西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

don,t forget

2011-08-06 20:47:56 | 日記
今日は8月6日、人類史上初めて原爆が広島に落とされた日です。
広島には何度か行っていますが、最初に行ったのは大学の同級生宗籐の結婚式の時だったと思います。

同級生でイスパニア学科(私の妻と一緒)で剣道部員でもありました。
あの頃古い地下1階・地上二階建ての武道場があり、その2階部分の板貼りの道場を空手道部と剣道部で共有していました。
ということで、必然的に剣道部員とは仲良くなりました。

あの頃武道系の卒業生は警察に就職する人間が多く(私も奈良県警に合格していました、結局行きませんでしたけど)、彼は地元の広島県警に就職しました。

学生時代は全く女っ気が無い、彼でしたがどうやら職場で良い子を見つけたらしく、めでたく結婚に至ったわけです。

で初めての広島です、浅はかな私の広島のイメージは①原爆②仁義なき戦い③広島カープぐらいでした。
まさか、文太さんが「・・・じゃけんの~」(これって広島弁になっているかどうかわかりませんけど)てそこらの街角から出てくるわけもなく、世界の負の遺産である、原爆ドームを見ました。
あの、皆さんご存じの原爆ドームです。

映画や写真で原爆は作家の表現の媒体として取り上げられています。
私が印象に残っているのは、アランレネの「24時間の情事」・土門拳の「ヒロシマ」・場所は長崎ですが東松照明の「11.02NAGASAKI」などです。

原爆ドームは取り壊されそうな運命にあったものを、一人の少女の詩が救い、未来の人類への平和へ道しるべに(戦争・核という記憶を風化させないことにより)残りました。
核という制御不能なものを、戦争の兵器として地球上で初めて身をもって体験し(未だ日本だけ)、平和としての核からまた被害を受けた日本(これはチェルノブイリ他有りますが)はこの経験を核を語る権利として持っていますし、それはまた核を語る義務でもあります。

このブログでも何度も、言っていますが「記憶を風化させてはいけない」です。

「誰にやられた」とか言い出し負の連鎖、憎しみの連鎖、のための記憶でなく。
また自衛隊のトップだった某氏がいう「抑止力としての核とか、声を上げているのは左翼だけ」とかとんちんかんな恐ろしい間違った愛国心(私の考えです)をあおる事を言わせるための記憶ではないです。

未来の地球人のために、必要なことです。
3日後はNAGASAKIに原爆が落とされた日です、何故こんな馬鹿なことが起こったかを、宗教や国の違い、まして右だ左などと考えを硬直させずに、素直な気持ちで考える期間だと思っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする