4月14日(木) 天気:晴れ 室温:23.4℃ 地図:姫路南部・北部
あーァ きょうも また 暇だなァ・・。 天気は いいし・・・。 そうだ! 姫路へ桜を
観に行こう! という訳で きょうは 姫路へ桜を 観に行ってきました。 しみけんさんの
アドバイスもあり 車は 止めて 電車で 行きました。 ガソリンは 節約するので できるだけ
東北地方に 回して! それにしても ガソリン代が高くなりました。
「姫路城十景」の 大手前通り、三の丸広場、男山配水池公園、景福寺公園の4ヵ所をめ
ぐり「播磨国風土記」の14丘伝説の 男山59mと 景福寺山51mに 登り、「広報ひめじ」
3月号の裏表紙にあった”千姫ゆかりの天満社で 学問成就を願う”から 黒田官兵衛特別展が
開催される姫路文学館(建築家・安藤忠雄の設計)を 訪れ、「千姫の小径」(千姫は NHK
大河ドラマの主役・江ごうの娘) を 歩き、景福寺山・山頂にある亀趺(きふ)(松平直矩の
墓?) を 確認し・・・と 目の回る忙しさでした。 そうそう 姫路駅北広場の工事の進捗
状況も チェックしておかないと・・。
残念だったのは 万歩計を付け忘れたこと。 5000歩以上歩いたはずだが・・・。
姫路の桜は 今が 最盛期。 満開の桜が 風に吹かれ まさに 桜吹雪・・・。 散った花びらが
ピンクの絨毯になり 川面の流れに乗って・・・。 あちこちに 八重の枝垂れ桜もありました。
もうひとつ 残念なことが・・。 千姫の小径南の白鷺橋へ行ったのに 「千姫像」 を見忘れ・・・。
えっ とうこさんが つい最近 男山に登られたとは つゆ知らず・・。 追っかけを しているわけでは・・
網干駅まで歩いて 10:04の電車に乗りました。 が 姫路駅で降りて びっくり! こんな黄色
い電車に乗っていたとは・・。 新幹線のドクターイエローだったら 良かったのに・・。 改札口を
出たコンコースも きれいに なっていましたが 北は 工事の塀に 突き当ります。 駅の北口は
すっきりしたような・・。 タクシー乗り場しか ありません。 大手前通りを 北ヘ歩きます。
大手前通りの歩道を歩くと 並木が邪魔で 「天空の白鷺」が 見えにくいのです。 信号を待ち
横断歩道を渡りながら 「白鷺」を撮りました。 大手前通りから見ると 西の家老屋敷跡公園の
桜が きれいです。 寄ってみましょう。 紅枝垂れの桜もあります。
写真を撮って 姫路城へ。 桜門橋を渡ると 石垣の上の桜が お濠の水面に映えます。
大手門を潜り 三の丸広場へ。 桜は ほぼ 満開でしょうか?
「天空の白鷺」素屋根の7、8階部分だけが 妙に白く 違和感があります。 側面に描かれ
た お城の絵も はっきりとは 見えませんし・・。
「平成の大修理」は また 後日 見学するとして きょうは 写真だけ撮って 引き返します。
≪5月11日 追記≫
今日の新聞によると 「建屋覆う大天主の線画 白い背景黒ずむ」という記事が 載っていて 工事用
建屋の南面で ポリエステル樹脂製のメッシュシートの6階から下部分が 消えてはいないが 白かった
背景が 3月ごろから 黒ずんできた・・・とあります。 私の見た通りでした。
好古園の前を 西へ歩くと 「千姫の小径」 に出ます。 市之橋の手前から 船場川に沿って北
へ歩きます。 右は 濠かと思いましたが 右も川? 右上には 西の丸の白壁が見え 道は 桜
並木です。 左下の船場川の水面には 桜の花びらが 流れていきます。
「広報ひめじ」2月号のふるさと探訪239に 「千姫の小径」が 載っていました。 千姫の小径
は 白鷺橋から清水橋までを結び 桜や紅葉など 季節に応じた彩が 楽しめる遊歩道として 整
備されたとあります。 6月には ハナショウブが咲き誇り 初夏を感じさせてくれるそうで 強く
生きた千姫の面影をしのぶ道・・・。
11:17 「千姫の小径」北端の清水橋に 来ました。 ここに説明板があり 天守閣の周辺は
国宝で 世界遺産ですが 船場川より東の中濠の内側地域は 武家屋敷や城門の遺構を埋蔵
する重要な文化財で 「特別史跡」に指定されているとか・・。 ここは 石垣を修理中ですが 西
に これから登る 男山が 手の届く距離にあります。 橋を渡り 細い路地を 西へ進むと 水尾
神社があります。
水尾神社には 由緒書がなく 詳しいことが分かりません。 一応 参りして 右の階段を上がり
ますが この石段は 急で 長く ウソ800段もあります。 喘ぎながら上がり 11:30 男山に登
りました。 三角点はなく 59m標高点となってすが 説明板には 57.5mとあります。
「播磨国風土記」14丘伝説の筥(はこ)丘と 比定されています。 今は 配水池公園となって
いて 芝生広場です。 また ここは 「姫路城十景」のひとつなので 姫路城の絶好の展望台
で 天主の素屋根が見えますが 日陰で暗くなり・・・。
山頂広場の南西角から 目の前に なだらかな景福寺山を見ることが できます。 ところが
ここから 降りると 男山八幡宮の裏へ降りてしまい これでは お参りしても ご利益はない?
八幡宮の階段を 降りたところにある石鳥居は 城主・松平直矩が 寄進したもので 延宝七
年(1679)のもの。 その後 直矩は 九州へ移って行った・・。
さらに階段を降りると 千姫天満宮があります。 「広報ひめじ」 3号の裏表紙に ”千姫ゆか
りの天満社で 学問成就を願う” という記事があり 姫路城を 東に望む こぢんまりとした男山
の中腹に 天満社があります。 この神社は 千姫が守御神としていた天神木像を 本尊に 建
立されたもので 千姫は 朝夕 西の丸から 遙拝した といわれています・・・
千姫といえば・・ 詳しくは 「広報ひめじ」を 見てください。
千姫といえば 徳川家康を祖父に 二代将軍秀忠を父に生まれたお姫様で 今年の大河ドラ
マで 注目されている お江の長女。 大坂夏の陣で 炎上する大坂城から 救い出され その後
自ら見初めた本多忠刻と 二十歳で 再婚し 姫路城に移り住み 千姫の輿入れで 増築された
のが 西の丸で 千姫のための化粧櫓も造られました。 夫婦仲が良く 本多忠刻の死により
江戸に帰るまでの 約10年 波乱の生涯の中で 最も 幸せな時期を 姫路城で 過ごしました・・・。
本殿の右には 絵馬がたくさん掛けてあります。 千姫が 恋愛結婚したことから 恋愛・結婚を
願う人は お姫様の絵馬を また 学問の神様でもあることから 合格祈願の人は 菅原道真公の
絵馬を使うようです。 絵馬の裏を見ると 面白いことが いっぱい書いてあり 思わず 笑ってし
まいます。 例えば ・・・個人情報なので 発表できません! 千姫羽子板絵馬は 水尾神社の
近くで 売っているそうで 800円。 道真の絵馬は 東風吹かば・・ですが 千姫の絵馬には
初秋の 風を簾(すだれ)に まきとりて(忠刻) 軒はにおほふ 竹の葉の露(お千) と
二人が 詠んだ連歌が 書かれています。 境内には 京都大学合格記念のプレートもありました。
私には 恋愛、結婚、学問成就は 関係ないのですが 一応 お参りしておきました。 天満宮
から降りると 直ぐ西が 姫路文学館で 安藤忠雄の設計。 コンクリート打ちっぱなしの建物で
南館と北館があります。 「広報ひめじ」 4月号に 姫路文学館では 開館二十周年を記念し 特
別展を開催。 NHK大河ドラマの誘致活動などで 盛り上がる 姫路生まれの戦国武将・黒田官
兵衛を 紹介します とあり 4月22日から 特別展があるそうです。
北館の奥に 望景亭があります。 旧濱本家の住宅で 和室、茶室、庭園、棟門、石垣などが
あり 見学自由。 ここへ来るのは 初めてですが なかなかいい雰囲気の建物、庭園でした。
文学館の中には 入らず 建物を外から見て回りました。 文学館を後にして 南へ歩きます。
鷹匠町を抜け 県道を渡り 景福寺へ向かいます。 景福寺手前に 見星寺があったので 寄り
ました。 ここにも きれいな枝垂れ桜が ありました。 白い桜は?
保育園を通り 景福寺に。 仁王門を潜り 境内に。 広い境内は 静かです。 お参りする場
所が 見当たりません。 禅寺だから? わざわざここへ来たのは 山に 亀趺があるということを
なにかで 見たからです。
山へ登る前に 景福寺の由緒を。 景福寺(曹洞宗)は 古くは 摂津国にあったが 天正年間
に 戦火を避けて 姫路へ移り 池田輝政の築城のとき 坂田町に 寺を建てた。
寛延二年(1749) 松平朝矩が 前橋から移封されるにあたり 現在地へ景福寺が移り 酒井
家の菩提寺になった。
本堂の左から 山へ向かいます。 うっそうとした森に入ると 到る所に墓があり 倒れた墓もあ
り あまり 気持ちのいいものでは ありません。 景福寺山の南斜面一帯は 墓地になっているよ
うです。 北側は 景福寺公園。 幸い 右に進むと 直ぐ 亀趺が見つかりました。 広いスペース
に 五輪塔と石碑が立っていて 周りに倒れた石が 散乱しています。 この五輪塔は 姫路城・城
主だった松平明矩のお墓だと思いますが この荒れた墓地は 何とかならないのでしょうか?
重要文化財の増位山・随願寺の亀趺とは えらい違いです。
無縁仏となった墓も多いようで 景福寺も困っている? 東へ行くと 驚いたことに 女のひとが
一人で お墓参りしていました。 大阪から3時間かけて 月に一度は お参りに来るそうですが
お墓参りも 自分の代で 終わりとか・・。 「姫路城十景」 の東の展望台?から 「天空の白鷺」を
見て 下山。 景福寺の南を 東へ戻ると 「西国街道」の碑がありましたが 西国街道って 旧山
陽道のこと? ここは 姫路城の「車門跡」でした。
内濠の周囲には 多くの門があったようです。 白鷺橋から国道2号線沿いを歩き 姫路駅
に戻り 確か 14:04の電車で 帰りました。 きょうは あちこち歩き回り 疲れました。
いろいろ 姫路の観光スポットを 紹介したので 市民税の減免等の御利益は あるかな?
次回は GWが明けてから 千姫ぼたん園を観て 西の丸・化粧櫓を廻り 天空の白鷺・平成
の大修理を 観に行きます。 平日の午前中なら 予約なしで 行けるでしょう。 野歩記さんは
予約は かなり 煩わしい と言われています。
備前丸にある三角点を 踏むことが できるでしょうか? 千姫の小道のハナショウブは 6月?
。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。
あーァ きょうも また 暇だなァ・・。 天気は いいし・・・。 そうだ! 姫路へ桜を
観に行こう! という訳で きょうは 姫路へ桜を 観に行ってきました。 しみけんさんの
アドバイスもあり 車は 止めて 電車で 行きました。 ガソリンは 節約するので できるだけ
東北地方に 回して! それにしても ガソリン代が高くなりました。
「姫路城十景」の 大手前通り、三の丸広場、男山配水池公園、景福寺公園の4ヵ所をめ
ぐり「播磨国風土記」の14丘伝説の 男山59mと 景福寺山51mに 登り、「広報ひめじ」
3月号の裏表紙にあった”千姫ゆかりの天満社で 学問成就を願う”から 黒田官兵衛特別展が
開催される姫路文学館(建築家・安藤忠雄の設計)を 訪れ、「千姫の小径」(千姫は NHK
大河ドラマの主役・江ごうの娘) を 歩き、景福寺山・山頂にある亀趺(きふ)(松平直矩の
墓?) を 確認し・・・と 目の回る忙しさでした。 そうそう 姫路駅北広場の工事の進捗
状況も チェックしておかないと・・。
残念だったのは 万歩計を付け忘れたこと。 5000歩以上歩いたはずだが・・・。
姫路の桜は 今が 最盛期。 満開の桜が 風に吹かれ まさに 桜吹雪・・・。 散った花びらが
ピンクの絨毯になり 川面の流れに乗って・・・。 あちこちに 八重の枝垂れ桜もありました。
もうひとつ 残念なことが・・。 千姫の小径南の白鷺橋へ行ったのに 「千姫像」 を見忘れ・・・。
えっ とうこさんが つい最近 男山に登られたとは つゆ知らず・・。 追っかけを しているわけでは・・
網干駅まで歩いて 10:04の電車に乗りました。 が 姫路駅で降りて びっくり! こんな黄色
い電車に乗っていたとは・・。 新幹線のドクターイエローだったら 良かったのに・・。 改札口を
出たコンコースも きれいに なっていましたが 北は 工事の塀に 突き当ります。 駅の北口は
すっきりしたような・・。 タクシー乗り場しか ありません。 大手前通りを 北ヘ歩きます。
大手前通りの歩道を歩くと 並木が邪魔で 「天空の白鷺」が 見えにくいのです。 信号を待ち
横断歩道を渡りながら 「白鷺」を撮りました。 大手前通りから見ると 西の家老屋敷跡公園の
桜が きれいです。 寄ってみましょう。 紅枝垂れの桜もあります。
写真を撮って 姫路城へ。 桜門橋を渡ると 石垣の上の桜が お濠の水面に映えます。
大手門を潜り 三の丸広場へ。 桜は ほぼ 満開でしょうか?
「天空の白鷺」素屋根の7、8階部分だけが 妙に白く 違和感があります。 側面に描かれ
た お城の絵も はっきりとは 見えませんし・・。
「平成の大修理」は また 後日 見学するとして きょうは 写真だけ撮って 引き返します。
≪5月11日 追記≫
今日の新聞によると 「建屋覆う大天主の線画 白い背景黒ずむ」という記事が 載っていて 工事用
建屋の南面で ポリエステル樹脂製のメッシュシートの6階から下部分が 消えてはいないが 白かった
背景が 3月ごろから 黒ずんできた・・・とあります。 私の見た通りでした。
好古園の前を 西へ歩くと 「千姫の小径」 に出ます。 市之橋の手前から 船場川に沿って北
へ歩きます。 右は 濠かと思いましたが 右も川? 右上には 西の丸の白壁が見え 道は 桜
並木です。 左下の船場川の水面には 桜の花びらが 流れていきます。
「広報ひめじ」2月号のふるさと探訪239に 「千姫の小径」が 載っていました。 千姫の小径
は 白鷺橋から清水橋までを結び 桜や紅葉など 季節に応じた彩が 楽しめる遊歩道として 整
備されたとあります。 6月には ハナショウブが咲き誇り 初夏を感じさせてくれるそうで 強く
生きた千姫の面影をしのぶ道・・・。
11:17 「千姫の小径」北端の清水橋に 来ました。 ここに説明板があり 天守閣の周辺は
国宝で 世界遺産ですが 船場川より東の中濠の内側地域は 武家屋敷や城門の遺構を埋蔵
する重要な文化財で 「特別史跡」に指定されているとか・・。 ここは 石垣を修理中ですが 西
に これから登る 男山が 手の届く距離にあります。 橋を渡り 細い路地を 西へ進むと 水尾
神社があります。
水尾神社には 由緒書がなく 詳しいことが分かりません。 一応 参りして 右の階段を上がり
ますが この石段は 急で 長く ウソ800段もあります。 喘ぎながら上がり 11:30 男山に登
りました。 三角点はなく 59m標高点となってすが 説明板には 57.5mとあります。
「播磨国風土記」14丘伝説の筥(はこ)丘と 比定されています。 今は 配水池公園となって
いて 芝生広場です。 また ここは 「姫路城十景」のひとつなので 姫路城の絶好の展望台
で 天主の素屋根が見えますが 日陰で暗くなり・・・。
山頂広場の南西角から 目の前に なだらかな景福寺山を見ることが できます。 ところが
ここから 降りると 男山八幡宮の裏へ降りてしまい これでは お参りしても ご利益はない?
八幡宮の階段を 降りたところにある石鳥居は 城主・松平直矩が 寄進したもので 延宝七
年(1679)のもの。 その後 直矩は 九州へ移って行った・・。
さらに階段を降りると 千姫天満宮があります。 「広報ひめじ」 3号の裏表紙に ”千姫ゆか
りの天満社で 学問成就を願う” という記事があり 姫路城を 東に望む こぢんまりとした男山
の中腹に 天満社があります。 この神社は 千姫が守御神としていた天神木像を 本尊に 建
立されたもので 千姫は 朝夕 西の丸から 遙拝した といわれています・・・
千姫といえば・・ 詳しくは 「広報ひめじ」を 見てください。
千姫といえば 徳川家康を祖父に 二代将軍秀忠を父に生まれたお姫様で 今年の大河ドラ
マで 注目されている お江の長女。 大坂夏の陣で 炎上する大坂城から 救い出され その後
自ら見初めた本多忠刻と 二十歳で 再婚し 姫路城に移り住み 千姫の輿入れで 増築された
のが 西の丸で 千姫のための化粧櫓も造られました。 夫婦仲が良く 本多忠刻の死により
江戸に帰るまでの 約10年 波乱の生涯の中で 最も 幸せな時期を 姫路城で 過ごしました・・・。
本殿の右には 絵馬がたくさん掛けてあります。 千姫が 恋愛結婚したことから 恋愛・結婚を
願う人は お姫様の絵馬を また 学問の神様でもあることから 合格祈願の人は 菅原道真公の
絵馬を使うようです。 絵馬の裏を見ると 面白いことが いっぱい書いてあり 思わず 笑ってし
まいます。 例えば ・・・個人情報なので 発表できません! 千姫羽子板絵馬は 水尾神社の
近くで 売っているそうで 800円。 道真の絵馬は 東風吹かば・・ですが 千姫の絵馬には
初秋の 風を簾(すだれ)に まきとりて(忠刻) 軒はにおほふ 竹の葉の露(お千) と
二人が 詠んだ連歌が 書かれています。 境内には 京都大学合格記念のプレートもありました。
私には 恋愛、結婚、学問成就は 関係ないのですが 一応 お参りしておきました。 天満宮
から降りると 直ぐ西が 姫路文学館で 安藤忠雄の設計。 コンクリート打ちっぱなしの建物で
南館と北館があります。 「広報ひめじ」 4月号に 姫路文学館では 開館二十周年を記念し 特
別展を開催。 NHK大河ドラマの誘致活動などで 盛り上がる 姫路生まれの戦国武将・黒田官
兵衛を 紹介します とあり 4月22日から 特別展があるそうです。
北館の奥に 望景亭があります。 旧濱本家の住宅で 和室、茶室、庭園、棟門、石垣などが
あり 見学自由。 ここへ来るのは 初めてですが なかなかいい雰囲気の建物、庭園でした。
文学館の中には 入らず 建物を外から見て回りました。 文学館を後にして 南へ歩きます。
鷹匠町を抜け 県道を渡り 景福寺へ向かいます。 景福寺手前に 見星寺があったので 寄り
ました。 ここにも きれいな枝垂れ桜が ありました。 白い桜は?
保育園を通り 景福寺に。 仁王門を潜り 境内に。 広い境内は 静かです。 お参りする場
所が 見当たりません。 禅寺だから? わざわざここへ来たのは 山に 亀趺があるということを
なにかで 見たからです。
山へ登る前に 景福寺の由緒を。 景福寺(曹洞宗)は 古くは 摂津国にあったが 天正年間
に 戦火を避けて 姫路へ移り 池田輝政の築城のとき 坂田町に 寺を建てた。
寛延二年(1749) 松平朝矩が 前橋から移封されるにあたり 現在地へ景福寺が移り 酒井
家の菩提寺になった。
本堂の左から 山へ向かいます。 うっそうとした森に入ると 到る所に墓があり 倒れた墓もあ
り あまり 気持ちのいいものでは ありません。 景福寺山の南斜面一帯は 墓地になっているよ
うです。 北側は 景福寺公園。 幸い 右に進むと 直ぐ 亀趺が見つかりました。 広いスペース
に 五輪塔と石碑が立っていて 周りに倒れた石が 散乱しています。 この五輪塔は 姫路城・城
主だった松平明矩のお墓だと思いますが この荒れた墓地は 何とかならないのでしょうか?
重要文化財の増位山・随願寺の亀趺とは えらい違いです。
無縁仏となった墓も多いようで 景福寺も困っている? 東へ行くと 驚いたことに 女のひとが
一人で お墓参りしていました。 大阪から3時間かけて 月に一度は お参りに来るそうですが
お墓参りも 自分の代で 終わりとか・・。 「姫路城十景」 の東の展望台?から 「天空の白鷺」を
見て 下山。 景福寺の南を 東へ戻ると 「西国街道」の碑がありましたが 西国街道って 旧山
陽道のこと? ここは 姫路城の「車門跡」でした。
内濠の周囲には 多くの門があったようです。 白鷺橋から国道2号線沿いを歩き 姫路駅
に戻り 確か 14:04の電車で 帰りました。 きょうは あちこち歩き回り 疲れました。
いろいろ 姫路の観光スポットを 紹介したので 市民税の減免等の御利益は あるかな?
次回は GWが明けてから 千姫ぼたん園を観て 西の丸・化粧櫓を廻り 天空の白鷺・平成
の大修理を 観に行きます。 平日の午前中なら 予約なしで 行けるでしょう。 野歩記さんは
予約は かなり 煩わしい と言われています。
備前丸にある三角点を 踏むことが できるでしょうか? 千姫の小道のハナショウブは 6月?
。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。