12月20日(火) 天気:晴れ 室温:14.5℃
きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 11月は 休講でした。 今月は、元城
郭研究室長の中川秀昭先生の 「姫路藩御用窯 東山焼 と 刀剣」 です。
公民館だより12月号によると、江戸時代後期、播州飾東郡東山村の興禅寺山麓で 始まった
東山焼は、天保2年1831)頃、姫路藩家老 河合道臣の肝いりで、姫路市山の井町の男山
山麓に 窯が移され、姫路藩御用窯として 青磁の名品が多く制作されました。
一方 姫路藩 酒井家では、御鍛冶小屋を置き、藩主自ら 抱え鍛冶を相手に 作刀を行いまし
た。 そこで、時の将軍にも 献上された 東山焼 と 刀剣、とりわけ 刀剣は 手柄山氏繁・正繁
など 姫路の町鍛冶による作刀も含めて ご紹介します。 中川秀昭
。。。。。。。。 「姫路藩御用窯 東山焼 と 刀剣」 。。。。。。。
1.姫路藩御用窯東山焼
1)陶磁器の種類
・陶器:粘土を材料とし、素地に釉薬をかけて 窯で焼成 ・・楽焼、唐津焼、萩焼など
厚手で たたくと 鈍い音
・焼締め:乾燥させた素地に 釉薬をかけず 高温で焼成 ・・備前焼、伊賀焼、信楽焼、丹波焼など
(炻器) 薪・藁が燃料。 登り窯、穴窯を使用
・磁器:磁石を材料とし、素焼きの後、釉薬をかけて ・・伊万里焼、九谷焼、砥部焼、東山焼など
高温で焼成(二次焼成も)東山焼は素焼きをせず自然乾燥
※豊臣秀吉の文禄・慶長の役で 朝鮮半島から連れてこられた 陶工・李参平が 肥前有田で 磁石
(磁器の原料)を発見したことから 1610年代(慶長期)に 磁器の制作が 始まった。
※下の写真は、2019年6月 書写の里美術工芸館の 「播磨に息づく匠の技」 で 展示されたものです。
2)東山焼(とうざんやき)とは
・江戸時代後期に 制作された姫路の焼物
(1)概要
・種類:磁器(染付、青磁が中心) ・原料:天草石(丹波古市、東山・山の脇石)
・形態:花瓶、鉢、皿、徳利、燭台、筆筒、杯洗、水指、托、瓢瓶など
・銘 :「東山」、「播磨東山」、「姫路製」、無銘
(2)東山焼の歴史
民窯(興禅寺山窯) ⇒ 姫路藩御用窯(男山窯) ⇒ 民窯(男山窯)
文政5年(1822) 天保2年(1831)頃 安政元年(1854)頃
①興禅寺山窯
・文政5年(1822)に 姫路市南東部・東山村の興禅寺山 山麓に窯が築かれ 九州の天草石
(磁石)を 海路運んで 染付や 青磁が 製造されたのが 始まり
・総取締役:橋詰藤作(東山村庄屋8代目、橋詰山三郎の実弟)
※橋詰本家は、代々東山村庄屋を務め、醤油醸造、製塩、米・肥料販売を 家業とした豪商
陶工:池田弥七(元瓦職人)など
・作品:茶碗、鉢、皿、花瓶、壺などの日用雑器が ほとんど
②姫路藩御用窯(男山窯)
・天保2年(1831)頃、姫路藩家老 河合道臣の政策で 姫路城に近い男山(愛宕山・姫路市
山野井町)に 窯が移され、藩営の「御用窯器所」となった
<背景>・文政5年(1822).6 姫路藩主 酒井忠実の養子酒井忠学(15歳)と 11代将軍 徳川家斉
25女 喜代姫(5歳)の婚約が整う(その功により 河合道臣は 1500石から3000石に加増)
・天保3年.12 酒井忠学(25歳・のちの姫路藩主)と喜代姫(15歳)が 婚姻
・当初は、橋詰藤作が 総取締役、池田弥七も 東山から移り 作陶に従事したが⇒尾形修平(京都)に
弟子入りしていた橘秋蔵(姫路藩士)が 総取締役に 就任。 また、尾形周平などの名工が 来窯して
指導にあたり、姫路藩 御用窯・男山窯で 京焼の影響を受けた すぐれた作品が
焼かれるようになった。
・作品:花瓶、水指、皿、鉢、煎茶器、酒器、文房具、火入、燭台など
城内の調度品や贈答品が 目的の御用窯・・・日用品は少ない
・銘 :「男山」 「播磨東山」 (興禅寺山窯・男山窯)、「姫路製」(男山窯)
・民間への払い下げ
・一流品・・・・ご用品として 姫路藩へ納入 ・二・三流品・・民間に払い下げ
◇購入希望者は、御用陶器所発行の印紙を購入し、陶器引換所(俵町・木綿屋清次郎、
龍野町・米屋友七)で 印紙と引き換えに 代価相当の東山焼を購入
・印紙:4種類 : 花印(2朱)、鳥印’(1朱)、風印(2両4分)、月印(1両2分)
・御用陶器所の廃止(安政初(1854)頃 :天保12年(1841)に 河合道臣が 没すると
藩は 陶器製造に消極的になっていき、安政初頃に 御用窯は はいしされた
・藩の経営が終わると 橋詰藤作は 東山に帰り 家業に専念。 池田弥七は 万延元年(1860)頃に
新式コンロを開発し、「弥七焜炉」と呼ばれ 世に好評を受け、文久元年(1861)独立し 池田屋
弥七商店を始めた
③民窯(男山窯)
・御用陶器所が廃止された後は、豪商の姫路六人衆、桔梗屋、木綿屋、西治屋、茶屋などが 窯を
借り受けて 製陶を続け、大阪方面に販売したが、明治期に入り 次第に衰退していった
(3)製陶所「永世舎」
・明治9年(1876)大蔵省 地租改正官 松村辰昌が 姫路に出張した際に、旧藩士の授産の
必要性を痛感し、飾磨県令 盛岡昌純に 出資を要請。 明治10年(1877)、士族授産施設として
旧大蔵前町に 製陶所「永世舎」が設立された。 同社は、旧姫路藩士50余名と合わせて
男山窯の陶工も同所に移り、肥前有田出身の松村と 同郷の陶工、柴田善平、井出國太郎を
呼び寄せ 指導にあたらせ、主に輸出向けの貿易物を製陶し 欧米などに 輸出したが、
その後 経営不振に陥り 明治15年(1882)頃に 廃された。 製品の命には、「兵庫縣永世舎」
「永世舎造」、松葉菱内に 「永」の文字を入れたものなど
3)東山焼の主な作品
◆姫路市指定文化財 姫路市指定文化財
東山焼狛犬:大歳神社(市内東山) 東山焼燈篭:西源寺(市内東今宿)
「文久三年 池田屋弥七」の刻銘 安政6年(1859)陶工常吉作 男山窯陶工山名堪七氏寄進
◆興禅寺窯時代と判明した作品
染付千里馬図椀 銘「播磨東山」 同 漢詩「唐宋八家文」雑説四
漢詩の末尾に 「文政十三庚虎盛夏」の銘 この銘から男山窯に移る前に焼かれたものと分かる
◆男山窯時代の作品(染付)(想定)
染付山水草花六角鷺耳花入 染付古銅写獣耳花入 染付御茶水図筒
銘「姫路製」、美術工芸館蔵 銘「姫路製」、陶芸美術館蔵 銘「於播陽東山造之」
◆男山窯時代の作品(青磁)(想定)
青磁鯉滝登文筒花入 銘「姫路製」 青磁燭台 銘「東山」
◆永世舎時代の作品
色絵龍鳳凰図鶴首花瓶 銘「永世舎」 色絵旭日群鶴図花瓶 銘「兵庫縣永世舎製」
2.刀剣
1)姫路藩主の作陶
・御焼刃:姫路藩酒井家では、城内に 鍛冶小屋を置き、藩お抱えの刀鍛冶(抱鍛冶)を相手に
「御焼刃」と称し 作刀が行われた
・御鍛冶小屋:鍛冶小屋は 「御鍛冶小屋」と呼ばれ、姫路藩主 酒井忠恭が 上野前橋から 姫路に
転封になった際に、前橋から移し 設置したもの。(現護国神社本殿付近)
・抱鍛冶:姫路藩 酒井家では、歴代藩主が 姫路転封に際し 前橋から 帯同した抱鍛冶を相手
(相手鍛冶)に 作刀を行った。 抱鍛冶には、丹治姓服部氏、源姓市橋氏など。
酒井忠顕は、安政3年(1856)に 伊勢城氏を 新たに召し抱えた
◆『玄武日記』より
・安政七年戊戌春三月:一、八時鍛冶小屋へ相越、刀二本・脇差一本・小脇差二作る事、
・安政七年戊戌夏五月:一、用場へ相越、吟味ものすき見いたし、帰かけ鍛冶小屋に
而焼刃いたす事、ちいさき大小十組、小刀三本
2)町鍛冶
・『姫路城史』 下巻 橋本政次著 :刀剣は 飾西郡手柄山住三木新兵衛氏重、その作に
播磨国於手柄山山麓 氏重と銘し、代々相受け、後姫路坂元町に移ったが、猶ほ手柄山
山麓の銘を用いた。 三代目氏重名を改めて 氏繁を称し、寶暦五年歿した。 酒井時代の
氏繁は 即ち この初代氏繁以降を称した。 四代目氏繁に至り、陸奥白川城主松平越中守
定信の刀匠となった。
・手柄小学校100年史『100年』 「手柄山という刀鍛冶 特別寄稿 小山金波氏」
手柄山の名を天下に広めたものに、手柄山正繁という 江戸時代の刀鍛冶がある。・・・・
◆姫路藩主 焼刀の刀剣 出展:「鉄と技の美Ⅲー姫路藩主 酒井家の刀剣ー」市立美術館図録
姫路藩主 初代・酒井忠恭、2代・酒井忠以、4代・酒井忠実、5代・酒井忠学、7代・酒井忠顕
らが 作陶した刀(脇差、短刀、剣)が 8振り紹介されましたが、詳細は 省略します。
※下の刀は、今年 2月26日 市立美術館で、市民展の際に 展示されたものです。
※いま、 市立美術館で、「鉄と技の美 酒井家の刀剣」が行われていて、入館無料、 写真OK
だそうなので、近いうちに行ってみます。 1月15日まで。
※12月22日 市立美術館へ 「鉄の技と美」 を見に行きました。 そのページは <こちら>。
※出典・参考文献:「姫路城史」 橋本政次著、『姫路のやきもの東山焼と永世舎』山本和人著、
『姫路藩窯東山焼』満岡忠成著、『姫路の文化財1』、「姫路酒井家の御鍛冶
小屋ー歴代藩公の御焼刃と抱鍛冶」小山金波・三枝啓助・松本勉 など
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