西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

佐賀北の夏

2011-08-28 22:05:50 | 日記
本屋さんにいったら、表記の文庫本がありました。
現在、私はそう熱心に甲子園の高校野球を見ていないのですが、同じ九州での公立高校である佐賀北の快挙については知っていました。

ペラペラと立ち読みしていたら、監督の指導法などが細かく書いてあったので、買い求めました。

種目は違っても、指導方法は共通点があるんじゃないかと思ったからです。
先ほども言いましたが、甲子園の佐賀北の快挙もリアルタイムで見ていたわけでなく(多分ニュースで知った)、甲子園の戦歴も知らなかったのです。
今日、何ページか読もうと思い手に取ったら、面白く最後まで読ませていただきました。

その中でとっても引っかかる部分があったので、書いてみます。
昨日のブログで香山りかさんの講演のことを書きましたが、それと同じような経験を監督の百崎氏がしているのです。

文庫本の126ページくらいのところです。
部長の吉富氏がふてくされたり、やる気の見えない選手を干してやろう(ベンチから外す)と思ったのだが、監督の百崎はそれをせず、使い続けたそうです。

そこで昔のエピソードが紹介されます。
それは次のような文です。

 もちろん、百崎も最初からそんなに寛大だったわけではない。生徒が発するそうした不平や不満にたいする見方が変わったのは、やはり神崎(注 以前勤務した高校)のときだった。

百崎が神崎に移った年に入部してきた一年生部員の中に、この子は完璧だと思える生徒がいた。野球はさほどうまくなかったが、「甲子園に行くんだ」という百崎の言葉をまだ他の部員が鼻で笑っているような頃に、誰よりも真剣に野球に取り組んでいた。農家の次男坊で、年の離れた弟がいたのだが、休みの日にはその子の手を引いて床屋に連れて行ってやる。家業の手伝いもする。それでいながら、両親が特別子供の教育に熱心なわけでないのに学校の予習、復習も一切手を抜かず、勉強も常にトップ。友達も多く、先生からの信頼も厚い。いつも笑顔を絶やさない生徒で、誰からも好かれていた。非の打ち所がなかった。

だが、二年生の夏の大会が終わった後、その子が自ら命を絶ってしまったのだ。
百崎のの中にあった三十九年かけて築いてきた確固たるものが粉々に砕け散った思いがした。
「自分の子供もこういう子にしたいなと思っていたからね。理想の子だった。その子が命落としちゃったら、どう育てればいいの、って」

この短い箇所のところが一番胸にきました、香山さんの言われた、「良い子の演技をせざる終えない、自己肯定感が無い子が危ない」
にピッタリと一致したエピソードだったからです。

私も教育にある面携わっています(空手、保護司等)。
子供(大人も)を見るということに、真剣にあたらねばと思った次第です。
コメント (1)
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