【本丸御殿跡】
ここに当時の天皇を招き入れる「御幸の間」があったと、
信長公記に記載されていて、御所の清涼殿に酷似していた構造であったとか。
この先を進めば天主跡に到着です。
上に天主があるということは天皇ですら下に見ていたということですね。
いかにも信長らしい。
でも、信長って延暦寺を焼き払ったり、
朝廷に刃向ったりしたイメージがありますが、
意外と朝廷や朝廷所縁の寺社に対して、
篤く敬意を払っていた事実があるんですけどね。
【石垣】
【天主閣址】
こんな所に天主があったのか。
はぁ、しんど。(^^;
下からここまで来る家来は大変や。
昔の人はタフだったのかな。
【風景】
【信長公本廟】
【織田信雄公四代供養塔】
【石段】
歩き難い石段を下る。
上が天主方向です。
また登りです。
この先にお目当ての三重塔があります。
【三重塔】
お~見えてきました。
しかし全体を見せないとは、じらしますね~。
古色になった三重塔の渋さが醸し出されてますね。
重要文化財。
天文24年(1555)建立。
滋賀県湖南市にある長寿寺から移築されたもので、
長寿寺に参拝した時、お寺のおばちゃんが、
未だに信長に持っていかれたことを嘆いていたのを思い出したよ。
この狭い土地だと小ぶりな長寿寺の三重塔が選ばれたのが分かります。
かなり大きい近くの常楽寺の三重塔では移築出来ないものな。
長寿寺は不運。(涙)
【本堂跡】
【風景】
【石段】
ここから下りに入ります。
しかしこの石段は登りより下りの方がしんどい。
石の大きさと高さがそれぞれ違うから、
降り難いったらありゃしない。
杖があったからまだマシだったけど、
足と腰に相当負担がかかりますからご注意。
二王門が見えてきまいた。
【二王門】
降り難い石段をゆっくり歩むと重文の二王門に到着。
石段の大きさや高さ、形がバラバラなのが分かると思う。
元亀2年(1571)建立の重要文化財。
これはとても豪壮で堂々たる見事な二王門です。
歩き疲れたけど良いものを見せていただいた。
苦労して見に来た甲斐があるというものです。
【金剛力士像】
応仁元年(1467)像立の重要文化財。
【石塔】
石段を降りて拝観終了。
疲れはしましたが、三重塔、二王門を見れて本当に良かった。
【御朱印】
書置きでした。
ここに当時の天皇を招き入れる「御幸の間」があったと、
信長公記に記載されていて、御所の清涼殿に酷似していた構造であったとか。
この先を進めば天主跡に到着です。
上に天主があるということは天皇ですら下に見ていたということですね。
いかにも信長らしい。
でも、信長って延暦寺を焼き払ったり、
朝廷に刃向ったりしたイメージがありますが、
意外と朝廷や朝廷所縁の寺社に対して、
篤く敬意を払っていた事実があるんですけどね。
【石垣】
【天主閣址】
こんな所に天主があったのか。
はぁ、しんど。(^^;
下からここまで来る家来は大変や。
昔の人はタフだったのかな。
【風景】
【信長公本廟】
【織田信雄公四代供養塔】
【石段】
歩き難い石段を下る。
上が天主方向です。
また登りです。
この先にお目当ての三重塔があります。
【三重塔】
お~見えてきました。
しかし全体を見せないとは、じらしますね~。
古色になった三重塔の渋さが醸し出されてますね。
重要文化財。
天文24年(1555)建立。
滋賀県湖南市にある長寿寺から移築されたもので、
長寿寺に参拝した時、お寺のおばちゃんが、
未だに信長に持っていかれたことを嘆いていたのを思い出したよ。
この狭い土地だと小ぶりな長寿寺の三重塔が選ばれたのが分かります。
かなり大きい近くの常楽寺の三重塔では移築出来ないものな。
長寿寺は不運。(涙)
【本堂跡】
【風景】
【石段】
ここから下りに入ります。
しかしこの石段は登りより下りの方がしんどい。
石の大きさと高さがそれぞれ違うから、
降り難いったらありゃしない。
杖があったからまだマシだったけど、
足と腰に相当負担がかかりますからご注意。
二王門が見えてきまいた。
【二王門】
降り難い石段をゆっくり歩むと重文の二王門に到着。
石段の大きさや高さ、形がバラバラなのが分かると思う。
元亀2年(1571)建立の重要文化財。
これはとても豪壮で堂々たる見事な二王門です。
歩き疲れたけど良いものを見せていただいた。
苦労して見に来た甲斐があるというものです。
【金剛力士像】
応仁元年(1467)像立の重要文化財。
【石塔】
石段を降りて拝観終了。
疲れはしましたが、三重塔、二王門を見れて本当に良かった。
【御朱印】
書置きでした。
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