10月2日の『朝日』2面に「教育基本条例案」の記事があった。橋下側の言い分と現場の意見をのせた、まあまあの記事だ。
記事の最後に核心部分があった。条例案は「グローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する」とうたい、徹底した成果主義で教育委員、校長、教員をしめあげることを狙っている。だが現実は格差社会の進行の中で、生活上の困難が学力向上のおおきな障害になっていることは教員は誰でも知っている。ところがすべての生徒の底上げ、すべての児童生徒にひとしく学力をつけることをわきにおいて、グローバル人材育成を目標にかかげる。多くの子どもを粗末にする。
条例案の草案を書いたという人物が、「格差は税制などで是正できる。国際競争力を取り戻すためには、いったんは格差を受け入れてでも秀でた者を育てるのが大切だ」といっている。ここに教育基本条例の基本精神がある。
馬鹿にするなと言いたい。非正規労働は大阪では45%くらいまで増え、格差・貧困の広がりはおおいがたい。税制で格差是正がやられていますか。ウソつくなといいたい。庶民増税の一方で、金持ち減税はすごいじゃないですか。何億もの収入の人の実効税率は十数%にまで下がっている。弱肉強食の社会にあって、学校と教育だけは格差・差別を持ち込んではいけない。教員はそのことに心をくだいてきた。そこに教育の本質的役割がある。社会の防波堤になるため。
ところが「維新」は、いったんは格差を学校が受け入れて、すなわち格差教育を実行して、グローバル人材を育てるというのだ。さまざまな困難を抱えている生徒には目がいかない。ひとにぎりの「人材」をつくるために集中するというのだ。
もはやこれは学校ではない。昔から差別的な社会にあっても、学校にだけは差別を持ち込ませないよう教師は努力し、等しく生きていける学力をどの子どもにもつけようと頑張ってきた。これが日本の学校であり、教師の姿だった。だが、底辺の子どもをすくい上げようと努力する教師は、これからは橋下や維新の目のかたきにされる。グローバル人材育成にどれだけ忠誠をつくすかが問われる。
教育を破壊する橋下・維新には退場していただくしかない。
記事の最後に核心部分があった。条例案は「グローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する」とうたい、徹底した成果主義で教育委員、校長、教員をしめあげることを狙っている。だが現実は格差社会の進行の中で、生活上の困難が学力向上のおおきな障害になっていることは教員は誰でも知っている。ところがすべての生徒の底上げ、すべての児童生徒にひとしく学力をつけることをわきにおいて、グローバル人材育成を目標にかかげる。多くの子どもを粗末にする。
条例案の草案を書いたという人物が、「格差は税制などで是正できる。国際競争力を取り戻すためには、いったんは格差を受け入れてでも秀でた者を育てるのが大切だ」といっている。ここに教育基本条例の基本精神がある。
馬鹿にするなと言いたい。非正規労働は大阪では45%くらいまで増え、格差・貧困の広がりはおおいがたい。税制で格差是正がやられていますか。ウソつくなといいたい。庶民増税の一方で、金持ち減税はすごいじゃないですか。何億もの収入の人の実効税率は十数%にまで下がっている。弱肉強食の社会にあって、学校と教育だけは格差・差別を持ち込んではいけない。教員はそのことに心をくだいてきた。そこに教育の本質的役割がある。社会の防波堤になるため。
ところが「維新」は、いったんは格差を学校が受け入れて、すなわち格差教育を実行して、グローバル人材を育てるというのだ。さまざまな困難を抱えている生徒には目がいかない。ひとにぎりの「人材」をつくるために集中するというのだ。
もはやこれは学校ではない。昔から差別的な社会にあっても、学校にだけは差別を持ち込ませないよう教師は努力し、等しく生きていける学力をどの子どもにもつけようと頑張ってきた。これが日本の学校であり、教師の姿だった。だが、底辺の子どもをすくい上げようと努力する教師は、これからは橋下や維新の目のかたきにされる。グローバル人材育成にどれだけ忠誠をつくすかが問われる。
教育を破壊する橋下・維新には退場していただくしかない。
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