「しんぶん赤旗」を手に取ってまず読む 「潮流」で、今日が宮本百合子の68回目の命日であったことを知る。
百合子の文学、評論、日記、手紙のなかの言葉のいくつかは、私の青春の道しるべのように繰り返し読み、何かがあるとまたその言葉を探して全集のページをめくった。
そのひとつ。
「自信のあるなし」という短い文章。
書かれた年月日は定かではないが、全集の中に置かれた位置からして、多分1940年の夏ぐらいなのだと思う。
「一体自信というものは、・・・好結果の見通しに対してだけいわれる筈のものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。」と問い、自ら答える。
「私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしはいえるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。」
「行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでいかなければならない青春に自信というものがあり得よう。」
迷ったとき、心を決めかねるとき、私に勇気を与えてくれた言葉だ。
信州松本で過ごした学生時代に 百合子の作品に出合った。
東京で開催された「没後25周年」の集いに一人で参加したことがある。
久しぶりで、百合子と出会ったころの自分と対話をするような気持ちで一日を過ごした。
百合子の文学、評論、日記、手紙のなかの言葉のいくつかは、私の青春の道しるべのように繰り返し読み、何かがあるとまたその言葉を探して全集のページをめくった。
そのひとつ。
「自信のあるなし」という短い文章。
書かれた年月日は定かではないが、全集の中に置かれた位置からして、多分1940年の夏ぐらいなのだと思う。
「一体自信というものは、・・・好結果の見通しに対してだけいわれる筈のものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。」と問い、自ら答える。
「私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしはいえるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。」
「行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでいかなければならない青春に自信というものがあり得よう。」
迷ったとき、心を決めかねるとき、私に勇気を与えてくれた言葉だ。
信州松本で過ごした学生時代に 百合子の作品に出合った。
東京で開催された「没後25周年」の集いに一人で参加したことがある。
久しぶりで、百合子と出会ったころの自分と対話をするような気持ちで一日を過ごした。