♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の恵みはすばらしい / 内田耕治

2023年01月19日 | Weblog

2022/7/21放送

 「世の光」の時間です。今日の番組を担当するライトハウス宇部キリスト教会牧師の内田耕治です。

 最初に聖書をお読みします。新約聖書ローマ人への手紙3章23~24節。
 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」

 人間はよく誤解します。たとえば、「クリスチャンは善良で生真面目な人だから、自分のような人間はクリスチャンにはなれない」と言う人たちがいます。けれども、それは大きな誤解です。実際のクリスチャンは全然違うのに、勝手にそんなイメージを作り上げてしまうのでキリスト教はかなり誤解されています。

 けれども、そのような誤解を解いてくれる本があります。それが聖書です。先ほど読んだ聖書にはこうあります。
 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない」

 このことばを見て、「クリスチャンになるのは無理だ」と考えるのは誤解です。なぜなら、次に「神の恵みにより」と書いてあるからです。

 神の恵みとは神のプレゼントです。プレゼントなら、もらえばいいだけですから難しくありません。そのプレゼントは「価なしに義と認められる」ことです。

 「価なしに」とは「価値がなくても」という意味です。たとえば、「自分は努力が足りない者だからプレゼントはもらえない」とか、「自分はかつて悪いことをして皆さんに迷惑をかけた者だからプレゼントは無理」と思うのは誤解です。「価なしに」ですから、悪いことをした人でも大丈夫です。

 どうしてか? 「キリスト・イエスによる贖い」があるからです。

 もし、あなたが立派な者になろうと努力したとき、人の前だけならある程度、良く見せることができますが、あなたの隠れた所にある罪を神はぜんぶ見ています。だから、神の前にはすべての人は罪を犯しているのです。

 けれども、キリストはあなたの隠れた罪のために十字架にかかり罪の贖いを成し遂げてくださいました。

 「贖い」とは何か。たとえて言うと、ある商売人が負債を山のように積み上げて、破産寸前でした。でも、ある人がその負債をぜんぶ支払ってくれたので、商売人は破産せずに続けて仕事ができました。「ある人」はキリストを表しています。神の前に私たちの罪の負債は山のように積み上がり、神のさばきを待つだけでした。でも、キリストは私たちの罪の負債を全部支払ってくれました。それがキリストの贖いです。

 だから努力の足りない人も悪いことをした人もキリストの贖いで価なしに義と認められます。それが神の恵みです。あなたにもその恵みを是非知っていただきたい。神の恵みはすばらしいのです。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.21放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■あなたは大切で素晴らしい / 岩間 望

2023年01月18日 | Weblog

2022/7/20放送

 「世の光」の時間です。今日、番組を担当させていただく山口福音教会の伝道師、岩間望です。

 先日、高校生から相談を受けました。


「本当に私は大切で素晴らしい存在なんですか?」

   「はい、そうですよ。あなたはすばらしい存在です。聖書にそう書いてるから。」

「でも、こないだのテストの点数が悪かった。だめな自分は大切ですばらしくなんてないのではないですか?」

   「いやいやいやいや、たとえだめな結果があったとしても、あなたはすばらしい存在ですよ。」

「お姉ちゃんのように要領良くできない私はダメなんじゃないですか? お父さん、お母さんにも大切にされてないような気がするんです。」

   「いやいや、それでもあなたは大切ですばらしい存在なんですよ。」

「他の人みたいにかわいくない。」

   「それでも大切で素晴らしいよ。」

「病気がある」

   「それでも、あなたは大切ですばらしいです。」

「失敗ばかりだ、こんな人生です。」

   「それでも、あなたはこの世界に大切ですばらしい存在なんだよ。」

「実は、私、いじめられているんです。こんな私は大切ではないのではないでしょうか。」

   「そう感じるんだよね。でも、あなたは大切ですばらしいんですよ。あなたが周りに何と思われようが、自分で自分は大切ですばらしくなんてないって感じようが、あなたは大切で、すばらしい存在なんだよ」

と話をしました。

 「本当に? 嘘なんじゃない? 口だけならなんとでも言える・・・」 あなたも、そう思うかもしれませんね。

 口だけの愛なら、自分の損になることが起きたら逃げて行きます。でも、イエス様は死んでもあなたを大切だと示し続けた。十字架の上で、「ああ辛い、苦しい、死ぬのは本当は嫌だ」って思いながらも、あなたを愛するために諦めなかった。やめなかった。

 今から紹介することばは、聖書にあることばです。

 第一ヨハネの3章16節
 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。」

 だから、今これを聴いてるあなたにも、このことを届けます。神様はあなたに言います。「あなたは大切ですばらしい存在なんです。」 そう、あなたは大切ですばらしい存在なんです。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.20放送でのお話しより )


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■新しく生まれる / 小林啓一

2023年01月17日 | Weblog

2022/7/19放送

 「世の光」の時間です。今日番組を担当するのは山口県小郡(おごおり)めぐみキリスト教会牧師の小林啓一です。今日は「新しく生まれる」と言うタイトルでお話しをさせていただきます。

 ある晩、イエス様のもとへ一人のユダヤ人の国会議員がやって来ました。彼の名前はニコデモと言い、神の律法の教師(先生)でしたが、実は自分が天国に入ることができる確信がなかったのです。それで、今、癒やしや奇跡を行って評判のイエス様のところへ、夜こっそりと聞きにきたのです。

 その彼の心を見抜かれたイエス様は、ズバリとその答えを言われました。
 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

 ニコデモは驚いて「新しく生まれるですって? 人は老いていながらどうやって生まれることができますか?」と尋ねます。

 イエス様は「体が生まれると言うのではなく、ちょうど風が吹いてくるような、見えない真の神様の霊によってその人の霊魂が新しく生まれるのです」と答えられました。
 
 生き物はその住む場所によって、それぞれ違ったいのちをもらっていますね。魚は水の中に住むいのちを、鳥は空中で生きるいのちをもらっています。イエス様は「神の国を見るには、天国に住む新しいいのちをもらわなければなりません」と言われたのです。

 では、どうしたらそのいのちがいただけるのでしょうか? それは、イエス様を信じることによってなのです。
イエス様はニコデモに昔の旧約聖書の記事を引用しながら、イエス様の十字架と復活を信じる者がその永遠のいのちが頂けるのだと説明されました。

 誰も罪を持ったままでは天国に行くことはできませんね。もしそうなれば、天国が汚されて誰も行きたいところではなくなってしまいます。そうですから、イエス様が私の罪のために十字架にかかってくださったこと、そして、神の子として天国で生きるためにイエス様が死人の中からよみがえってくださったこと、これらの事を信じるなら不思議なことにあなたも私も新しく生まれて罪がない神の子として天国へ行けるのです。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.19放送でのお話しより )


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■救い主キリスト / 上本 亮

2023年01月16日 | Weblog

2022/7/11放送

 「世の光」の時間です。今日、番組を担当するのは、山口県にある宇部神召キリスト教会副牧師の上本亮です。

 聖書から励ましと慰めのみことばを受け取って参りましょう。マルコの福音書10章46~52節より、「救い主キリスト」と題してメッセージをお伝えします。

 この箇所にはバルティマイという目の見えない人が登場します。バルティマイは自分の近くにイエス様がおられることを知ると、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください!」と叫びました。その声はとても大きく、多くの人が彼を黙らせようとするほどでしたが、バルティマイはますます叫びました。

 イエス様はその声を聞き、バルティマイを呼ばれると、彼はイエス様のもとへ行き、その信仰を確かめられるとイエス様は「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言い、バルティマイの目は開かれました。

 バルティマイは、「イエス様なら絶対に自分の目を見えるようにしてくださる」という強い信仰を持ち、周りの誰がどう思うとイエス様に必死で近づいていきました。イエス様への絶対の信頼によって、目が開かれただけではなく、彼自身の信仰によって救われたのです。
 私たちはどうでしょうか。目の前の現実や世の中の状況を見て、簡単にあきらめたり妥協したりしてはいないでしょうか。イエス様という光があるのに、闇の中に留まってはいないでしょうか。

 イエス様はどんな病いも癒やし、目を開かれるように、私たちを光で照らしてくださるお方です。イエス様の救いはすべての人に必要な光です。

 世界や私たちの周りの状況を見ると、暗く悲しいニュースばかりを耳にし、暗闇に閉ざされているように感じてしまいます。けれども、そのような時代だからこそ、私たちはこれまで以上に必死でイエス様を求め、祈る時ではないでしょうか。

 バルティマイが必死にイエス様を信じて叫んだように、私たちもイエス様に近づくことで目が開かれ、救われていくのです。イエス様は、私たちが「あわれんでください」と叫ぶとき、必ずその声を耳にとめられ、御手を伸ばして救ってくださるお方です。

 今日も、明日も、いつまでも私たちとともにいてくださる救い主イエス様が私たちを救ってくださるよう、また、私たちも光の道を歩み、イエス様に近づいていきましょう。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.18放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-106 あなたの罪は赦されました / 大嶋重徳

2023年01月14日 | Weblog

2022/7/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 ルカ福音書を5章まで読み進めてきました。中風の病気の人に、イエス様は「あなたの罪は赦されました」と言われました。

 このことばがその場所にいた律法学者から問題とされるなどイエス様は知っておられたでしょう。罪の赦しの宣言をすると、律法学者やパリサイ人が反応し、理屈を込め、言いがかりをつけることなど分かっておられたはずです。

 しかし、イエス様にとっては関係がなかったんです。病気の友だちを連れてくる4人の友情を見て、また、その友情を信頼して人前に吊り降ろされてきた彼を見て、イエス様は律法学者、パリサイ人の目を気にしてことばを選ぶことなどありませんでした。何よりかけてあげたいことば(は)、「あなたの病を癒やされた」ということではなかった。その信仰の告白に罪の赦しを宣言してあげたいと願われたんです。

 なぜなら、病気はお医者さんも直せるかもしれません。しかし、「あなたの罪は赦された」と言うことのできるのは、まさに神の子イエス様だけです。イエス様こそまさに唯一、罪の赦しを宣言することのできるお方です。そして、この罪の赦しの宣言をするために、イエスは地上に来られたんです。

 人間は罪人です。誰一人、誰かの罪の赦しを宣言することなどできません。しかし、人間の限界を超えて、神と人を隔てている天井を打ち破って、イエス・キリストは今あなたの罪の赦しの宣言をしてくださる。目には見えませんが、このラジオをお聞きのあなたの目の前にイエス様はいてくださいます。イエス様は、天井知らずの愛をもってあなたに伝えたいことがある。癒しを求めて来る人々に聞いてもらいたい。それは、「自分がこの地上に来た目的は『友よ、あなたの罪は赦されました』という赦しの宣言をするために私は来たんだ」とおっしゃる。

 病気を治すだけが人生の問題の解決でありません。病の癒しで終わってはいけない。「友よ、あなたの罪は赦されました」 このことばを聞くために私たちはキリスト教会に行くのです。「大丈夫。あなたはまた新しく挑戦していくことができる。諦めなくて良い。わたしがともにいるから。」 

 一週間の間で出来た薄い土のような壁を打ち壊して私たちはイエス様の一番前に進み出ましょう。そして、イエス様の声を聞いて一週間を始めていきたいと思います。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.16放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-105 正しさ=愛? / 大嶋重徳

2023年01月13日 | Weblog

2022/7/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を今週は順番に読んでいます。5章に入りました。イエス様のガリラヤ伝道の様子を読み進めています。

 中風という脳梗塞になった男性に、イエス様は「友よ、あなたの罪は赦されました」と言われたのです。「友よ」と呼びかけ、赦しの宣言をされました。友情に溢れた瞬間がこの家に訪れたのです。

 しかし、そこに同じ部屋にいながらにしてある人々には友情がありませんでした。律法学者、パリサイ人と呼ばれる宗教指導者たちでした。恐らくずっと腕組みをして聞いていたでしょう。そして、「あなたの罪は赦された」というイエス様のことばを聞いた時、「この男は自分を何者だと思っているのか、神お一人の他に人間の罪を赦すことができる者などいない。神にしかできないことを自分がするかのように宣言するなんて、イエスは神を冒涜している。」と理屈を言ったんです。

 しかし、これまでのこの時の光景を見て彼らの心は動かなかったのかなあと思います。感動しなかったのか、と。パリサイ人、律法学者の親戚や家族、親しい者の中には、身動きのできない病気の人がいなかったんでしょうか? 天井が剥がれてきたときに、その友情と愛に出会ったとき、自分にも連れて行きたいと思う人が思い浮かばなかったのか?と思うのです。

 「罪が赦された」ということばを聞いて、一緒に喜ぶ気持ちがなかったんだろうか? 当然、律法学者、パリサイ人の方が「罪とは何か」ということを聖書を調べて知っています。そして律法学者、パリサイ人も、自分もまた一人の罪人にすぎないわけです。教会がこうなってしまうなら悲しいことです。言っていることは確かに正しい。しかし、教会に行きたくても来ることができない人の悩み、そう簡単には信じることのできない人の気持ち、その思いを知らぬままに不信仰をなじるならば、イエス様の友情からは程遠くなるでしょう。いつの間にか上に立って正しいかのような理屈を言う。教会は固い固い天井を作ってしまっている。教会に入ってこれないような固い固い天井があるとき、イエス様の「友よ」ということばが空しく、響いていかないのです。

 私たちも理屈を言うときはいつも正しいことを言っていると思います。しかし、正しいことが愛とは限りません。私たちはイエス様のように愛に生きていきたい。誰かの罪の赦しを心から喜ぶ、愛に生きる者になりたいと思います。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.15放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-104 四つの友情 / 大嶋重徳

2023年01月12日 | Weblog

2022/7/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいます。5章にあるイエス様のガリラヤ伝道の様子を見てきています。脳梗塞になってしまった友人のために、友人たちは人の家の天井を破り、吊り降ろされた病気の人にイエス様は、「友よ」と声をかけてくださいました。

 この場所には四つの友情がありました。
 一つは、中風の男を連れてきた彼らの友情です。どんなことをしても自分の友達を必死に思う友情がこの場所に友達を吊り下げたのです。力を入れて、一気に落ちたりしないように支える友情もありました。

 二つ目は、連れてきた四人の男たちとイエス様の友情です。この屋根を突き破るという信仰は、イエス様が何より望まれる行為だったのです。彼らの信仰を見て「分かってくれてるなぁ」と友情を感じられました。

 三つ目は、病人とイエス様との友情です。自分で立ち上がることも歩くこともできない生活。自分で礼拝に出かけることもできない深い苦しみ嘆きが彼にはあったでしょう。自分のことを「イエス様のところに連れて行くぞ」と友達に言われたときも、自分なんかのために時間を取ってもらうのは迷惑なんじゃないか、と一度は拒んだかもしれません。まさか天井を剥がし始めた時には「やめてくれえ!」と思ったでしょう。誰よりも降ろされていく本人が一番ドキドキしていたでしょう。しかし、イエス様からの「友よ」ということばを聞いた時に、「あぁ、来れて良かった」と思えたのです。

 四つ目の友情は何でしょうか。この部屋にいる人々との友情です。自分たちの前に割り込んで入ってきた彼らの姿を受け入れるイエス様を見て、不平を言って邪魔しようとする者は誰もいませんでした。誰もが分かっていたんです。「あぁ、イエス様のもとへ必死に行こうとしている。自分と同じだ。」と。そこを喜んでくれる人々との友情がこの部屋に溢れていました。「友よ」というイエス様のことばが聞こえた時、全員が暖かい思いに包まれたでしょう。イエス様の周りには幾つもの友情が広がって行きます。イエス様から友情をもっていてくださるからです。周りもまたその友情に巻き込まれていくんです。

 このように、世界に友情が広がっていくのであれば、どれだけ世界に平和が訪れることかと思います。あなたもまた今日、あなたを「友」と呼んでくださるイエス様の友情に巻き込まれていきませんか? 


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.14放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-103「友よ」 / 大嶋重徳

2023年01月11日 | Weblog

2022/7/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいます。5章に出てくるイエス様のガリラヤ伝道の様子を読み進めています。

 脳梗塞になってしまった友人のために、人の家の天井を破り、友達を釣り降ろそうとした四人の友人の行動を、イエス様は「信仰だ」と呼んでくださいました。

 イエス様を信じるとは、狭くて硬くて偏狭な生き方になるのでありません。むしろ、神を信じる無限の可能性の世界を生きるんです。

 隔たりのない屋根も壁もない世界。「信仰をもつ」とは、人間の常識、考え方、あきらめに閉ざされて動けなくなったりはしません。諦めのただ中に座りこんで、「もうこれでいい」と言わないんです。そんな諦めの方向にイエス様はおられません。

 この四人の男は「イエス様以外に自分の友達を救ってくれる人はいない。何が何でも自分の友達を救ってほしい!」 心から友人を思うこの思いでキリストに向かったんです。そこに常識も屋根もありませんでした。

 この信仰の一点突破で道が開けたんです。屋根をぶち空けた向こう側でイエス様が待っていてくれました。がむしゃらにキリスト一筋に向かっていくものは必ずイエス・キリストと出会います。不可能を可能と信じて突き抜けていく。逆に本当に突き抜けてみたところで、そこでイエス様がおられないとわかったらその時は「違ったんだ」と心から受け止めることができる。「すいません。無茶をしてしまいました。」と許してもらえるまで謝ればいいんです。しかし今日この壁の向こう側にイエス・キリストがおられると確かに知っている、しかし踏み出せないのであれば、今日こそあなたの屋根を破っていただきたいと思います。

 イエス様はこの四人と病人に向かって「友よ」と声をかけてくださいました。彼らはイエス様から「友よ」と言ってもらえるなど思ってもいなかったでしょう。しかしそこで、イエス様はその思い込みを打ち破られます。イエスさまに会いたくて進み出てくる私たちに、イエス様は今日も「友よ」と言ってくださるんです。

 イエス様には「この人と知り合いになりたい。できたら友達になりたい。」と思わせる魅力が溢れています。しかし驚くことにイエス様のほうから「友よ」と呼んでくださる。そして私たちも「俺、あの人と友達なんだよね」ということができるのです。

 このイエス様のもとに今日、勇気を持って進み出てみませんか? キリストは今日、あなたの友となってくださいます。


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.13放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-102 常識を突き破る / 大嶋重徳

2023年01月10日 | Weblog

2022/7/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
 ルカ福音書を順番に読んでいます。今週は5章です。イエス様のガリラヤ伝道の様子が描かれています。

 イエス様の説教中に、一人の病人が天井の屋根を突き破ってイエス様の目の前に吊り降ろされてきました。それを助けた友達四人の行動をイエス様は、「信仰だ」と言ってくださったのです。

 この四人の友達は病気を治すイエス様のうわさを聞いて心が動きました。仲が良かった友人だったでしょう。一緒におしゃべりをし遊んでいた友が突然、脳梗塞・脳出血になる。うまく話せなくなった友達の不自由な生活を我が事のように思い悩んだのです。自分にできることは何でもやってあげたいと思った。
 そして一杯になっている家に入れない状況を見て、「天井から吊り降ろそう」と誰かが言ったのです。常識ではやらない行動です。家の持ち主にも必ず怒られるでしょう。何よりイエス様に怒られるかもしれない。四人の一致もないといけません。

 ここには人間の思い込みを突き破る信仰がありました。常識的な考え、天井を突き破るほどの友達への愛があったのです。そしてこの光景を何よりもイエス様が喜ばれました。
 私たちは「やろうと思ったらできる」と言いながらやらないことがあります。常識や人の目、自分の経験値が目の前に立ちはだかっています。しかし、この四人の友達は常識を破りました。人の家の屋根を破り、先に一杯来ている人々の順番を追い越し、一番前にのさばり出る。通常の常識で考えると、重病人を外に置いたままイエス様の話が終わるのをひたすらに待つ。いや、脳梗塞の友達の様子を見ると、日差しの強いイスラエルの外に何時間も置いておくわけにはいかない。諦めて帰ろう、となったでしょう。

 私たちは諦め易いものだと思います。やろうと思ったらできると言いながら少しやってみて、精一杯やったんだからとあきらめる。あと少し先に、素晴らしいものがそこにある、キリストがこの壁を一枚破ったらそこにおられるのがわかる。やればいいのにやめてしまうのです。

 しかしイエス様は、信じる信仰とはそう簡単に諦めないことだと思っておられた。信仰とは諦めない力です。今日私たちは諦めない力をイエス様からいただきましょう。あなたが突き破ってくるのを待っておられるイエス様がおられるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.12放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-101 四人の友人 / 大嶋重徳

2023年01月09日 | Weblog

2022/7/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいて、今週は第5章に入っていきます。イエス様のガリラヤでの伝道の様子を読み進めてきました。

 ある家でなされていたイエス様の聖書の説教の真っ最中、突然、部屋の天井にボコッと穴が空きました。当時この地方の家の天井は土でできていました。土のかけらやホコリがそこにいる人々の頭の上にパラパラと落ちてきただろうと思います。集まっていた人があっけにとられていると、天井がメリメリっとはがされて、穴がさらに大きくなり、男たち四人の顔が覗き、一人の病人を寝かせた床が釣り下ろされてきたのです。

 この病人は中風という病気にかかっていました。中風とは今でいう脳出血・脳梗塞です。自分たちの友人が脳出血になった。自分で歩くことも困難な寝たきりになってしまった。うまく言葉も話せない状況であったでしょう。彼らは何とかして自分の友達をイエス様に癒して欲しかったんです。

 四人の友達が布団の四隅を持ってイエス様の語っておられる家にやってきました。しかし家には大勢の人々が詰めかけていて運ぶことができません。しかし、そこで彼らは諦めなかったのです。
 当時の家に必ずあった壁に付けられている梯子を利用して屋根に登り、屋根を剥がし始めたのです。この当時のユダヤの家の屋根は、傾斜していない平らな屋根でした。剥がし易いと言えば剥がし易い屋根ではあったのです。

 この驚くべき光景を見て、イエス様は「友よ、あなたの罪は赦されました」と言われたんです。そして、「彼らの信仰を見た」とあります。彼らの行動をイエス様は「信仰だ」と見られたんですね。

 通常これを信仰だと思うでしょうか。おそらく天井が破られ始めたとき家の持ち主は驚いたでしょう。イエス様の説教を聞いている人たちは、まずイエス様の顔を見たと思います。「ええっ、イエス様これどういうことです?」

 そこでイエス様はニコニコしておられたのではないかと思います。「おぉっ、やるな!」と言わんばかりの表情だったでしょう。そんな顔をしておられるイエス様がおられたからこそ、誰も彼らの行動を止めなかったのです。

 今日私たちが、イエス様に会いたい、イエス様に癒してもらいたい、願いを聞いて欲しい、と思い、もし無茶をしたとしても、そこでイエス様はそれを「信仰だ」と見てくださるんです。こんなありがたいことがあるかなぁと思います。今週はこの箇所からイエス様のもとへ飛び込んでいきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.11放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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