4月10日(日) 天気:晴れ+モヤ 地図:但馬新井
きょうは 生野町の法道寺山に登りました。 二等三角点:上生野です。 私には 難しそうなルートだ
ったので やまあそさんに お願いして 案内していただく ことにしました。 PSWさんこと ジローさんと
作畑・山ガールの ともみさんも 一緒に登りました。 思った通り 難しいルートで 「かみかわ登山日和」
の山ちゃんは 2010.4 この倍のルートを 歩いています。 山ちゃんの健脚には 改めて 脱帽です。
法道寺山と言うからには 山頂に 法道寺があったとか 法道仙人が修業したとか 何か 謂われはな
いのでしょうか? これで 二等三角点は 75個目、残り 23個となりました。
帰りに この前 新聞に載っていた 神河町・根宇野(みよの)の「首切り地蔵」に 寄ってきました。 この
お地蔵さんには 悲しい言い伝え・歴史秘話が あるそうです。
8:05 出発。 姫路バイパスから 播但連絡道に回り 8:32 花田ICに入ります。 きょうは なぜ
か 車が多く 播但トンネルでは 時速50kmに落ちてしまいます。 市川北ランプでは 自動車道を
出る車が 20台以上並び 本線上まで並んでいました。 久しぶりに 但馬まで来ると 神崎南ランプ
から 生野北ランプまで 遠く感じました。 花田~生野北は 43km、1000円でしたが 実際の請求
は 休日割引があり 700円でしょう。 早く着いたので 鷲原寺に お参りしました。
鷲原寺は 約1300年前 法道仙人が開いたと伝えられるお寺で 秘仏本尊・千手観世音菩薩は
平安時代の作と推定される。 お寺の周辺には 桜や梅が咲いていて 枝垂れ梅は 満開です。
駐車場に行くと やまあそさんと ともみさんは すでに到着していました。 9:17 着。 家から 70.
7km。 やまあそさんたちは 早く来て 山上演奏会のため 音合わせをしていたのかな? しばらく
して ジローさんが 来られ 集合時刻を過ぎた 9:35 スタート。 直ぐ上の林道脇の祠に 石造阿弥
陀如来坐像がありました。 永仁四年(1296)心阿作の銘があり 鎌倉時代後期の石仏で 県文化
財。 林道終点から 真っ直ぐ 沢に沿って 山道を進みます。
橋を渡り 最初の難所は 傾斜のある丸太の渡し。 丸太が濡れて 滑ります。 トタンを被せた橋
を渡り返し・・。 沢の小滝を見ながら進みます。 ジローさんが 上着を脱ぐと 赤いTシャツで きょ
うのメンバーの服色は 赤、青、黄(緑)で 信号色です。 ともみさんが 注意信号色・・・。
10:10 不動滝へ来ました。 滝の水は 少なく 白糸の滝です。 滝の方から冷たい風が吹いて
きますが やまあそさんは 半袖です。 小休止して 左へ上がります。 なだらかな林を抜け 左へ
進んだ先に 分岐がありますが この分岐は 分かりにくい。 左へ進むと 急登を経て 尾根の73
0mPに出る前回のコースです。 きょうは 右の軟弱コースを辿ります。 山頂の急斜面を左に見
ながら 南の尾根へ トラバースしますが・・・。
やまあそさんたちは 右下の谷へ降りて 滝の源流調査。 私は 体力温存。 滝は確認でき
なかった? トラバース道は いい道だったのですが ミツマタの群生に阻まれ 道がなくなり・・。
急斜面で 動けません。 斥候中のやまあそさんから 道発見! の声がかかり 急斜面をトラバ
ース。 細い崩れそうなミチ?を 右へ廻り 折り返し 左へ登り やっと 尾根に・・・。
11:26 分水嶺尾根に出ました。 南に 破線の道があるようですが 倒木があり 荒れているよ
うです。 尾根を東へ登りますが この尾根も やや荒れた急な登りです。 小ピークに登ると 左に
窓があり 北が望め なだらかな稜線が 行者岳のよですが 山頂は どこ? 左下に 観音堂の上
の大岩も見えます。 山頂手前のニセピークを越え 山頂へは 急な登りです。 誰かが お腹が空
いた!と 叫んでいます。 おやつのチョコを ひとつあげると 静かになり・・・。
急な登りに足を止めると 右の木の間に 銀山湖が覗いていました。 皆に遅れ 11:50 登頂。
落葉の中に三角点があるだけの頂です。 早速 昼食に。 昼食後 やまあそさんは 無線機のス
イッチを入れましたが 誰とも繋がらなかったようです。 ごそごそしていると思ったら リュックから
ピアニカを出して 突然 演奏会が 始まりました。
曲は ピタゴラスイッチだった? なかなか息の合った演奏でした。 秘かな練習の成果? ジ
ローさんが 持っていた怪しげなものは 楽器ではなかった? ミニコンサート後 東の尾根を降り
てみましたが お寺の跡らしきものは 発見できませんでした。 尾根が下りになる所から 東の
山並が 木々を透かして見え 左から三国岳、加美アルプス、マタニ山、千ヶ峰と並んでいます。
山頂へ戻るとき 北に 青倉山や粟鹿山も見えた? もう少し 見晴らしがあると いいのに・・。
山頂から 北への分水嶺・縦走路は 上から見ると 激下りでした。
12:39 山頂へ戻り 登ってきた急坂を下ります。 私には 登りより楽ですが・・。 登ってきた
谷には ミツマタが あちこちで 群生していましたが 尾根には タムシバが 多く見られます。 が
距離的に 写真を撮るのは 難しいのです。 また 分水嶺尾根歩きも 難しく 居場所が 分かりませ
ん。 黙々と やまあそさんの後ろに 続きます。
分水嶺尾根は 所々で 見晴らしがあり 北の行者岳方向が望め どこだったか 南の高畑山方向
も見えました。 高畑山は 大きな山塊で 右肩に覗くのは 白岩山? 左裾の山は 小畑山? 小畑
山は 俗称:おっぱい山? 南に見える釜床山は 俗称:カマトト山? 小ピークから 西の段ヶ峰方向
も 望むことができました。
尾根を南へ下り 西へ曲がる所も 何も考えず歩いていると 直進してしまいそう。 やまあそさん
は さすがに 地図とGPSで 確認していました。 右への急な下りには 大柿布が・・。 尾根が南へ
曲がる所に登ると 新しい三角点が 埋設されていました。 四等三角点:露畑 555.5m。 コンク
リ杭に丸い金属プレートが 埋められていますが 値打ちが感じられません。 ここは 地形図では 平
坦な尾根ですが 実際は 小ピークです。 勿論 三角点は 地図には ありません。
次の右折ピークは 急斜面をショートカットして 進み 新設された基準点のある分岐に 行きました。
ここで ルートを外れ 南へ降りました。 東へ破線の道がある峠・鞍部には お地蔵さんがあり 石
仏に 74番とありますが 四国巡礼道? お地蔵さんと思った岩は 北を指さす”指さし岩”でした。
岩屋観音を指す道標? 尾根に戻り 分水嶺尾根を外れ 尾根を西へ進むと 右下へ降りる道?
が ありますが ここも 直進して 尾根の先端へ行くと そこは 絶好の展望地でした。
ほぼ360度 周囲の山が 見渡たせます。 後方を振り返ると 歩いてきた分水嶺尾根の左端に
法道寺山が 鋭く尖っています。 南には 釜床山が大きく 西には 平らな段ヶ峰山塊の右に トンガ
リ山が 形良く見えます。 やまあそさんは その左の山は 京都山だと 言われていましたが・・。
ここは 526m標高点かと 思いましたが 少し手前の530m等高線ピークで 通称・おむすび山?
記念撮影をして 分岐に戻り 右へ降りますが この分岐も分かり難いです。 落葉に埋もれ 道
が 見えません。 と言うか どこも道に見えます。 ジローさんは 以前 道が分からず ここから引
き返した? ここからは ジローさんのテリトリーなのか ジローさんが 先頭を 歩きます。 倒れて
いる石仏を 抱き起こしながら・・・。 この辺りは 広いクヌギ?林で 落葉の積もる平原で 気持
のいい場所です。 爽やかな5月の風が吹く 新緑の頃 訪れたいものです。
大きく右に折り返し 下って行き 谷へ降りると 植林の中へ入ります。 涼しい日陰のいい道
を 沢のせせらぎを 聞きなから 石仏を観ながら のんびり下っていると 徐々に 倒木が現れて・・。
難儀するほどではなく 潜って 跨いで 越えて行きます。 この谷にも ミツマタが多く咲いていま
した。 林を抜け 観音川の手前の石仏を観て 川を渡り 鷲原寺に戻ってきました。 紙面の
都合上 石仏の写真は 割愛させていただきます。
梅や桜を見ながら 駐車場に帰ります。 15:29 車に。 きょうは ちょっと 疲れました。
本日の行程は 9:35~15:29 で 約6時間でした。 直ぐ帰るのかと思いきや もう一度
サプライズが 行われるようです。 やまあそ号に続いて 奥銀谷へ行き もう一度 ミニコン
サートを開催。 観衆は 約2名。 遅くなりました。 早く 「首切り地蔵」へ行かないと・・。
この辺りへは めったに来ないので 来たとき ついでに寄らないと。
国道312号線を下り 神崎総合病院で 左折して 県道8号線を東へ走ると お地蔵さんは 直ぐ
分かりました。 ともみさんに場所を教えてもらったし 事前に調査報告もしてもらったから。
4月3日の新聞に 「多彩な民話90編」という記事があり 神河町の「首切り地蔵」は 年貢の減
免を訴えようとした庄屋が斬られ 供養の地蔵に刀で斬られたような割れ目ができたというストー
リーで 封建制の中での反抗が 命と引き換えだったことを物語る とあります。
お堂の横にある「首切り地蔵(袈裟斬り地蔵)」の説明板には もう少し 詳しく 書いてありますし
やまあそさんのページにもあります。
ともみさんは 気味が悪いと言っていましたが・・。 そんなことは ありません。 左の地蔵さん
は お顔がはっきりしませんし 胴体とは違う 別の石が乗っているような気がします。 右の地
蔵さんの目つきは ちょっと薄気味悪いかも・・・。 夜 ひとりで寝られないほどでも ないし・・。
16:48 帰路につきます。 県道を下り 16:58 神崎南ランプから 播但道に入ります。
ETCが 設置されていないので 入口で カードを取ります。 播但道は 帰りも車が多い・・。
17:19 花田ICを出ます。 帰りは 社会実験により 200円引きで 500円也。 姫路
バイバスを走り 17:48 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:70.7km 「首切り地蔵」まで29.4km 復路:58kmで 計:
158.1kmでした。
。。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。
きょうは 生野町の法道寺山に登りました。 二等三角点:上生野です。 私には 難しそうなルートだ
ったので やまあそさんに お願いして 案内していただく ことにしました。 PSWさんこと ジローさんと
作畑・山ガールの ともみさんも 一緒に登りました。 思った通り 難しいルートで 「かみかわ登山日和」
の山ちゃんは 2010.4 この倍のルートを 歩いています。 山ちゃんの健脚には 改めて 脱帽です。
法道寺山と言うからには 山頂に 法道寺があったとか 法道仙人が修業したとか 何か 謂われはな
いのでしょうか? これで 二等三角点は 75個目、残り 23個となりました。
帰りに この前 新聞に載っていた 神河町・根宇野(みよの)の「首切り地蔵」に 寄ってきました。 この
お地蔵さんには 悲しい言い伝え・歴史秘話が あるそうです。
8:05 出発。 姫路バイパスから 播但連絡道に回り 8:32 花田ICに入ります。 きょうは なぜ
か 車が多く 播但トンネルでは 時速50kmに落ちてしまいます。 市川北ランプでは 自動車道を
出る車が 20台以上並び 本線上まで並んでいました。 久しぶりに 但馬まで来ると 神崎南ランプ
から 生野北ランプまで 遠く感じました。 花田~生野北は 43km、1000円でしたが 実際の請求
は 休日割引があり 700円でしょう。 早く着いたので 鷲原寺に お参りしました。
鷲原寺は 約1300年前 法道仙人が開いたと伝えられるお寺で 秘仏本尊・千手観世音菩薩は
平安時代の作と推定される。 お寺の周辺には 桜や梅が咲いていて 枝垂れ梅は 満開です。
駐車場に行くと やまあそさんと ともみさんは すでに到着していました。 9:17 着。 家から 70.
7km。 やまあそさんたちは 早く来て 山上演奏会のため 音合わせをしていたのかな? しばらく
して ジローさんが 来られ 集合時刻を過ぎた 9:35 スタート。 直ぐ上の林道脇の祠に 石造阿弥
陀如来坐像がありました。 永仁四年(1296)心阿作の銘があり 鎌倉時代後期の石仏で 県文化
財。 林道終点から 真っ直ぐ 沢に沿って 山道を進みます。
橋を渡り 最初の難所は 傾斜のある丸太の渡し。 丸太が濡れて 滑ります。 トタンを被せた橋
を渡り返し・・。 沢の小滝を見ながら進みます。 ジローさんが 上着を脱ぐと 赤いTシャツで きょ
うのメンバーの服色は 赤、青、黄(緑)で 信号色です。 ともみさんが 注意信号色・・・。
10:10 不動滝へ来ました。 滝の水は 少なく 白糸の滝です。 滝の方から冷たい風が吹いて
きますが やまあそさんは 半袖です。 小休止して 左へ上がります。 なだらかな林を抜け 左へ
進んだ先に 分岐がありますが この分岐は 分かりにくい。 左へ進むと 急登を経て 尾根の73
0mPに出る前回のコースです。 きょうは 右の軟弱コースを辿ります。 山頂の急斜面を左に見
ながら 南の尾根へ トラバースしますが・・・。
やまあそさんたちは 右下の谷へ降りて 滝の源流調査。 私は 体力温存。 滝は確認でき
なかった? トラバース道は いい道だったのですが ミツマタの群生に阻まれ 道がなくなり・・。
急斜面で 動けません。 斥候中のやまあそさんから 道発見! の声がかかり 急斜面をトラバ
ース。 細い崩れそうなミチ?を 右へ廻り 折り返し 左へ登り やっと 尾根に・・・。
11:26 分水嶺尾根に出ました。 南に 破線の道があるようですが 倒木があり 荒れているよ
うです。 尾根を東へ登りますが この尾根も やや荒れた急な登りです。 小ピークに登ると 左に
窓があり 北が望め なだらかな稜線が 行者岳のよですが 山頂は どこ? 左下に 観音堂の上
の大岩も見えます。 山頂手前のニセピークを越え 山頂へは 急な登りです。 誰かが お腹が空
いた!と 叫んでいます。 おやつのチョコを ひとつあげると 静かになり・・・。
急な登りに足を止めると 右の木の間に 銀山湖が覗いていました。 皆に遅れ 11:50 登頂。
落葉の中に三角点があるだけの頂です。 早速 昼食に。 昼食後 やまあそさんは 無線機のス
イッチを入れましたが 誰とも繋がらなかったようです。 ごそごそしていると思ったら リュックから
ピアニカを出して 突然 演奏会が 始まりました。
曲は ピタゴラスイッチだった? なかなか息の合った演奏でした。 秘かな練習の成果? ジ
ローさんが 持っていた怪しげなものは 楽器ではなかった? ミニコンサート後 東の尾根を降り
てみましたが お寺の跡らしきものは 発見できませんでした。 尾根が下りになる所から 東の
山並が 木々を透かして見え 左から三国岳、加美アルプス、マタニ山、千ヶ峰と並んでいます。
山頂へ戻るとき 北に 青倉山や粟鹿山も見えた? もう少し 見晴らしがあると いいのに・・。
山頂から 北への分水嶺・縦走路は 上から見ると 激下りでした。
12:39 山頂へ戻り 登ってきた急坂を下ります。 私には 登りより楽ですが・・。 登ってきた
谷には ミツマタが あちこちで 群生していましたが 尾根には タムシバが 多く見られます。 が
距離的に 写真を撮るのは 難しいのです。 また 分水嶺尾根歩きも 難しく 居場所が 分かりませ
ん。 黙々と やまあそさんの後ろに 続きます。
分水嶺尾根は 所々で 見晴らしがあり 北の行者岳方向が望め どこだったか 南の高畑山方向
も見えました。 高畑山は 大きな山塊で 右肩に覗くのは 白岩山? 左裾の山は 小畑山? 小畑
山は 俗称:おっぱい山? 南に見える釜床山は 俗称:カマトト山? 小ピークから 西の段ヶ峰方向
も 望むことができました。
尾根を南へ下り 西へ曲がる所も 何も考えず歩いていると 直進してしまいそう。 やまあそさん
は さすがに 地図とGPSで 確認していました。 右への急な下りには 大柿布が・・。 尾根が南へ
曲がる所に登ると 新しい三角点が 埋設されていました。 四等三角点:露畑 555.5m。 コンク
リ杭に丸い金属プレートが 埋められていますが 値打ちが感じられません。 ここは 地形図では 平
坦な尾根ですが 実際は 小ピークです。 勿論 三角点は 地図には ありません。
次の右折ピークは 急斜面をショートカットして 進み 新設された基準点のある分岐に 行きました。
ここで ルートを外れ 南へ降りました。 東へ破線の道がある峠・鞍部には お地蔵さんがあり 石
仏に 74番とありますが 四国巡礼道? お地蔵さんと思った岩は 北を指さす”指さし岩”でした。
岩屋観音を指す道標? 尾根に戻り 分水嶺尾根を外れ 尾根を西へ進むと 右下へ降りる道?
が ありますが ここも 直進して 尾根の先端へ行くと そこは 絶好の展望地でした。
ほぼ360度 周囲の山が 見渡たせます。 後方を振り返ると 歩いてきた分水嶺尾根の左端に
法道寺山が 鋭く尖っています。 南には 釜床山が大きく 西には 平らな段ヶ峰山塊の右に トンガ
リ山が 形良く見えます。 やまあそさんは その左の山は 京都山だと 言われていましたが・・。
ここは 526m標高点かと 思いましたが 少し手前の530m等高線ピークで 通称・おむすび山?
記念撮影をして 分岐に戻り 右へ降りますが この分岐も分かり難いです。 落葉に埋もれ 道
が 見えません。 と言うか どこも道に見えます。 ジローさんは 以前 道が分からず ここから引
き返した? ここからは ジローさんのテリトリーなのか ジローさんが 先頭を 歩きます。 倒れて
いる石仏を 抱き起こしながら・・・。 この辺りは 広いクヌギ?林で 落葉の積もる平原で 気持
のいい場所です。 爽やかな5月の風が吹く 新緑の頃 訪れたいものです。
大きく右に折り返し 下って行き 谷へ降りると 植林の中へ入ります。 涼しい日陰のいい道
を 沢のせせらぎを 聞きなから 石仏を観ながら のんびり下っていると 徐々に 倒木が現れて・・。
難儀するほどではなく 潜って 跨いで 越えて行きます。 この谷にも ミツマタが多く咲いていま
した。 林を抜け 観音川の手前の石仏を観て 川を渡り 鷲原寺に戻ってきました。 紙面の
都合上 石仏の写真は 割愛させていただきます。
梅や桜を見ながら 駐車場に帰ります。 15:29 車に。 きょうは ちょっと 疲れました。
本日の行程は 9:35~15:29 で 約6時間でした。 直ぐ帰るのかと思いきや もう一度
サプライズが 行われるようです。 やまあそ号に続いて 奥銀谷へ行き もう一度 ミニコン
サートを開催。 観衆は 約2名。 遅くなりました。 早く 「首切り地蔵」へ行かないと・・。
この辺りへは めったに来ないので 来たとき ついでに寄らないと。
国道312号線を下り 神崎総合病院で 左折して 県道8号線を東へ走ると お地蔵さんは 直ぐ
分かりました。 ともみさんに場所を教えてもらったし 事前に調査報告もしてもらったから。
4月3日の新聞に 「多彩な民話90編」という記事があり 神河町の「首切り地蔵」は 年貢の減
免を訴えようとした庄屋が斬られ 供養の地蔵に刀で斬られたような割れ目ができたというストー
リーで 封建制の中での反抗が 命と引き換えだったことを物語る とあります。
お堂の横にある「首切り地蔵(袈裟斬り地蔵)」の説明板には もう少し 詳しく 書いてありますし
やまあそさんのページにもあります。
ともみさんは 気味が悪いと言っていましたが・・。 そんなことは ありません。 左の地蔵さん
は お顔がはっきりしませんし 胴体とは違う 別の石が乗っているような気がします。 右の地
蔵さんの目つきは ちょっと薄気味悪いかも・・・。 夜 ひとりで寝られないほどでも ないし・・。
16:48 帰路につきます。 県道を下り 16:58 神崎南ランプから 播但道に入ります。
ETCが 設置されていないので 入口で カードを取ります。 播但道は 帰りも車が多い・・。
17:19 花田ICを出ます。 帰りは 社会実験により 200円引きで 500円也。 姫路
バイバスを走り 17:48 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:70.7km 「首切り地蔵」まで29.4km 復路:58kmで 計:
158.1kmでした。
。。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。