西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

今日の活動、ご卒業おめでとう、朝ドラ、議会報告

2022-03-24 22:52:52 | 日記

今日が西都市内小学校の卒業式というのは知っていました

昨日けいこ場として使わせていただいている妻南小学校が卒業式の準備で使えなかったからです

さて、いつものように交差点に立っていると

いつもと雰囲気が違うのです

集団登校が無いのです

あれ?と思っていると

綺麗に正装した子供たちがぽつぽつと登校してきます

コロナ禍の為、私たち市議会議員も来賓出席をしないことになりましたが

だいぶ縮小して行ったようです

でも、子供たちの表情はきりっとしていました

多分この歩道橋を渡るのも最後になるのでしょうね

友達と正門の坂を登っていきます

大変な時期に卒業式を迎えたわけだけど、これもきっと君たちの思い出となる事でしょう

小学校6年生の皆さん

そして南空会の岩切紅さん、菊池奏風くん、杉尾慶次くん、内田健太くん

ご卒業おめでとうございます

中学生になっても、頑張ってくださいね

 

家に帰ると、朝ドラがやっていました

「ドライブ マイ カー」の三浦透子さん(最初全く分からなかったです、女優さんて凄い)が結婚を申し込まれて

ハッピーな回でした、最近怒涛のスピードで筋が進んでいますので見落としたら大変です

 

3月議会があり、業務がいろいろある中、

今日は議員活動の報告をさせてもらいました

このような報告書を作りました

急性期疾患から命を守る二次救急医療

人間力を高める教育

二本柱です

どのような一般質問をしたか知ってもらいたいと思っています

これらの内容はこのブログで紹介しています(検索が大変でしょうけど・・私にも難しいです、なんせ13年近くほぼ毎日更新していますか・・)

議員活動頑張っていきます

一緒に歩き回っていただいたT先生ありがとうございました

夜、こむら返りを起こしました(情けない・・・(;´д`)トホホ)

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今日の活動、議会報告、担当者会議、選挙準備、写真の話(ドキュメンタリーフォト)、稽古、一般質問(西都児湯医療センター編ラスト)

2022-03-23 22:32:01 | 日記

今日挨拶運動から一日が始まりました

それがすんだら政治活動として、議会活動を報告しています

お昼前に宮崎に向かい、一件用事を済ませ

宅建業務に

今日は担当者会議を行いました

終了後選挙準備で一か所伺って

県立美術館に行きました

実はドキュフォトの写真展「80歳の列島歩き旅 石川文洋写真展」を行っています

石川さんはドキュメンタリー写真家としては超有名な方で

ドキュフォトでは二回目の展示です

この写真展は全国を巡回する予定だったのですが、各地でコロナ禍により

展示中止となりましたが、やっと宮崎市で行うことができたものです

所が、やはりコロナ禍によりお客さんの入りが悪いのです、そのうえ菜種梅雨みたいな長雨で

事務局長の永友さんからSOSの電話をいただきました

「橋口さん広報お願いします~」という電話です

私も議会や選挙準備で行けなかったので、午後展示を見に行きました

広報を兼ねて、写真展の様子を紹介します

 

 

日本縦断しています

80歳ですよ、80歳!

写真も許可を得たので紹介します

こんな感じで250数点展示されています

見やすいように矢印の進路方向を指示してくれています

私の心に残った写真を数枚紹介します

福島県です、誰もいなくなった街並み・・・

あの日を忘れない

東日本大震災翌日の手書きの新聞

津波で汚れた写真を水洗いして復旧するボランティア

このように乾燥して、持ち主を探します

熊本県荒尾 万田坑

石川文洋さんの有名な写真 1966年ベトナム

1972年沖縄豊見城村

そして日本縦断のゴール

じっくり見させていただきました

感想を言わせていただければ、奇をてらった写真ではない、淡々と写真がそこにある

石川さんの見たままの情景が・・・

だからものすごい量の写真を見ても、疲れないし、そして心の奥底にそうっと沈み込み

ある時「ふっと」よみがえるような写真展でした

インスタグラムで見かけるような奇抜で目を引くような写真ではないけど

見たままを写す、写心でした(見たままを写すって、難しいんですよ。作為を封じ込めなきゃいけないし、・・・)

今週の日曜までです、入場料は500円入りますが、きっと見た皆さんの心のどこかに引っかかるであろう写真だと思います

見て、損はないです(というか見なきゃ損)

日曜は終了作業があるので15時半までに入場ください

 

今日は雨、県立美術館の周りには雨に濡れた桜が咲いていました

 

雨に濡れたベンチ

 

夜は稽古、水曜日は妻南小での稽古ですが、卒業式の為使用できず

妻中と一緒に市の体育館で稽古しました

今日は基本と体力増強(小学生に合ったもの)を徹底に

(四つ足走り)

怪我をしにくく、体が成長してきたらきっと役に立つ稽古です(3年後5年後を見据えた稽古)

 

さて一般質問報告は今日が最後です、最後の市長の10年後の西都市像についての答弁は市長が思いを言われました

で、書き留めることができなかったので、録画で見ていただけると幸いです

 

 

 

(質問)

私もそう思います、長田理事長時代新病院の計画があり、その原資は市にとって非常に有利な病院債でした、借り入れの支払いは市とセンターが半分ずつを考えていたし、実際そのためにセンターは基金を積み上げていました。

さてちょっと前、議会に新病院の要望が現理事長より上がってきました。採算状況が悪い中、つまりセンターに病院債の借入金を支払う能力がない場合、市の負担つまり市民の負担はどうなるか伺います

答弁)

・医療センターが借入金を支払う能力がない場合は国の同意が得られず、病院債は借り入れができないのではないかと考える

・病院債の借り入れができるためには、何よりセンターの医療提供体制充実を図り、安定した経営基盤を確立することが必要であると考えている

 

(質問)

経営状況が病院債の承認を左右するという事だと思います。12月議会や今議会でももめた、中期目標の件です。私は開会日に突然出された議員提出議案に対し、反対討論をし、反対の票を投じました。

これは中期目標を出すことを反対するのではなく、12月議会において付託された常任委員会のやり取りつまり二次救急の提供が削られていることに危機感を覚えたからです。これは評価委員会の審議や市民軽視であります。1市5町1村住民の願いは何度も言いますが「一分一秒の急性期疾患から命を救って欲しい」というものです。特に西都児湯の二次医療圏には脳血管疾患を受け入れる病院がありません。今はそれに対応できる医者がいないとか、脳疾患手術ができる医者を呼ぶのは難しいから、目標から削るというのは、私言わせれば言語道断です。もう一度、救急医療の事実を確認します、壇上救急車出動数やセンター搬入数、市外搬送数など数字を挙げてもらいましたが、やはり市内への救急受け入れは悪化していることが分かりました。ここでもう一つ事実を述べさせていただきます。それは議論の中心課題である二次救急の中の脳疾患搬送についてです。ここ数年の数字を調査しました。わかりやすくするために、長田理事長時代と現在の対比で報告します。調査は西都市内の搬送についてです、児湯はもっと遠方なのでこれ以上に深刻だと思ってください。平成30年長田先生が理事長をされ濵砂先生が一所懸命治療にあたっていた時と令和三年の比較です。

脳疾患で救急車が出動したのは平成30年が174件、令和3年が231件、今の方が多いのです。次西都児湯医療センターに搬送されたのは平成30年が113件、令和三年が39件でも手術は出来ていません、市外への搬送ですが、平成30年は33件、令和三年は179件です、宮崎市への搬送が146件増えています

次です救急車の搬送平均時間ですが、これは119番の電話を受信してから、病院到着までの時間です、平成30年はセンター35.2分です、令和3年度はほとんど市外ですから51、7分かかっています。その差16.5分です。この16,5分をどう見るかですが、ちなみに平成30年の時はセンターに約23分早く到着していました。また専門医がいない病院に運ばれたら転送という事もありますそしてそれは現実です。当然さらに時間がかかります。急性期脳疾患は時間との争いと言います、専門医の話によると発症から3時間半で治療ができるかどうかが分かれ目だそうです。計測は発症してからです、つまり血栓が脳につまり、いびきをかき始めたり、半身がマヒするなどの状況が出て、救急車を呼ぶかどうか迷っている時間、救急連絡までの迷いも重要です、そんなこんなで時間は過ぎます。そうなると一分早いか遅いかが命の分かれ目になります

脳梗塞の治療に血栓を溶かすT―PAという治療があります、これも同じく3時間半で専門病院に到着し検査をし、診断をし、そして初めて治療です、4時間半以内に始めなければいけないようです。この時間が限度です。そんな時間との闘いです。特に東米良、三財や三納など西都北東部に住んでいる方はこの時間に距離時間が加算されます、西都市内に急性期対応できる専門医がいないと自分の命の保障が失われると考えてもいいです。

だから、時を争う急性期疾患特に脳神経外科専門医は西都市にいてほしい

これは前市長時の建築予定地を発端とする理事長公募騒動が無かったなら、あのままだったなら脳梗塞の専門、宮崎県でほとんどないセンターが計画されていたときいています。そうなれば市民の安心安全はさらに高められたであろうと思うと残念でなりません。

救急車の使用についてですが、先ほどの時間は受け入れてくれる病院を探す時間は当然含まれています。時間差は移動距離の差になります、搬送帰りサイレンは鳴らさないので、もっと時間はかかります。令和元年出動件数は1519件でした、1件1時間出動にかかるとしたら、1519時間、24時間で割ると60日間、計算すると60日間分出動待機空白時間ができます。まして令和二年度市外への搬送635件は搬送平均51分+帰り40分強、計91分、635×91分 割る24時間では40日となります、市外に搬送することによりこれだけ市民の安心安全を守る日にちが減ることになります、本当に二次救急の提供をなくしていいものでしょうか、それらを考えると、私は現在のセンターは残念ながら独立行政法人の姿を失っていると考えますが、市長の見解を求めます

(答弁)

・第三期中期目標(案)は評価委員会での審議、パブリックコメントを経て作成したものである

・これまでの県医療計画や児湯郡町村住民の声など、様々な角度から検討した

・設立当初からの最重要事項である「緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供」に関する内容分を修正することは適当でないと判断した

・ご理解いただき、修正には慎重な判断をしていただきたいと考える

 

(質問ラスト)

檀上でお話しさせていただきましたが、事実をはっきりさせることが大事です。市民の皆さんには、医療センターを独立行政法人にした理由、長田先生時代の医療状況、収支、そして将来設計、今の医療状況収支、救急搬送時間、特に西都児湯医療センターの意義、それらの事実をしっかり理解していただきたいと考えます。そのうえで西都市民、児湯住民の理想、いや理想ではなく必要と言った方が良いと思います、それら事実を確認しながら西都児湯の救急医療とは何かを考えていただきたいと思います。

私は西都市の地理的条件、歴史の流れ、自然が及ぼす地域の可能性を考えたら、人口減少に歯止めをかけうる力を西都市は持っていると信じています。そのために必要なのは「命」つまり命を救う救急医療の充実であり、そして「教育」だと信じます。私は「医療と教育」の充実、この考えで議員活動をやってきました、そしてこれが今期の最後の質問になりました。市長の描く10年後の西都の姿の理想を確認して私の質問を終了したいと思います。ありがとうございました。

 

3月の議会報告終了します、ありがとうございました。

またアーカイブとして、市民に知ってもらいたい部分があったら、過去のブログを紹介するかもしれません

その時は懲りずに読んでいただければ幸いです

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連休、今日の活動、ワクチン三回目、選挙書類事前審査、妻中空手道部市長表敬訪問、一般質問(西都児湯医療センター編質問席前半)

2022-03-22 19:19:48 | 日記

妻と日曜日ワクチン打ちました、選挙戦が始まるし、備えあれば患いなしという考えです

1回目2回目はPfizer製、今回はモデルナ製です

この組み合わせが最も効果があるという話でしたが、発熱等の副反応があるかもという事で、連休の中日に接種しました

私は多少接種した場所がジンジンする程度で、なんてことなかったですが

妻は体がだるい、風邪ひき始めのような感じ・・

と言って、早めに就寝しました

でもこれで少し安心です

 

あまり出歩くのは控えようと、事務処理に費やしました(と言っても、少しは回りました)

コロナ禍の中での選挙戦なので、どういったことになるのか

集会等は無理だし・・・、とにかく議会活動の報告はお配りしていきたいと考えます

 

今日は選挙で使う書類の事前審査です、いくつか手直しがありましたが概ね終了です

今日の夕方は妻中空手道部が全国大会に行くので市長に表敬訪問しました

市長から激励の言葉をいただきました、ありがとうございます

大会は京都で行われます

皆いい笑顔です、がんばれ!

妻中の校門には

こんな表示が

拡大すると

の表示が出ていました、昨年8月に行われた大会のメンバーです

今年はもっと多くの選手が出場権を得ました

関谷指導員の指導と子供たちみんなの努力のたまものです

頑張りましょう!

 

さて3月16日のブログに西都児湯の医療センターについての檀上からの質問とその答弁を書きましたが、今日はその続きです

ただすごく長かったので2分割したいと思います(赤字は重要なところ)(青字は注釈です)

それでは、読んでいただき自分の事として救急医療を考える契機になればありがたいです

 

(西都児湯救急医療センター)

質問)

最後は西都児湯医療センターの質問です、今回もほとんどの議員がこの問題について質問されました、重なることもあると思いますが、これは重要な事なので質問席からも質問していきたいと思います。

檀上で私は事実と真実という話をしましたが、互いの立場における正しさを言い合っても仕方がないと思います、まず事実、つまり立場による見方で変わらないものを質問させていただきました

それでは質問席から壇上の答弁をベースに質問していきます、医療センターの中期目標に定める脳卒中等の緊急性の高い脳疾患や西都児湯であまり行われていない内科疾患の受け入れや入院手術を行うと言われましたが、現状のセンターの状況は市長の思い描く姿と合致しているのか伺います

答弁)

・常勤医師の減少や新型コロナウイルス感染症による影響など様々な課題がある中、整形外科を中心とした二次救急医療については、理事長を中心に鋭意努力されていることに感謝し、評価している

・しかし中期目標の最優先事項として定める、脳卒中等の緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供があまりされていない点、さらに西都児湯二次医療圏の中核的病院や夜間急病センターとしての機能が低下している点において、私の思い描く姿と合致していない

 

質問)

中期目標の最優先目標、つまり市民にとっての最優先目標と考える脳卒中等の緊急性の高い脳疾患、地域に不足している内科疾患における二次救急があまりなされていない、西都児湯の二次医療圏の中核的病院の機能が低下していることが、市長の思う姿と合致していないという事を確認しました。

次です、公立病院との違いについて伺った時、公立において損失は地方公共団体が負担し、独立行政法人は公共の福祉の増進という公共性の高いものは設立団体が負担するが、原則は独立採算制であると言われました。

医療センターを地方独立行政法人という公的法人として設立したのは、橋田市長です、そもそもどうして地方独立行政法人としたのか設立の理由を伺います

答弁)

・常勤内科医不在による病院存続の危機があり、医師の派遣元である宮崎大学医学部の各教室に医師派遣協力のお願いをした(この危機については、先日私のブログでの、反対討論のなかに経緯を書いています)

いくつかの条件をいただき、この事について検討した

・検討を重ねた結果、今後の医師確保対策の上からも、経営形態をより公的な法人形態へ変更する必要があると判断した(経営体制は医師会経営が破綻し、常勤医を中心とした財団型の病院にその時はなっていました)

・中期目標に定める脳卒中等の緊急性の高い脳疾患や西都児湯地域であまり行われていない内科疾患の受け入れや入院、手術等の医療の提供を行うほか、夜間急病対応災害拠点病院機能を整備して、西都児湯二次医療圏の中核的病院として市民の皆様の安全安心を確保したいという思いから、地方独立行政法人として設立した

 

質問)

ありがとうございました、つまり先ほど市長が述べた医療センターとして思い描く姿にするために地方独立行政法人にしたと理解します。さて収支を聞いたとき、まだ理事会の議決を経ていないから公表できないと言われましたが、令和二年度は1億9682万9千円の赤字でした、ちなみに平成29年度、平成30年度、令和元年度のセンターの収支はどうだったか伺います

答弁)

・損益計算書の経常利益の数字は平成29年度は4535万3千円、平成30年度は8246万2千円、令和元年度は8682万4千円である(長田先生が理事長の3年間で2億1463万円の黒字を出したのです。ただある議員たちから医療収益はその時代も黒字化してなかったなどという話を市民にしているようですが、利益は全体をくるめてつまり共同利用型助成金や、政策医療としての自治体からの助成金を含めて考えるものなので、センターが黒字で間違いないです。逆に言うと現在もこれらの助成金等は入ってきてあれほどの赤字ですから、いかに今の医療収支が悪化しているかわかります)

(なおこのことについては2020年9月23日のブログに書いていますので、ご覧ください https://blog.goo.ne.jp/1046monochrome/e/d7162a713eea8a63edb62eabf478d697)

質問)

平成29年から令和元年の三年間で2億1463万円の収益を出していたことを確認します、もう一つ、たった一年でその収益分と同額の赤字を計上したことも確認しました。市が市民の要望で掲げた脳疾患等二次救急医療ができず、収支も赤字で市に対し、市という事はイコール市民に対してという事ですが、市民に負担を強いることになりかねず、挙句緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供を目指さない医療センターとなった場合、それは公的に運営すべきものと言えるのか伺いたい

答弁)

・仮に地方独立行政法人西都児湯医療センターが、緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供を目指さず取り組まなくなった場合には、本市が地方独立行政法人を設立して公的に運営する必要な無くなると考える

・市民の命や安全安心をまもれなくなりますし、宮崎県医療計画や宮崎県地域医療構想にも大きな影響を与えると考える(すでに民間病院は1次救急やその他の医療分野は担っています。公的に行うのは民間が担えない分野、県の医療計画に沿った部分という意味だと考えます)

 

質問)

ここは大事なところです、二次救急の提供を目指さなければ公的に運営する必要はないと考えていること、そしてもっと大きな影響、それは二次救急を提供しなければ宮崎県医療計画や宮崎県地域医療構想にも影響を与えると言われました、これに関しては二次医療圏再編に対し、つまり西都児湯二次医療圏を無くし宮崎に統合しようとする事態が以前あった時、私は民間団体において必死に阻止したことがありました。もし二次救急を提供しないことになったら、再度再編の話になるのでは、と危惧しています。ますます西都児湯地域は命を救う医療から遠くはなれていきます。このことは再度言いますがとても重要なことです。

ここで少し話を戻しますが、一次二次三次救急医療について聞きました、以前よりだいぶ理解が進んだようですが、まだその区別があやふやな市民がおられます、そこははっきりさせた方が良いと思います。そうしないと問題点がなかなか理解されにくいからです。私なりに簡単な言葉で表現したいと思います。

一次救急は入院が必要ない軽症で、採算性が悪い、二次医療は入院が必要とされる重症救急で、命を左右する急性期疾患に対応するもので、採算性は良いと理解して間違いないと考えます。

県内には7つの二次医療圏があります、脳血管手術ができないのは、西都児湯医療圏医以外にあるのか伺います

答弁)

・県内の7つの二次医療圏で脳血管手術ができないのは、西都児湯医療圏だけである(西都児湯は医療後進地域です)

 

質問)

これも先の二次医療圏再編を左右する問題です、以前はなんだかんだ言ってもセンターに優秀な濵砂亮一先生という脳神経外科手術のスペシャリストがいたことも、再編を阻止する力となったと私は思っています。だからこそ医療センターが脳血管手術を担うことは、二次医療圏内の自治体も望むものであると思うのです。それなのに、二次救急医療を目標から外すようにするのか私は理解できません。

現理事長の思い描く医療センターの役割機能はどういったものなのか、具体的にうかがいます

答弁)

・現理事長の思い描く医療センターの役割機能について具体的に聞けなかったが、以前医療センターとの二者協議の中では、濱砂理事長から骨折外傷センター、呼吸器感染症センター、予防医学の検診センターを3本柱にする医療提供体制の話はあった

 

質問)

二者協議で二次救急の提供は述べられなかった、のですね、医療センター理事長公募の時、着任後どのような希望を抱いていたのか聞きたいものです。もしあの時、今言われた二者協議の中での「骨折外傷センター、呼吸器感染症センター、予防医学の検診センター」をセンターの三本柱として応募したとしたら、センターの理事長として適格性がないと思いますし、選任者つまり選んだ首長の救急医療に対する見識を大いに疑います。私はあの時の一般質門でも何度も言いました、言葉は悪いですがあの公募に透明性など全くなく、出来レースだったと。今もそう思っています。

広報西都3月号には常勤医が増えましたと書いていました、ありがたいことだと思う反面、それでも、この数値だと医師の配置体制が悪いのではないかと判断せざるをえません。やはり中期目標に沿った医療体制のもと、医師の配置を考えなければセンターの採算はますます悪くなると思うのですが、いかがでしょうか

答弁)

・中期目標に沿った医療提供体制のもと、医師の適正な配置ができれば、経営の黒字化が実現できるものだと考える

(14,5年前救急病院が医師不足で危機の時、医師集めに県知事から市長、救急病院長が奔走していた時、私も伝手(学院の同級生とか)で探そうかと考えていた時「橋口さん、医師免許を持っているなら誰でもいいってわけではないんです。病院の目的や現体制との組み合わせが大事なのです」と言われ事がありました。お医者さんは一般より報酬が当然ながら高いです、だからこそ医療技術の良さや現状医療体制での配置を考えて集めないと経営的にも悪化する恐れがあるという事でした)

後半は明日に続きます

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今日の活動、挨拶運動、3月議会閉会、議員提出議案、反対討論、面接、業務、稽古

2022-03-18 23:55:46 | 日記

ものすごい雨でした、家の雨どいが詰まっていて、横樋から水があふれ玄関先は水浸しでした

雨靴を履いて、通学生への交通安全運動

それが終わったら市役所、今日は閉会日ですが、その前に議運があるという連絡がありました

こんな時の議会運営は嫌なことが多いので、ドキドキしていましたが、些細な訂正だったのでほっとしました

 

10時から議会です、まず議案の訂正(議運ではかったもの)を行い、35の議案と陳情を付託されたそれぞれの委員会の決定事項を委員長が報告しました

委員長の報告を聞くと一部反対があったが、全議案可決というのが各委員会の報告でした

質疑はなく、討論に移りました

例によって、党の意向を反映させたり、市長嫌いで反対しますという、事しか感じないような反対討論がありました

その後採決となって、すべて採択されました

 

陳情は女性団体から出されたもので、申請者の市民は委員会で説明され、結構責められたという話を聞きましたが

含意(全く問題なし)と市民としての思いをしっかり貫き通されたようです、それが議員に通じたのか全会一致で採択されました

陳情Ⅱは公共施設の分煙の件ですが、これも採択しました

 

次に特別委員会の一年間の報告です、ここでもめました

救急医療調査対策特別委員会において、K委員長の報告について質疑がありました

このやり取りで紛糾しました(詳しく知りたい方は直接お話しします)

他は質疑ありませんでした

もうこの時点で、お昼をはるかに過ぎています

でも続けて行いました(傍聴された皆さん、申し訳ありませんでした)

議員提出議案3号は私が提案者です、そして岩切議員、田爪議員、北岡議員、荒川敏満議員、井上久昭議員が賛成者です

(5人には提案を事前に読んでいただき、賛同していただきました)

その原文がこれです

 

地方独立行政法人西都児湯医療センターにおいて         

脳疾患等の二次救急医療が早期に開始されることを求める決議(案)

 

西都児湯医療センターの定款第1条には次のような目標がある。「この地方独立行政法人は、地方独立行政法人法に基づき、地域住民に救急医療及び高度医療をはじめとした医療を提供するとともに、地域の医療機関及び西都市と連携して、住民の健康の維持及び増進に寄与することを目的とする。」、そして、医療センターの第2期中期目標と中期計画には、「緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供を行うこと。」とある。

これこそが医療センターの目標であり、存在意義だと信じる所である。

このことは、2020年の3万5千人、古くは2007年の5万6千人の署名結果を見ても、西都市民だけでなく児湯住民も同じ考えであることが明白である。

さて、2020年からの医療センターにおける救急医療の経緯であるが、令和元年度には脳神経外科手術件数が168件だったが、令和2年度はわずか5件となっている。さらに、脳血管手術は現在行われていない状況である。

それに伴い、令和2年度は1億9,682万9千円の赤字であった。ところが、二次救急医療が充実していた時、平成29年度4,535万円、平成30年度は8,246万円、令和元年度は8,682万円の経常利益を出していた。この3年間の収益を合計すると2億1,463万であった。たった1年の赤字で3年間の黒字がほぼなくなった状況であるし、金額公表はされていないが令和3年度も赤字の見込みが報告されている。

さらに、脳疾患搬送でいえば、令和元年は171件の出動に対し医療センターに110件搬送できたが、令和3年度では231名の脳疾患搬送に対し医療センターには39件しか搬送できなかった。ほとんどの患者が宮崎市へ搬送されている。

西都・宮崎間は宮崎市に近いところでさえ30分以上の救急搬送時間を要し、西都市東北部、児湯郡においてはさらに時間を要する。

脳疾患治療は時間との戦いであり、令和元年以前と比べ市民の命が危険にさらされていると言っても過言ではない。

また、新病院建設についても、病院事業債は赤字経営状態だと借入れが難しく、もし借り入れられたとしても、今のままでは医療センター独自の返済が不可能であり、市、市民に負担をかけることになる。

このまま医療センターが脳神経外科等の二次救急医療に消極的であるならば、宮崎県医療計画や宮崎県地域医療構想にも影響を与えることとなる。

以上のことを打開するため、令和元年以前のように、地方独立行政法人西都児湯医療センターにおいて、脳疾患等の二次救急医療が早期に開始されることを強く求めるものである。

 

以上、決議する。

 

令和4年3月18日

 

西都市議会

 

その後討論となり、反対立場で荒川昭英議員、狩野議員が討論し

賛成の立場で田爪議員、北岡議員が討論しました

白熱しました

で結果は8対8で可否同数(上の6人に井上司議員、太田議員が賛成してくれました、計8名)、この場合議長がどうするかですが、ためらうことなく反対し、否決されました

でも可否同数になったことは、とても良かったと思います

しっかり決議案を読んでいただき賛成していただいたわけですから、上記の決議文の支持が市民の間にも広まってくると期待しています

次は同じような内容ですが、結局現理事長のもとで一次救急一所懸命やろうという内容です(ざっくりですが)

私は次のような反対の立場で討論を行いました

 

議員提出議案第4号に対し反対の立場で討論します

まず決議案の名称である「地方独立行政法人西都児湯医療センターの安定した運営を図るための救急医療体制の充実を求める」という文言ですが、私も経営的に安定し、急性期疾患に対する救急医療体制の充実を求めているので、一見似た考えを持つものであります。

しかし、本文中にいくつか異議があり、その理由を述べ反対の立場で討論いたします。

まず平成21年3月25日の決議を冒頭に出し、その決議をもって一次救急と二次救急の連携、ここに西都市民が求める救急医療の原点であると導かれていることについてです。

この決議が出た背景について少し述べさていただくと、私は平成18年に「西都児湯の救急医療を考える会」を立ち上げ、救急医療についての講演会、活動資金集めのバザー、そして県知事へ働きかけを促すため、西都児湯一市五町一村の住民の皆さんへ著名をお願いしました。

西都児湯の当時の人口10万5千人のほぼ半分の5万6千人の署名を集め東国原知事に届けることができました。短期間で集まったのは各種団体の皆さんが本当に自分のこととして動いていただいたからであります。

ではなぜそんな運動になったかですが、ここが大切なポイントなので少し説明させていただくと、平成16年から導入された「新医師臨床研修制度」により医師が研修先を自由に選べるようになって、大学が同病院に派遣していた医師を次々引き上げたことに端を発します。

そしてこれは全国同時多発的に発生しました。それとともにコンビニ受診などによる医師の疲弊などが問題となった時代でした。

西都医師会病院では内科医が不在となり入院患者を転院させるなど起こり、病院の経営状態が急激に悪化しました。

当時は公設民営つまり医師会が経営していました、つまり損失は医師会が払わなければいけなかったのです。当時の記録では開業医の皆さんも高齢化となり、当番制の夜間救急当直がきつくなったこともありました。

そして救急病院の経営体制があれから何度か変わりました。平成21年西都市議会の決議はその極めて厳しい時代に医師会病院を守るために決議したものです。したがってこの決議は困窮した医師会病院守るために出したもので一次と二次の連携をうたったものではないことを申し上げます。

またこの決議において3つの事項を議会は求めています。 

その二つ目には次のように書かれています「西都医師会病院に対する認識の共有化を図るため、西都児湯医療圏自治体及び住民の理解を求めること」児湯の住民の理解を求める努力が必要であると当時の議会は決議しております。

今回の議案第4号の中盤部に「現状において脳神経外科の手術ができないことは事実である」と正直に書かれているのは評価しますが、そのあとに「赤字を西都市が負担することは決まっていない」との文言は、今議会での地方独立行政法人と公立病院の違いは、という私の質問の中で当局はこう答えています「独立採算制の原則を前提としているが、住民の福祉の増進という公共性の観点から、採算ベースに乗らない部分は設立団体において負担することとなっている」負担しなければならないというものではないが、負担する場合も十分ありうるし、地方独立行政法人にした理由に市が後ろ盾という意味合いがあり、だからこそ宮崎大学は安心して医師を派遣してきた経緯があります、したがって、「負担することは決まってはいない」という文言は承認できません。

次に「経営及び医療体制が危機に直面しているのか、そんなことはありません」、と申されたがセンターが3年間で得た黒字分に匹敵するような赤字をたった一年で出したこと、脳神経外科手術ができず市外への搬送が激増している状況は医療体制が危機に直面しているとしか考えられません。

また「脳神経内科の診療科も増やされるなど」と言われたが、大切なのは手術ができ一分一秒を争う急性期疾患から命を守る手術ができる体制であり、脳神経外科そして麻酔科の充実が求められるのであります。

最後の方で「橋田市長が選挙で公約した脳神経外科医の復帰について、直ちに約束を果たすべきである」と言われたが、2019年12月18日に、西都児湯医療センターの先生方から話を聞く機会を得ました、2名を除いた16人議員が聞いています。それを聞いたなら、なぜ優秀な脳神経外科の先生や呼吸器内科の先生がやめることになったか、つまり理由が理解できるはずです。

心ならずもセンターをやめることになり、それによって急性期疾患に対応できる救急医療が混乱したのは、現市長である橋田市長の責任ではなく、前押川市長に責任があることは自明のことであります。

そしてどういうセンターの体制になれば復帰が可能なのかも、あの先生方の声を聞いている議員ならわかっていると私は思います。

ならばその環境を作る責任は、議会にも重くあると考えるものであります。

最後に「三位一体」の三位の表すものについて、違う認識があるようです。

三位一体とは「市民住民」「医療関係者」「行政」であると信じます。

この三者が西都児湯の救急医療体制のために力を合わせるものであることを最後に述べておきます。

 以上を持って、議員提出議案4号については承認できない部分があるので、西都市を含めた一市五町一村の二次救急を守る立場の議員として反対するものであります。

 議員の皆様には、市民の命、安心安全を担保する、真の救急医療体制を再構築する意味からも、私の反対討論に理解していただきたく願います。

以上を持って反対討論とします。

ちなみに反対討論は私と田爪議員 賛成討論は狩野議員でした

結果6対10で採択されました、残念です

 

以上が今日の議会の内容でした、終了したのは午後2時ぐらいでした

私は宮崎市で来年度の職員面接があったので宮崎に行きました

二人面接し適性検査も上々でした

もう一つの案件の説明を受け

 

西都に戻りました。戻りながら市民からの相談事の電話があり、その度毎に路肩に停めて伺いました

なかなか西都に着きません

 

夜は稽古、中学生は大会前なので抑え目な稽古です

所で空手は武道です、礼に始まり礼に終わるのが武道です

南空会では稽古始まりに遅れたら、まず稽古場の外に正座黙想

し、指導者の許可をもらって礼をして稽古に加えています

皆しっかりと守ってくれます

稽古の後半は個別稽古マンツーマンで指導です

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今日の活動、MS、議運、明日閉会日に議員提出議案を行います、写真の話(竹尾先生とのお別れ)

2022-03-17 23:22:12 | 日記

木曜日はモーニングセミナーから始まります

今日の講演は凄かった(すごかったとしか言えません)

こんな話が聞けるのが、このMSの素晴らしいとこですね

 

終了後三役会を開き

いつもの交通安全挨拶運動

 

終了後市役所に行き、議会運営委員会が開かれました

明日の閉会日に議員提出議案することになりました

題名は「地方独立行政法人西都児湯医療センターにおいて 脳疾患等の二次救急医療が早期に開始されることを求める決議(案)」というものです

議員全員に賛同を訴えていくつもりです

なおこの議案の採決状況とこの決議文全文は明日このブログで報告する予定です

またほかにも議員提出議案が出ると議運で決定しました

しっかり確認して賛否を決め、討論もできれば行いたいと考えています

インターネットでも見ることができますし、当然議場で傍聴もできます

我々議員にとって今期最後の議会です、多くの市民の方に見ていただき

4月に行われる、西都市議会選挙において候補者選択の材料にしていただければ幸いです

議員として思うのですが、4月の選挙は将来の西都の姿を決定づけるとても大切なものになると考えます

議員が何を考え、どう行動し、どのような西都市像を描いているかしっかりと確認していただき

清き一票を大事にしていただきたいと考えます

 

お昼には宮崎に行き、年度末の業務を行い、そして中央地区の役員会を行いました

夕方途中で抜けて、西都に戻り法元公民館の役員会に参加しました

相変わらずバタバタした日々です

 

さて一般質問報告は明日以降に(週明け?)なりそうです、明日は閉会日の様子を詳しく書きたいので・・・

 

さて写真の話です、先日宮崎日日新聞に写真の竹尾先生の訃報が載っていました

実はお亡くなりになられて、結構時間がたっています

竹尾先生は、皆の知らせず家族で天国に送って欲しいと希望されたようで、一部を除いてほとんど写真関係者も知りませんでした

私は竹尾先生がやられていた写眞グループの方から聞くことができました

 

2008年の事だったと思います、アサヒカメラに続き日本カメラでも年度賞をいただきました

写真仲間(というと恐れ多いですが)の芥川さんたちから「両方年度賞をとるなんて、めったにない、お祝いしよう」「橋口さんが呼びたい人がいれば招待するよ」と言われました

私は竹尾先生の写真グループに入っていたわけでもないのですが、なぜか竹尾先生の事を知っていて招待しました

県庁近くのホテルでお祝いをしてくれました

その時の写真がこれです(事務所にずっと貼っています)

皆さんが持っているのは、私のオリジナルプリントです

祝賀会を開いていただいたお礼に好きな写真を選んでもらい、プレゼントしました

私はウオーターマンの万年筆を記念にいただきました

 

さて座っている私の後方にいる紳士が竹尾先生です

お祝いで竹尾先生にスピーチをお願いしました

「おめでとう・・・でも僕には橋口さんの写真のどこがいいのかわからないんだよね?」

う~む、なんてあけすけで、正直で・・素敵な人だと思いました

天国でも、竹尾先生はカメラ片手にかわいい女性の写真撮っているんでしょうね~

ご冥福をお祈りいたします

 

 

コメント (2)
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