「松郷屋焼」展を見に陶郷近くの岩室へ。
その昔、焼酎を北前船で北海道に運ぶための容器としてつくられたものが多かったそうです。
形は徳利ですが用途は運搬容器ってことだったんですね。
本来は松郷屋地区のものを指すらしいですが、近隣地区のものも総じて「松郷屋焼」と呼ぶことが多いのだとか。
最盛期の明治13年ころには年間で24~25万本もの焼酎徳利が製造されたそうです。
そこで私の頭に浮かんだ疑問
その1. その当時の一般的な焼酎徳利の容量は?
その2. 中に入れた焼酎(現・新潟市中央区の酒造家が造っていた)は、どのようなものだったのか?
残念ながら質問はできなかったので疑問は疑問のまま、
っていうか、質問できたとしても催しの趣旨と違ったでしょうね。
機会を見て詳しい人に聞いてみますわ。
当時の蒸留設備で、(容量は分からないとしても)徳利24~25万本分の焼酎を造るのは容易ではなかったと思うのですが・・・気になるわ~。
そんな思いを抱えたまま、本日も日本酒で乾杯です。
では、7月もよろしくお願いします。
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