私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史博物館で ひょうご五国のやきもの

2023-11-07 14:47:30 | ギャラリー散策

 11月 7日(火)   天気:快晴    室温:27.9℃

 きょうは、姫路市本町の兵庫県立歴史博物館へ 開館50周年記念 企画展 ”ひょうご五国のやきもの” を見に

行きました。 駅前で 姫ちゃりを借りると いいのですが、11月から 姫ちゃりを借りるのが 困難になったの

で、駅前から ループバスで 行きました。 網干10:45発の電車で行くと 11:00のバスに乗れました。

 出品一覧表によると、”ひょうご五国のやきもの” には、東山焼16点、朝霧焼1点、出石焼24点、丹波焼18点、

三田焼または王地焼31点、珉平焼(淡陶製含む)19点で、計108点が 展示されています。

 繊細な細工を凝らした磁器に代表される出石焼や、鎌倉時代からの伝統を受け継き 多彩な作品を生み出し

てきた 丹波焼、かって 姫路城の傍らで焼かれた東山焼など、ひょうご五国(摂津、播磨、但馬、丹波、淡路)

の各地では 古くから様々なやきものが 焼かれ、その作品や 技の一部は 現在まで受け継がれてきました。

 何世代にもわたって伝統を受け継いできた やきものだけでなく、窯跡などに打ち棄てられ、近年の発掘調査

で 出土した陶片なども、その歴史と伝統を現代に伝えています。

   

 本展では、さまざまな形で受け継がれてきた兵庫県各地のやきものを、当館のコレクションを中心に 紹介し

ます。 各地の多彩なやきものや、それらを生み出した地域の魅力に触れていただければ 幸いです。

   姫路藩のやきものー東山焼ー

 東山焼は 江戸時代後期の文政5年(1822)に、姫路市南東部の興禅寺山のふもとで 生産が始まり、天保2年

(1831)ごろ、姫路城の北西部 男山のふもとに 移りました。 経営には 姫路藩の家老・河合寸翁が関与したこ

とが 知られており、寸翁の没後、姫路藩窯としての役割を終え、おちに廃窯となりました。

永世舎:永世舎は 明治10年、姫路市内に設立された磁器製造会社です。 肥前有田出身で 大蔵省地租改正官とし

て 兵庫県に赴いた松村辰昌が、飾磨県令の森岡昌純に 出資を要請し、旧姫路藩の授産事業として設立されました。

 2022.12.20に 公民館の歴史教室で、「姫路藩の御用窯 東山焼」 を勉強しました。

 

   くらしの中のやきものー出石焼ー

 現在の出石焼は 繊細な細工を施した白磁が よく知られていますが、江戸時代は 肥後系磁器(伊万里焼)の系譜

に連なる製品が主力で、白磁に青色の絵付けを行った染付の日用品が 数多く生産されました。 寛政年間に 肥前国

平戸藩領から 磁器職人が 出石を訪れ、これをきっかけに 磁器生産が始まりました。 寛政11年から 出石藩による

磁器窯の経営が始まりますが、藩直営による窯の経営は 次第に行き詰まり、市中の商人を経営に参画させました。

 興禅寺山窯:東山焼は 文政5年、東山村で 代々庄屋を務めた橋詰家の分家・橋詰藤作が 初代の総取締役と

となり、興禅寺山窯で 生産が始まりました。 窯跡では、肥前系磁器(伊万里焼)に類似した染付や、三田

青磁に似た青磁などの破片、素焼きの素地、やきもの作りに使う窯道具なども 採集されています。

 

    丹波の多彩なやきものー丹波焼ー

 丹波最古の窯ー三木峠北窯の調査からー:三木峠北窯は、多紀郡今田町下立杭での道路改良工事に際して

見つかり、現時点での丹波焼の最古の窯(13世紀半ば)と 位置付けられます。

 江戸時代の多彩な丹波焼:丹波焼は、丹波篠山市の立杭地域を中心に、平安時代末期頃に 東海地方の常滑焼

や 渥美焼などの技術を導入して 成立。 現在まで やきものづくりが 受け継がれています。 江戸時代には、

釉薬や 化粧土などによる装飾や、形態などが多様化し、特に 江戸時代末期の丹波焼には 黒井釉、白化粧、筒

描きなど 新たな装飾法が導入され、また 近隣の三田焼、王地山焼で発達した型押成型の技術も採用されます。

  

   三田焼と王地山焼ー型が生み出す多彩な器

 三田焼は、宝暦年間の頃に 小西金兵衛が 陶器を焼いたのが始まりで、その本格的な生産は、寛政11年(1799)

に 神田惣兵衛が 出資し 三輪明神窯を開いたことが 始まりと伝えられています。 文化3年頃から 京焼の陶工・

欽古堂亀祐が 三田で磁器制作の指導を行い、三田焼の生産は 文政年間頃に 最盛期を迎えました。

 土型で成形した磁器が多いことが、三田焼の特徴です。 土型を用いると、ロクロでは創り出せない精巧な形が

できることと、一つの土型から数多くの製品が 作れるという利点があります。 土型には、「元型」と「製品型」。

 

    珉平焼-淡路島のやきものー

 珉平焼を始めた 賀集珉平は 寛政8年(1796)頃、三原郡伊賀野村の庄屋の家に生まれ、自身は 醤油醸造

どを営みました。 和泉国で 京都の陶工・尾形周平と出会った後、醤油醸造場に窯を築き、陶器づくりを始め

たと伝えられます。 珉平が 30歳代後半の頃、京都の尾形周平のもとで 製陶を学び、さらに 周平と共に淡路

島に戻って 約2年間、陶器製造や 釉薬などの研究を行った結果、伝統的かつ多彩を生み出すに到り、徳島藩主・

蜂須賀氏から 「御用御陶器師」の称号が 与えられました。 明治時代前半、海外輸出に道を開いていきました。

 

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