こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

ここは人々の暮らしがあったところ

2011-07-18 07:06:28 | 東北被災地支援・がれき処理問題
日中は暑いけれど朝夕は寒いくらい。小鳥のさえずりで爽やかに目覚め東北での1日が始まります。

16日と17日、2日分の活動報告

一ノ関の日本共産党両磐地区委員会の一角にあるボランティアセンターに宿泊し、日中は車で1時間余りの陸前高田のセンターで活動しています。

初日の16日は朝早く出発し、津波の浸水地域を歩きました。海岸から遥か離れ、海の見えないところまで すさまじい被害が襲ったことがわかります。瓦礫と倒壊した家屋の柱や壁、壊れた家具などがが積み上げられた中に子どものオモチャや袋に入ったままのお菓子も。その直前までそこには普通の暮らしがあったことを、瓦礫の中の形あるもののひとつひとつが教えてくれます。

16日は午前も午後も矢作町という高台で津波の被害を受けていない地域を1軒づつ訪問して要望を聞きました。直接の被害はなかったものの多くの方が家族や親戚の犠牲者の話をされました。夫が入院していた陸前高田病院からヘリで搬送されカルテがないので3日間何の治療もされず、14日目に亡くなった。夫は病死。津波で死んだのではない。誰にも打ち明けたことない。あぁ、話してしまった
...と静かに話された方があります。夫は津波が亡ければまだまだ生きたに違いない。せっかく搬送された病院で適切な処置がされれば助かったかもしれない。でも津波の被害による死者に数えられさえしない...言葉にできない悲しみ、悔しさが伝わります。

17にはセンターの前で毎日開設している青空市の手伝いをしてから1週間前にできた仮設住宅を訪問して要望を聞きました。やっと扉のあるところに住めるようになって有難いと言いながらも、近所に店がない。子どもの通学路が心配。住民同士のコミュニケーションがない。などの声もありました。
午後はこの仮設住宅の駐車場に支援物資を運んで移動青空市。

たくさんの方からお聞きするお話の全てが今も蘇ります。

帰ってから写真もアップしてもう少し整理した報告をします。

さあ、今日もそろそろ出発の時間です。
コメント
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