西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

今日の活動、議会報告、担当者会議、選挙準備、写真の話(ドキュメンタリーフォト)、稽古、一般質問(西都児湯医療センター編ラスト)

2022-03-23 22:32:01 | 日記

今日挨拶運動から一日が始まりました

それがすんだら政治活動として、議会活動を報告しています

お昼前に宮崎に向かい、一件用事を済ませ

宅建業務に

今日は担当者会議を行いました

終了後選挙準備で一か所伺って

県立美術館に行きました

実はドキュフォトの写真展「80歳の列島歩き旅 石川文洋写真展」を行っています

石川さんはドキュメンタリー写真家としては超有名な方で

ドキュフォトでは二回目の展示です

この写真展は全国を巡回する予定だったのですが、各地でコロナ禍により

展示中止となりましたが、やっと宮崎市で行うことができたものです

所が、やはりコロナ禍によりお客さんの入りが悪いのです、そのうえ菜種梅雨みたいな長雨で

事務局長の永友さんからSOSの電話をいただきました

「橋口さん広報お願いします~」という電話です

私も議会や選挙準備で行けなかったので、午後展示を見に行きました

広報を兼ねて、写真展の様子を紹介します

 

 

日本縦断しています

80歳ですよ、80歳!

写真も許可を得たので紹介します

こんな感じで250数点展示されています

見やすいように矢印の進路方向を指示してくれています

私の心に残った写真を数枚紹介します

福島県です、誰もいなくなった街並み・・・

あの日を忘れない

東日本大震災翌日の手書きの新聞

津波で汚れた写真を水洗いして復旧するボランティア

このように乾燥して、持ち主を探します

熊本県荒尾 万田坑

石川文洋さんの有名な写真 1966年ベトナム

1972年沖縄豊見城村

そして日本縦断のゴール

じっくり見させていただきました

感想を言わせていただければ、奇をてらった写真ではない、淡々と写真がそこにある

石川さんの見たままの情景が・・・

だからものすごい量の写真を見ても、疲れないし、そして心の奥底にそうっと沈み込み

ある時「ふっと」よみがえるような写真展でした

インスタグラムで見かけるような奇抜で目を引くような写真ではないけど

見たままを写す、写心でした(見たままを写すって、難しいんですよ。作為を封じ込めなきゃいけないし、・・・)

今週の日曜までです、入場料は500円入りますが、きっと見た皆さんの心のどこかに引っかかるであろう写真だと思います

見て、損はないです(というか見なきゃ損)

日曜は終了作業があるので15時半までに入場ください

 

今日は雨、県立美術館の周りには雨に濡れた桜が咲いていました

 

雨に濡れたベンチ

 

夜は稽古、水曜日は妻南小での稽古ですが、卒業式の為使用できず

妻中と一緒に市の体育館で稽古しました

今日は基本と体力増強(小学生に合ったもの)を徹底に

(四つ足走り)

怪我をしにくく、体が成長してきたらきっと役に立つ稽古です(3年後5年後を見据えた稽古)

 

さて一般質問報告は今日が最後です、最後の市長の10年後の西都市像についての答弁は市長が思いを言われました

で、書き留めることができなかったので、録画で見ていただけると幸いです

 

 

 

(質問)

私もそう思います、長田理事長時代新病院の計画があり、その原資は市にとって非常に有利な病院債でした、借り入れの支払いは市とセンターが半分ずつを考えていたし、実際そのためにセンターは基金を積み上げていました。

さてちょっと前、議会に新病院の要望が現理事長より上がってきました。採算状況が悪い中、つまりセンターに病院債の借入金を支払う能力がない場合、市の負担つまり市民の負担はどうなるか伺います

答弁)

・医療センターが借入金を支払う能力がない場合は国の同意が得られず、病院債は借り入れができないのではないかと考える

・病院債の借り入れができるためには、何よりセンターの医療提供体制充実を図り、安定した経営基盤を確立することが必要であると考えている

 

(質問)

経営状況が病院債の承認を左右するという事だと思います。12月議会や今議会でももめた、中期目標の件です。私は開会日に突然出された議員提出議案に対し、反対討論をし、反対の票を投じました。

これは中期目標を出すことを反対するのではなく、12月議会において付託された常任委員会のやり取りつまり二次救急の提供が削られていることに危機感を覚えたからです。これは評価委員会の審議や市民軽視であります。1市5町1村住民の願いは何度も言いますが「一分一秒の急性期疾患から命を救って欲しい」というものです。特に西都児湯の二次医療圏には脳血管疾患を受け入れる病院がありません。今はそれに対応できる医者がいないとか、脳疾患手術ができる医者を呼ぶのは難しいから、目標から削るというのは、私言わせれば言語道断です。もう一度、救急医療の事実を確認します、壇上救急車出動数やセンター搬入数、市外搬送数など数字を挙げてもらいましたが、やはり市内への救急受け入れは悪化していることが分かりました。ここでもう一つ事実を述べさせていただきます。それは議論の中心課題である二次救急の中の脳疾患搬送についてです。ここ数年の数字を調査しました。わかりやすくするために、長田理事長時代と現在の対比で報告します。調査は西都市内の搬送についてです、児湯はもっと遠方なのでこれ以上に深刻だと思ってください。平成30年長田先生が理事長をされ濵砂先生が一所懸命治療にあたっていた時と令和三年の比較です。

脳疾患で救急車が出動したのは平成30年が174件、令和3年が231件、今の方が多いのです。次西都児湯医療センターに搬送されたのは平成30年が113件、令和三年が39件でも手術は出来ていません、市外への搬送ですが、平成30年は33件、令和三年は179件です、宮崎市への搬送が146件増えています

次です救急車の搬送平均時間ですが、これは119番の電話を受信してから、病院到着までの時間です、平成30年はセンター35.2分です、令和3年度はほとんど市外ですから51、7分かかっています。その差16.5分です。この16,5分をどう見るかですが、ちなみに平成30年の時はセンターに約23分早く到着していました。また専門医がいない病院に運ばれたら転送という事もありますそしてそれは現実です。当然さらに時間がかかります。急性期脳疾患は時間との争いと言います、専門医の話によると発症から3時間半で治療ができるかどうかが分かれ目だそうです。計測は発症してからです、つまり血栓が脳につまり、いびきをかき始めたり、半身がマヒするなどの状況が出て、救急車を呼ぶかどうか迷っている時間、救急連絡までの迷いも重要です、そんなこんなで時間は過ぎます。そうなると一分早いか遅いかが命の分かれ目になります

脳梗塞の治療に血栓を溶かすT―PAという治療があります、これも同じく3時間半で専門病院に到着し検査をし、診断をし、そして初めて治療です、4時間半以内に始めなければいけないようです。この時間が限度です。そんな時間との闘いです。特に東米良、三財や三納など西都北東部に住んでいる方はこの時間に距離時間が加算されます、西都市内に急性期対応できる専門医がいないと自分の命の保障が失われると考えてもいいです。

だから、時を争う急性期疾患特に脳神経外科専門医は西都市にいてほしい

これは前市長時の建築予定地を発端とする理事長公募騒動が無かったなら、あのままだったなら脳梗塞の専門、宮崎県でほとんどないセンターが計画されていたときいています。そうなれば市民の安心安全はさらに高められたであろうと思うと残念でなりません。

救急車の使用についてですが、先ほどの時間は受け入れてくれる病院を探す時間は当然含まれています。時間差は移動距離の差になります、搬送帰りサイレンは鳴らさないので、もっと時間はかかります。令和元年出動件数は1519件でした、1件1時間出動にかかるとしたら、1519時間、24時間で割ると60日間、計算すると60日間分出動待機空白時間ができます。まして令和二年度市外への搬送635件は搬送平均51分+帰り40分強、計91分、635×91分 割る24時間では40日となります、市外に搬送することによりこれだけ市民の安心安全を守る日にちが減ることになります、本当に二次救急の提供をなくしていいものでしょうか、それらを考えると、私は現在のセンターは残念ながら独立行政法人の姿を失っていると考えますが、市長の見解を求めます

(答弁)

・第三期中期目標(案)は評価委員会での審議、パブリックコメントを経て作成したものである

・これまでの県医療計画や児湯郡町村住民の声など、様々な角度から検討した

・設立当初からの最重要事項である「緊急性の高い脳疾患や地域に不足している内科疾患における二次救急医療の提供」に関する内容分を修正することは適当でないと判断した

・ご理解いただき、修正には慎重な判断をしていただきたいと考える

 

(質問ラスト)

檀上でお話しさせていただきましたが、事実をはっきりさせることが大事です。市民の皆さんには、医療センターを独立行政法人にした理由、長田先生時代の医療状況、収支、そして将来設計、今の医療状況収支、救急搬送時間、特に西都児湯医療センターの意義、それらの事実をしっかり理解していただきたいと考えます。そのうえで西都市民、児湯住民の理想、いや理想ではなく必要と言った方が良いと思います、それら事実を確認しながら西都児湯の救急医療とは何かを考えていただきたいと思います。

私は西都市の地理的条件、歴史の流れ、自然が及ぼす地域の可能性を考えたら、人口減少に歯止めをかけうる力を西都市は持っていると信じています。そのために必要なのは「命」つまり命を救う救急医療の充実であり、そして「教育」だと信じます。私は「医療と教育」の充実、この考えで議員活動をやってきました、そしてこれが今期の最後の質問になりました。市長の描く10年後の西都の姿の理想を確認して私の質問を終了したいと思います。ありがとうございました。

 

3月の議会報告終了します、ありがとうございました。

またアーカイブとして、市民に知ってもらいたい部分があったら、過去のブログを紹介するかもしれません

その時は懲りずに読んでいただければ幸いです

コメント
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