酒造りに携わる偉い先生が、「最新の機械を揃えれば人間が手を出さなくても酒を造ることができる」と、30年以上も前におっしゃったとか。
時は流れ、醸造設備も進化を続けました。少しでもお酒の品質を良くしようと考える酒蔵さんが新しい機械を導入するのも言ってみれば「企業努力」ですから、お客さんにとってよいことなのでしょう。「優等生のお酒」が増えたのはそのおかげもあるのでしょうね。
「醸造家の顔が見えない酒は、いかに技術的に優れたものであってもつまらないんだよ。『う~ん、マズくはない。以上!』という感想しか出てこない。」
とは、小倉ヒラクさんの著書「醗酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」の中に書かれていた言葉。まさに私が感じていることを的確に表現してくれております。
「造り手の顔が見える酒」とは実際に造っている人の顔を知っているかどうかではなく、飲んだ人が温もりを感じるような ほっとする酒のことだというのが私の思い。必ずしも優等生でなくてもいいのです。
明治のころから使われている仕込蔵にて、そんなことを考えておりました。
さらに言わせてもらえば、私どもが入荷のたびに「唎き酒(ききざけ・ききしゅ)」と称してお酒の味を見るのは、偉い先生方が行うそれとは違い、技術の優劣よりも「この値段、この品質でお客さんに納得してもらえるか」の確認作業なのです。一番大事なことです。
いつ飲んでもいい酒ですわ。 いい酒です。
日本酒で乾杯!