西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

メメント・モリ

2011-08-17 21:47:35 | 日記
この言葉は、私にとって写真の見方の要素であり、私の写真の大テーマです(死とエロス)。
この言葉を分かり易く表した言葉がありますので書いてみますね。

哲学者の土屋賢二氏が『ツチヤの軽はずみ』(文藝春秋)でおもしろおかしく(この人は何冊か本を書いていますが、ほとんど冗談で埋め尽くされています・・そこが私の気に入っているところですが)次のように書いています。 

 古来多くの人が「死を忘れるな」という警告を発してきた。ヨーロッパ中世の絵画には、通常の絵の隅にどくろを描いて死を思い起こさせる趣向のものがある。

 このように警告が鳴らされるには理由がある。死を忘れていると、生きていることのありがたさを忘れてしまう。死に直面するとき、はじめて人間は生きることの大切さを知る。それまで、異性に恵まれていない、脚が短い、金が自由にならない、病気ばかりしている、と不平ばかりいい、目先の利害に一喜一憂している人が、死を意識すると一時的に真人間にもどり、それまでの生活を悔い改め、自然の美を見出し、人類愛に目覚め、脚が短いことにも感謝するのである。人間が愚かな行為をするのは死を忘れているからだ。死と向かい合って生きるのが人間のあるべき姿である。こう考えられるのだ。

冗談ぽく書いているけど、ものすごく分かり易いでしょう。
さて、写真界でメメントモリと言ったらtoshiro~じゃなくって(失礼)藤原新也さんですね。
彼についてのエピソードをザックリ書きますと(記憶を思い出しだし)

23歳の藤原新也はアジアをこの目で見たくなり、放浪したくなります。
時は1960年代で若者一人が外国に行くことは難しく、まだ1ドル350円の時で、貧乏な学生であった彼は当然お金がありません。
親戚から借りたりしますが、まだまだ足りません、それで彼は考えます、新聞社だったらこういった冒険にお金かしてくれるかも。
ある新聞社に飛び込むわけです。
自分の思いを熱く語ります、するとこの担当者は「面白い、ちょっとやらせてみるか」と渡航費用の一部を負担することになりました(良い時代だったんですね)。
但し条件を出されます、紀行文を書くこと、そして写真を撮ってくること。
写真を撮ったことのない彼は親戚(だったと思う)からカメラを借りて、使い方を教わり、新聞社からもらったフイルムとともに、インドに旅立ちました。

若く感受性の豊かな藤原青年にとって、インドは驚愕の連続でした。
カメラを向けることを忘れるくらい、ひきつけられたそうです。
でも、約束だからと思い、カメラを向けました。
夢中でシャッターを押しますが、なんせカメラに慣れていないので、撮り方もわかりません、押さえだとかも(失敗を防ぐため、違う角度で撮ったりすること・・私がよくやります失敗が怖いんで・・)せず、よし撮った!で終わったそうです。

多分頂いたフイルムは使い切れず、旅費の足しに売ったという記憶がありますが・・?。

そして、約束とおり、フイルム(少し少なくなった)を新聞社の渡したわけです。
で、担当者はその写真を見てびっくりします、今までにない新鮮さと、迫力にです。
藤原青年に写真に合わせて紀行文も書いてもらい、新聞社のグラフ誌に載せました。

グラフ誌が発売されて一夜明けたら、写真家として、文筆家として日本中に知られる事になりました。

写真家・藤原新也の誕生です。

ここからお知らせです(なが~い、あまりに前ふりがなが長過ぎる~・・・と言う声が)
以前、このブログでも紹介した「Artspace色空」で現在藤原新也写真展「メメント・モリ」が開会中です。

オーナーの川添さんは藤原さんの大ファン(交流もあったそうです)で、自分たち夫婦の夢であったギャラリーのオープニングは絶対、藤原さんと決めていましたし、藤原さんの承諾も受けていたそうです。
ただ今回の3.11東日本大震災で写真家である藤原氏は時間が取れなくなって、今月まで延びてしまいました。

ですが川添さんにとって今回の「メメント・モリ」がオープン記念特別企画展です。

写真に興味のある方、文章に興味ある方、こぞって見に行ってください。
8/31までです。
と言う事で今日の写真は、写真展のチラシです・・ちび子という猫が撮影のじゃまにきました。


私が好きな「鉄輪」と一緒に

コメント (4)
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