私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

浅口市の旅

2011-04-16 20:18:32 | ドライブ
 4月16日(土)  天気:晴れor曇り+霧のように濃いモヤ
 
 きょうは 岡山県浅口市の観光スポットを ドライブしてきました。 「陰陽師ツアーin浅口」としたかっ
たのですが 道満碑、晴明碑が あまりに貧弱だったので 観光協会から送ってもらったパンフレット
の表紙の 星・郷・海 「浅口の旅」としました。 時間は かかりましたが 予定した場所を 大体 回るこ
とはできました。 しかし きょうは モヤの濃い一日でした。 朝 霧かと思って そのうち晴れると思っ
たのですが 夕方まで 晴れず・・・。

 きょう めぐったのは ゆるぎ堂地蔵石仏、安部晴明屋敷跡と碑、岡山天体観測所、遙照山・両面
薬師堂、金光駅、道満の墓、晴明の墓、道満池の坊主岩、安倉八幡神社の大楠、三ツ山(三郎島)、
大浦神社、鴨山の磨崖仏、鴨神社、鴨方藩陣屋跡、かもがた町屋敷跡 です。(詳細は 4月7日の
ページを参照してください) 鬼の手形岩は 訪れることが できませんでした。


 8:11 出発。 国道2号線から 8:34 龍野西ICに入り 山陽道を西へ走り 9:32 鴨方ICを降
ります。 山陽道は 102.1km 休日で 1000円です。 まず 北へ向かいます。 西から北へ廻り
ゆるぎ堂地蔵石仏へ。 この辺りは 道も狭く 道標もなく 駐車場所もなく 難しい所にありますが こ
の辺りの人は 皆さん 親切で 丁寧に教えてくれます。 鴨方ICから 3km走り 9:45 ゆるぎ堂に
着きました。 細い道路脇に車を停め 200mほど 歩いて行きます。
 ゆるぎ堂と称する覆堂に 高さ210センチの石仏があります。 花崗岩の丸彫りで 右手に錫杖、左
手に宝珠を持った いわゆる 延命地蔵といわれる地蔵尊像。 正慶元年(1332)の作で 県の文化財。



 北の安部山へ向かいます。 ちょっと 道を間違えましたが ここでも 親切に 教えていただきまし
た。 舗装されていますが 細い山道で あまり走りたくない道です。 10:22 ゆるぎ堂から 8.5
km走って 安部山へ。 なぜか 安倍晴明に由来する あべ なのに 安部 となっています。
 林道脇に スペースがあり 駐車。 手前に 道標があります。 車でも走れそうな道を歩いて 安
倍晴明屋敷跡へ。 分岐があり 先に顕彰碑へ。 しかし この顕彰碑には がっかり・・。


 雑木のヤブに 埋もれそうに 石碑があります。 もう少し何とかならないものか・・。 引き返して
屋敷跡へ行きますが ここも殺風景です。 屋敷跡の表示は ありますが・・。 右の黒い板張りの
建物が 安部神社で 通称 晴明神社。 注連縄がなかったら 物置のようです。 安部山入植者
の手によって 鎮守として 創建された神社だそうです。 安倍晴明は この地で 天体観測をしてい
たと伝えられ そのため この山が 安部山 と呼ばれるように なったそうですが はるか 2000年
前の古代人の活動した痕跡が 発見されているそうです。


 晴明大権現の祠が 見当たりません。 観光協会から もらったパンフレットを見ると 下の写真
が 晴明大権現のほこらだそうです。 ひっそりとした ゆかりの地に たたずむと 今にも 晴明が
現れそうな雰囲気?は ありません。 本当に 陰陽師・安倍晴明は この地に居たのでしょうか?
 岡山天文台に向かいます。 山道で 悪路かと思いきや 結構いい道で 走りやすい。 遙照山
との分岐を 左に折れた先が 天文台で 広い駐車場があります。 7.7km走って 11:08 着。


 岡山天文博物館は 鴨方町と矢掛町にまたがる竹林寺山の一角、標高350mにあります。 小
高い丘の上にあるので 素晴らしい眺めです。 天気さえ良ければ・・。 きょうは 特別 モヤが 濃
いので 東隣の鉄塔の遙照山しか見えません。 そうか 西の安部山も見えたかも・・・。
 天文博物館は 有料なので 入らず 丘の上にある国立天文台岡山天体物理観測所へ上がり
ます。 まず 三角点を探さなきゃあ・・。 三角点は 少し南へ下った岩場にありました。 白い標
柱があったので 見付けられましたが 岩の上に 丸い金属プレートが セメントで 固められてい
ます。 こんな 三角点を見るのは 日生の天狗山?以来です。


 一番上のドーム(観測所)に 日本最大級の188cmの反射望遠鏡があり ガラス越しに 見学
することができます。 私も 天体観測をすれば 陰陽師・安倍晴明に 一歩 近づけるかと 思いま
したが 天体観測は できません・・・。 望遠鏡は どんな向きだったか?
 天体観測所を 後にして 遙照山へ向かいます。 先ほどの分岐へ戻り 東へ行くと 遙照山に
出ます。 道標があったので 左へ登ると 山頂まで 車で 行くことができました。
 観測所から 2.8km 11:48 大きな鉄塔のある山頂に 駐車。 遙照山には 総合公園や
ホテル、温泉、桜並木などがあり ちょっとした 観光名所のようです。


 運良く 簡単に 三角点を 見付けることができました。 鉄塔のフェンス脇にありました。 三等三
角点:陽生山 405.0m。 山の名は 遙照山ですが 点名は 陽生山。 まあ お役所仕事なので
仕方ないか・・。 今は 点名を捜すのに 苦労します。 とりあえず きょう 二つ目の三角点ゲット。
 すぐ右側が 両面薬師堂です。 本尊の石仏は 何面は 薬師如来 北面は 釈迦如来という二仏
一体の珍しい像です。 わざわざ ここへ来たのは 二仏一体の石仏を 見るためですが・・・。


 石仏は 秘仏なのか 見ることができません。 面白いのは この薬師堂が 南北両側から お参
りできるように なっているのです。 お賽銭も2倍要る? 軒下の彫り物も 立派で 南面は 虎で
北面は 龍の彫り物です。 あっ お参りしたかなァ? 忘れたかも・・・。
 お昼になったので 金光町へ行き お昼にすることに。 金光支所に停めるため 金光駅に 向
かいますが 通り過ぎ 引き返し 遙照山から 12km走り 12:31 金光支所に 駐車。 歩いて
お食事処・こころ を探しますが・・。 やっと見つけた ”こころ”は 予想外に 超侘びしい・・。


 お昼を済ませ 道満の里へと 歩を進めますが これが また 難しい道です。 道標のない・・。
金光学園の西を 北へ歩きます。 畑の中を歩きまわり やっと見付けた荒神社には 老人が
ひとり佇んでいました。 道満墓を尋ねると 直ぐ横でした。 垣根のような植木に囲まれてい
ます。 これは 墓というより 碑だと 思うのですが・・・。 左下に 小さい五輪塔があります。
 説明板に 伝説が書いてあり 芦屋道満は 平安中期 陰陽師・安倍晴明と争ったと言われ
晴明の遺跡の近くには 道満に関する伝説があり 中世の陰陽師、修験者(山伏)の活動が
考えられる。 周りの畑は 「道満屋敷」 と呼ばれ 近くに 「道満池」 がある・・・。



 日向ぼっこをしていた老人が 家に帰るついでに 「晴明墓」 に 案内してくれることに・・。
助かりました。 こんな道標のない山道では 探すのに苦労します。 が この85歳の老人は
北へ行きます。 南の迫池の横を行くのでは・・・。 大丈夫かいな? 北から 南へ廻ると 民
家の玄関前に 晴明墓がありました。 この上が 老人の家でした。 「道満池」への道も 教え
てもらいました。
 「晴明墓」も 分かり難い場所にあります。 これも 墓というより 碑です。 民家の入口前に
あるのも・・。 2m四方の狭いスペースに 石碑や手水鉢が 雑然と並べられています。



 道満池に向かいます。 この細い山道も 教えてもらわないと 絶対に 分かりません。 苦労し
て 道満池に行きましたが この池も 水がほとんどなく 落葉に埋もれ・・・。 底なし沼? 池の奥
に 高さ7m、直径6mの坊主岩があります。
 説明板に 平安中期の陰陽師・芦屋道満ゆかりの池で その北側の水際にある坊主頭のよう
な形をした岩があり 伝説によると むかし 金色に輝く山鳥が この岩に とまりつづけていた。
道満の「村に悪いことが起こる」 との占いにより 岩を取り除こうと 火薬で 爆破させたところ 岩
は 真二つに割れて 真黒な血が流れ出た。 それから 金色の山鳥は 姿を見せなくなり 村には
何事も起こらなかった・・・・ 晴明墓も道満池も 佐用の道満塚、晴明塚より 貧弱でした。
 パンフレットにある 「鬼の手形岩」 も見たかったのですが ひとつ東の谷なので 止めました。



 てくてく歩いて 金光支所に戻り 南の寄島町へ向かいます。 13:58 車を出し 国道2号線を
越え うまい具合に 南へ行く道に乗ることが出来ました。 海岸沿いの県道47号線に出て 西へ
向かうと 展望所があり 海岸線の景色が 見えますが モヤでかすみ・・。 三郎島と青佐山の間
に見える平坦地は 干拓地だそうです。
 14:20 金光支所から 9.4km走り 安倉八幡神社に着きました。 道路脇に 大楠(くす)の木
があり 青々と茂っています。 この大楠は 樹齢650年の巨樹で 神社のご神木で 樹高 20m。
昔は この辺りまで 海岸だったそうです。 


 ここ 寄島町は 神功皇后が 三韓征伐後 凱旋の際 立ち寄られたことに 由来する地名ですが
安倉の地名も 神功皇后伝説に 由来するそうで 神功皇后が 寄られたとき 三郎島を歩かれ 疲
れたので あくらは? と言われたそうです。 あ は 自分、くら は 休む場所のことで 私の休む場
所は? ということだそうです。
 これから お参りする安倉八幡神社の祭神は 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇で 永禄二年(15
59)細川通董(みちただ)が 三郎島にあった八幡神社を 不便なるが故 本土側に 移したと言われ
ていますが 後で行く 大浦神社なのか? この八幡神社なのか? 分からないのだそうです。
 八幡神社に お参りします。 境内の桜は やや盛りを過ぎたようです。 狛犬も立派で 玉に足を
乗せ 子犬を抱いています。 神社も立派な造りで 本殿は 石垣の上にあり 一段高くなっていま
す。 三ツ山へ向かいます。


 地図には描かれていませんが スポーツ公園から南へ廻ると 山の南端まで 道があり 車で行け
ます。 知らないので 途中に停めました。 八幡神社から 3.3km 三ツ山手前に駐車。 ここは
地元の人には 潮干狩りや磯釣りの場所であって 三ツ山に関する歴史や伝説は 関知せず!
パンフレットでは ”三ツ山” となっていますが どう見ても ”三ツ島” です。
 伝説では 神功皇后が 寄られたとき 天神地祇を祀り お供えに おにぎりを・・・。 おにぎりが
ころころ転がり 海に落ちて 三つの島となった・・・。 その後 この小島を 哀天皇、神功皇后、応
神天皇の現身として 祀った・・。 干潮時には 本土側から歩いて 三ツ山へ 渡ることができます。
西に見える青佐山は 昔の城跡で 幕末の頃 鴨方藩が 砲台を築き 今は 砲台跡は 展望台です。
 この辺りは 瀬戸内海国立公園に 指定されています。 



 14:55 大浦神社に着きました。 大浦神社の由緒によると 神功皇后が 天神地祇を祀った
後 紀元1657年 陰陽師・安倍晴明が その霊跡に 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀り 地
方の氏神としたそうです。 戦国時代の領主・細川通董公が 祭礼として 神馬を 式列に参加させた
のが 始まりで 競馬神事が 有名だそうです。



 しかし 大浦神社の本殿は 立派な造りでした。 拝殿・幣殿とは 独立した建物で 石垣の上の
一段高い所に建っていて 屋根の造りが豪華です。 時間がないので ゆっくり観ているわけに
はいきません。 15:12 車に戻り 北へ戻ります。 ちょっと 道を間違えましたが 国道2号線
を越え 町家公園の駐車場に車を停め 地図を見て 方向を定め 鴨山へ登ります。
 山道を登り 15:48 駐車場に。 三ツ山から 12.4km。 ここから歩いて 登ります。


 丸太階段を登ると 山頂手前の大岩に磨崖仏が 彫ってあり 21番? 磨崖仏は 西国33ヵ寺
めぐり? 21番は 穴太寺? 上にある磨崖仏は 20番で 善峯寺、 山頂にある石仏は 19番
行願寺でした。 鴨山城跡の山頂には チップ付きの四等三角点:鴨方城 167.7m がありま
す。 三角点は 本日 三個目。 鴨山城は 正平六年1351) 細川頼之が 備中守護職になって
から 築かれた と伝えられています。
 山頂から 西と東が開け モヤにかすんだ鴨方町の街を 望むことが出来ます。 登山口にあっ
た 石仏は 22番 総持寺だった? 別のルートを登れば 12、14番の磨崖仏が 見られるようです。


 鴨山から車で降りる途中に 鴨神社があったので ちょっと 寄りました。 が 鳥居を潜って 本来
の参道を歩かなかったのは 失敗でした。 誰が 言ったのか知りませんが ”鴨方に 過ぎたるもの
が三つある。 拙斎、索我、宮の石橋” と謡われたそうですが 宮の石橋を 見ることができません
でした。 随神門の下にある石橋で 石を反らせた太鼓橋で 鴨方三奇のひとつだった・・・。
西山拙斎は 江戸時代の儒学者で 田中索我は 画家?
 鴨神社も 大変 立派な神社で 本殿の造りも素晴らしい! 高台にあり 金光町方向の見晴らしも
いいです。 すぐ下が 町屋公園で 青空に 鯉のぼりが泳ぎ・・。 鴨神社の略縁起によると 平安の
頃 京都より 加茂大明神を勧請し 氏神として 奉斎。 明治20年 鴨神社 と改号した。



 陣屋跡へ寄りたいのですが 停める場所がないので 一旦 町屋公園の駐車場へ戻り 16:18
駐車、鴨山から 1.3km。 歩いて 旧鴨方往来周辺を散策します。 まず かもがた町家公園へ。
ここは 「日本の歴史公園100選」です。 江戸時代 西山拙斎ら 多くの文化人たちが 往き来した
備中・鴨方藩の中心地を 西へ歩き 陣屋跡へ行きました。



 鴨方藩・陣屋は 岡山支藩として 1672年 25000石を 与えられ 新田藩として成立。
今は 僅かに 石垣と井戸が 当時の面影を 残していますが お寺? 神社? どっち?
 車に戻る途中 龍宮門が見えたので 寄りました。 龍宮門は 今は 廃寺となった正伝寺の
唐門で 入母屋造り楼門で 桃山時代の建築様式を 今に残している。 門だけがぽつんと・・。 


 16:46 車に戻り 帰路につきます。 町家公園から 北へ1.2km行くと 鴨方ICに出ます。
16:51 鴨方ICから 山陽道に入り 山陽道をひた走り 17:48 龍野西ICを 降ります。
帰りは 山陽道102.9km、1000円。 ちょうど1時間でした。 国道2号線を走り 18:15
家に帰ってきました。 「浅口観光」は 思ったより時間が かかりましたが 歴史の一端に触れ
つつ 伝説を 肌で感じることができました。 本日の走行距離は トータル 293.7km でした。



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