渡り 集落を抜け 林道へ。 ところが 集落から100mほど進むと 細いワイ
ヤーが張ってあり 通行できません。 扉もありません。 仕方ない 横に停めましょう。
 9:00 駐車。 家から 42.7km。 9:07 スタート。 ワイヤーを潜って 林道を進みます。



 初めは 車でも走れるいい林道で 左斜面の植林も 整備されていましたが 徐々に 荒れてきて
丸太橋を渡ると 雨水に路面が流され えぐられているところもあります。 ワイヤーロープが放置
されていて 昔は 林業が盛んだったようですが・・・。 沢に沿って 歩きますが この沢には 石が
キチンと積まれ その石垣が 延々と残っています。


 次第に倒木が出てきて 道がなくなり・・。 沢の右斜面は 超急で 倒木もあり 左の方が 歩きや
すそうに見えたので 左斜面を進みましたが 雑木の斜面には 落葉が積もり 土は ずるずる崩れ
進むのに 苦労しました。 山頂は 右と 分かっては いるのですが・・・。 


 山頂の北斜面は 倒木で 伐採地のようになっていました。 谷が 左右に分かれるところで やっ
と 谷へ降りて 尾根に取り付くことができました。 が この登りも 急斜面で 道はなく 土は崩れ
るし 登るのには 難儀しました。 谷で 下の椿の花を撮るとき 枝を引き寄せると 枝が折れてし
まいました。 ごめんなさい! 自然を壊すつもりは ないのです・・。


 急斜を登ると なだらかな尾根に出たので 地図を見て 489m標高点ピークに向かっているこ
とが 分かりました。 さらに登って 489mピークに出ると 11:00 でした。 スタートから ここま
で 2時間近く かかりました。 木々を透かして 南に 山頂尾根が見えます。



 南の広いなだらかな尾根を歩きます。 疎らな雑木で 倒木地獄に比べると 極楽尾根です。
多少 小枝が 張り出していますが 歩くには 問題ない。 新録の頃に 歩きたい尾根道です。
右に曲がりながら 少し登ると 山頂でした。 山頂手前に ブルーシートが ありましたが・・。



 11:17 二等三角点:千本に登頂。 平らな頂で 南にも尾根が伸びています。 三角点の上
に 倒木があり 三角点の周囲を掃除するのに 小1時間?かかりました。 ここへ来る人は い
ないとみえ きれいな三角点で 四天王岩に守護されていますが 東の持国天が やや 小さい・・。
三角点を撮って 11:25 下山。 登ってきた尾根の反対側の西へ降ります。 道はないものの
初めは 歩きやすい尾根でしたが・・。



 少し降りると 倒木が出てきて 枯れたタケニグサやシダが 倒木を覆い ルート選びに困ります。
倒木帯が100mほど続いたでしょうか? 急な下りになると 岩が露出し 地面は崩れて滑るし
この下りにも 難儀しました。 杉の 木から木へ渡りながら 横向きになって 滑り降りました。


 倒木帯を越えるとき 巻き上げた悪い埃を 吸ったのでしょうか? くしゃみが 止まりません。 私
の鼻に反応する悪いアゲルゲンがあったようです。 もう 二度と来ないから・・。 急斜面を 滑り降り
12:10 林道に 降りました。 うまい具合に 倒木のある所より 少し 下でした。


 後は 沢のせせらぎを 聞きながら 荒れた林道を歩くだけです。 林道歩きも 結構 長い・・。
12:31 車に戻ってきました。 本日の行程は 3時間20分ほどでした。 登りに 2時間10分
かかったので 下りは 1時間ちょっとでした。 車で 弁当を食べて 13:09 車を出します。


 きょう(4月3日) 4時から NHK BSプレミアムで 「秀吉が愛した京都・醍醐寺の桜」 で 満開
の枝垂桜を 十分 堪能したし 山から降りてきて 集落の奥で 咲き始めていた桜を 観ることが
できました。 これで 私の 今年の花見は 終わりかも・・。


 林道を降りた県道44号線から 谷の奥に見えるのが 二:千本かと思うのですが・・。
きょうも けんこうの里・三日月温泉(300円)に寄り 国道179号線・市ノ上から 播磨学園
都市に 上がり 14:30 播磨新宮ICから播磨道に入り 14:41 龍野西ICを降り 国道2
号線を走り 15:01 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:42.7km 三日月温泉まで:19.1km 復路:42.7kmで
計:103.7kmでした。

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 きょう 4月4日 イオン大津ショッピングセンターで 買い物をして 12時過ぎに 店を出ると
正面に見える京見山・東尾根から もくもくと煙が上がっていました。 山火事のようです。
夕方のニュースでは 56ha燃えて まだ 延焼中とか・・。 尾根の北の中学校の裏から 出火
したようで 南のイオン大津側から見ると 白い煙しか見えませんが 北から見ると まだ 炎が
上がっているそうです。 翌5日は 早朝から ヘリコプターの音で 目が 覚めました。 消火活動を
しているのでしょう。



 帰りに いつもの散歩道に寄ると 桜が咲き始めていました。 まだ 一、二分咲き。 大津茂川に
沿って 桜並木があり 水面に浮かぶ桜を見るのは 大変 気持ちが いいのです。



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