こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

きょうの相談会

2011-07-21 00:28:53 | 活動報告
水曜日の午前中は事務所で定例の相談会。

「アポとってないんですけど・・・」と男性がひとり。
「どうぞ、特に予約はいただいてないんですよ」とお招きしました。

「裏の水路の悪臭がひどい」とのこと。
「現場を見て、近所の方の声も聞いてまたご相談しましょう」ということに。
泉大津に住んで2年ほどとのこと。それまでのこと、いろいろお話をお聞きし、「ご苦労されましたね。」と言いながら、何か気にかかり、「他に何か?」とお尋ねしました。
いろいろ、ユニークなアイディアをお持ちの方のようです。

帰り際に「℡貸してもらえますか?」とおっしゃるので、「どうぞ」
そこで、電話の用件を聞いて
(その内容は少々差しさわりがあるので省略します。)
水路の悪臭より深刻、しかも対応が急がれることでした。

午後はその方と市役所へ。

「一応、一段落」ということになりましたが、そういえば私も「一番言いたいことはなかなか言えない」ということがあるなぁ・・・と思ったことでした。

議員かけだしの20年前、「裏の下水が臭くて・・・・」と電話をくれる高齢の女性がいました。
いつも着物姿で、お訪ねすると若い頃の写真や折り紙の作品やその他、思い出の品々を次々と見せてくださる。・・・「ところで裏の下水は?」と私。「?、ああ、だいぶましになりましたねぇ」・・・「そうですねぇ」と言って帰ってきました。時々、お訪ねしてはお話聞きました。
なんだか、なつかしく思い出しました。

明日は、きょうお聞きした団地の裏の水路、見に行かなければ。
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きょうから地元で活動再開

2011-07-20 08:39:01 | 活動報告
昨夜日付がかわる直前に帰宅。
帰ってきたときは雨もあがっていて助かりました。

途中、道路工事による渋滞あり、台風の影響で高速道路通行止め、等々ありながらも約1000キロの道のりを途中3回の休憩で12時間弱で走りきったM下議員はスゴイ。疲れた様子も見せず、実に軽やかに。

洗濯物が山のようで、とりあえず洗濯機に放り込んだものの、雨・風・・・・ですねぇ。

活動再開。まずは、歯医者の予約時間。行ってきます
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ありがとう。岩手の皆さん

2011-07-19 07:48:13 | 東北被災地支援・がれき処理問題
今日、大阪に帰ります。たくさんの方にお話を聞かせていただきました。3日間しかいない者が、突然訪問して迷惑ではないだろうかと思いましたが、どなたも命の瀬戸際の体験を時に涙ながらに話して下さいました。中には地元の人には言えなかった胸のうちを、私達に話してくださった方もありました。それをセンターに帰って報告すると、ひとつひとつ丁寧に受け止め対応してくださいました。訪問先で、暑いのにご苦労さん!と労っていただいたこともしばしばです。

地元の若い方たちがが頑張っているのが心強いことでした。
センター前で毎日開設している「青空市」の店長は藤倉市会議員の息子さん。私たちが大阪から持っていった支援物資も含め、全国から寄せられた暖かい気持ちのこもった品・・・ひとつも無駄にしないで活用するため、心を砕き、真っ黒になって立ち働いていました。

「大阪でここで見たこと、聞いたことを生かしてください」と何度も言われました。その約束を果たします。
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ここは人々の暮らしがあったところ

2011-07-18 07:06:28 | 東北被災地支援・がれき処理問題
日中は暑いけれど朝夕は寒いくらい。小鳥のさえずりで爽やかに目覚め東北での1日が始まります。

16日と17日、2日分の活動報告

一ノ関の日本共産党両磐地区委員会の一角にあるボランティアセンターに宿泊し、日中は車で1時間余りの陸前高田のセンターで活動しています。

初日の16日は朝早く出発し、津波の浸水地域を歩きました。海岸から遥か離れ、海の見えないところまで すさまじい被害が襲ったことがわかります。瓦礫と倒壊した家屋の柱や壁、壊れた家具などがが積み上げられた中に子どものオモチャや袋に入ったままのお菓子も。その直前までそこには普通の暮らしがあったことを、瓦礫の中の形あるもののひとつひとつが教えてくれます。

16日は午前も午後も矢作町という高台で津波の被害を受けていない地域を1軒づつ訪問して要望を聞きました。直接の被害はなかったものの多くの方が家族や親戚の犠牲者の話をされました。夫が入院していた陸前高田病院からヘリで搬送されカルテがないので3日間何の治療もされず、14日目に亡くなった。夫は病死。津波で死んだのではない。誰にも打ち明けたことない。あぁ、話してしまった
...と静かに話された方があります。夫は津波が亡ければまだまだ生きたに違いない。せっかく搬送された病院で適切な処置がされれば助かったかもしれない。でも津波の被害による死者に数えられさえしない...言葉にできない悲しみ、悔しさが伝わります。

17にはセンターの前で毎日開設している青空市の手伝いをしてから1週間前にできた仮設住宅を訪問して要望を聞きました。やっと扉のあるところに住めるようになって有難いと言いながらも、近所に店がない。子どもの通学路が心配。住民同士のコミュニケーションがない。などの声もありました。
午後はこの仮設住宅の駐車場に支援物資を運んで移動青空市。

たくさんの方からお聞きするお話の全てが今も蘇ります。

帰ってから写真もアップしてもう少し整理した報告をします。

さあ、今日もそろそろ出発の時間です。
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一ノ関にて

2011-07-15 18:51:17 | 東北被災地支援・がれき処理問題
今日は携帯からの投稿。
朝5時泉大津を出発。渋滞を避けて早く出たので終始スムーズ。北陸道を通り、お昼は磐梯山を仰ぎなからドライブインで。
天気も快晴。夕方4時半には一ノ関の日本共産党震災支援センター到着。

明日帰る先発隊の仕事帰りを待ってこれから引き継ぎを兼ねて夕食。明日からの活動に備えて今日は早く休みます。

5日間お世話になった日本共産党両盤地区委員会事務所の一角にあるボランティアセンター
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出発前のバタバタ・・・介護保険の勉強で難波へ

2011-07-15 00:36:10 | 社会保障
5日間も泉大津を離れるのは、この20年あまりで初めてのこと。
去年の秋、海の向こうにいる生まれたばかりの孫に会いに行くのも、関空を午後出発、一泊して朝の飛行機に乗り「弾丸旅行」と娘に笑われました。

出かける前にどうしてもしておくこと、優先順位をつけて汗だくになって走り回り、夕方、南海電車に飛び乗って大阪社会保障推進協議会主催の介護保険制度改定の学習会に参加。

介護保険制度は、国会でまともな論議なく「要支援認定者から介護サービス取り上げ」の改悪が決まりました。しかしまだまだ、積み残し、詳細が決まっていない部分も多く、何よりも保険事業の実施責任は市町村なのだから、「どうするかはこれから」だということを改めて感じました。
制度改悪で一番犠牲になる方たちには、ほとんど何も知らされていない。介護で苦労されている家族の方々も、こんな制度の改悪も、市町村が今、「事業計画」を作っていることもおそらく、大半の方はご存知ないことと思います。
「郵送のアンケートだけでは本当の実態はつかめない。一番苦労している方のところに足を運んで聞き取り調査を」と、言い続けてきました。

私自身が、少しでも多くの方の生の声、そして声にならない声・・・聞き取って届けることが仕事です。

こういう日は行き帰りの電車のなかがほっとする時間です。
夜、事務所によって留守の間のこと、赤旗日曜版の配達、後援会ニュースの印刷などお願いし帰宅。
8月末に予定している大阪府交渉(高石から岬町まで8市4町の日本共産党議員団が合同で大阪府に、住民の皆さんからお寄せいただいた要望で交渉)に向けての要望事項を地区委員会の担当にメールで送信。日付が変わりました。

明日・・・ではなく、今日、早朝5時出発です。

まだまだ考えることがいっぱいですが、とりあえず、明日・・・ではなく、「朝」にそなえてお休みなさい。
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あさってから岩手

2011-07-13 22:42:00 | 東北被災地支援・がれき処理問題
私たち3人の議員団は、4月の選挙後まもなく「6月の市議会定例会が終わったら東北の被災地へ行こう」と決めました。

何よりも、たとえ何か少しで役にたつことができれば・・・という思い。
そして、自分達が生きている時代に遭遇した大災害の現場を、自分の目でしっかりと見てこなければ・・・という思い。

あまりにも大きな命の犠牲でした。
だからこそ、そこから教訓を汲みつくして、これからのまちづくりに生かしていくことが、今生きている私たちの責任でもあると思うのです。

先に行っている仲間の現地からの情報では、タオルやせっけん、夏物衣類、などまだまだ不足しているとのこと。身近な方々にお願いして、短期間の間にずいぶん集まりました。市役所の職員さんにも協力いただきました。
きょうは夕方、それらの支援物資をM下議員の車に積み込みました。

明日は朝から、相談事1件。夜は介護保険の学習会で大阪へ。午後の時間にやることを手帳に書き出したら、う~ん、時間が足りない!!
実はこういう「せっぱつまった感じ」嫌いじゃないんです。
(せっぱつまらいないと動かない・・・・と、影の声)これから一仕事。
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愛しい

2011-07-12 23:49:37 | 大きくな~れ
私の携帯待ち受け。愛しい孫。写真は3ヶ月半の頃
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どうなる?どうする?!・・・介護保険

2011-07-12 22:32:44 | 社会保障
近くの軽費老人ホームを訪ねました。
久しぶりです。
ずいぶん様子が変わっていることを実感しました。

入所されている方を訪ねてよく出入りしていたのはもう10年以上前。
介護保険スタート以前だったと思います。
比較的お元気な方が多く、活気がありました。
「老人ホーム」というより別の名前がいいのでは?と思うくらいに。
今、入所時から介護認定を受けておられる方が増えているとのこと。
そして、在宅の介護サービスを使いながら過ごされている方も多いとのこと。
本来、介護施設の入所の方がふさわしい。けれど、どこでもいっぱいで、何年待っても入れない。
本来「介護の施設」ではない軽費老人ホームが、そういう方の受け皿のひとつになっているように思いました。

夕方は「介護保険の認定を受けるにはどうしたら?」というご相談で団地に一人住まいのKさんを訪ねました。
この訪問も久しぶり。お手紙、電話のやりとりはしていましたが、お目にかかるのは2年ぶりくらい?「フラフラするの。買い物にも行けない。娘(隣の町に住む)が買ってきてくれたものを食べてる。あとは生協の配送で、チンしてすぐ食べられるもの。あきてしまって食欲もない」
おしゃれで、勉強好きで、興味があれば遠くまで会合に出かけ、政治や社会の動きに対する持論を新聞に投稿する。手際よくテーブルに手料理を並べ、そしておいしそうにビールを飲みながら召し上がる。私の母の歳に近い方ですが、いつお会いしても若々しくはつらつとして・・・「あんなふうに歳を重ねたい」と思う憧れの人生の先輩でした。でした・・・ではなく、今も。
介護認定のあらましについて、お話しました。毎日心細く不自由をされていることは間違いないのですが、家のなかでは身の回りのことは自分でできる。(おひとりだから、自分でしなければ生きていけない)今の状態ではたぶん「非該当・自立」となるかもしれません。
でも、「買い物にも行けない。十分な食事ができない。」・・今の状態を続ければ、やがて「重度化」するでしょう。
それよりも、日常生活の支援サービスを早く使って、早く元気になっていただきたい。

介護保険スタートのときに「住み慣れた地域で安心して暮らし続けられるための仕組み」と言ったはずです。寝たきりに近くなってからでないと使えない制度にしてしまっていいはずはない。
一日、そのことを考えていました。
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はじめの一歩

2011-07-11 00:39:48 | 足あと・・・私のブログ
15日から日本共産党泉大津市会議員団3人で東北ボランティアに行きます。

15日は早朝出発、岩手県陸前高田で3日間の活動、19日に帰阪の予定。

9日から行っている田尻町の小川議員から夕方電話がありました。
「大阪並みに暑いよ!」と。

東北に行く前にブログ始めよう!!と思い立ちPCの前にすわりました。

ある人に聞いたら「ブログ?5分でできるよ」と言われました。
私にとってはそんなに甘くはない・・・と思ってましたが、まだまだ・・・・わからないことが多い。しばらく難航しそうです。(これは想定内)

でも、「まず一歩!」
そういえば、いつのことからか、迷ったときは「まず一歩!」と、自分で自分にエールをおくり
あとは歩きながら考えて、考えながら歩いてきたなぁと思います。

さぁ、どんな出会いがあるでしょうか。楽しみです。
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